楽園の子   作:青葉らいの

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61『モルスの断崖』

 

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 モルスの断崖は、世界樹に渡るための近道だ。

 それを言ったのはメツ自身だったが、いつ誰に向かって言ったのかを、彼は覚えていなかった。

 しかし、今重要なのはそこではない。ここがいわば世界樹に一番近い場所であるということが重要だった。

 黒い鎧を纏う大男は、可能な限り世界樹に近づき天を仰ぐ。遥か先、先端さえ見えないこの大樹のどこかにいる自分を生み出した存在とやらに向かって、言葉なく問いかけていた。

 メツの背後には、捕われた以降反応を見せなくなったもう一人の天の聖杯がいる。今は副人格と呼べる赤髪の少女に姿を変えているが、それでも天の聖杯であることには変わりはないはずだ。

 変わりがない、はずなのに。

 世界樹は何一つとして反応を示さず、いつも通りただ天を貫くように聳えているだけだった。

 こちらが見えていないのか、それともこちらに興味がないのか。メツには判断することができない。

 やがてメツは、諦めたように首を横に振り人工ブレイドを彼のいる方に捕らえられた天の聖杯の少女ごと呼び寄せた。滑らかすぎるが故、逆に人工物であることを証明しているように人工ブレイドは命令通りに動くと、二人の天の聖杯はお互いに対面するような位置取りとなった。

 視線の先には、×の形に抜かれた翠色のコアクリスタルがある。一方、メツの胸に輝くのは、彼女の持つのとは真反対の色である紫色のコアクリスタルだった。彼のコアクリスタルもある意味では欠けていた。しかしその欠け方は、対面する少女のような規則的なものとは違う。メツのコアは右上が割れたように欠損していた。

 甦る500年前の記憶。互いに死力を尽くし、戦い抜いた結末はメツの敗北に終わった。だが、彼はこうして生きている。あの時の炎に嬲られた景色、熱、痛み。今のこの状況の全てはそこから始まった。

 

「あの時不覚を取らなきゃ、こんなメンドーなことはしなくて済んだんだがな」

 

 彼の言葉が()の少女に届いているかは定かではない。だが、メツはそれでよかった。

 こんなものは、ただの愚痴だ。それも皮肉交じりの、だ。

 仕切り直すように「さて――と」と呟いた。

 

「500年前の戦いで失ったモノを復元させてもらおうか」

 

 通常、ブレイドは胸のコアクリスタルが特殊な状況を除き破損するとその姿を保てずに死んでしまう。けれどメツはコアが欠けても生きていた。――生きていた、だけだった。

 天の聖杯として特別に宿っていた(デバイス)などに命令を送る機能は前の大戦で失われて久しい。

 彼の言う復元とは、言うなれば全く同じ情報を有した機械の片方が壊れた際に、無事だった方の機械に無理やり同期化し欠損部分を補うことを示していた、無論、元になったデータの安全性など確保しているわけがない。読み取り先である拘束された少女の末路は、データの完全破滅だ。記憶、人格、今まで拙いながらも作り上げてきたもの全て。

 

「悪く思うなよ。こう創ったのは(おやじ)だ。だからさ、お前の代わりに直接聞きに行ってやる。『なんで俺たちはこうなんだ』ってな」

 

 なんで天の聖杯が二人もいるのかも。

 なんで天の聖杯はコアを失ってもしばらく活動ができるのかも。

 なんで自分たちが生み出されたのかも。

 彼女の代わりに自分が聞きに行く。

 

「まぁ、とにかく。天の聖杯は俺一人で十分だ。なぁ、相棒」

 

 そう言って彼女のコアにメツが手を翳した直後、目の前の赤髪の少女の、細い喉から悲鳴が(ほとばし)った。

 メツの侵入を拒むようにホムラの身体中のエーテルラインが浮かび上がり、今まで閉じていた両目が極限まで見開かれる。苦痛、恐怖、拒絶。感情のプロテクトを破壊すれば、次は記憶のプロテクトに手が届く。そうやって一つずつ防御壁を壊していって、ようやく彼の望んだ情報は手に入る。

 一方そこに辿り着くまでは、メツは彼女の崩壊に付き合わなければならなかった。

 情報というものに、質量や手ごたえはない。それでも端からバラバラになっていく様は決して見ていて気持ちいいものではない。

 メツは、シンをこの場から遠ざけておいてよかった。と思った。

 いくら道が違えど、見知った少女の、喉が引き裂かれんばかりに叫ぶ顔と声は聞かないほうがいいだろう。あの優しいブレイドのことだ。もしかしたら決意が鈍ってしまう可能性がある。

 だからこそ、メツは崩壊しつつある少女に対して奥歯が鳴るほど噛みしめた。

 思った以上に崩壊が遅い。

 感情のプロテクトは既に8割が崩壊している。しかし、次のステップである記憶のプロテクトに差し掛かった時に、その崩壊しかけのプロテクトからの抵抗が強まった。よほど大事な情報を有しているのだろうと期待したメツだったが、彼女の守ろうとしたそれは、ほとんどが自分のドライバーとの思い出だった。

 

「くっだらねぇ。ノイズだらけじゃねぇか」

 

 中には使えるものがあるかもしれないと構えていたメツだったが、あまりの量の膨大さに途中で吐き捨てるように呟くと、強攻策に移行した。

 即ち、コアへの直接の干渉。

 握りつぶすように掴んだ翠色のコアから硬質なものが砕けるバキリという音が聞こえる。それと同時にヒュッと天の聖杯の少女が掠れた喉を鳴らし、その瞳から()()()が消えた。

 感情のプロテクトの消失を確認した。この少女はもう二度と、自分の意思を外界に伝えることはできない。

 プロテクトが無くなり、無防備になった彼女のコアを経由しの記憶に干渉することが可能となったメツは、その奥にいる人格データを破壊するべく、彼女の中に降り立つ。

 頭上、左右が暗闇に覆われ足元から浮かび上がるように、コマ送りで彼女のドライバーとの思い出が流れて行く。恐らく時系列順なのだろう。アヴァリティア、グーラ、インヴィディア。取り立てて見るべきものもない記憶ばかりだった。

 その一つ一つをメツは消していくと、前方に副人格の少女の後ろ姿が見て取れた。

 メツが記憶を消していく度、惜しむように後ろを振り向きながら逃げる少女に、メツの嗜虐心が煽られる。

 ここまで手間取らせてもらった礼をたっぷりとしてやろうと、メツは逃げるホムラの背中に問いかけた。

 

「なぜ逃げる。なぜ、守ろうとする? 俺たちに取っちゃ不要なモノのはずだ。お前もそれを望んでいただろうがよ」

「やめて――! そんなこと望んでない!」

 

 どの口が言う。と鼻で笑いそうになるのを堪え無言で追い詰めていくメツだったが、ある記憶に差し掛かった時、ふと足を止めた。理由は見覚えのある場所が映ったからだった。

 そこはアーケディア法王庁の大聖堂に併設された客間。浮かび上がった映像には彼女のドライバーである少年と幼体の巨神獣。そして、その少年と同年代くらいの黒髪の少女と犬のブレイドが映っていた。

 

『――で、先ほどのお前さんに―――が起こったんじゃ? そんな――なるのだか――、その認識票はよほどのものじゃった――ろ?』

『えぇ。……結論から言うと、これはすごく高密度な情報媒体よ。この天の聖杯(わたし)が一瞬で処理限界に陥るくらいにはね』

 

 ピタリと、メツは記憶を消すコマンドを止めて足元に映る映像を凝視する。

 どうやら主人格と副人格は記憶の共有も行っていたらしく、その映像は主人格であるヒカリの記憶のようだった。

 

『中にはどんなデーターがあったんだ?』

『色々よ。それこそ、この世界じゃない言語、文化、歴史、数式、化学式、物理、法律……。表層だけで読み取れないくらいなんだもの、きっとこれを読み取れるのは(とうさま)だけね』

 

 ヒカリが注視する楽園の子と呼ばれていた少女の鎖骨の辺りには、銀膜が半分ほど剥がれ翠色の金属が剥き出しになった認識票(ドッグタグ)がぶら下がっている。

 ――あれは。と、今までの疑問が明確に像を結ぶ。その期待と快感にメツの背筋がぞくりと粟立った。

 

『アサヒ、これ私たちの他に誰かに見せた?』

『えっと、レックスとフレースヴェルグの村の一部の人と、トラと……ジークさん達、かな』

『メツ達は、このことについては誰も知らないのね?』

『う、うん。そもそも、これの塗装が取れたのってカラムの遺跡の後だったし」

『……そう。なら、いいわ。――今後は、これを誰にも見せちゃ駄目。明日会うマルベーニにもよ。約束できるわね』

『そういや、あの法王様ってのはメツのドライバーだったな。しかも楽園から来たお前が、第二の神の代弁者として現れたのか否かってのを聞くために呼んだんだよな。じゃあ、楽園に関係しそうなものを持ってるって知られるのも危険って訳か』

『コタローの言う通りよ。いい? これから楽園の子って言葉を風化させたいなら、絶対にそれは見せないこと。分かったわね? 返事は?』

『わ、分かりました……』

 

 映像はそこから先はまた日常の物に戻っていくが、もはやメツにはどうでもよかった。

 気づけば、彼は獰猛(どうもう)な笑みを浮かべていた。

 視線を上げれば、小さくなったホムラの後ろ姿が見て取れる。記憶を見てるうちに、だいぶ引き離されてしまったらしいが、逃げ切れるわけがない。物事には遅かれ早かれ終わりが必ずある。

 記憶のデータの七割は把握した。彼女の情報はほぼメツが把握したに等しい。

 当て所もない暗闇の中を走る彼女に追いつくどころか先回りすることすら、今の彼には容易いことだ。

 回り込む。立ち塞ぐ。これ以上どこへも逃げられないように追い詰める。

 少女の鼻先に現れたメツに、逃げまどっていたホムラは思わず足に急ブレーキをかけ、そのままバランスを崩し尻餅をついてしまった。その少女に向かって、メツは手を翳した。

 

「やめて……!」

 

 翠色のコアから抜き取られた情報が、翳した手からメツに取り込まれていく。それに対して、健気な天の聖杯の副人格はいやいやと、抵抗するように首を激しく横に振った。

 

「やめてっ……! 私の思い出を、奪わないで……! ――いやぁぁぁあああっ!!」

 

 哀願の叫び声を上げて、天の聖杯の少女は消えた。

 代わりに全てを得たメツは、その奥に隠されていた情報を見てにやりと笑う。

 

(おやじ)の奴、こんなもんを隠していやがったのか」

 

 それは頭上に光輪、左右に四枚の翼が生えた天使と見紛うシルエットの巨大な兵器だった。

 見た限りではイーラの所有する量産型の人工ブレイドに近いが、性能は比べること自体がおこがましい代物。

 まさに、これこそが一つの時代を終わりに導く神の(しもべ)だ。

 もしも、これがメツが触れてはいけない物ならば、あの少女は神の力によって守られたはずだ。それが無かったということは、そう言うことなのだ。

 

 

「いいだろう。その望み、叶えてやるぜ!」

 

 

 

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 モルスの断崖は、雰囲気で言えばテンペランティアに近かった。

 ニアちゃん曰くこの場所は『世界樹への近道』であり、朽ちた巨神獣が集まった場所だそうだ。確かに視線を上げて少し見渡せば、すぐに世界樹が見える。こんなに近くに世界樹を見たのは初めてだった。

 剥き出しの岩場に、手入れされずに生えっぱなしの草花が揺れている。ただ、テンペランティアは比較的なだらかな丘陵が続いていたのに対して、ここは切り立った崖に囲まれ地形ごとの高低差が激しく、また道幅も狭い。

 そうなると、この中で心配になのはジークさんだったけれど、眼帯で視界が狭められているにも関わらず、ジークさんとサイカさんは危なげなくひょいひょいと切り立った崖の狭い道を器用に歩いて行く。

 普段は運が悪いけど、大切な時には不幸な目に遭わないというライトノベルでおなじみのアレだろうか。なんて考えがよぎるが、口に出す雰囲気でもない。――通じないと思うし。

 モルスの断崖に上陸してしばらく道沿いに歩いていると、突然レックスが胸元のコアクリスタルを押さえて呻き声をあげた。

 

「どうした!? 大丈夫か!?」

 

 前屈みになって痛みに耐えるように息を詰めるレックスはじっちゃんの心配にも答えられないみたいだった。

 今までドライバーとして同行していたニアちゃんは、青白い燐光を弾けさせながら長い髪を緩く二つに結んだブレイドの姿に変身して、レックスに駆け寄る。

 回復アーツをかけようと両手をレックスに向かって突き出したニアちゃんだったが、その手を制したのもレックスだった。荒い呼吸を整えて、彼はゆっくりと顔を上げる。

 

「ん……。だ――大丈夫……!」

「その様子、ホムラに何かあったのか?」

「わからない……。けど、急がないと。嫌な予感がするんだ」

 

 その予感が杞憂に終わってくれればどんなにいいか。

 しかし、コアを通して命がつながっているレックスがそう言うのだから、きっとそれは予感と言いつつある意味予言とも等しい何かなのかもしれない。

 とりあえず、回復アーツのエキスパートであるニアちゃんは、このままレックスに付いていてもらってメンバーの回復役は私へと移行して、私たちは先を進む。

 ホムラさんとヒカリさんを助けるために。

 

 

 




次話『バルクスタ遺跡』

モルスの断崖ではジークを操作していたのですが、なぜか操作ミスが頻発して数え切れないほど落下死しました。壁をよじ登るとき、なぜか手を離してしまうんや……。

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