楽園の子   作:青葉らいの

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4章 理由
38『ルクスリア王国 リザレア広場』


 

 

 

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 日の暮れた巨神獣船に吹き抜ける夜風は思った以上に冷える。

 防寒具を身に着けてても身震いしそうになる体を縮こまらせながら、私はそれでも船の縁に備え付けられた手すりを握って、そちらの方をじっと見つめていた。

 濃紺色の夜闇。空を仰げば私のいた世界では到底見られないような数の星々。そして、視線の遥か先に、仄かに翠色の光を発しながら聳える世界樹がある。樹と謳っているのに、灯台のように光を放っているので、私はアレが本当に樹なのか密かに疑っていた。

 私たちは今、あそこを目指している。手を伸ばせば掌の中に納まってしまいそうな場所にあるそれに、私はそっと手を伸ばした。

 ついこの間まで、あそこにはレックスが行きたいからと言う理由で目指して来たけれど、今は違う。私は私の意思で、世界樹を目指す理由ができた。きっかけはあの、グレートサクラとの戦いから。

 本当は見たくない。でも、いつかは見なくちゃいけない。相反する気持ちがない交ぜになって、それを押し留めるように世界樹に伸ばしていた手をぎゅっと握って、ぱたりと腕の力を抜き雲海を見下ろした。真っ白い綿のような雲が、巨神獣船の縁に当たっては砕ける。

 世界樹を見る度になんとも言えない気持ちに陥るので、今までは意識的にないことにしていたけれど、もうそろそろ本当に目を背ける訳にはいかなくなった。

 

「アサヒっ!」

「ひゃいっ!?」

 

 後ろから切羽詰まったような声で呼ばれ、私は冗談抜きで飛び上がった。

 巨神獣船の上が静かすぎたのもあって、突然の大声に心臓がバクバク言っている。恐る恐る振り返れば、そこには目を見開いて同じく驚いた顔のニアちゃんが立っていた。

 

「ど、どうしたの? ニアちゃん」

「どうしたのって……それはこっちのセリフだよ。なにしてんのさ、こんなところで」

 

 若干早口になったニアちゃんにそう問われて、私は返答に困って曖昧な笑みだけを返す。

 何をしていたと言われると特段何もしていない。あえて言えば世界樹を見ていただけだ。ただ、それを正直に言ったとしても余計になぜ? と疑問に思われそうで、理由を口にするのは諦める。するとニアちゃんは少しだけ顔を伏せてから、無言で私の横に並び立った。転落防止の柵の欄干に手を乗せるその小さな手にはぴったりとした白いグローブがはめられている。いつもの黄色いつなぎに猫耳フードの着いた白いケープ姿のニアちゃんを見て、ルクスリアにその格好で寒くないのかな。と、自分の恰好を見降ろしてみる。そうこうしていると、欄干に置いているニアちゃんの小指の先と私の手の小指の先が触れ合った。

 思わず顔を上げる。けれど、ニアちゃんは俯いていて下がった前髪のせいで表情が見えなかった。

 何か悩んでるのかな。とは想像がつくけれど、その上で私にどんな反応を求めているかが分からない。なので、手の位置はそのままで、私は逆にニアちゃんの顔を見ないように世界樹の光をぼんやりと見つめる。

 

「ありがとう、ニアちゃん」

「へっ!? な、なんだよ、いきなり――」

「私の怪我、ニアちゃんとビャッコさんが治してくれたんだよね? トオノから聞いたよ。だから、ありがとう」

 

 今更ながらにお礼を言うと、ニアちゃんはキョトンとした顔で私を見つめた後「あ……。あ、あぁ、そのこと」と、まるで思ってもみなかったことを言われたときのように視線をさ迷わせる。そうして、俯き加減の彼女は小さく何かを呟いたが、小指の先が触れ合う距離でも聞き取れないほどの小さな声だった。きっと私には、聞かれたくないことなのだろう。

 

「ねえ、ニアちゃん。トオノのこと好き?」

「は? なんだよ、急に。……別に嫌いじゃないよ」

「そっか。なら、よかった」

 

 本当に、良かった。私は心の底からそう思った。

 グレードサクラのときのことを、後から聞いた時にトオノはニアちゃんに『きちんとお礼を言うように』と言ってくれた。私が倒れている間に二人の間でどんなやりとりがあったかは分からないけれど、トオノが私以外のドライバーを認めるのは珍しいことだった。そして、ニアちゃんもトオノのことは嫌いじゃないと言ってくれた。これなら、きっと大丈夫。トオノは、私にはもったいないくらいのブレイドだ。少し周りの人にツンケンするところもあるけど、ドライバーのことを一番に考えてくれる優しいブレイドだ。

 

「アサヒ……?」

 

 ニアちゃんの不思議そうな声が風に乗って雲海の彼方に溶ける。

 首に巻いたマフラーが、風に嬲られてはためいた。

 何かを口にしなくちゃいけない。でも、私からは何も言うことができなくて、逃げるようにニアちゃんの視線から目を逸らして、甲板の木目を見つめる。すると、その夜空へ突き抜けるような笑い声が聞こえて思わず私は顔を上げた。ニアちゃんも耳を笑い声の聞こえる方に反らせている。

 

「この声――レックスかな?」

「そうじゃない? 亀ちゃんの声もしたし」

「良く聞こえないけど……なんか、楽しそうだね」

「あいつらには、緊張感ってもんが足りないんだよ」

 

 呆れたように腰に手を当てるニアちゃんは、一体どこまで聞こえているんだろう。その「しょうがないなぁ」と言いたげなニアちゃんの顔を見て連られて微笑みながら、ちょっとだけ安心する。先ほどまでの張り詰めた空気が緩んだのを感じて、今ならさっきのフォローができるような気がする。

 勇気を出して、ニアちゃんに向かって口を開いた、その時だった。

 

「――ニア、アサヒ。ルクスリアに着いたみたいだから、船首に集まってちょうだい」

 

 視界の端で、青い炎のドレスがひらめいて落ち着いた女の人の声が聞こえてくる。

 私は弾かれたようにカグツチさんに視線を向けると、すぐに笑顔を張り付けた。

 

「今行きます。行こ、ニアちゃん」

「あ、あぁ。うん……」

 

 私はニアちゃんの手を取ってカグツチさんの横を通り過ぎていく。その船首に着くまでの短い時間に、後ろから着いて来てくれているであろうニアちゃんに、心の中で謝りながら。

 

 

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 ルクスリアのあるこの巨神獣の名前はゲンブといって、インヴィディアの巨神獣と同じ可潜式の巨神獣だ。その姿はニアちゃん曰く、でっかいカメキチ。サイカさんの胸にあるコアから放たれる光に導かれるように、雲海を持ち上げて現れたその巨神獣の中を潜っていって辿り着いたゲンブ港からルクスリアの帝都、テオスアウレまでは徒歩で行くしかないそうだ。

 サク、サク、ギュッ、ギュッという軽快な音が断続的に聞こえてくる。見渡す限りの一面の雪景色に白い息を吐き出しながら見惚れてていた。船の中でサイカさんが言うにはルクスリアの季節的は初秋だと言っていたけれど、これのどこが秋なんだろう。雪もちらついているし、真冬と言っても問題ないくらい寒い。

 今、感じてる寒さが身が引き締まる程度に済んでいるのは羽織っている外套とマフラーのお陰だ。でも、私たちの中でも、みんながみんなこの寒さに耐えられるわけじゃないらしい。

 

「あ、あの、ニア? ちょっと、歩きにくい……」

 

 寒さが苦手なニアちゃんはホムラさんの腕にギュッとしがみついて雪原を歩いている。確かに、ここに来る前に、火属性のブレイドであるカグツチさんとホムラさんから近くにいてもいいって言っていたけど、ホムラさんもここまで密着されるとは思っていなかったんだろう。困った顔で小さく抗議するも、ぽかぽかのホムラさんにくっついてるニアちゃんはご機嫌で返した。

 

「いいじゃん、減るもんじゃなし。ホムラにこうしてると、暖かいんだよねぇ」

「遠赤外線効果というやつじゃな」

「詳しいな、じっちゃん」

「私、ストーブじゃないんですけど……」

 

 レックスのヘルメットから顔を出すじっちゃんに小さく反論するホムラさん。そのやりとりを聞いて『むしろ炬燵では?』と、私は心の中で小さく突っ込んだ。童謡でもネコは炬燵で丸くなるってあったしなぁ。

 そうなると、と私は辺りを見回す。一面の雪景色の中で岩肌に刻まれたエーテルラインと言う巨神獣の血管みたいなものが淡い光を放っている。ゲンブはエーテルのめぐりが悪い巨神獣らしく、結果このような寒冷な土地になってしまっている。というジークさんたちの話を小耳に挟みながら、きょろきょろしているとトラが不思議そうな顔をして首を傾げた。

 

「も? アサヒ、どうしたも?」

「んー? コタローどこ行っちゃったのかなって」

 

 ゲンブ港に来た時も、初めて見る雪にテンションを上げた(そして30分で飽きた)レックスとトラに交じってはしゃいでいたし、童謡通りならその辺駆けずり回ってると思うんだけど。

 周囲を見渡せば真っ白な雪の照り返しとエーテルラインから漏れ出る仄かに緑色を帯びた光の粒がキラキラと夜の雪原を照らしている。時折、鹿みたいなモンスターがのっそりと雪原を横断していくその先に、豆粒台になった茶色いモフモフが飛び跳ねているのを見つけ、私は肩を落とした。

 

「あぁ……。あんなに遠くに行ってる……」

「コタローの笑い声、ここまで聞こえてくるも」

「何がそんなに面白い要素があるんだろ……。コター、置いてっちゃうよー」

 

 モンスターを刺激しない程度の声じゃダメだ。雪にテンションが上がり過ぎて全然こっちを見てくれる気配がない。これなら呼び戻すよりも迎えに行っちゃった方が早いかもしれない。

 コタローのいる場所は私たちのいるところから、結構急な下り坂を降りなければいけない。しかもゴルフ場にあるような小さめだけど池もある。位置関係を見て、最悪な展開が容易に思い浮かんだ。なんというか、こう言ってはなんだけど……。

 

「すごい、不穏……」

 

 そうつぶやいた瞬間だった。

 いざ、一歩踏み出した傍からずるっ、という嫌な感覚がして「あ」と言う間もなく視界がぶれたと思ったら、私は雪のスライダーを滑り落ちていた。案の定、視線の先には池がある。

 

「ちょ――嘘ぉおおおっ!!?」 

 

 身を切られるような冷たさは次の瞬間にやってきた。

 幸いというかなんというか。池はそこまで深くなくて、ちょっと大きめな水たまりだったのかもしれない。荷物は奇跡的に無事。でもそれ以外は、言うまでもない。

 ここは雪国だ。小雪のちらつく銀世界で水びだしになったらどうなるかなんて、結果は瞭然。

 凍えた。

 見事に凍えた。

 寒さ避けの外套も、水に濡れてしまえば重いし冷たいし。マフラーも手袋も水に濡れてしまってはいたずらに体温を奪っていくだけだ。仕方なく防寒着を脱いだ私は、さっきのニアちゃんよろしくホムラさんの腕に縋りついた。さすがに、震える私をホムラさんは蔑ろには扱わなかった。

 

「スマン、アサヒ……」

「………………っ!!」

 

 足元でコタローが謝ってくれているけれど、それに返す余裕もない。

 まだ、体が震えてるくらいで済んでるうちにルクスリアに到着したいと思う私は、案内役のジークさんに視線を向ける。その人は、眼帯をしていないほうの目を可哀そうなものを見る眼差しで見返して、ひとつ頷いた。

 

「アサヒが風邪ひかんうちに、ルクスリアに入るで」

「……アサヒ、王子の不運が移ったんちゃうん?」

 

 

 今それ言っちゃうんですか、サイカさん。

 

 

 




大変長らくお待たせいたしました。
第四章突入です。

次話『宿屋 アナスタージウス』

次のお話は少し早く書ければいいなと思っています。

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