1
ゲトリクス神託跡地。
そこは地名にふさわしく、世界樹を一望できる開けた場所となっていた。
さっきまでいたバルクスタ遺跡と同じような材質の白い石材で作られた一部が迫り出したテラスのような風景は、奇しくも初めてメツ達と対峙したカラムの遺跡によく似ている。それも神託を受けるための舞台と考えれば、なるほど納得がいった。
その何もない寂し気な舞台の中心に立つのは、本来の力を解放したシンただ一人だけだった。
彼は私たちの足音を聞きつけて、ゆっくりと振り返る。シンが体を退けたことで、人工ブレイドに両腕を拘束された状態でぐったりとしたホムラさんの姿が見えた。
「一足遅かったようだな。必要なモノは全てもらい受けた」
「シン! ホムラに何をした!?」
返事は後ろからあった。
鬼気迫る表情で問い詰めるレックスの言葉に、聞こえてはいけない人の声がする。
「さっき言ったろうがよ。500年前に失ったモノを返してもらっただけだと」
「メツ!? なんで――!?」
ニアちゃんの驚いた声に振り向けば、私たちが通って来た入口から悠々と歩み寄って来るもう一人の聖杯の姿があった。物質を消去する力を操るその人は、信じられない物を見るような私たちに向かって鼻で笑った。
「はっ! あの程度でこの俺がくたばるかよ! 天の聖杯だぜ、俺は! ――舐めてもらっちゃあ、困る」
「……っ!!」
「おっと。そんなに睨むなよ、楽園の子。死体をきちんと確認しなかったてめぇらの落ち度だろうが」
確かに、そう言われてしまうと何も言い返せない。
天の聖杯は何でもありだって、その前提を忘れていたのはこちらだ。
言い淀んでいるのをいいことに、メツはゆっくりとした速度で私たちを迂回しながらシンに近づいて行った。そこにはやっぱり自信に裏付けされた余裕の笑みが浮かんでいた。
「お前が、やったのか!?」
「天の聖杯ともあろう者が、人間ごときに絆されやがって。お前との思い出を必死に守ろうとしていたっけなぁ。――健気だったぜぇ? 『私の思い出を奪わないで!』とか言っちまってよぉ! ま、全部消してやったがな」
私はその時、多分生まれて初めて誰かに対して許せないという気持ちを抱いた。
大げさな動作で面白おかしくホムラさんのことを話すメツには、どんな思いでホムラさんがそんな風に言ったのか理解する気もないのだろう。
「悪かったなぁ、わざわざこんな辺鄙な場所まで足を運ばせて。出がらしでもよけりゃあくれてやる。持って帰れ!!」
そう言ってメツは、ホムラさんの片腕を乱暴に掴むと力任せに私たちに向けて投げ捨てた。
二度、三度、跳ねて固い地面を滑りレックスにだき抱えられたホムラさんは、レックスが何度呼びかけても目を覚ますどころかピクリとも動かない。
そう、まるで本当に死んでるみたいな――。
「ごめんよ。ホムラ、ヒカリ……。オレなんかと一緒になったばっかりに……!」
レックスは、ホムラさんを抱き寄せ耳元で謝るとそっとその人の身体を地面に横たえた。
それからシンとメツのいる方に向けて立ち塞がり、背を向けたレックスがニアちゃんの名前を静かに呼んだ。
「ニア」
「――わかった」
「ビャッコとアサヒはホムラを頼む」
「うん」
「承知いたしました」
これはレックスの戦いだ。
私は言われた通りビャッコさんの背中にホムラさんを乗せるのを手伝いつつ、ホムラさんを守るようにビャッコさんの前にトオノと立ち並ぶ。
「なんだよ、泣き喚いて飛び掛かってくるかと思ったが――ちったぁ大人になったか?」
「バカだ……」
「はぁ?」
世界樹を見上げるレックスの口から漏れた言葉に、メツは怪訝な表情をした。
一方のレックスは、今はメツもシンも目に入っていない。いや、入っているのだろうけれども、それでもあえて声を荒げないでゆっくりとメツ達に近づき言葉を続ける。
「オレは、バカだ。二人の気持ちなんて、ちっとも知らずに……。歩いている道は全然違う道なのに、一緒に歩いているつもりになって――。天の聖杯っていう強い光が作り出した影の道、そんな道をこれまでずっとホムラとヒカリは独りで歩いてきたんだ」
これは、助走だ。
彼が更に高く飛ぶための、自分に発破をかけるための、あえて作る静寂だった。
「だから、オレ、バカなりに決めたんだ」
「ほぉ? 何を決めたって? 折角だからこの
「決まってるだろ。――お前たちをぶっ倒して、ここにいる全員で一緒に楽園に行く!!」
「はっ! ぶっ倒す? シンにまるで歯が立たなかったお前がか? おまけにこの俺は天の聖杯の力を取り戻した!
「……できるさ」
「そいつはもうただの出がらしだ。アテにするだけ無駄だってもんだぜ」
「オレわかったんだ。二人が何を望んでいるのか。そのためにオレがしなきゃならない本当のことが――ドライバーとブレイドの絆の意味が!」
「皆、オレに力を貸してくれ! ホムラを取り戻し、楽園に行くために!!」
2
私はホムラさんを背中に乗せたビャッコさんを守りながら、背中で眠るその人が戦いに巻き込まれない位置に移動した。ここからも世界樹がよく見える。
メツの力の仕組みは、もう皆わかっているけれど、それでも相手は全ての力を取り戻した天の聖杯だ。おまけに隣にはイーラ最強のブレイドと呼ばれたシンもいる。まさに桁が違う。それでも――。
私はホムラさんの傍に寄り添いながら、じっとメツの武器を目で追っていた。より詳しく言えば、その武器の柄にはめ込まれた薄紫色のプレートに浮かぶ漢字を。
「レックス、範囲攻撃が来る! 離れて!」
メツの武器に浮かび上がる『轟』の文字を見咎めて、私は叫ぶ。
黒紫色の禍々しい色合いを帯びた旋風は、目の前の対象を喰らい損ねて空振りに終わった。
仕切り直しのタイミングを得たことで、後ろからニアちゃんの再生の力がレックスの傷を癒していく。
「面倒くせぇ力だな! ああっ!?」
「それが取り柄なもんなんでねっ!」
額に青筋を浮かべてこちらを睨むメツの視線から私を庇うようにニアちゃんが啖呵を切る。それと同時に、再生の力の勢いを強めた。私も、そんなニアちゃんの影からメツの挙動を窺っていると、突然肌に突き刺すような痛みを感じた。周囲からはピシピシ、パキパキと高くてか細い音が聞こえて来る。
息が白い。辺りにキラキラとした何かが舞って見えた。肺が凍り付きそうなほどの冷気は、ニアちゃんを中心に巻き起こっているようだった。
突然膝を突いたニアちゃんは目を白黒させながら辺りを見回す。私も同じように視線を巡らせると、彼女から発生していた再生の力が、完全に消えていた。
「なっ、なんで!?」
「空気が、凍ってるの……?」
「氷って――。まさか、シン!?」
ニアちゃんの見つめた方には、シンが無言で立っていた。
その一切の感情を消してしまった目に、ぞくりと冷気とは別の寒いものが背中に走った。
「いくらてめぇの再生力がすごかろうと、物質の動きが停止する絶対零度下じゃあ、糞の役にも立たんぜ?」
絶対零度という単語はあちらの世界の本を読んで知っていた。
液体窒素よりも更に低い温度で、確かにメツが言う通り絶対零度下では物質の動きが停止する。
それは確かなことだ。
けれど――
「これで思い存分切り刻める! やるぜ、シン!」
依然冷気の立ち込める空間に、イーラの二人が動いた。
最初に動いたのは、超高速で動けるシン。そして、レックスとニアちゃんを分断するように、私たちの前には黒い大柄の男の人が立ち塞がった。
「お嬢様!」
「コタロー!」
ニアちゃんのシミターは今、レックスの手の中にある。無防備なニアちゃんに向かって、傍にいたビャッコさんのツインリングが投げ渡される。
私は私で、攻撃力のあるトオノから回復役のコタローに切り替える。コタの武器であるボールが手中に現れた途端、それと豆柴型ブレイドの首根っこを掴んで覇気の声とともに力の限り上に放り投げた。
コタローの慌てた声が頭の上から聞こえたけど、それを無視して空中にいる相棒に向けて続けて声を張り上げた。
「コタロー! 風でこの冷気を吹き飛ばして!!」
「――! なるほどな!」
シンの生み出した絶対零度の範囲は横には広いけれど、高さを設ける必要はない。私みたいな子供が投げた高さでも、コタローをその範囲外へ抜け出させるには十分だった。
「風よ、俺に向かって吹いて来な!」
ビュゴウッ!! という耳を突き抜けるような轟音と風圧に思わず顔を伏せる。再び顔を上げた時には周囲に舞っていたキラキラとした氷の粒は見えなくなっていた。
絶対零度は確か、マイナス273度とかいうものすごい低い温度でないと物質の動きは完全に停止しない。
後は冷蔵庫と同じ原理で、暖かい風を別の場所に流すかもしくは空気を混ぜ合わせてしまえば物質を停止する現象は失われてしまうはず!
「これなら、お嬢様に力を送れます!」
「いくよ、ビャッコ!」
その証拠に、ニアちゃんの握ったツインリングが青い光に包まれる。
振り下ろされたメツの剣をニアちゃんのツインリングがオレンジ色の火花を断続的に散らしながら、軌道を逸らさせる。ニアちゃんの白い衣装と赤い組みひもがふわりと舞う。
すかさずジークさんとメレフさんがメツに飛び掛かって、雷鳴と空気の燃える音が同時に聞こえた。
「
「烈火!」
いつの間にか戦いの中心に巻き込まれそうになった私は、メツがジークさんとメレフさんを相手している隙に、なんとかホムラさんを安全なところに移動させる。
もしもシンが絶対零度の力を使おうとしたときに同じ方法で吹き飛ばせるように、私はコタローを傍に控えさせて戦局を見守った。今一番注目するべきは、メツの持つ剣だ。
「何かを封印する攻撃が来そうです! 注意してください!」
「チィッ……! そろそろ本気でウゼェぞ、小娘ぇっ!!」
普段だったら震え上がってしまうくらいの、怒気を含んだ声と共にメツがこっちに走って来る。私は一瞬、避けようか迷うが、今私が避けたらホムラさんにぶつかってしまう。
咄嗟にコタローに目配せをしてから私はトオノとブレイドスイッチを――
「遅ぇっ!!」
「――っ、きゃぁああああっ!!!」
目の前で光った『轟』の漢字に、私はどうすることも出来なくて結果的に真正面からメツのアーツを受けて遥か後方に吹き飛ばされた。
もしも落下防止の囲いがなかったら、私はそのまま大空洞の中に放り出されていたかもしれない。
「アサヒ!!」
そう呼んでくれたのは、誰の声だっただろう。
全身を駆け巡る痛みに歯を食いしばって耐えながら、私はなんとか体を起き上がらせようとした。
思った以上に体は動いてくれた。回復アーツが撃てれば大丈夫そうだった。
「ニア! こっちは何とかする! だからお前たちはメツを頼む!」
「わ、分かった!」
言いたいことは全部コタローが言ってくれた。
私は隣にいる小さな相棒に向けて少しだけ笑いかけてから、腰に戻っていたボールを展開させる。
形勢は五分。力量差を人数でカバーしているにも近い。
私は回復アーツを撃ちながら、位置的に遠くなったことで見まわせるようになってその声を聞いた。
「放っておけるかよ!」
緊張を断ち切るかのようにシンと剣を切り結びながら、レックスは言った。
対するシンの言葉は聞こえない。けれど、まるで見えない誰かと話しているように、レックスは続けた。
「傷を一つ受ける度に、君の痛みが伝わって来る! 痛みが一つ増える度に君の心が泣いてるのが分かるんだ!」
「レックス……?」
「なんだ、あいつ。一体どうしちまったんだ!?」
突然のことにコタローも目を白黒させてこちらに意見を求めて来る。
私も分からない。
でも、言葉の端々から推測すれば、それは彼の足元に倒れているホムラさんに向かって言っているように聞こえた。
「目の前で女の子が泣いてるってのに、そんなの放って置けるわけないじゃないか! ――オレは君と、行きたいんだ! 楽園に、君と二人で! 君のためにオレは楽園に行く! 君一人だけのために楽園に行って見せる!」
「だから行こう! そして確かめよう!!」
「君が何のために生まれてきたのかを! オレ達と君の未来がどこに向かおうとしているのかを!」
「俺を信じて欲しいっ!!」
「オレは君のために二度と世界なんて灼かせない! だから、君の全てをオレに――」
「このオレに、くれぇぇぇぇぇえええええええっっっっ!!!!!」
その瞬間、翠色の光が迸った。
シンの袈裟切りを阻むようにレックスの前に現れたのは、ダイヤモンドの様に透明で、澄んだ輝きを放つ剣だった。ルクスリアでジークさんのお父さんである王様が言っていたのと同じ、そしてエルピス霊洞で塵となって消えたはずの天の聖杯の第三の剣だった。
一方、先ほどまで地面に倒れていたホムラさんの姿は消えていて、その代わりにレックスの後ろに翠の髪を一つに結んだ女の人が浮いていた。
その姿は、このアルストでは珍しい近未来チックな服装に変わっていた。コスモスさんの服とちょっと似ている。
「ホムラ、ヒカリ!」
「ごめんね、レックス。でも、もう大丈夫。もう――迷わない!」
やっぱりあの女の人は、ホムラさん……と、ヒカリさんも合体してるらしい。
その女の人は、魔法をかけるように片手の人差し指をレックスに振ると、彼の青い潜水服が彼女と同じ近未来的な洋服に変わっていた。
「これは――」
「その方が、かっこいいでしょ?」
ホムラさん(ヒカリさん?)が用意した服をレックスは気に入ったみたい。
片手に天の聖杯の第三の剣を携えて、本当の天の聖杯のドライバーとなったレックスはシン達に振り向いた。
「皆、いくよ!」
「おうっ!」
「リベンジだね!」
私も返事をするジークさんとニアちゃんと一緒に無言で頷いてボールを構えた。
さぁ、反撃の時間だ――。
次話『続・ゲトリクス神託跡地』
大変遅くなりました。
もうすぐゼノブレイド2も二周年ですね。めでたい!