1
正直、アルストに来て初めて、私はこの世界のお医者さんを見た気がする。
その人は気難しそうな男の人で、怪しげなメガネをかけている、いい歳のおじさんだった。
私の腕をつぶさに観察するその人は、腕を動かしたり曲げてみたり、また別の所を見ていたりと何かと行動がせわしない。何を調べてるのか分からなくて、隣の助手のような若い男の人に助けを求める視線を向けたけれど、恐縮したように小さく頭を下げてきた。
このジェスチャーは、日本人特有の『どうしようもできなくてゴメン』と謝る物だと理解してしまい、思わず小さくうなってしまった。……お医者さんって清潔感とか大事だと思ってたんだけど。
「何度見ても同じだ。問題ない、つまらん。薬もいらない」
「ありがとうございます」
めくりあげられていた袖を元に戻すと、お医者さんは「ふん」と鼻を鳴らして扉に目を向けた。 連られて後ろを振り向くと無愛想なお医者さんの声が、机に何か書きつける音と共に聞こえてくる。
「迎えが来た。さっさと行け」
「迎え?」
レックス達だろうか、それにしては廊下が静かな気がするけれど。私は診察用に座っていた丸椅子から降りて、扉の方に体を向けた。助手の人が気を効かせて扉を開けてくれる。その先にいたのは、つばのある帽子を目深にかぶった軍服姿のクールな特別執権官のメレフさんだった。後ろには、水のバリアでみんなを守ってくれたあの男の子のブレイドも一緒だ。
無言で私を待つメレフさんに対して、疑問しか浮かばない。とりあえず、もう一度振り返ってお医者さんたちにお辞儀をしてその人の待つ巨神獣船の廊下に出た。
向かい合ったメレフさんは私を見ると、どこか安心したようなほっとした表情で「大丈夫そうだな」とつぶやいた。心配させてしまったことが申し訳なくて俯き気味に頷くと、軍服姿のその人は背中を向けて歩き出してしまった。そんなメレフさんを不思議に思いながら追いかけていく。
「レックス達との合流にはまだ少し時間がある」
だから、時間が来るまで少し話をしよう。とメレフさんは言って、連れて行かれた先は、巨神獣船の甲板だった。
まだ日が真上に来ていない時間のこの場所には、他のスペルビアの兵士さんの姿はなく、ただ青い空と白い雲が私たちの足と頭を挟んでいる。
涼しい風が、私とメレフさんの髪を揺らした。甲板の縁まで歩き雲海を見下ろすメレフさんの目的が分からない。でも、自分から話しかけられるような雰囲気でもなかった。
「アサヒ、今回の件について改めて礼を言わせて欲しい」
「い、いえ……。その、」
ごめんなさい。と謝るのも違う気がする。そもそも、厳密にいえば私がメレフさんの弟さんを庇ったことには訳がある。その理由は昨日の夜だけの秘密で誰にも言うつもりはなかったが、面と向かってこう言われてしまうと罪悪感が首をもたげた。受け入れてしまえばいいと、頭では分かっている。でも、私の心がそうはさせない。
だから――
「弟さんは、その後、大丈夫でしたか?」
誤魔化した。作り笑顔を浮かべて、昨日のことなんて無かったように。
メレフさんは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにふっと笑って「あぁ、大丈夫だ」と答えてくれた。
昨日のことはどうやらメレフさんにはバレていないようだ。よかった、怒られたりしてないみたいで。
「アサヒ、君に話しておかなければならないことがある。昨日の件についてだ」
「はい……」
「君の行動は、インヴィディアとスペルビアの国家間に大きな影響を与えたと言わざるを得ない行動だった。君の立場は非常に複雑で、君自身はインヴィディアに在籍を望み、アーケディアの特使としてその身を置き、そしてスペルビアの要人をその身をもって助けた。この意味がわかるか?」
「私のせいでスペルビアはインヴィディアに借りを作らせてしまったっていうことですか?」
「正解だ。しかし、スペルビアは彼の力でラゲルト女王を守った。貸し借りと言う点では痛み分け、というところだろうな」
メレフさんが視線をやって、連られて振り返った私の後ろで控えていたあの男の子のブレイドが丁寧に会釈をした。なるほど確かに、状況的には引き分けだ。
「それに、格納庫で起きたことは正式な場ではないという見方もできる。その上で表向きはスペルビアもインヴィディアもバーンが両国の首脳を襲い、それを天の聖杯たちが倒したとして詳細は語らないように合意してくれた」
「よかった……」と胸を撫でおろしたのもつかの間、間髪を入れずに「ただし」というメレフさん声が、遮った。
「ただし、合意するにあたってインヴィディアは二つ条件を出してきた。一つはレックス含めた天の聖杯と楽園の子の所属の権利をスペルビアは恒久的に放棄すること。もう一つは今やインヴィディアの中で唯一、天の聖杯の傍にいる君を天の聖杯同様に守ること。これが、インヴィディア側からの出された条件だ」
「え、あの、ホムラさんとレックスのことはわかりますけど、そこに私まで入っちゃうんですか?」
「では聞くが、君はインヴィディアの戦力が何か知ってるか?」
「………………。もしかして、
「そうだ。インヴィディアは自然派を謳い、巨神獣の兵器開発はしていない。そうなると、フレースヴェルグを中心とする傭兵が重要な戦力になる」
「なるほど」
そこでようやく腑に落ちた。私はインヴィディアにとっては重要な戦力の一人なのだろう。
レックスも、いずれは傭兵団の団長になる。インヴィディアの女王様が私とレックス達の所属権利を放棄するように言うのは納得できる。それにしても自分の所属する国のトップに、自分の存在が認知されているというのは不思議な感覚だった。芸能人と知り合いー。とかいうレベルじゃない。ちょっとだけ、怖い。
「そういったことから、スペルビアはインヴィディアの条件を呑むこととなった。そして、私は特別執権官として君たちの護衛役に本日任命された」
「わぁ……! じゃあ、これからも一緒に来てくれるんですか!?」
「あぁ。そこの彼も一緒にな」
彼、とメレフさんの視線を送る先には、あの男の子のブレイドがいる。てっきりお見送りに着いて来てくれたのかと思ったいたから「え?」と変な声が出てしまった。
「だって、あのブレイドって…メレフさんの弟さんの……」
「言いたいことはよくわかる。私も最初混乱したが、少しでも君たちを守るために必要だった。これは、あの方の意思だよ」
「そ、そうじゃなくて。ブレイドとの同調って、そんなに簡単に付け替えたりできるんですか?」
「普通はできないな。だが、この世界にはブレイドの同調を移行する道具がある」
それはオーバードライブという、この世界に七つしかない幻の道具らしい。スペルビアはたまたま一つ保管していたが、メレフさんでさえその時になるまでそれがどういう形状でどう使うものかも分からなかったそうだ。
メレフさんは、ワダツミさんに向けていた視線を、別のどこかに向けた。その視線の先には、きっとあの男の子がいるんだろう。
「私は彼を譲り受けたとは思っていない。あくまで借り受けただけと思っている。もしもこのアルストがいつか、平和になった時には必ずワダツミを陛下にお返しする。その時までに、私はオーバードライブを探さなければならないが……」
「私も、私もそれ欲しいです……! っていうか、え? 陛下って…もしかして、スペルビアの皇帝陛下?」
あの男の子のブレイドが今はメレフさんと同調していて、それを返す人物が陛下っていうなら、そういうことなんだろう。その事実を裏付けるように、メレフさんの顔が思いっきり「しまった!」という顔をしている。
なんてわかりやすく、雄弁なんだろう。というか、あの子スペルビアの偉い人に関係するとは思ってたけど皇帝なんて立場の人だとは思いもしなかった。同じ年くらいなのに。
それよりどうしよう、すごいため口聞いちゃったし、皇帝陛下にしょうもない悩みを話してしまった。なんでこう、私は……。私は……!!
「あ、アサヒ? 大丈夫か?」
「ふむ……。かなり混乱しているようだね。今は君の声も届いていないだろう」
「参ったな、これからレックス達と合流するというのに……」
「私も陛下から彼女への預かり物があるのだけれど……これはしばらく無理そうだな」
そんなやりとりがされているともつゆ知らず。私は自己嫌悪にしばらくその場から動けなかった。
2
「ワダツミは、あれを渡せたでしょうか……」
法王庁から自国に戻る巨神獣船の中で、羽を模したような王冠を頂いたネフェル・エル・スペルビアは眼下に広がる雲海を眺めながら独り言ちた。物心ついた時から傍らにいる存在を、自分の最も信頼する腹心に預けた彼は、今まで感じていた気配がなくなるのは、こんなに寂しい物だったのかと、静かに衝撃を受けていた。
だが、後悔はしていなかった。
ドライバーとして同調はできていても、その真価を発揮できないで何がドライバーだとネフェルは常々思っていた。過去の皇族の栄光を示すものとして、カグツチとワダツミは代々スペルビア皇国で重宝され、彼らと同調することが王位を継承する者との証になっていた。その結果、ワダツミは自分の傍に控えるお飾りになってしまっている。宝の持ち腐れとはまさにこのことだ。
(あの時、私はブレイドとドライバーの絆の在り方を見た)
あの時、と言うのはグレートサクラとの戦いのときだ。天の聖杯たち、ドライバーとブレイドが互いに武器を受け渡し戦っていく様はネフェルの心を強く震わせた。そして、同時に愕然とした。
自分には戦いの才能はない。かつて、自分とそっくりの風貌であるスペルビア皇帝の祖。ユーゴ・エル・スペルビアの伝説は数多く聞かされてきて、その度に「あなた様もユーゴ陛下のようになられるのですよ」と言い含められてきたが、実際その光景を間近で見れば、それはもはや次元が違うといってよかった。
ネフェルは自分の無力さを痛感し、同時に隣に立つ従姉の横顔を盗み見た。あの時の従姉の顔は特別執権官として見慣れたものではなく、今すぐにでもあの中に飛び込んでいきたいと仲間を案じる一人の人間。メレフ・ラハッドとしての表情だった。
そうしないのは、自分がいるから。そうさせないのは特別執権官だから。
(もしも、私が生まれていなければ、あの人はカグツチとワダツミの両ブレイドと同調ができただろう。そして、その玉座に堂々と腰を下ろして民を導いただろう)
けれどそれは、従姉が本当に望むことなのだろうか。
自分の性別を偽り、お仕着せられた皇帝の冠を戴いて、そこに天の聖杯、ひいてはあの少年への興味は続いただろうか。仮に続いたとして、今のスペルビアの情勢では玉座から離れることも難しいだろう。
義務ではなく権利として、天の聖杯たちの行く末を見守りたいと思いつつ、また自分の意思を犠牲にしようとした優しくも自分に厳しい従姉を送り出せてよかったと、ネフェルは今、心からそう思う。
(今、ここに自分がいることは、決して偶然じゃない。私や彼女が自分の都合で身を危険に晒したように、他の誰かが私に生きていて欲しいと思ったからこそ、私も楽園の子もここにいる)
けれど、それでいいんだ。とネフェルは思う。
世界はきっとそんな風に作られていく。誰かの願いに、またほかの誰かの願いが重なり、複雑に絡み合った糸と糸が折り重なって、でも――それでも一本ずつ紐解いていけば、他と変わらない一本の糸があるだけだ。
願っていい、祈っていい、望んでいい。それが世界を作っていく。歴史を紡いでいく。
今、ネフェルは望むことを躊躇わない。最も信頼する存在の手を放し、その足で世界を渡り、そして泰平に導いてほしい。敬愛する従姉が、それを望むのと同じように。
(あの楽園の子も、同じように何かを見つけられれば良いのですが……)
ネフェルにとってアサヒは、自分を映す鏡のような存在だったが、アサヒにとってネフェルが同じように映るかと問われれば、それは違う。彼女はまた別の鏡が必要なのだろう。
今日は昨日の寝不足をおして朝早くに起き出し、ネフェルは手紙を書いた。
勿論、アサヒ宛てに。
先に答えに辿り着いてしまった者として、そしてまだ自分自身で答えを見つけられていない彼女のために、ネフェルは「またいつか、あなたの話を聞かせてほしい」と文章にしたためた。
手紙が返ってきても、返ってこなくてもどちらでもいいと思っていた。けれど、彼女が気持ちを吐き出す相手は少し遠いくらいの存在がちょうどいいのだろうとネフェルは分かっていた。自分がそうであったから。
そして、その役が自分にできるならばあの時助けてもらった恩に少しでも報いることができる。そこまで考えて、ネフェルは頭の中で「それに」と付け足した。
(それに、私も彼女の関係があの夜だけで終わってしまうのは、いささか寂しく思いますしね)
その感情を定義することは野暮というものだ。
ネフェルは、朝にしたためた手紙の痕跡のようなインク瓶と書き損じの紙を片付ける。そうしてふと、手を止めると脳裏に焼き付いたその時の光景を目を閉じて思い返した。窓から見える雲海の遥か先。地平から覗く太陽と空の、金色と藍色の移り変わり。
あの朝は、少女の名前と同じ美しい空であったことを。
第三章『怒涛』完
次話第四章『理由』
皇帝が文通友達になりました。
次話『ルクスリア王国 リザレア広場』
誤字脱字報告ありがとうございます!!
反映させていただきました。