1
実は、一番最初にスペルビアに来た時、帝都に入れなかったんだよね。
二度目のスペルビアの赤土に足を踏み入れた時、ふと思い出したそんな話をしたら、皆に物凄く驚かれた。実際は入れなかったというか、入る暇がなかったという方が正しいんだけど。そういった理由でスペルビアに来るときは、まだちょっと緊張してしまう。
スペルビアの帝都、アルバ・マーゲンはコンクリートとも石とも違う、不思議な材質で作られた鉄の都市だった。比較的私のいた世界に近い建築様式が懐かしささえ感じさせる。いつ来ても変わらない薄曇りの空と、乾燥した空気に交じる焼きたてのパンの甘い香り。日本に似ているようで全く違うその風景に心と目を奪われそうになる。
しかし、今の私たちにはのんびり観光をしている時間はない。わき目も振らず、ほぼ一直線に皇宮ハーダシャルに併設された軍の港へ向かう。見覚えのあるスペルビア兵の人の敬礼を横目で見送りながら、既に出港準備を整えていた巨神獣船に乗り込もうとした。その時だった。
「メレフ特別執権官!」
声変わりをしたばかりのような、男の子の声がメレフさんを引き留める。
間違えようがないけれど、ここにいるはずのないその人の声に、メレフさんは目を見開きつつ振り向いた。
「――陛下!?」
「よかった。間に合って……!」
紺色の短い髪に鳥の羽を模したサークレットを被った皇帝陛下がほっとしたように笑う。
その後ろには、ワダツミさんが優し気に二人の様子を見守っていた。
モルスの断崖に行くための軍用船を手配するとなった時、率先して手を挙げたのがワダツミさんだ。恐らく、お互い多忙な二人が会う機会を増やしてあげたかったんだろう。と思いつつ、アーケディア以来久しぶりに会う内緒の友達の元気そうな姿を見て私も嬉しくなった。
手紙のやりとりは細々と続いている。今は私の番で、まだ返事を書き終えていないから渡せない。なので、こっそりみんなの影から二人の様子を窺った。
「陛下。この度は、格別のご高配を賜りありがとうございます」
どうやら、この船にはモルスの断崖に行くための精鋭部隊を皇帝陛下が用意してくれたらしく、メレフさんは恭しくお礼を言っている。言葉だけ聞けば、かなり形式ばった応酬に見えるけれど、メレフさんの目本が優しく下がっているのを見ると、言葉以上にその感情が伝わってきた。
「モルスの断崖は、死者の国へとつながると聞きます。メレフ特別執権官。そして皆さんの旅の無事を、このスペルビアからお祈りします」
「皇帝陛下……! はい! ありがとうございます!」
私たちを代表してレックスがそう答えると、船は出向の時間を迎えた。
細いタラップを一人一人登っていく。その背中を見送って最後尾に着いた私は、途中で見送りに来ている皇帝陛下――ネフェル君の方に振り向く。
『またね』
口だけを動かして小さく手を振ると、案の定ネフェル君は少し驚いた顔をしていた。
その顔を見れただけで満足。と、悪戯が成功した気分で笑う私に、その時だけは一瞬皇帝という立場の表情を脱ぎ捨てたように、口元に微笑みを湛えて同じように口パクで返してくれた。
『気を付けて』
たった二言だけのやりとり。それでも、私にとってはかけがえのないやり取りだった。
一番最後に船の中に入った私に、入り口で待っていてくれたハナちゃんが不思議そうに首を傾げる。
「アサヒ、どうかしたんですも? なんだか嬉しそうですも!」
「ん? えへへ、内緒!」
とは誤魔化したものの、ワダツミさんにはバレてしまっていたようで、ただただ微笑ましそうに見つめられた。
お返事、なるべく早めに書かないとな。と思い立って、私は荷物を持って自分にあてがわれた部屋へと小走りに駆け出した。
2
私のいた児童養護施設では、学年ごとに消灯時間が決められている。
小学生以下は21時、中学生は22時、そして高校生が23時だ。その時間以降、理由なく施設内をうろついたら怒られたし、流行りのドラマもバラエティも22時以降のテレビは必然的に見ることができなかった。
生まれてからずっとそんな生活習慣に身を置いていたため、昨日も22時には明日の準備を終えて眠ってしまった。しかし、今日に限っては早く起きすぎた。
まだ部屋が真暗な日も昇ってない時間。私は、あてがわれた四人部屋で寝ているブレイド二人を起こさないように、そっと布団を抜け出した。布団と外の空気の温度差に体がブルッと震える。なるべく音をたてないように床に直置きしていた荷物からルクスリア用に買ったコートを取り出して、袖を通さずに肩に羽織った。そして、靴を履いた私は最低限開けたドアから体を滑り込ませる形で脱出する。
廊下は普通にエーテル灯が灯っていて明るかった。
所々で黒く光る鎧をまとったスペルビア兵の人が、戦艦内を警邏している。それを横目で見ながら、迷わない程度に廊下を曲がって外に出られそうな場所を探してみる。
そうして、ある廊下を折り曲がった途端、冷たい空気が流れて来るのを感じて私は足を止めた。
巨神獣船の側面につながる甲板を見つけた。
左右に細長く伸びるデッキの上に立つと、そこから先は見渡す限りの雲海だった。ピンとした張り詰めた冷気が肺に取り込まれると、自然と背筋が伸びる。冴え冴えとした銀色の月の光に照らされる景色を見渡すと、少し離れた場所でレックスが落下防止用の柵に肘を置いてぼんやりとしていた。
その姿を見て、私はフレースヴェルグの村で一緒に焚火を見ながら、お互いのことを話した夜を思い出す。
今日は生憎、氷嚢は用意できてないけど、冷気にあてられて冷えた指先ならある。
静かに、静かに。と、壁に背をくっつけるように足を忍ばせてレックスの後ろに立つと、いつもはヘルメットで隠されてる首筋にそっと手を伸ばした。
「――わっ!」
「わぁっ!?」
そんな声と共に今まで雲海を見てるとばかり思っていたレックスが突然振り向いた。
驚いて手を止める私に、彼の快活な笑い声が一面雲で覆われた海原に響き渡る。
「アハハハハハっ! 同じ手は食わないよ、アサヒ!」
「くっ、不覚……!」
考えてみれば、フレースヴェルグで焚火を囲んだ夜から今日まで、レックスはずっと旅をしてきたんだ。
成長してないほうがおかしいよね。
驚かそうとして逆に驚かされてしまった気まずさに苦笑いして、私はなんとなくレックスの隣に立つ。
「また、悪いこと考えてた?」
あの日の夜となぞえるつもりで尋ねると、レックスは静かに首を横に振る。
そうしてまた、彼は雲海を遠く望んだ。
夜明けはまだ遠い。ヒュウ、と耳元を掠めた冷たい風が、何かの合図になった。
「今は、もう考えてないよ」
「?」
「悪いこと。今は、考えてないけど、ちょっと前まではずっと考えてたかな」
「え、意外。……でもないか。考えちゃうよね、少しくらい」
「怒らないの?」
「なんで怒るの?」
不安や焦りなんて、誰だって持ってるし、分かってていても爆発してしまうことはある。私自身がイヤサキ村で証明済みだ。今までが大丈夫だったからって、これからも大丈夫な保証は何一つとしてない。レックスが怖かったり、不安だったり思っていても何も問題じゃない。
むしろなんで怒られると思ったのか、という方が私には疑問だった。
「もしかして、誰かに怒られちゃった?」
「……あの時はオレが悪かったんだ。ホムラや、皆の気持ちも考えずに、自分の気持ちを優先して逃げ出そうとしたから……」
「あっ、ごめんね。無理して話さなくても大丈夫だよ?」
「いや、アサヒが嫌じゃなければ聞いて欲しい。本当に情けなくて、最低な話なんだけどさ」
ぽつりぽつり、と雲海に落とすようにレックスは話した。
それは、ルクスリアでホムラさん達が連れ攫われた後の話だった。
私がレックスより先に目覚めて、ルクスリアの王様に呼び出されてからサイカさんがレックスを呼びに行く間にレックスは、一度ホムラさんの救出を諦めて、アヴァリティアに戻ろうとしたことがあったそうだ。
荷物を纏めて、宿を出ようとしたときにニアちゃんとカグツチさんとハナちゃんががそれを引き留めたらしい。
だからお城で合流した時にレックスの目が少し腫れていたのか、とようやくその時の疑問が解消された。
「アサヒならどうしてた? オレが、シンには何をやっても勝てない。って、勝手に不貞腐れてホムラ達を助けることも、楽園に行くことも諦めようとしたら」
「んー。それは、その時にいなかったから分からないよ。レックスの中では、もう私に話せるくらいそのことは消化されてるみたいだし……。まぁ、でもちょっと、ムッとはしたかな。レックス、大事なこと忘れちゃってるみたいなんだもん」
「……大事なこと?」
ほら、やっぱり忘れてる。というよりも、意識しないようにしているかな。それとも、私が気にし過ぎなのかもしれない。それが過去になってしまうくらい、レックスは激動の日々を送っていたはずだから。
「教えて、アサヒ。オレが忘れてる大事なことって何?」
「……本当に、知りたい? 思い出したら、もう二度と楽園を諦めるなんて言えなくなるかもしれないよ?」
「言わない。言ったろ? オレは、もう負けない」
「そっか。……そうだったね」
なら、きっと大丈夫。むしろ私が緊張して、深呼吸をしなくちゃいけない始末だった。
できるだろうか。あの人みたいに、きちんと言えるだろうか。
胸に手を当てて、冷たい空気を吸って細く長く吐き出した。
そして、意を決して私は同じくらいの身長の男の子に向かって、正面切ってその言葉を告げる。
「レックス。死なないんだよね。死ねないんだよね? なら、こんな所で立ち止まっちゃダメだよ。――生きて、生き延びて――楽園へ、行ってよ」
東の空では、水平線から白々と昇り始めた光が私たちの横顔を照らす。見開かれたレックスの金色の瞳に、差し込んだ朝陽がキラキラと反射して綺麗だった。
「それ……、カラムの遺跡での、ヴァンダムさんの言葉……」
「そうだよ。――楽園に行きたいっていう願いは、もうレックスとホムラさんのものだけじゃない。ここに来るまでに会った沢山の人が、レックスに楽園を見つけてほしいって思ってるんだよ。
私も、楽園に行ってみたい。みんなの言う楽園が私のいた世界と同じなのか、違うならこの世界に連れてこられた理由がなんなのか。元の世界に戻ることがあるのかを知りたい。だから、レックスがホムラさん達を楽園に連れて行こうとする限り、私はレックスに協力する。シンの強さに怖くなるのもわかる。本当に勝てるか不安になるのもわかる。でも、レックスは一人で戦ってるんじゃないよ。一人じゃなければ、戦い方だって変わってくるし、世界だって、きっと変わって見えるよ」
レックスは、放心したように両膝を床に突くと深く項垂れてしまった。
それがどういう反応なのか分からなくて同じ目線になるように屈みこむと、天の聖杯のドライバーである彼は、今だけは同い年の男の子のように力ない笑みを浮かべて、小さく呟いた。
「本当に……。なんで、オレ、こんなに情けないんだろ……。アサヒに言われるまで、そんな大事なことまで、忘れてたなんて……」
ぐずっとレックスの鼻が水っぽく鳴る。ポーチもカバンも部屋に置いて来てしまったのでハンカチを差し出すことはできないのが悔やまれる。部屋まで取ってこようかな、と後ろの通路を意識した時には彼はもう手で乱雑に顔を拭っていた。レックスの鼻と目が少し赤くなっているのを見ては悪いかと思って、空に視線を逃がして――そこに映る景色に、目を奪われた。
「レックス……! 見て、すごい……!」
思わず屈みこんでるレックスの肩を揺すって、視線を空に向けさせる。
空全体が朝焼けに包まれていた。たなびく雲も眼下に広がる雲海も透き通るような濃いピンクに染まっている。まるで夢か、おとぎ話に出て来るような景色だった。
「本当だ……! オレ、こんな空見たことないよ……!」
「綺麗だねぇ」
元の世界で色んな空の景色を集めた写真集の中で、朝焼けの写真を見たことがあった。
もちろん、プロが撮って現像した写真だったから綺麗なのは間違いないけど、今見ている景色は写真を通してみるよりも何十倍、何百倍も綺麗だった。
二人だけで見ているのが勿体ないくらい。
「ねえ、レックス。こういう空の色って、
「薔薇? 薔薇って、赤とか白とか黄色とかじゃないの?」
「植物の薔薇はそうだけど、色にするとこれが薔薇色って言うんだって。それでね、薔薇色って明るい未来を指す言葉なんだよ。薔薇色の人生、とか。薔薇色の未来とか」
「明るい未来……か」
何かを噛みしめるように、レックスは自分の手に視線を落とす。
そこには、エルピス霊洞で一瞬だけ掴んだヒカリさん達のコアが見えてるみたいだった。
霊洞では大丈夫だって言ってたけど、やっぱり実物がないと不安なのかもしれない。そう思った途端、自然と口が開いていた。
「きっと――ううん、絶対に大丈夫。私たちは二人で最強なんだから。みんなの力も合わせれば、無敵にだってなれちゃうよ」
自分でも驚くくらいに自然と出てきた言葉に、レックスがぽかんとした顔でこちらを向いた。
私は気恥ずかしくなって、誤魔化すように笑い返してから、あからさまに何か話題を変えられそうなものは無いか周囲を見回した。なんでもいいから、この空気を変えたかった。すると、私が出てきたのと同じ扉を潜って反対方向――あっちは多分船の舳先だ――の方へと歩いていくスザクの姿を見つけて「あっ」と声を上げた。
「スザク、おはよう!」
声をかけるついでに駆け出す私に気付き、赤い翼が翻る。
太陽は既に昇りきっていて、空には青空が広がりつつあったけど、まだみんなを起こすには早い時間だ。
きっと、これから行くモルスの断崖ではシン達イーラが待ち構えているんだろう。恐らく全面戦争は免れない。
モルスの断崖まで、あとどれくらい時間が掛かるかは分からないけど、だからこそ、ニアちゃん達他のみんなにはゆっくり眠って欲しくて、この後の時間はスザクの足止め作戦を決行することにした。
レックスもその意図に気付いてくれたのか、小さく笑ってこちらに歩み寄ってくれる。
スザクとレックスが言葉を交わす間、私はもう一度空を見上げた。
この先に待ち受ける未来なんて関係ないと言わんばかりの快晴。
今日もいい天気になりそうだ。
次話『モルスの断崖』
タイトルは仮です。
レックスにはもう少しホムラ達の願い以外に、楽園へ行く理由を作りたかったんです……。