66『モルスの地 市街』
1
一度目はこの世界に来た直後。
二度目はスペルビアでジークさんに抱えられて。
そして三度目。これは今。
さて、問題。この数は何の数でしょう。
――正解は、
「ごめん、コタロー。今度こそ死んじゃうかも……!」
「なんで戦ってる時には誰も思いつかないこと思いつく癖に、この状況で発揮できねぇんだよお!!」
底さえ見えない暗闇に向かって私たちは真っ逆さま落ちていく。
この世界に来て三回目のフリーフォール。
ゴウゴウと耳元で鳴る空気がうるさいし、みんなの悲鳴もだんだん離れていく。
もう、あっちもこっちも大惨事な予感しかなかった。
「アサヒ! とりあえず、トオノだ! トオノを呼べっ!」
「う、うん! トオノ!」
「――
肩をグイッと引き寄せられる感覚と一緒に、強風に煽られはためく緋色の着物の裾が視界に入る。
どうやら私はトオノに背中から抱きかかえられているらしい。
そうしてようやく、視界の先に地底らしきものが見えてきた。
全体的に霧がかかってて見えにくいけど、規則的な形に整えられた色んな高さの柱のようなものが建っているみたいだ。そのどこか記憶に引っ掛かる風景に目を凝らす暇もなく、腕の中のコタローから焦りの声が飛ぶ。
「気流に乗るチャンスはそう多くねぇ! ここらで乗っとかねえと、マジで地面に叩きつけられちまうぞ!」
「だからと言って、適当な気流に乗って彼の方らとはぐれてしまう可能性は? 無事に合流できるので?」
「そればっかは運頼みだが、少なくとも即死よりかは希望はある! アサヒも、それでいいな!?」
「う、うん! 任せる!」
「よっし、それじゃ――風よ、俺に向かって吹いて来な!!」
コタローのベージュの毛皮の下にあるエーテルラインが呼応するように一瞬蒼く輝く。
そしてその一拍後に、圧を伴った風が私たちの身体を真横から叩いた。
呼吸が止まりそうなほどの強風。けれど、それでさえまだ序の口だった。
今度こそ呼吸さえできない強い風に、私たちは空に漂うビニール袋みたいに、空気に弄ばれ押し流されて、やがて支えを失った。口と目に砂埃が入らないようにぎゅっと瞑っていたせいか、次に目を開いた時にはどこをどう移動したのか分からない。ただ、コンクリートっぽい造りに見える巨大な建物の側面が間近に迫っているのを見て、トオノの身体が叩きつけられる未来を見た。
「まっ――ず……!!」
「くっ……!
そう言うとトオノは私のお尻と肩に手を回して赤ちゃんを抱っこする時のような体勢を取ると、その分厚い高下駄を灰色の壁に押し当てて膝を曲げて、足に力を蓄える。
どうやら私たちに迫っていた壁は、何らかの理由で根本が折れているらしく滑り台のように傾斜が着いていた。
トオノはヒバナちゃんのローラースケートと同じ要領で自分の高下駄の裏と壁の間に水を挟み、潤滑剤として使い傾斜のついた灰色の壁を滑り落ちていく。
ウォータースライダーに乗っている気分だった。けれど、ここで一つの疑問が浮かぶ。
……あれ、これどうやって止めるの?
トオノのお陰でなんとかバランスは保てているが、速度は逆に上がっている気がした。本物のウォータースライダーならプールに落ちるだけで済むけど、そんな場所が都合よくあるわけがない。
止めるとすれば足で、以外の方法が思いつかない。
「トッーー」
「後は任せんした!」
ガッ! という音と共にトオノが壁を強く蹴る。
二度目の浮遊感。興味本位で首を下に向けてみると、ビルでいえば二階から三階くらいの高さがあった。だが、それでも地面が見えているだけ大分落ちたんだなと妙に冷静な気分になる。
そこからは再びコタローのフィールドスキルで旋風を巻き起こし、トオノの緋色の着物の裾をふわりと持ち上げながら私たちは無事に着地した。風が治まるのを待ってから私はトオノに降ろしてもらうのと同時に、私も腕に抱えていたコタローを地面に降ろす。
「「っっはぁあ~~……」」
地面に足が着いた安堵感で、私とコタローはヘロヘロとその場に座り込んだ。
さすがにトオノは座り込みはしなかったが、乱気流にもまれてぐちゃぐちゃになってしまった髪や着物を整えて始めた。あっという間に元の艶やかな花魁姿に戻ると、私の視線に気づいたトオノは無言で目の前にしゃがこみ、持っていた櫛で私の髪も整えてくれた。
「これでようござんす」
「あ、ありがとう」
施設では年下の女の子の髪を梳いてあげたり髪を結んであげたことはあるけど、この年になって誰かの髪を整えて貰うのは初めてで、ちょっとだけ恥ずかしい。
俯きがちになりつつお礼を言ってから、ちらり、とトオノの顔を盗み見ると白粉と紅でお化粧をした彼女の口元に柔らかい笑みが浮かんでいた。
「で? 一体ここはどこなんだ?」
一足早く落下のショックから立ち直ったコタローの声に釣られて、私たちはコタローのいる方に視線を向けた。私たちはモルスの断崖から一直線まで降りてきたはず。ということは、雲海さえも通り過ぎてしまったのか、空には分厚い灰色の雲が覆いかぶさっていた。しかも、コタローの言ってた気流同士がぶつかり合って、ところどころで青白い稲光が見て取れる。
そこから段々と視線を降ろしていくと、根元から折れた巨大な四角い塔が隣の塔に寄りかかっている。
塔、なんて仰々しく例えたけれど目の前にあるのはごく普通の高層ビルだ。ただし、ここがアルストでなければの話だけれど。
そこに広がっていたのは、紛れもなくビルとビルが屹立するオフィス街だった。
「……嘘……!」
嘘、嘘、嘘っ!?
目の前に見える景色が信じられず、私は何も考えずに走り出した。
違っていて欲しいのに、通り過ぎて行く景色を見れば見るほど違いが分からなくなる。
ここには人の気配がなかった。おおよそ人が生きていけないであろう荒廃した景色が続く。けれど足元から伝わって来る地面の固さが、辺りに転がる瓦礫の残骸が、聳え立つ鉄筋の建物が全て私のいた世界のものにそっくりだった。
それでも、まだどこかに信じられない気持ちを消化することがでできない私は、足がもつれて固いコンクリートの地面に転んでようやく足が止まった。
ハッ、ハッ、と肩で息をしながら震える両手を見れば、ジワリと血が滲んで真っ赤になった手の平があった。そうして遅れてチリチリとする痛みをようやく感じてやっと、今が紛れもない現実だということを自覚した。
「アサヒ!」
「
突然走り出した私を追いかけて来てくれたのだろう。
地面に座り込んで呆然と自分の手のひらを見つめている私の元に二人がたどり着くと、怪我を見咎めたコタローが「うわっ、怪我してんじゃねえか」と私に回復アーツを使うことを勧めてくれる。
コタローのボールを使って緑色の光の粒を浴びながら傷が癒えるのを待っている間、私はずっと黙ったままだった。二人も、そんな私を気遣ってか、何も聞いて来ようとしなかった。
私は深く息を吸って、できるだけ長く吐き出す。
「……急に走り出して、ごめん……。すごく、似てる景色を見たことあったから驚いちゃって……」
「似てる景色ってのは、アサヒのいた世界のことか?」
「…………。うん、私のいた世界もここみたいに、高い建物が沢山建ってるところがいっぱいあるの。私は都会からちょっと離れてるところに住んでたんだけど……」
「そこも、かように荒んでおりんすか?」
「ううん。私がいた時は、もっと綺麗だったしこんなにボロボロじゃなかったよ。でも……同じ世界だったとしても時代が違うとかだったら、わかんない」
私は上に向けた手のひらに向けて、零すようにトオノの言葉につけ加えた。
もしも、あの落下中に気付かないうちに元の世界に戻らされていたとしても、実際は同じ場所、同じ時代に戻されるとは限らないのだ。
「ねえ、私、ここに落ちるまで気絶とかしてなかったよね? 変な光とかに、包まれてなかったよね!?」
「お、落ち着けって。大丈夫だ、アサヒ。俺もトオノもここに来るまで意識はあったし、カラムの遺跡で見たような光は見てない。まだここが、お前のいた世界だとは決まってない!」
コタローにそう断言して貰って、私はもう一度深呼吸をした。
怪我をした箇所の治療はもうちょっとで終わる。それが終わったら、確かめないといけない。
チカチカ、とボールから振り落ちる光の粒子が明滅して、やがて溶けるように役目を終えたエーテルは空気に散っていた。
治療を終えて手の調子を確かめるため、二回三回手を閉じたり開いたりをしてから、私は「よし」と握り拳を胸に押し当てる。
「大丈夫そうか?」
「多分……。とにかく、まずはここを調べないと。レックスたちも一緒に落ちて来たなら、合流しなきゃだし」
正直言うと、雲海の下にこんな場所があるなんて思ってもみなかった。
雲海の下がすべてここと同じなら、その広さはアルストと同じになってしまう。その中で特定の誰かを探すなんて、本当にできるんだろうか。
「――そのことなんだけどよ、レックスたちと合流するなら俺にいい考えがあるぜ」
妙に自信たっぷりな豆柴型ブレイドに私は首を傾げる。
「お前ら、忘れてるな? 俺の特技を!」
2
「こっちだ! こっちからブレイドの気配がする!」
「待って、コタロー。まだここら辺キチンと見れてないから!」
「先ほどとは立場が逆でありんすな」
短い尻尾を左右に振りながらあっちへうろうろ、こっちへうろうろと、せわしなく動き回る豆柴ブレイドの後を私とトオノは追う。
コタローはブレイドの気配を探れるという特技がある。そう言ったのはコタロー自身だった。
私も私でコタローが言ってようやく『そう言われてみれば』と思い出すくらいにあまり使う機会のない特技だった。
確かコタローの特技を最後に発揮したのって、インヴィディアの魂の頂と勇ましの修練場の時だった気がする。少なくともリベラリタス島嶼群でレックスたちと合流してからは、その特技は一度も発揮することもなかった。もしかしたらトオノに至っては初めて知ったのかもしれない。
「あっちこっちからブレイドの気配がするから、あいつらと合流できるのも近いかもしれないぜ!」
とりあえず、こっちだ! と四つの短い脚をせわしなく動かすコタローが100メートルくらい先の角を曲がっていくのを遠く眺めていると、隣にいたトオノがぽつりと呟いた。
「それにしてもあの犬っころに、かような特技がありんしたとは……」
「うん、私もすっかり忘れてた……」
ちなみに、なんで今までその特技が発揮できなかったかと言うと、常時10人以上のブレイドに囲まれていたら気配なんてわかるわけがないだろ。とのこと。
なるほど、納得の理由だった。
というわけで久しぶりに特技を発揮する機会を得てテンションを上げたコタローは、弾丸のようにコンクリートの道路を爆走していく。
多分、私たちが着いて来てないことに気付けば、勝手に戻ってくると思うけど……。
そう考えながらコタローの消えっていった路地を見ること少し。ブレイドの気配を追って突っ走っていたコタローが曲がっていった角からさっきと同じ速度で戻って来る。ようやく私たちが着いて来てないことに気が付いたのか。――と思ったら、違った。
鬼気迫るというか、もはや半泣きの勢いでこっちへ向かって走って来る。
「お前ら! とりあえず逃げろおおおおっっ!!!!」
小さな体から迸る半狂乱の絶叫。その直後。コタローの出てきた路地の地面が突然吹き飛んだ。
地面から巻き上がる粉塵に紛れて、ゆらりと何かが姿を現す。
それは、人の形をしたような何かだった。けれど、確実に人じゃない。
私のいた世界でもこのアルストでも、人の肌の色は様々だった。それでも、あんなふうに焼けてどろどろになった金属が固まって、手だけが異常に肥大化したものを私は人間だとは思えなかった。しかも、その針金のように細い体に対して、両肩に生えた大きすぎるほど青い色した立方体の水晶が人間味を更に薄れさせている。
あれは、モンスターでもない。
「っ――わぁぁああああっ!?」
驚きと恐怖の感情を喉に乗せながら、私とトオノも来た道を全力で走って戻っていく。
コタローはその小柄な体型から、あっという間に私たちの元に辿り着くと、止まる気配もなく先行するように前を走っていった。あの怪物が追いかけて来ているか確かめるまでもない。
ドスドスという足音が後ろから聞こえてくるのを考えれば、多分――絶対追いかけて来てる。
時々ランダムに路地へ飛び込んだりするけれど、意外とスマートなその怪物は、私たちを見失うことなく順調に距離を詰めてきていた。
「なにあれ!? っていうか、ブレイドの気配がするんじゃなかったの!?」
「俺が知るか!! 気配のした方に行ったらあいつがいたんだよ!」
「えっ……!? ちょ、ちょっと待って! それじゃさっきコタローが言ってたあっちこっちにいる気配って……!!」
「おまさんら、今はそんな話をしてる暇はありんせん! 前を見なんし!」
何度目かの路地を曲がった時、どうやらかなり開けた場所に出たらしい。しかしそこは、かなりの高台にあるらしく崩れ落ちた道路が崖のような高低差を生み出していた。まさかの行き止まりに、私たちは足を止める。左右も寸断されていて、逃げ場は前か後ろしかない。
コタローのフィールドスキルで跳ぶにも限度はある。レックスのアンカーみたいなのがあれば、違ったんだろうけど……。
「おい、アサヒ! 底の方見て見ろ!」
「もう、今度はなにぃ……!?」
もうこれ以上のアクシデントはいらないんだけど。と、もはやべそをかく勢いでコタローの言う方向を見て見ると、さっきの怪物と同じ個体が、誰かと戦ってる。
白い髪に長身の体つき。その身長と同じくらいはあるであろう白銀の刀と霧とは違う白い靄は冷気、だろうか。
「あれって……シン?」
「やっぱり、あいつもここに来てたのかよ!?」
私たちを追いかけていた怪物は、まだこちらを諦めていないらしく足音は着実にこちらに近づいて来ていた。そして唯一の活路の先には、私たちの宿敵と言っても過言じゃないイーラの首魁。
前門の虎、後門の狼という言葉をふと思い出した。
虎と狼、どちらがマシか。
私は究極の選択を強いられている。
次話『閉ざされた公道』
ついにやってきました、モルスの地。
正直、本当にここの場所を書く日が来るとは思っていませんでした。
ここまできたら、最終章まで書ききりたい所存。頑張ります。
……ちなみに、コタローの特技を覚えてた人、どれくらいいます?