1
倒れたオフィスビルを抜けた先も、変わらず荒廃した都市が広がっていた。
私たちはまだまだ遠い世界樹の根を目指して黙々と進んでいく。ここは、太陽の光が差し込まないほど深い雲海の底。それでも一定の視界が確保できているのは、ヒカリさんやカグツチさん、ハナちゃん達ブレイドの人以外にも、空に立ち込める曇天と常にどこかしらで光る青白い光のお陰だった。常に雲に覆われているお陰で雷には困らないが、落雷が起きるほどの気圧の変化もないらしい。
コンクリートの崩れた道を迂回して、斜めに傾げたビルを通り抜ける。そんなことを何度か繰り返しているうちにふと時間の感覚が消えていることに気付いた私は、一度止まって荷物の中から懐中時計を取り出す。
頑丈さが取り柄みたいな武骨なその時計の短針は7の文字を示していた。7時なのはわかった。でもこれが、朝か夜かは分からない。
とりあえず時間は確認できたので時計を荷物に戻す。すると、皆が何か聞きたそうにこちらを向いていた。
「あ、え、えっと、7時です。朝か夜かは、わかんないですけど」
「ハナの体内時計は夜の19時を示していますも! みんな、今日も一日お疲れ様ですも~!」
ハナちゃんのねぎらいの言葉に、レックスやヒカリさん達の表情が和らぎ、空気がちょっと穏やかになった。シンも心なしか緊張を解こうとしているのか、ふぅと小さく息を吐く。
こんな非常時でなければ、この時間くらいで休むところを探して準備し始めるんだけど、今はそんな場合じゃないし……。
これからどうする? と、皆に意見を聞こうと口を開こうとしたその時、肘まである青い手袋に包まれたほっそりとした手が上がった。
「この辺りで長めの休憩を取ろうと思うのだけど、どうかしら?」
「え? オレ、まだまだいけるよ?」
「ダメよ、この先何があるのか分からないのよ? アサヒもいるし、シンだって本調子じゃない。それに皆と合流したらあの世界樹を登らなくちゃいけないのよ? その辺、わかって言ってるの?」
「わ、わかったよ。ごめん、ヒカリ。アサヒも」
腰に手を当ててレックスの目を覗き込むようにするヒカリさんに気圧されたのか、レックスは決まりが悪そうに頭を掻きながら私に謝ってきた。こちらに謝られても困ってしまうので私は慌てて首を横に振る。
本当言えばレックスと同じで私もまだ体力は残っている。でもこれが、ランナーズハイみたいな一時的な疲れを感じない状況だと、このまま進んだ時に肝心なところでへばってしまいそうな気がした。
ヒカリさんの気遣いは、とてもありがたい。
弟や妹をたしなめるお姉ちゃんみたいな眼差しでヒカリさんは私たちを一瞥すると、最後に私たちの輪から一歩離れた場所にいたシンに向かって訊ねた。
「あなたも、それでいいわよね?」
「あぁ」
「よし、それじゃあ、満場一致ということで――ご飯にしましょうか」
「やった! こういう時にこそ、体力つけなくちゃね!」
「そう言えば、ここに来るまでお水くらいしか飲んでなかったもんね。私もお腹空いちゃった」
「この辺りは安全なんですも?」
「大丈夫だ。この辺りにゃあ、あのモンスターの気配はねえ。レックスとアサヒは、今のうちにゆっくり休んでおけよ」
「ありがとう、コタロー」
片膝を突いてコタローの頭を撫でていると、すぐ傍で冷え切った空気を感じる。
思わず首を上に向けてしまったのが運の尽きだったのかもしれない。
そこにはじっとヒカリさんを見つめるシンがいた。
シンは一時的に停戦状態であるとはいえ、敵同士。それに今までの道中で口数が多くないことは分かっている。
ちょっと気を抜きすぎたかもしれない。と反省しているとヒカリさんの訝しげな声が聞こえた。
「……………………」
「何よ? 何か言いたそうね」
「……俺の分は必要ない」
二人の足元にいてようやく聞こえるくらいの小さな声で告げられた拒絶の言葉に背筋がヒヤッとした。
動くに動けない私はゆっくりと首を元の位置に戻すと、コタローも頭の上から聞こえて来る声を聞いたからか、それとも私の様子を見て状況を察したのかは分からないけど、頭に私の手を乗せた状態で固まってた。
レックスとハナちゃんのご飯のメニューについて話す声がなんだかやけに遠く聞こえる。
「――アンタの心配は言わなくてもわかる。でも、私だって学習してるんだから」
頭の上から意外と柔らかい……というか、何かを諦めたような声がした後に視界の端で光の粒が弾けた。
そうしてヒカリさんのいた場所に立っていたのは――
「今回のご飯は私が作ります。アサヒ、手伝ってくれますか?」
「えっ!? あ、はい!」
さっきまでの剣呑な雰囲気に呑まれて硬直する私に助け舟を出してくれたのか。ホムラさんに言われて私は勢いよく立ち上がる。久しぶりに起きて動いているホムラさんの背中を追いかけるけれど、その最中、好奇心に駆られてちょっとだけシンのいる方を振り向いてみた。
ヒカリさんとは500年来の知り合いだということらしいその人は、目の前で姿を変えたホムラさんをどう思ったのか、凍てつくような白銀色の瞳を大きく見開いて呆然としていた。そして、その人間らしい反応に私が驚くことになった。
なんだか、一緒に行動するようになってからちょくちょくと、イーラの首魁の色んな表情を見る機会が増えた気がする。
そうして分かったのは、このシンという人は表情はあんまり変わらないように見えるけれど、感情が希薄というわけじゃない。反応しないようにしているだけだ。心の奥には、きちんと感情がある。そしてその抑えきれなかった感情は目に顕れる。
敵対する人のことをあまり深く理解してはいけないのかもしれない。けれど、冷たくて、悲し気で、何を考えているか理解のし難かったシンというイーラの首魁に、そんな当たり前のものがあるということを知ることができて良かった。と思う自分もいた。
私は少し駆け足でホムラさんの横に並んで、そっと話しかける。
「美味しいもの、作りましょうね」
「えぇ、腕によりをかけて」
2
限られた食材と限られた調理器具と限られた時間で出来上がったのは、ミートボールの代わりに肉厚のベーコンを入れたポトフだった。大きく切りそろえられた野菜とは対象的に小さく切られた乾パンのカリカリとした食感。うま味のたっぷり閉じ込められたベーコンの濃い味が溶けだして、胃に入った途端に温かさが身体に染みわたっていく。
「美味い!」
「うふふ。おかわりもありますから、たくさん食べてくださいね」
こんな廃墟に食事をする用の机やいすがあるわけもなく、私たちはお鍋を中心にぐるりと車座になって地べたに直接座っている。
がっつくようにスープを食べるレックスの横で朗らかに笑うホムラさん。そんなほのぼのとしたやりとりを見つつも、私もいつもより早いペースでスプーンを動かし続けた。
スープのメインであるベーコンをすくって口に運ぶと、香辛料と一緒にお肉の味がわっと口に広がる。その分、具の一つ一つが食べごたえがあるので、割とあっさりお腹は一杯になった。お鍋の中の残りも、今レックスがおかわりしたタイミングで空になっている。
体が温まって、お腹も一杯になって、なんとなく手持無沙汰になった私は、首を動かして輪から少し遠くの瓦礫に背中を預けて片膝を立てて座るシンの様子を窺う。
シンの使ってる食器は私の予備だ。今はひと揃えにされて地面に置かれていた。
ここからだと食べてくれなかったのか、いまいちわからなかったので、自分の空になった食器を脇に置いて様子を見に行くことにした。
「あの、お皿……」
「……あぁ」
お皿を下げに来たことを告げると、シンは視線を落として空のお皿に目をやった。お皿の中身は綺麗に無くなっていた。
シンが首を動かした時に揺れた前髪の隙間から、真っ赤なコアクリスタルが視界に入る。
確か、シンはラウラという人の心臓を取り込んで
聞いてみたい。イーラが近くにいるときにだけ鉱石ラジオから聞こえる、この人に向かって謝り続ける女の人の声について。
「あ、あの……!」
「なんだ?」
「その……お、美味しかった……ですか?」
ぽかん、という擬音が似合いそうなシンの表情に、私は心の中で泣いた。
あまりにもいたたまれなくて、シンの反応が返ってくる前に「やっぱ何でもないですごめんなさい!」と一息で告げて、ついでに頭を下げてから地面に置いてあったお皿とスプーンを乱暴に持ち上げると、レックス達のいる輪の方へと駆け出した。その途中、逆にこちらに向かってくるカグツチさんと入れ違いになりながら、失意のため息と一緒にお皿を抱えてしゃがみこむ。
夕ご飯の感想を聞くつもりはなかった。なのに、なぜ私はそんなことを口走ってしまったんだろう。完食してるから、美味しくなかったわけじゃないって分かるのに……!
なんだなんだとこちらを窺うレックスの視線を感じた。しかし、それに反応する気力もなくてへろへろと二人分のお皿を抱えて皿洗いに移行する。
水筒のお水を浸かって二人分の食器を洗え終えたそんな時だった。トントンと肩を軽く叩かれて振り返ると、心配げなホムラさんの赤い瞳が私を覗き込まれた。
「アサヒ、ヒカリちゃんがお話ししたいそうなんですけど……」
「あっ、ちょうどよかった。私もヒカリさんに聞きたいことがあったんです」
ちょうどお皿洗いも終わったので私がそう返すと、ホムラさんは一瞬驚いたような顔をした。しかし、おもむろに目を伏せてからまた光の粒が弾けて、次は太陽の光みたいな明るい黄色の瞳と目が合った。
「それで? 私に聞きたいことって?」
「えっと、ヒカリさんこそ。私に話したいことってなんですか?」
「私のは後でいいわ。多分、長くなるだろうし」
そう言われてしまうと、何も言えない。
ヒカリさん越しにレックスとシンのいるところを覗き見すれば、レックスはコタローと、シンはなぜかカグツチさんとハナちゃんと話しているようだった。
聞くなら今しかない。
つま先立ちで内緒話をするときのように口元に寄せた両手で筒の形を作ると、私よりちょっと背の高いヒカリさんは黙って耳を近づけてくれた。
「……あの、ラウラって人のことなんですけど」
「ラウラ? なんでアサヒがラウラのことを――」
「単刀直入に聞きます。ラウラさんって
「………………。当てずっぽうって訳でもなさそうね。でも、どうしてそんなことを聞くの?」
「それは……ちょっと、気になることがあって……」
私は苦し紛れにそう誤魔化した。
本当はもっと核心を突くようなこと――例えばシンとラウラさんの関係も聞けたはずなのに、私はそこで質問を止めてしまった。
今ここで、鉱石ラジオをヒカリさんに聞かせることもできたのに、それをわざとしなかったのはきっと、あの鉱石ラジオから聞こえる声がラウラという人であればいいと思ってるんだ。
それがどういう意味かは分かっている。もしあの声がラウラさん本人だった場合、その人は既に死んでいるということも。
「……言いたくないなら、深くは聞かないわ。その代わり答えて。その気になることって、アサヒの持ってる
「えっ……!?」
「やっぱり……。私もそれについて聞こうと思ってたのよ」
ちょっとそれ貸して。と、鎖骨辺りを指さされ、私は首に提げていた認識票を皮ひもから抜き取ってヒカリさんに手渡した。こちらの世界に来たばかりのころは銀膜に覆われて不思議な単語が刻まれた認識票だったけど、いまではそれも全部剥がれ、ヒカリさん達のコアと同じ色の地金がほのかに光りを放っていた。
ぱっと、目の前で再び光の粒が踊る。
そのまばゆさに一瞬目が眩んで視界を取り戻した頃には、目の前にいたのはヒカリさんではなく、先ほど私が名前を付けてしまったアカリさんが微笑んでいた。
「あの時は拒絶されてしまったけれど、今の私ならきっと――」
あの時、というのはもしかしてアーケディアでヒカリさんが認識票を読み取ろうとしたときの話だろうか。
前とは違って、アカリさんは両手で優しく認識票を包み込み、胸に――ちょうどコアのある辺りに押し付けるような形でそっと目を閉じた。
それは奇しくも、私がブレイドと同調する時の方法とちょっとだけ似ていた。
ふわりと、アカリさんの指の隙間から淡い翠の光が応じるように漏れ出す。それは二度三度、ゆっくりと明るさを強めたり弱めたりして、やがてその人の目がそっと開いた。
「やっぱり、そうだったのね……」
「え、えっと……?」
一人で納得したように頷かれても、私は天の聖杯であるアカリさんのドライバーじゃないので気持ちが伝わってきたりはしない。とりあえず首を傾げて説明を求めてみると、彼女は何かを言いかけて口を開こうとして、また何かを考えるように黙り込んでしまった。
そうして、少し。彼女は真剣な眼差しで私に問いかけた。
「ねぇ、アサヒ。あなたは真実を知る勇気はある?」
「勇気、ですか?」
「えぇ。恐らくこれは、あなたにとって、知りたくないものかもしれない。あなたが望まないと言うなら、私はこのことを絶対に誰にも――もちろん、レックスにも言わないわ」
「そ、そんなことを突然言われても……。アカリさんの口から教えてもらうことはできないんですか?」
「そうしてあげたいけれど、これについては
辛そうに目を伏せるアカリさんに、私はそれ以上何も言えなかった。
アカリさんにそんな顔をさせるのも忍びなかったけれど、それ以上に混乱の方が勝っていた。
自分に関わる真実を、突然知る勇気はあるかと聞かれて「はい、あります。教えてください」と言える人はあまりいないだろう。一方で、その真実を知りたいと言う気持ちも確かにあった。
メツの言っていた「正真正銘の楽園の子」という単語も気になる。もしも、その真実が私がこの世界にきたことと何か関係があるのなら――。
「………………………………」
「……ごめんなさい。唐突だったわよね」
「う……、はい。ちょっと……」
「無理もないわ。ちょっとの間なら待つこともできるから、その間にどうするか決めてくれる?」
「それって……いつまでですか?」
尋ねれば、アカリさんはレックスとおそろいの近未来的な鎧から伸びるほっそりとした指先を空に向けた。視線でその先を辿れば、遥か先に聳える世界樹の根をその人は指さしていた。
「あそこ。世界樹の根元に辿り着くまで。――そうじゃないと、上に行ってしまったらもう、見せてあげられないかもしれないから……」
どういう意味かも問えないまま、私は世界樹から目を逸らすことができなかった。
遥か先だけれど明確に見えるリミットを、コタローが心配そうに声をかけてくるまでずっと。
次話『崩落した道路(夜)』
今回は認識票メインのお話しでした。
次回は鉱石ラジオのお話しです。
こうして見ると、レックスの方に料理上手が揃ってしまったなと。