1
フレースヴェルグの村に一陣の風が吹いた。
人々は吹き抜ける風に髪を押さえ、サフロージュのほのかに光る薄紅色の花弁が舞う。
この村で強風が吹くのは珍しいことだ。半透明の巨神獣の皮膚に包まれたここでは、陽の光は入ってきても風はほとんど吹き込んでこない。不思議な現象に目を丸くした村人であり傭兵団の人々はつい、その風が吹き抜けた方向を見る。すると、その先に丸いフォルムの白っぽい何かが跳ねているのを目の当たりにしてさらに目を丸くした。そんな時だった、風の吹いてきた方向とは逆の方から息切れした声が聞こえてきたのは。
「イ、イダテン、待ってよぉ~……」
「ホタル~! こっちッポ~!」
「置いてくなんて酷いよー! ほらほら、みんなまだ来てないから待たないと」
「イダテンは早くお使いを終わらせて、ご飯の時間を長めに取りたいポッ」
「はぁ……。じゃあ、せめてメノウが来るまで待ってないと。手紙はメノウが持ってるんだから」
草花の妖精のような中性的なブレイドは腰に手を当ててイダテンと呼ばれたブレイドを睨む。しかし、つぶらな目のそのブレイドには表情があるのかないのかポヨンポヨンと飛び跳ねているだけで反省しているのか反省していないのか、はた目から判断するのは難しい。
やがて、白いとんがり帽子にピンクの鉱石を散りばめたアックスを担いだ女性型ブレイドが追いつくと、今は引退した彼らの団長だった人物が滞在するテントに入っていった。
「こんにちは。傭兵団の責任者の方はいる?」
分厚い布張りのテントの出入り口をめくりあげて現れた白いとんがり帽子のブレイドは、そう声を掛けながら中の様子を窺った。中には厳めしい顔つきの褐色の中年の男性が一人、突然の訪問者を驚いた顔で出迎えた。
頑強そうな肉体に対して目立ちすぎる三角巾でつられた左腕を揺らしながら、彼はメノウたちの前までやってくる。
「なんでぇ、レックスんところのブレイドじゃねえか。名前は確か……メノウって言ったか?」
「あら、傭兵団の団長に名前を憶えて貰っていたなんて光栄ね」
「よせよ、今は『元』団長だ。今の団長はお前たちのドライバーだろうが。そんで、今日は何の用だ? アサヒならまだ戻ってねえぞ」
「そのアサヒって子から手紙よ。大至急のね」
白い封筒を渡されると同時に聞いた名前に、元傭兵団の団長であるヴァンダムは厳つい顔をより険しくさせて背中を向けた。意外にも手紙はペーパーナイフで開けるタイプらしい。机に動かせない左手で肘をつき、その下に手紙を置いて固定すると、器用にその場で手紙を開けた。
その不自由そうな手紙の開け方に回復ブレイドであるホタルの顔が心配そうに歪む。
「ねえ、その腕……。ボクのアーツでも治せないのかな……」
「この腕は、俺のアタマの問題だそうだ。腕に直接傷を負ったわけでもねえし、胸の傷自体は治ってる。以前、胸に傷を受けて心臓が止まった影響で脳に酸素がいかなくなったのが悪かったらしい。後は、シナプスだとか……ニューロンだとか、小難しいことは分からんが、そういう手を動かすための何かが新しく出来ねえと難しいってよ」
「ずいぶん物知りなんだね、シキみたい」
「俺がすごいんじゃねえさ」
気遣うような場の空気を飛ばすために、ヴァンダムは改めて手紙の中身を見る作業に移った。
手紙の枚数は結構あるみたいだ。それだけ報告することが多いのだろう。
一枚一枚、読み終わった手紙が机の上に落ちていくのを砂時計が落ちていく時のような心持でメノウだけが見守っていた。あとの二人はこの場をメノウに任せ他の傭兵団の仕事をしている。
何か質問があった時には答えられるようにと思ってのことだったが、この沈黙の時間はメノウは嫌いじゃない。
そこから、唯一自由が利くヴァンダムの手が下ろされたのはほどなくしてのことだった。机に散らばった手紙を順序通りに整えようとメノウが近づくと、ヴァンダムは文章を読み疲れたのか思った以上に静かだ。表情を盗み見れば、何か深く考え込んでいる様な、訝しげな表情をしている。
「これはアサヒが書いたもんか?」
「いいえ。最初はアサヒが書こうとしていたんだけど、お手本があっても量があるから書き写すのを断念していたの。代筆したのはニアよ」
「ほお、ニアがな……。能ある鷹は爪を隠すってやつか」
「他に何か質問はあるかしら? ドライバーから手紙の内容で分からないことがあれば、私が補完するように言付かっているのだけれど……」
「いや、それには及ばねえ。……が、アサヒは思った以上に各国の要人と関わってるな」
手紙の内容は、アサヒが村を出てから今の状況を端的に記したものだった。メインはアーケディアの特使になることへのヴァンダムの見解が知りたいという旨だが、各国要人の意見や今後の見通しも織り込まれた文章は、彼女が楽園の子ということを差し引いてもしっかりし過ぎている。恐らく手紙にあったスペルビアの特別執権官とルクスリアの第一王子兼アーケディアの特使たちとよくよく話し合ったのだろう。
天の聖杯のドライバーであるレックスと一緒に行動させれば、楽園の子という存在も希釈されると思ってのことだったが、ヴァンダムが思っている以上の速さで楽園の子の存在は各国に伝わっているらしい。もはやアサヒ単体で国交に影響を及ぼすほどだとは思いもしていなかった。というのがヴァンダムの率直な感想だ。
「アーケディアの特使になることは、俺は賛成だ。傭兵団所属の楽園の子よりは、アーケディアの特使である楽園の子ってほうが後ろ盾としてはでかい。ほかの国や団体への牽制にもなる」
「でも、あの子はこの村に帰りたいのよね?」
「それが今すぐに無理だってことも、あいつは理解してる。それに必要なのはインヴィディアにいる理由じゃない。傭兵団のつながりだ。それなら、俺が書状でも出してやるさ。未来の傭兵団の団長であるレックスの護衛って名目でな」
メノウはなるほど、と言う顔で頷いた。その間にもヴァンダムは片腕が使えないながらも器用に便箋を引っ張り出して、使えない腕をあえて重しとして使い文章を書きだしていく。さすがの行動力だ。
そのタイミングで他の傭兵団の手伝いをしていたホタルとイダテン達と合流し、インクも乾ききっていない手紙を受け取ったメノウにヴァンダムはこう言った。
「法王庁の条件は破格だ。だが、その分何か裏があるかもしれねえ。特使になるんなら、その辺り含めて慎重に見極めろ。一人でじゃねえ。手に余りそうなら、誰にだって相談しろ。そうアサヒに伝えておいてくれ」
「わかった。その話は私のドライバーにもしておくべきね。あの楽園の子と私のドライバーは似た者同士な気がするもの」
「わぁーっはっはっはっは! 違えねえ!!」
腹の底から響いてくる大笑に後ろにいたホタルが微かに肩を縮めたが、メノウは微笑みを浮かべるだけだった。
「そろそろ行くわ。私たちが居ない間に、ドライバーたちがまた何かに巻き込まれてるかもしれないから」
「おう、気ぃ付けてけよ!」
笑顔で送り出すヴァンダムに手を振り、彼女たちは村の出口を目指す。
2
この世界の月は地球と同じような色と形と周期がある。あちらの世界にいた頃に流行っていたアイドルの曲の月の形を、まさかこのアルストで見るとは……。と思いながら私は板張りの床で膝を抱えてぼんやりと空を見上げていた。
ここからだと、巨神獣のヒレがよく見える。寄りかかっている壁から漏れる窓の明かりは疾うに消えていて、船の中は巨神獣が雲海をかき分ける音しか聞こえない。
吸い込む息は冷たいのに、体が寒さを感じないのは隣にある温度のお陰かもしれない。少し前から寄り添うように隣に座ってくれた同年代の男の子のお陰だ。
「……ねえ、レックス。いくら緊急事態だからって、メノウさんたちに何も言わないで来ちゃって、本当に大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫! これまでも何度もこういうことがあったけど、みんな何でかきちんと俺たちのいるところに戻ってきてくれてるからさ!」
「いや、そういう問題じゃないような……。あれ、そういう問題でいいんだっけ……?」
腕を組んで首を傾げても、私自身なにも出て来なかった。出てきたのは、夜中にたたき起こされた欠伸だけだ。
強く瞑った目尻から滲み出た涙を擦って拭うと、レックスの方からもつられたように大きな欠伸が飛び出る。
眠そうな顔を晒し晒して、私たちは笑い合った。
こんな夜中の時間に起きている理由。それは今から数時間前、ヴァンダムさんへの手紙をみんなで作って、傭兵団に急ぎ送ってもらった後まで遡る。
二日連続でアーケディアの大聖堂に宿泊する私たちは、その日用意できた部屋の都合で男子部屋と女子部屋に分かれ、眠っていた。そこで、慌てた兵士さんの声がして飛び起きたら、急いで謁見室に来るように言われ謁見室まで走っていくと、そこでマルベーニ聖下とファンさんが状況を説明してくれた。
なんでも、国同士が取り決めた非武装地帯で、スペルビアの一部上層部が密かに発掘をしていた兵器がインヴィディアの駐屯地に進軍しようとしてる。という話だった。
あの時のメレフさんのピリピリした様子を思い出すと、今でもちょっとだけ怖くなる。でも、それだけ深刻な内容であることは理解した。そして、そのタイミングでアーケディア内に不審に出入りしていたスペルビアの議員に尋問かというレベルでお話を聞いた後、事故か本当に戦争を始めたのかを見極めにメレフさんはテンペランティアに行くという話になった。そこでレックスはレックスでその兵器についてイーラが関わっているかもしれないこととメレフさんに借り、みたいなものがあるらしく、それを返すためにもメレフさんに同行すると言う。
アーケディアでは、ブレイドと巨神獣の力の抑制を行えるファンさんも来てくれるというわけで、謁見室に集められた法王様以外の全員は漏れなくテンペランティアに行くことになった。
この中だとジークさんは厳密には関係ないらしいけれど、特使という立場でなく個人的に、イーラとは因縁浅からぬ何かがあるらしく同行している。私はこれ幸いと特使のお仕事を見学するという名目でみんなに着いていくことにした。まぁ、一緒に行けるなら名目は何でもよかったんだけど。
いま私たちはテンペランティアに向かう巨神獣船の中にいる。船内は、静かなのに妙な緊張感があって眠気はあるのに目が冴えてしまった状態だ。寝足りない人たち用に仮眠室も作ってもらったのに、私たちは多分お世話になることは無いだろう。
夜はまだ長い。これから向かうテンペランティアは日が昇る少し前に到着するだろうという話だったし、何もしないのも勿体ないので、同じように眠れなくて一緒に居てくれるレックスに向かって、私は世間話感覚で話を振ってみる。
「給水塔の修理費分くらいは働かせて。って言ったけど、壊したことあるの?」
「えーと、まぁ、うん。アサヒと出会う前、グーラでメレフと戦ったことがあってさ。その時に、給水塔を倒してカグツチを弱らせて、何とか逃げたってことがあったんだ」
「……意外とすごいことするよね、レックスって。それで給水塔の修理費かぁ。ジークさんも言ってたけど律儀だよね。こういうのを大人な対応っていうんだよね、きっと」
「まぁ、伊達にサルベージャーやってないからね! 仕事の交渉も全部自分でやってたんだからな!」
「すごいなぁ。私も、レックスみたいになれるかなぁ……」
膝に顔を埋めるように呟くと、レックスのきょとんとした視線が返ってきた。
「? アサヒって学校に通ってるんじゃなかったっけ」
「この世界に来る前まではね。でも、万が一元の世界に戻れた場合、私は多分働かなきゃいけなくなるから」
「えっ、それってどういう……? 学校に通いながら働くってこと?」
「あー、えーと、私のいた世界って年齢に合わせてより専門的で詳しい知識を学ぶために学校を変えるの。私は医療系の学校に通うはずだったんだけど、今はここにいるでしょ? そして学校でも会社でも、どんな場所であれ長くそこに居なかったら居場所ってなくなっていくものだから……。多分、あっちの進学先の学校には私の席はなくなってると思う」
「じゃあ、その学校にはもう二度と入れないの?」
「うーん、普通の家だったら来年受験しなおせばいいけど、私の場合は親も親戚もいないし。誰も私を支援してくれる人っていないから、どうしてもお金の問題がね……。学校の寮に入る予定だったから今まで住んでた家からも出なくちゃだし。そうなると、どこかで働くしかないんだ。だから、私もレックスみたいにしっかりしなきゃって……」
レックスの言葉にできない心配のまなざしを受けて、そこでようやく気が付いた。
なんで私、こんなことをレックスに話してるんだろう。吐き出すだけ吐き出した途端に、後悔の二文字がぶわりと襲い掛かった。膝に顔を押し当ててる場合じゃない。レックスに変な心配をさせないようにフォローしなきゃ!
「ごっ、ごめんね!! こんな時に私の話なんて聞きたくないよね! っていうか今話すべきじゃなかったよね! ほんっとうにごめん!! あの、えっと、今のは忘れて――」
「俺さ、アサヒのことずっと『すごい』って思ってた」
私の必死のフォローをすべて無駄になるような言葉がレックスから放たれて、私は思わず閉口した。
二の句を継げないのをいいことにレックスは考え考えという感じで言葉が続いていく。
「カラムの遺跡でヴァンダムさんを助けてくれた時もそうだった。けど、特使になるって話が来た時にさ、アサヒは自分の利益より先に周りのことを心配してたよね? 法王様に待ってって言うのも、メレフやジークにも躊躇わずに相談するのも、すごい勇気がいったと思う。俺がもし、アサヒの立場だったら怖くてただ「分かりました」って受けちゃうんじゃないかなって。
俺はただ闇雲に突っ走ってるだけなんだ。だから、アサヒのそういうところを見習いたいって思ってた。必要な時にきちんと立ち止まれて、周りを見渡して気遣えるだけの冷静さって、いうのかな……。だから、俺はアサヒが思ってるほどすごくなくて、アサヒは自分で思っている以上にすごくて……! あーーー! 話がまとまらない!!」
頭をぐしゃぐしゃぐしゃー! とかきむしるレックスに私はむず痒いような気持ちを抱えながら苦く笑った。
レックスは私のことを買いかぶり過ぎてる。
私なんて全然すごくなんてないのに。レックスが自分のことを闇雲に突っ走ってるだけっていうなら、私は――。
その時、視界の端が強烈な光を浴びて、少しの間目が眩んだ。それはレックスも同じだったようで、手で直射を遮ると同時に、その光源を二人で探る。答えはすぐそばにあった。
「わぁ……!」
「あれが、テンペランティア……?」
船の柵のギリギリまで近づいて、私たちは遥か前方に屹立する巨神獣の姿に同時に声を漏らした。
空は白んで、地平線から差し込んできた太陽がちょうどテンペランティアの陸地から顔を出しているところだった。先ほどの差すような眩しさの原因はこれだ。
あそこでは、今まさに戦争が起きようとして、それでなくてもスペルビアが密かに発掘していた古代兵器が誰かの命を奪おうとしている。それなのに、この景色は一瞬それを忘れてしまうくらいに綺麗だった。
「ねえ、アサヒ」
「ん、なに? レックス」
呼ばれたので呼び返すと、どことなくまだ話しにくそうな不自然な溜めがあった後に、彼は言った。
「俺たちは多分、お互いに足りないものを相手に見てるんだと思う」
そう言って握手を求めるように差し出された右手を私は呆然と見つめた後に、レックスの顔を見上げた。
朝焼けを背に、レックスは同い年とは思えないような決意に満ちた表情で私に笑いかけていた。吸い込まれるような金色の瞳は奇しくも、地平線の色と酷似していて、思わず自分が目を見開いたのが分かる。
「だからさ、俺たちが一緒にいる間は、お互いの足りないところを補えあえると思うんだ。そうしたら、俺たち最強だぜ? 全方位死角なし、ってね」
「あはは、伝説の天の聖杯にアルスト最凶にスペルビア最強が揃ってるのに、私たちは二人揃ってようやく最強なの?」
「あ、駄目?」
「ううん、レックスらしくていいと思う」
私たちは、ジークさんやメレフさんたちに比べたらまだまだ子供だ。だから二人でようやく一人前というのは、理にかなっていると思った。
「……決めた。私も一緒に行く。レックスの行くところに、レックスの行きたいところに」
分厚い革のグローブに包まれたレックスの手を、私はそっと握る。そして一度だけ上下に振ってどちらともなく手を離した。その指切りのような作法に、私たちの思いが込められていた。一緒にいる間は、私がレックスの不足を補う。どこまでできるかは、正直分からないけど。
手を離して、私は言った。
「これからもよろしく。レックス」
「こちらこそよろしく。アサヒ」
遅くなりまして申し訳ございませんでした。
次回『テンペランティア』予定は未定