1
テオスアウレの街は、石畳と雪のせいでライトグレーに染まっていた。この国の巨神獣であるゲンブは今、雲海の上を回遊しているため、雲海の上だと日が差し込む。
太陽の光に照り返しが目に染みた。日中のテオスアウレの街はそこまで気温が下がらないようだ。
お城までは体感だけど徒歩で5分くらい。気を抜いているとあっという間に辿り着いてしまう。その前にサイカさんに確認しておかなければいけないことがいくつかあるので、私は小走りで前を歩くサイカさんの横に並んだ。
「あ、あの、サイカさん。お城でのことなんですけど。私、武器抜いたままで大丈夫ですか?」
「んー? 大丈夫とちゃう? 必要やったらウチから説明するし」
「よろしくお願いします」
とりあえず、気になっていたことを聞けたことで私は胸を撫でおろした。必要だとはいえ、お城の中で武器を戦闘用に展開するのは反逆だと思われても仕方ない。そういう意味では攻撃力が低い回復ロールのコタローを連れてきてよかった。コタロー本人はまだ不機嫌そうだけど。王様との謁見が終わったら、コタローの機嫌治す方法考えないとなぁ……。と思っていると、不意にサイカさんが私の顔を覗き込んできた。
「なぁ、アサヒ。ウチも聞いてええ?」
「? はい?」
「どうして敬語に戻してしもうたん?」
「――――」
途端に足が重くなった気がして、私はゆっくりと足を止めた。サイカさんは二、三歩進んだ先で私が止まったことに気付いて、不思議そうに振り返る。
なんで今、それをここで聞くの。という言葉が喉まで出かかった。
テオスアウレの街は閑散としていた。元からこうなのか、私たちが来たせいで人がいなくなったのかはわからない。
けれど見渡す限りに露天商の人もいなくて、ともすれば世界にサイカさんと私たちが突然取り残されたような錯覚を起こしそうになった。
そうして、ようやく出てきたのは自分でも驚くくらい乾いた笑い声だった。
「……あ、はは。誰にも何も言われなかったから、気付いてないのかと思ってました」
「そんな訳ないやん。みんな気付いとったよ」
「ですよねぇ……」
「ウチ、嬉しかったんよ。アサヒが敬語を使わんと話そうとしてくれたこと。そりゃ、最初は慣れてへんし混ぜこぜになるのも、まあしゃあないわって思ってた。けど、ここ最近は明らかに敬語で話してるやん。なんで?」
私はサイカさんの追及するような瞳から逃げるために、視線を石畳に向ける。
なんで、と問われても何が原因という訳でもない。これは――私の問題だ。
「別に、サイカさん達が嫌いだとか、そう言うんじゃないんですよ?」
「わかっとるよ、それくらい」
両手を胸の前に上げて、小さく降参ポーズをしながら、私は真っ先に勘違いされると困る部分をまず否定しておいた。そうすると、むくれたように腰に手を当てて怒るサイカさん。しかし、その顔に若干浮かんでいた緊張が少しだけ和らいだように見えた。
今までの私の態度から嫌われていないことは分かっていても、実際に言葉にされるとだいぶ違うんだと思う。その一方、サイカさんは余計に「どうして」と思うだろう。
この気持ちを言葉にすることはすごく難しい。というか、私自身がその気持ちを直視するのが嫌だった。そんなんだから、私は取り繕うような笑いしかできなかった。コタローからの助け舟は、残念だけど期待できそうにない。
「えーっと、サイカさん。あのですね、私って――。……私って、みんなの前で振舞うよりもずっと、どうしようもないくらいに弱くて、狡くて、怖がりなんです」
気付けばだいぶ伸びた前髪が俯いた拍子に垂れ下がり、視界の上半分を覆い隠す。
今、私の目にはサイカさんの足元しか見えない。
「だから、こうでもしないと怖いんです。みんなと一緒にいることが、怖くなっちゃうんです……」
いつからこんなことを考え始めたか、思い返せばきっとスペルビアの皇帝陛下を守ったあの時だったんだと思う。
あの時、私は死にかけたらしい。後から聞いたことなので自覚はあんまりないけれど、レックスたちが冗談でそんなことを言うはずがない。
そこで、私は漠然と憧れていた死が目の前まで迫っていたことをようやく自覚し、初めて自分が死んだ後のことをまともに考えた。そうして出た答えが、恐怖だった。
そして、私は蓋をした。こうやっていつも、来るか来ないかもわからない未来に怯えて、目の前のことで手一杯だと思い込んで、先のことなんて考えられないと自分に言い聞かせて目を逸らしてばかり。
そんな自分が、今も昔も大っ嫌いだった。
永遠にも感じるような沈黙が、私たちの間に横たわっている。
区切りをつけたのは、サイカさんから漏れた小さなため息だった。
「……なんとなくやけど、わかった気ぃするわ。せやから今は、なにも聞かんといてあげるよ」
「今は……?」
「それを聞くんはウチやないと思うんよ。もちろん、アサヒが聞いて欲しいっちゅーなら、いつでも聞いたげるけどね。それより、ほら、早よお城に行きましょ。王子のお父さん言うても、王様をあんま待たせるもんやないし」
「あ、えっと。……そう、ですね」
立ち止まっていた分を取り返すように、私とサイカさんは小走りでお城へ向かった。
その間もずっと、腕の中のコタローは黙ってそっぽを向くばかりだった。
2
石造りのテオスカルディアのお城の中心で、私はその人と二回目の対面を果たした。
厳めしい顔つきに、がっしりとした体格と長く伸びた髪とひげも相まって見た目はかなり迫力がある。どこか、ヴァンダムさんに通じるものがあるな、と思いながら腕に抱えていたコタローを足元の絨毯に下ろして私は片膝を突いて頭を下げる。
「面を上げよ、楽園の子よ」
許しを貰ってから私はすっと顔を上げた。
正直言うと、王様とジークさんの顔はあんまり似ていない。年を取ったらジークさんもこんな感じになるのかな、と思いつつ、次の王様の言葉を待つ。
「此度は、大義であった。よく、ゲンブの潜行を止めてくれた。まずは、礼を言わせてもらう」
「い、いえ。私は何もしてないです……。止めてくれたのはヒカリさんですから」
「天の聖杯か。彼女は、イーラに連れて行かれたとサイカから聞いているが、それは真か?」
「……はい」
「そうか」
国王様は私の返事に対して黙り込み、何かを考えている様子だった。
今のところ、呼び出された理由を推測できるようなものが何もなくて、いまいち王様が何のために私を呼んだのか分からない。助けを求めるようにサイカさんに視線を送ると、眼鏡越しのサイカさんの目も同じように疑問の感情が浮かんでいた。
だいぶ間隔を開けてから、王様の重く低い声が聞こえてきた。
「楽園の子よ、そなたの考えを聞かせて欲しい。神は、このアルストが滅びるべきだと思っているのか」
一瞬、王様が何を言っているのか理解ができなかった。何かの聞き間違いだと思ったけれど、王様の顔は真剣そのものだった。聞き間違いや言い間違いは恐らくない。だからこそ何とか頭の中で言葉を繰り返して、整理して、理解しようと、続く王様の言葉に一心に耳を傾けた。
「500年前の聖杯大戦も、今、この世界に起きている天の聖杯の絡む一件も、これら全て神が与えた試練とするならば、此度の天の聖杯が連れ去られたことは、これも神の意思なのか?」
そんなこと、答えられるわけがない。
だって私は、この世界の言う楽園から来たわけじゃない。
神様にも会ってない。
でも逆に考えればそれは、一国の王様がこんな私に尋ねなければいけないほど、事態が逼迫していることに他ならなかった。
口の中が、乾く。乾いて乾いて、ぱさぱさした感じがする舌を何とか動かす。
「私は、この世界で言い伝えられてる楽園から来たわけじゃありません。神様に会ったことなんてないんです。そんなことを聞かれても、私には分かりません……」
「しかし、そなたはアルストとは全く違う世界から来たのであろう。そうなれば恐らくそなたは、このアルストで最も神に近い視点を持っているはずだ。いや、もしかすれば、そなたに自覚がないというだけで神はそなたの目を通して、今もこの世界を見ているのかもしれぬ」
「私がこの世界に連れてこられたのは、神様が自分と似たような世界を知ってる人にアルストの行く末を見定めさせたかったから。そういうことですか……?」
「そうだ。だからこそ問いたい。そなたの目から見て、この世界はどう映る?」
「…………」
確かに、このアルストは私のいた世界と比べたら色々なものが限界に達してると言わざるを得ない。
巨神獣という限られた大地。主要な都市には住む場所が足りなくて、根無し草な人も珍しくはない。
医療や大量生産が可能な工業ラインも整っていない。この世界の人たちは巨神獣という巨大な生き物のエネルギーや体内から生成される物質を転換して日々を生きるのに精いっぱいだ。自分たちから発電したり巨神獣のエネルギーを頼らずに生み出す方法を知らないし、そんな設備を作るには土地も人手も技術も足りない。
サルベージで拾い上げる機械部品は大多数が失われた技術として、ただの交易品になってしまっている。
このままが続けば、緩やかだが確実にこの世界は滅んでしまうと思う。
……でも、そんな誰が見てもわかりきっていることをこの王様は本当に聞きたいのだろうか。
判断ができなくて口に言葉を溜めた私の横で、今までずっと黙り続けていたコタローがおもむろに口を開いた。
「なぁ。国王様よ。もし仮にアサヒがこの世界はもう駄目だって言ったら、あんたはそれを納得しちまうのか? 納得して、ただ滅びんのを待つって、そう言いたいのか?」
「コタ……?」
エーテルラインの青い絆で結ばれている私には、コタローの気持ちがより鮮明に伝わってくる。
絆でつながっていない国王様にも、コタローの感情は伝わったのだろう。ホムラさんを捕えた時のような悲し気な目をしたその人は、目を伏せる。
今ここで、この雰囲気で、口を開くのはすごい勇気が必要だった。
場違いなことを言ってしまったらどうしよう。
それでも私は、聞かれたことには答えなければいけない。
意を決して「あの」と、口を開いた途端に国王様とサイカさんとコタローの視線が集まるのを感じた。
私は二回か三回、口を開けては閉じてを繰り返してから、探り探りでも考えたことを声に乗せた。
「私のいた世界で読んだ本の中に『7人の善良な人間がいれば、神は世界を滅ぼさない』っていう言葉があったんです。もしも私が、本当に私が神様のお使いだとしたなら、アルストは滅びません。でも、今もまだ世界が滅びに向かっているというなら、きっと
「7人の善良な人間、か。少ないようでいて多いな、それは……」
王様はひじ掛けに両手を置いたまま、どこか遠くを見つめて微笑んでいた。
きっと王様の中で、その7人の顔を思い浮かべているのだろう。
私も、ここにはいない人たちの顔を思い浮かべるために一度目を閉じた。再び目を開ければ、厳めしい顔をした国王様の顔がほんの少しだけど和らいでるように見える。
思い浮かんだのかな。それならいいな、と思う。
「楽園の子よ。そなたは、このアルストで7人の善良な人間には出会えたのか?」
「はい。――7人じゃ足りないくらい」
王様の問いかけに、私も笑って返事をした、
レックス、ホムラさん、ヒカリさん、ニアちゃん、ビャッコさん、トラ、ハナちゃん、ヴァンダムさん、スザク。メレフさん、カグツチさん、ワダツミさん、ネフェル君、ジークさん、サイカさん。コタローとトオノ。
他にも、思い浮かぶ顔は沢山ある。
私の周りには善良なんて言葉だけじゃ表現しきれない人ばかりが集まっていることを、改めて感じる。
この目を通して神様が世界を見ているなら、きっとアルストは滅びない。
もしも、それでも滅びてしまうなら、私は神様のお使いじゃなかったのだろう。
さっきまで感じていた不安感がいくらか和らいで、私は意思を持って王様の目をまっすぐに見つめ返した。
「……サイカ、すまないがもう一度宿に戻って彼らを呼んできてくれないか。大事な話がある」
その言葉を受けてこくり、と頷いたサイカさんは私に「ちょっと待っててな」と言い残すと謁見室から走って行ってしまった。彼女に着いて行くか、ここで残ってレックスたちを待つか。ちょっと迷っているうちにサイカさんの背中は見えなくなってしまっていた。
取り残された私はふ、と視線を感じて国王様の方を見上げる。するとその人の優しい眼差しとぶつかった。これはきっと『お父さん』という立場の人が見せるものなんだろうな。と今まで注がれたことのなかった眼差しにむず痒さを感じて、私は逃げるように視線をそらした。
次話『奉迎の間』
恐らく。
その頃のレックスは――。というのは、後から別の形でちゃんと触れます。