楽園の子   作:青葉らいの

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54『コルレルの家』

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 一方その頃、コルレルの家では穏やかな時間が流れていた。

 大小さまざまな新しいブレイドたちが新たに同調したドライバーと親交を深めるために言葉を交わしている。今回の目玉は天井に届くほど巨大な兵装を纏いつつ、どこか愁いを帯びたブレイドと、今はいないホムラやヒカリのような、どこか現世離れしたアイスブルーの長い髪を持った感情の薄い機械じみたブレイドの二人だ。

 どちらも女性型であり、ググッと盛り上がった女性の象徴が大変よろしい。と、コタローはご満悦だった。この場に自分のドライバーである少女がいたら顔の皮を伸ばされそうな感想である。しかし、件の自分のドライバーは散歩に行ったきり戻ってきていない。視界の端に映る木製のドアは静かなままだった。

 

「………………」

 

 コタローの脳裏に、ここ最近のアサヒの様子がちらついた。

 夕食の時も食の進みが悪かったように思える。

 無理して笑うことが多くなった気がする。

 それだけで、今しがた浮ついていた気持ちが嘘のように塞いだ。

 彼女はどんな気持ちで散歩に行ってくると言ったのだろうか。コタローにはその真意は見えてこない。せめて、少しでも彼女の気が晴れることを祈るばかりだった。

 ――そんな折、コタローの心境とは裏腹の部屋の中に満ちていた賑やかな空気は、乱暴に開けられた扉の音でかき消された。その音のした方へ全員の注目が集まる。そこには少し前に笑顔で飛び出していったミクマリが、今にも泣きそうな顔で立っていた。そうして椅子に座って談笑していた自分のドライバーの姿を見つけると、勢いそのままに飛びついて泣きついた。

 

「どうしよう、メレフ! アサヒがどこかいっちゃったの!」

 

 その涙目ながらの訴えに仲間達の表情に緊張が走った。

 咄嗟のことで呆気に取られたメレフを置いて、眼帯の少女は捲し立てるように言葉を続ける。

 

「私っ、こんなことになるなんて思ってなかった。アサヒを傷つけるつもりなんてなかったの! どうしよう、どうしたらいいの!? メレフ!!」

「ミクマリ、まずは落ち着いてくれ。それから、ゆっくりでいい。何があったか最初から話してくれないか? 確か、君の妹のコアクリスタルが同調できるようになって、アサヒにその子のドライバーになって欲しいと頼みに行ったはずだろう? そこから、なにがあったんだ?」

「……うん。あのね――」

 

 眼帯のしてない側の目を擦り、ミクマリは時々つかえながらも今あったことを話す。

 その眼帯をしたブレイドが語るには、アサヒはミクマリの妹であるセオリと同調してはいけないと言った。

 なぜなら、自分は別の世界から来た存在で、いつ元の世界に戻されるか分からないから、と。

 もしも、万が一にも、セオリをアサヒの世界に連れて行ってしまった場合、姉と離れ離れにするだけでなく、元の世界のアサヒの立場では未知の生物であるブレイドを守ってあげられないからだと。

 そうして、すべてを話し終えた頃にはミクマリの涙も止まり、わずかにしゃくりあげるまでに落ち着いていた。

 

「わ、私っ、知らなかった……。アサヒが、そんな風に考えてたなんてっ……! なのに、私……!」

「あまり自分を責めるな、ミクマリ。大丈夫だ、私も一緒にアサヒを捜しに行こう」

 

 膝の上で後悔にしゃくりあげるミクマリの髪を優しくなでながらメレフは気遣うように声をかける。

 彼女たちがアサヒの悩みに気づけないのは当然のことだった。

 アサヒは嘘がうますぎる。それは、彼女のブレイドであるコタローが一番良く知っていた。この場にいる誰よりもアサヒの傍にいたはずなのに、彼がアサヒの抱えている悩みの片鱗に触れることができたのは、この二つ前のルクスリアでのことだった。

 情けない。と、奥歯を痛いほど噛みしめたコタローの視界の端で、赤い何かがひらめく。誘導されるように視線をそちらに向ければ、緋色の着物に金の前帯を締めたトオノが、重たそうな高下駄を床に擦りながら出入り口の扉に向かうところだった。

 

「どこ行く気だ?」

 

 思わずコタローは声をかけていた。

 そんなことわかりきっているはずなのに。それでも聞かずにはいられなかった。

 一方で聞かれた側の花魁ブレイドは、わずかに怒りの滲んだ瞳でコタローを一瞥して、

 

「もちろん、主様を捜しに。おまさんは、行きなんすか?」

「いや……、俺たちは行かないほうがいい……」

「なんでや、自分のドライバーのことやろ?」

 

 ジークの言葉にコタローは俯いた。何も言えないのではない。言いたいことがあり過ぎて、言葉が詰まってうまく出て来ない。

 意識をして息を呑む。そうしてから、彼は意を決して口を開いた。

 

「俺だって迎えに行ってやりたいのは山々だ。でも実際、俺やトオノが行ってもなんにもしてやれねえ。今のアサヒに俺たちがなんて言っても、ただの綺麗ごとにしかならねえんだ……」

「どういうことだ?」

 

 訝しむ特別執権官の視線から逃げるようにコタローは逡巡し、そこからジークの隣にいたサイカに視線を向けた。その流れに、視線を向けられたサイカ自身が驚きを隠せなかったのか眼鏡の奥の瞳を丸くさせる。

 構わず、コタローはサイカに問いかけた。

 

「……サイカ、ルクスリアでなんでアサヒが敬語にままにしてるのか、理由を聞いたろ?」

「え? う、うん。なんや、『こうしてないと怖くなる』いうてたね。それがどうしたん?」

「あの時、俺とアサヒはエーテルラインで繋がってた。だから、あの話の時、あいつの考えてることがちょっとだけ流れてきたんだよ」

 

 仲間からの驚愕の声がざわめきとなって部屋に満ちる。

 ドライバーとブレイドは戦闘時、エーテルラインで繋がっている。その恩恵はアーツが撃てることだけではない。身体能力の向上にも一役買っている。あの時彼女は、ブレイドから供給されるエーテルで身体能力を上げなければ立っていられないほどの重傷だったはずだ。それがこんなことに繋がるなんて、コタローも思っていなかった。そこから流れる感情は、自分のドライバーの心理状況を覗き見したのと同様だ。それを勝手に話すことには躊躇いがある。しかし、コタローは少し黙ったうえで、それでも言葉にするのを止めない。

 これが現状の突破口になると信じて。

 

「あいつは、俺達とこれ以上仲良くなるのが怖いって思ってんだ。距離を詰めちまって、いざ別れる時に辛くなりたくないって……」

「主様が、かようなことを……?」

「あぁ。あいつは多分そうやって、誰にも言わずたった一人で、どうやったら俺達に迷惑を掛けないで別れられるか考えてたんだ。自分に起こり得る最悪の事態を考えて、考えて続けて、そうして出した結果が俺とトオノの同調の移行だった。そんなあいつに、よりにもよって俺たちがなんて声をかけろってんだ。どんなに言葉を尽くしても、あいつの世界で俺たちが重荷になっちまう事実は変わらねえだろうが……!」

「コタロー……」

 

 コタローは誰よりも長い時間、傍でアサヒを見てきた。しかし彼女は、彼の知る限り一度も弱音を吐くどころか涙だって見せたことが無かった。つまりは、アサヒは自分たちに弱みを見せることを拒否している。それが信頼されていないとは思わない。けれど、自分の存在が彼女の言葉を封じてしまっているなら、自分たちが行くのは悪手になることはわかりきっていた。

 自嘲に満ちたコタローの声に、小さくコタローの名前を呼んだニアはそれ以上何も言えなかった。

 小さな体の犬型ブレイドは、頭を下げると自分の無力に打ちひしがれてながらも、涙混じりの声で懇願の言葉を発した。

 

「頼む、この通りだ。アサヒを迎えに行くのはお前たちだけで行ってくれ。俺は、もしアサヒの世界に行っちまったとしても、あいつと同調できたことに後悔はねえ。けどな、それ以上に俺は、あいつを泣かせる原因にはなりたくねえんだよ……!」

「……わっちからも、お頼み申しんす。主様を、どうかよろしくお願いしんす」

 

 先ほどまではアサヒを捜しに行くつもりであったトオノも、今はコタローの横に移動し、共に頭を下げる。

 誰もが互いに視線を交わし合う中、一人視線の合わないノポン族の少年が場の空気にそぐわない暢気な声で割り込んだ。

 

「トラ、コムズカシーことはチンプンカンプンだけども。アサヒは今一人なんだも?」

「あ、あぁ。せやろな」

「ももっ! 体がヒエヒエになってお腹ペコペコでのまま一人にでいると、ヒトは良くないことを考えるって父ちゃんが言ってたも!」

「腹が減ってって……。ちょっと前に飯食ったばかりやろ」

 

 ジークのツッコミを無視してトラ柄のノポン族は、耳兼手として動く部位の片方を上げて揚々と言うには、

 

「――トラ、じいちゃんと父ちゃんがいなくなって独りぼっちになった時に、ハナをきちんと作れるか不安になったことがあったも。でも、そういう時は大好きなあまあまういんなを食べて暖かいお布団に入って寝れば、次の日は元気になれたも! だから、アサヒもきっと暖かい場所でお腹がいっぱいになれば元気になれるも!」

 

 ありとあらゆるツッコミをこの場の全員が飲み込んだ。トラには状況が良く分かっていないらしく、周囲からの反応のなさに頭に?マークを浮かべる。性分なのか、ジークとサイカがツッコミをしたくてうずうずしているが、このシリアスな空気を更に壊していいのかというまともな側面と二律背反があるようだった。

 そして、その微妙な空気を破ったのはニアだった。彼女は呆れたように眉尻を下げてトラに笑いかけ、

 

「トラ、あんたって単純だねえ……」

「しかし、そんな単純なことが今のアサヒにとって一番必要なことなのかもしれないな」

「ご主人、すごいですも!」

「もっふっふ~!」

 

 恐らくそこはかとなく馬鹿にされていることを分かっていないらしいノポン族の少年が胸を張る。

 小さな笑いが起こり周囲の緊張が解けていく。そんなときだった。いつの間にかコタローの前に移動していたレックスがその豆柴の前で片膝を突いた。

 差しかかる影に、コタローは顔を上げる。

 

「なぁ、コタロー。さっきアサヒに『なんて声をかければいいかわからない』って言ってたけどさ、無理に言葉する必要なんてないんじゃないかな。確かにここにいるオレ達全員、アサヒの問題を解決することはできない。でもさ、アサヒが寒がってるなら隣に寄り添って暖めてあげることはできる。――だろ?」

「…………」

「言葉で納得してもらえないなら、行動で示すしかない。コタローたちが、アサヒの世界に行っても後悔はないってこと、時間をかけてアサヒに伝えていくしかないよ」

 

 同意を求めるように周囲を見回したレックスに、仲間たちが後押しをするように頷く。

 

「行こう、コタロー。アサヒを迎えに」

「……ありがとよ、レックス」

 

 

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 ミクマリちゃんから逃げ出した後、がむしゃらに走って村にある共同の炊事場のような場所を見つけた私は、頭上まで積み上げられた薪の下に隠れるように膝を抱えていた。

 泣きすぎて顔が痛い。頭がぼうっとする。

 喉は引きつるし、鼻がぐじゅぐじゅする。何度もすすり上げてようやく涙は止まったのに。

 これじゃまだ、コタローたちの所には帰れそうにないなぁ……。

 

「はぁ……」

 

 顔を上に向ければ、空には大量の星が煌めいていた。建物が少なく明りの少ないイヤサキ村は空にある全部の星が見えるみたいだった。空に瞬く星と離れた場所にある家の明かりがある以外、光はない。

 やがて家に灯る明りも、家人が眠れば消えてしまうだろう。私も、なんだかんだあってもやっぱりコルレルさんの家に戻って眠りにつくんだろう。

 

「………………」

 

 私は最近、眠ることが怖かった。

 朝に目が覚めることが怖かった。

 目を開けた時に見える景色が、思っていたものと違うことが怖かった。

 最初この世界に来たときは、施設の見慣れた天井じゃないことが怖かった。それでも目を閉じて次に開いたら、元の世界に帰れてるんじゃないかという淡い期待を懲りずに抱いて、その度に期待は打ち砕かれた。

 けれど、コタローと同調してレックスたちと出会って、色んな場所を旅するようになって、今度は見慣れた天井が見えてしまうことの方が怖くなっていた。

 もしも、次に目が覚めた時に元の世界だったらどうしよう。

 いつしかそんなことを考えていた自分に愕然とした。

 グレートサクラの爆発に巻き込まれて目が覚めた時、窓の外から雲海が見えたことに安心した。 

 ゲンブの頭でヨシツネに「自分のいた世界が嫌いなのだろう」と言われて、私はむきになったようにすぐ否定した。

 ミクマリちゃんに言ったことは本心だ。もっと言い方があったかもしれないけど、私は元の世界にコタローを連れて行くことが怖い。それも怖いけど、何より怖いのはこの世界に馴染み過ぎて、自分の元いた世界を受け入れられなくなることが一番怖かった。

 ここには、あちらの世界にいては絶対望めないものが沢山あったから。

 自分の知識が活かせる居場所。ずっと寄り添ってくれるブレイド。信じられる仲間。自分でお金を稼げる環境。心躍る冒険。全部、私には過ぎたものだ。これ以上貰ったら罰が当たりそうなほど。

 

(だからこそ私は――帰りたいでも、帰らなくちゃいけないでもなく、()()()()なんだ。あちらの世界に。元いた場所に)

 

 少なくとも、それが帰るための努力をしない理由にはならない。

 白鳥がアヒルの仲間に入れないように、鬼が人の輪の中に受け入れられないように、私はどうやったってこの世界の人間にはなれない。周りがどう言おうと、どう思おうと、前提条件が決定的に違っている。

 この世界にいる限り、私には元の世界に戻るリスクがずっと付きまとう。元の世界に戻れるまで、ずっと。いつ元の世界に帰されるのか。その恐怖におびえるくらいならこっちから進んで帰るくらいする気概でないと、間に合わないかもしれない。

 それに、元の世界で養護施設で育てて貰った恩もある。職員の人たちや、施設に寄付してくれた人に申し訳が立たないし、何より私なんかよりも、大変な環境の子供達を差し置いて、私だけがのうのうとここで幸せになるなんて、あの子たちへの裏切り以外の何物でもない。

 だから私は帰るべきだ。帰るべきなんだ。

 

「はっ……」

 

 いつの間にか詰めていた息を、満天の星の輝く空に向かって短く吐き出す。

 心の整理がついたと同時に、頭の方も少しは冷静になってきたみたいだ。

 もうちょっと、せめて顔の腫れが退くまでここにいようと思い、熱を持った目を冷やすために備え付けられた水道に行こうと立ち上がった時だった。

 

「あぁー! いたっ! アサヒ!」

「やっと見つけたぜ!」

 

 夜空に弾けるような声がして、私は反射的にそちらに顔を向けた。

 そこにはミクマリちゃんとコタローを先頭に、レックスたちが後を追って私のいる方に駆け寄ってきていた。――って、ちょっと待って。なんでみんな走る勢い緩めないの!?

 思わず両手を広げて受け止めようとしたところ、コタローが数メートル手前でジャンプして綺麗に私の腕の中に納まった。続いてミクマリちゃんが走ってきた勢いのまま、私の首に腕を回して思いっきり抱き着いてくる。

 

「探しましたですも!」

「村中走り回ったも~!」

「ハナちゃんにトラも!? うわぁっ!?」

 

 お腹の辺りに鈍い衝撃がくる。

 ミクマリちゃんに抱き着かれて身動きが取れない状況で更にトラとハナちゃんが私に勢いよくしがみついてきたのだ。あの勢いで転ばなかったことに、自分の体の成長を感じる。

 ――なんて、しみじみ思ってる場合じゃない。謎のおしくらまんじゅう状態に私の混乱は増すばかりだった。ちょっと前まで泣いていたことも忘れて、訳も分からずトラとハナちゃんの頭のてっぺんと、遅れて到着してきたメレフさん達を見るばかりだ。……ってあれ、なんか人数減ってない?

 私の視線の先にいるのは、困ったような顔で笑うメレフさんとカグツチさんだけだ。

 ニアちゃんやジークさん達はどこへ行ったんだろう。と視線を巡らせる前に、背中に重しと暖かな体温を感じた。視線を引けば、緋色の着物の裾から伸びる白い腕が背中から前へと伸びていた。

 

「トオ――」

 

 そのブレイドの名前を呼びながら首を真上に向けようとする途中視界の端に映った猫耳に視線を引っ張られる。

 首の軌道を修正して、トオノのいる一歩横を見れば、私の肩口に顔を押し当てて表情を隠すようなニアちゃんがいた。その少し離れたところから四つ足を揃えて座るビャッコさんと赤い翼を腰に当てたスザクの微笑ましそうな眼差しを感じる。

 すると今度は、私の見えない位置から焦ったレックスの声が聞こえた、

 

「ちょっ、ジーク押すなって!」

「なぁーに言うとんねん、ボン。こういうんはなぁ、勢いが大事なんやで?」

「せやせや! と、いうわけで……ちょいやー!」

「わっ!? ちょっと、狭いよサイカ!! 無理やり体ねじ込んでこないで!?」

 

 私の見えてないところで何か起きてる!?

 声はレックスとジークさんとサイカさんなのは間違いないけど、トオノが私に被さるように抱き着いているから首を回してもそっちの様子が見えてこない。でもとりあえず、圧迫感は増したのでこのおしくらまんじゅうにレックスたちが加わったことはなんとなくわかった。気が付けば、メレフさん達も抱き着いては来ない物の、手を伸ばしたら届くくらいの位置まで近づいて来てくれて、それが精いっぱいの距離なんだと分かる。

 私は今、外から見たらどんな風に見えるんだろう。

 一人を中心にみんなが抱き着いてる様子を想像したら、あまりにも可笑しくて思わず私は噴き出していた。

 

「ぷっ……。あはははは! なぁに、この状況! 変なの!」

「変とはなんや。みんなでアサヒを迎えに来たんやで? なぁ?」

「王子、たぶんアサヒのいる位置からやと王子の姿見えてへんよ」

 

 大丈夫、ジークさんの腕だけはばっちり見えてる。ジークさんの腕が何かを探すように宙で振り回してるのは、私の頭を探してるのかもしれない。しかし、ここからだとジークさんの腕は絶対に私に届かない位置だ。

 

「あはは……、もうみんな、本当に……。なんでっ……。折角、泣き止んだのにっ……!」

 

 気づいたら、涙がぽたぽたとコタローの頭に降り落ちた。

 咄嗟に濡れないように片手で小さな傘を作ってその小さな頭にかぶせると、心配そうな表情のコタローと目が合った。

 

「帰ろうぜ、アサヒ」

「…………」

 

 あやすような優しい声に私は何も答えられない。

 帰ろうと言うのは、どっちの意味でだろう。――いや、コタローは私が元の世界に帰ろうとしていることは知らないはずだから、普通に考えればコルレルさんの家に帰ろうということなんだろうけど。

 それなのに、頷くことも出来ずにただひたすら涙を流す私にぽんと前足が置かれた。

 次はもっと、ずっと、優しい声だった。

 

「帰ろう、アサヒ。お前の帰りたい場所に。――な?」

「コタ……」

 

 コタローはそれ以上何も言わなかった。自分の言った言葉を誤魔化すようにちょっと暴れ出して、私の腕から脱出すると、隙間を縫って地面に着地してから数歩先に歩き出してこちらに振り向いた。

 空っぽになった手をハナちゃんとミクマリちゃんに握られて、二人に前に引っ張られる。バランスを崩しながら前に一歩踏み出すと、背中から回されていたトオノの腕がすっと解けた。それと同時に、私に密着していたみんなは思い思いに解けて隣に並びながら歩き出す。

 私はハナちゃんとミクマリちゃんと手をつなぎながら、コルレルさんの家があるだろう方向へ足を動かす。

 今は、この手に甘えることは間違いじゃない。

 それが、いつか来る別れを早めるためのものだったとしても、それで誰かを不幸にしないで済むのなら世界樹だって、どこへでも行くし、イーラとだって戦える。

 だけど、だけど、だけど――。

 どんなに尤もらしい理由を並べて、そこに正当性を持たせても。やっぱり心のどこかで願わずにはいられない。

 私はこの世界が大好きで、みんなのことが、大好きで。

 

 本当はみんなと、ずっと一緒にいたかった――。

 

 

 




次話『お守り様』

ミクマリのドライバーをメレフにしたのは安易に膝に縋りつかせたかったからです。
次回より、ようやくお話しが進みます。たぶん……。

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