1
気づいたら朝だった。しかも布団もかけずにベッドの上でごろ寝したままレックスたちの部屋で一晩過ごしてしまったらしい。らしいというのは、今の私に時間の感覚がないから断言できないためだ。
感覚的にはまだ夜明け前か、日の出直後ぐらいの時間だと思うけど体を動かそうとしたところ、何かにがっちりと拘束されて動けない。そして顔に掛かる妙な圧迫感と温かさに私は疑問を抱いてうっすらと目を開けた。
まず飛び込んできたのは、同性であっても恥ずかしさを煽る強烈な胸の谷間だった。
シトラス系の香水の匂いが、次いでその人の体温に交じって香ってくる。流れるような金色の髪にミニと言うより危うい丈のスカート。そして、鎖骨に輝く翠のコアクリスタル。寝顔は穏やかで、熟睡していることが分かる。つやつやとした肌の感触は異性同性関係なく病みつきになりそうな魅力を持っていて、ずっとそうしていたいような気もした。けれど、その前に明確な息苦しさを感じて私はもがき始めた。
息が!! ヒカリさんの谷間に顔が埋まって息ができない!!
「ん゛ー!」
熟睡しているところを起こすのは本当に心苦しいけれど、このままだと私の命に関わってしまう。女の人の谷間に顔が埋まって窒息死とか情けなさ過ぎる。コタローなら一片の悔いもなく受け入れそうだけど……。
もぞもぞ動いて叩いて、ようやくヒカリさんが身じろぎをしてほんの少しだけ隙間が確保される。
ぷはっ、と詰めていた息を吐いて新鮮な空気を取り込んでいると、とろんとした寝起きのヒカリさんと目が合った。お、起きた? と反応を窺っていると、へにゃり――と、いつもはつり上がっている目が緩む。
「なぁに、アサヒ……? 甘えに来たの……?」
「えっ!? いや、あの、ちがっ――」
「しょーがないわね……。ほら、もっとこっちに来なさい……」
「は、話を――むぎゅう……!」
可憐な見た目とはいえ、ヒカリさんは伝説のブレイド。私みたいなひょろひょろした子供の抵抗なんて、仔猫が暴れるくらいのものでしかないのか、ヒカリさんは速やかに夢の中に戻ったようだ。
確保できたのは息を吸って吐ける隙間くらいだ。最初はここからどうやって脱出しようと頭を悩ませていたけれど、ヒカリさんの寝息と体温には何か魔性のものが宿っているのか、気が付いたら二度寝していて、そのまま朝になっていた。もちろん、その姿は同じ部屋に寝ていたレックスやニアちゃん達に目撃され、やがて、同じ部屋で寝ていたはずのヒカリさんがいないと、サイカさんがやって来て、最後に騒ぎを聞きつけたジークさんにまで見られたのは言うまでもない。
こうして私は、伝説のブレイドの腕の中で朝を迎えるという謎の称号をゲットした。
2
さて、朝にあんなことがあったというのに、今ヒカリさんはキリッとした表情で広場の中心を見据えていた。
今日はファンさんの国葬なので、私たちは葬儀の執り行われる広場にやってきている。
カラーン、カラーンという鐘の音が、薄青い空を背景にしたセイリリオス広場に響き渡る。いつもなら巡礼に来た旅人や市民の人の憩いの場になっているはずのそこは、人の数は変わらずともその場の空気はしめやかであるものの花の匂いが微かに香ってくる。
ファンさんはマルベーニ聖下のブレイドでもあるけれど、アーケディアの女神と呼ばれているほど誰からも慕われているのもあり、葬儀は国葬として大々的に執り行われている。とは言っても、聖職者の恰好をしているのはマルベーニ聖下たちだけで、一般参加の人たちの服装には色や形に統一感はなかった。みんないつもの私服だ。気持ち、綺麗なものを着てきているようだけど、普段着だとしてもそれをとやかく言う人は見当たらない。この世界には喪服というものは無いのかもしれない
民衆の人たちに交じって白いバラのような花をファンさんの棺に納める。石灰石をくりぬいたのような白い無機質な箱に入ったその人は眠っているようだった。ただ、胸の真ん中で色を失った
――彼女のコアクリスタルの土台には不自然に下半分が空いている。もし、ここに、ファンさんと同じ形のコアクリスタルがあったらぴったりはまるんじゃないだろうか。
もし私の考えているのが本当だとすると、ファンさんの元のコアクリスタルの本当の形って――
「おい、アサヒ! どうしたんだよ、後ろ詰まってるぞ!」
小声でコタローが言ってくれたおかげで、私はハッとしてそこから不自然ながらも脱出した。ただし、広場には人があふれていてレックスやニアちゃん達とははぐれてしまったようだ。しかも、運悪く参拝を終えて帰っていく集団の波にさらわれてしまった私は、コタローと一緒に半ば押し出されるようにセイリリオス広場から放り出された。
大きく開かれた門の左右には、人一人が歩ける程度の幅の道がある。本来その下にある街には長い階段を降りないと下に行けないのだけれど、左右に伸びた道をまっすぐ突き当れば、先ほどまで鳴っていた鐘のすぐ下まで来ることができる。
私たちは一旦鐘のあるそちらに落ち延びて、今しがた押し出された門の方を見る。
ひっきりなしに人が行き交っている。これは、落ち着くまでに時間がかかりそうだ。
その様子をどこか遠い世界のように見つめてから、方向を真逆に変えた。この道をまっすぐ行ったその先には小さな屋根のついた円形の展望台のようなところがある。ここの屋根に鐘が吊られてる。
まず、コタローを先に展望台の床に乗せてから、私は短めのはしごをよじ登り、転落防止用の柵に手を置いた。薄曇りの青いパステルカラーの空には雲が手前から奥へと押しやられていく。
吹き付けてくる風に嬲られる髪を押さえて、耳にかけながら私はコタローに尋ねた。
「……この世界では、死んだ人はどこに行くのかな」
「さぁな、死後の話ってのはあんまり聞いたことがねえ」
「そっか。私の世界ではね、死んだ人は空の上の天国に行くって話なんだ」
「テンゴク?」
「天の国って書くの」
「ふうん。こっちでいうトコの楽園みたいなもんか?」
「あ。うーん……。どうなんだろう。私の世界では天国は誰も見たことが無いけど、こっちだと世界樹はちゃんとあるでしょ? 実際に楽園から来たホムラさん達もいるし……。だから、楽園は未開の地。天国は死後の世界。って感じかな」
「へえ、面白い考えだな」
「でしょ?」
私はコタローに笑いかけると、肩に提げていたカバンから鉱石ラジオを取り出した。
さっきの言葉と今の行動が頭の中で繋がっていないコタローは、首を傾げる。
「コタローはこれのこと、お化けラジオって言ってたよね」
「あぁ。……っておい、まさか……!?」
「試すだけ試してみようと思うの。それだけの価値はあるはず」
「マジかよ。もし! 仮に!! 万が一!!! ファンの声が聞こえてきたらどうするんだよ!?」
「………………。ファンさんの声なら、怖くない気がしない?」
「なるほど確かに――って! いや、普通に怖えよ!!」
目を剥いて突っ込むコタロー。残念、誤魔化されてくれなかったみたい。
コタローを道連れにはできなかったけど、それなら私が試すまでだ。首元から認識票を取り出して鉱石ラジオの中にはめ込み、片耳にイヤホンをはめ込む。最初はやっぱりノイズだらけだ。
コタローは、心の底から嫌そうな顔をしているのに、私の傍からは離れようとしない。何かあった時のために見張ってくれているのだろう。
しばらくチャンネルを調整しながらザリザリと言うノイズを聞いていたけれど、目新しい音は聞こえてこなかった。私はちょっと残念に思いながら耳からイヤホンを外した。
「駄目みたい」
「それでいいんだよ。もし本気でファンの声が聞こえてきたらどうするつもりだったんだ?」
コタローに聞かれて私は「ん?」と改めて頭をひねった。そういえば、声が聞こえるかもしれないとは思ったけど声が聞こえたらどうするかは考えていなかった。と言うのを正直に言ったら、思いっきり落胆される。
「あのなぁ、死者の声なんて聞こえないほうがいいんだよ。聞こえたところで、俺たちは何にもできない。なぜならそいつは死んでんだからな」
「でも、伝言ぐらいはできるよ」
「積極的にやってく必要はないってことだよ。それだけお前が抱え込むことが増えるだけだ」
コタローはこの鉱石ラジオを使うことを良しとしない。それは、私のために言ってくれている。
でも、と思うところがあった。確かに死んだ人に対して、してあげられることは少ない。でも、何かできることがあるならやらない理由はないと思う。
私はなんとなく諦められず、耳にもう一度イヤホンを付けてチャンネルを調整した。今度は闇雲に探すわけではない。あの、いつもの何かに対して謝っている声のチャンネルに金属の板を固定した。
――ガガッ……。シ……。ジジガッ…ん……ね、ズザーッ。
――シ……。ザザザーっ! ……ん、ね……。
それはいつかの時と同じようにノイズ交じりで聞こえてきた。
コタローの制止の声が聞こえるのをちょっと無視して、声に集中する。
風が吹きつけて髪を激しく揺らす。空に浮かぶ大きな雲が太陽を隠して横断し、再び光が私たちのいる展望台に差し込んだ時に、奇跡のような静寂が訪れた。
そして、それはまるでそこにその子がいるように、はっきりした音声でこう言った。
――シン、ごめんね……。
その意味を理解して、私は思わずイヤホンをしたまま後ろに身を引いた。コードにつながっていた鉱石ラジオが、私の動きに合わせて地面に落下する。その後の光景を予測して壊れる! と思わず目を瞑っていた。
「おっと!」
という声と共に恐る恐る目を開けると、地面と鉱石ラジオの間に茶色いモフモフが滑り込んだ。鉱石ラジオはその小さな背中をクッションにコロンと地面に転がる。それと見届けて、私はその場にへたり込んだ。片耳から聞こえてくるイヤホンからは、さっきのことが間違いだとでも言うようにノイズしか聞こえてこない。
それでも私は確かに聞いたんだ。女の子の声で「シン、ごめんね」と謝る声を。
「おい、どうしたって言うんだよ。まさか、本当にファンの声が聞こえたっていうのか?」
「……そ、それ以上かも」
もし、この声が言うシンが私の知っているシンであるならば、絶対に私たちへ報せることは無い物だったはずのものを私は無断で聞いてしまった。知ってしまった罪悪感と後悔が襲う。
放心状態の私を心配したコタローが、膝を前足でてしてし叩いて、ようやく私は意識をそちらに向けることができた。
「何を聞いた?」
「……知らないほうがいいよ。たぶん」
「馬鹿言え。そんな状態のドライバーを「はい、そうですか」って放っとけるか」
鼻息を荒く聞く気満々なコタローを見て、私は先ほど聞いた声について教えた。
さすがの彼もどう反応すればいいのか分からないのか、犬の顔に渋い顔を張り付けている。
「誰なの……?」
答えが返ってこないことはわかりきっているのに、それでも尋ねずにはいられなかった。
「あなたは、誰なの……?」
3
一方、朝陽のいる場所より離れた建物の屋上で、怪しげな影が蠢いていた。それはオペラグラスのようなものを覗き込みながら、片言の言葉で互いにコミュニケーションをとっているらしい。
「見つけタ、見つけタ」
「報告! 報告!」
「……アレ、誰ニ報告するンだっケ?」
「とにかク、報告!」
「「「クエー!!」」」
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次話『アーケディア法王庁 大聖堂謁見室再び』