楽園の子   作:青葉らいの

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7章 同胞(はらから)
80『軌道ステーション・ラダマンティス 第一病棟』


 

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 産婦人科というのは、誰しもが一度はお世話になっているはずなのに、世間一般では未知の領域に思われているらしい。それは焦土と化した地球の軌道上に打ち上げた宇宙ステーションに住もうとも変わらない認識だった。

 清潔さを演出するために、装飾という装飾を省いた結果、四方全てを白くした壁に包まれた部屋。そこで、アメリア・メイヤーズは壁と同色のベッドに上半身を起き上がらせ座っていた。

 隣にある保育器を覗き込めばアクリルの透明な蓋越しに、生まれたばかりの自分の娘が眠っている。

 よく眠る子だ。と、母親であるアメリアは愛しい娘を起こさないようにそっと微笑むと、身体をベッドに戻して保育器とは逆方向にあるサイドテーブルに手を伸ばす。

 この部屋の中の数少ない家具であるクリーム色の木目の付いた天板の上にある長細いリモコンを掴むと、彼女は何もない壁に向けて電源のボタンを押す。すると、部屋を囲っていた一面の白い壁に突然大海原と入道雲の昇る青い空が映し出された。

 プロジェクションマッピング。四方の壁を映画のスクリーンの代わりのように使うことで、入院患者の好きな景色を映し出す。この時代ではありふれた技術だった。

 アメリアは大海原から青々とした高原、鮮やかな花畑や満天の星で埋め尽くされた空など、いくつか景色を切り替え、やがて夕焼けの下で赤、ピンク、白やオレンジの花びらを付けた葉や茎が細く繊細な花々が風に揺れる花畑の映像で手を止めた。

 映像に合わせエアコンの通風口から涼しい風と人工的に調合された外の香りが部屋の中に吹き込む。壁に埋め込まれたスピーカーからは風のそよぐ環境音が聞こえ始めた。

 

「………………」

 

 風で、自分の髪が揺らされたのをきっかけに、彼女はサイドテーブルの引き出し部分を開けて紺色のシュシュを手に取ると、髪を片方の肩の近くで緩く結んだ。その際、自分の愛用の眼鏡ケースも見つけ、中に入っていた細いフレームの眼鏡をかける。クリアになった世界を見渡せば、出入り口に備え付けられた外の様子を報せるランプが来客を告げる色を示していた。

 

「どうぞ」

 

 この個室では患者の声紋が鍵替わりになっている。

 炭酸の入ったボトルから空気が抜けるような短い音をさせながら扉が開く。

 訪問者は部屋の中を見た途端、思わずといった様子でたじろいだ。その拍子に、男性にしては長い褪せた金色の毛先が顎の近くで揺れる。

 年のころは20代半ば。下ろしたばかりとわかる糊のきいたシャツとズボン。それらとは対照的に着古した白衣を羽織った服装をした青年に向けてアメリアは苦笑いを溢した。

 生まれたばかりで免疫力の乏しい赤子に不衛生な恰好では会わせられないと、誰かに入れ知恵をされたのがバレバレだった。

 

「そんなところで立ってないで、入っておいでよ」

 

 声をかけても、来訪者は廊下と病室の敷居の手前でじっと床に向けて目を凝らしている。

 この光景に何か思うことでもあるのか。と、アメリアはサイドテーブルに手を伸ばしてリモコンで景色を切り替えた。次に映し出されたのは、何の変哲もない木目調の床と薄青の壁紙に立体感のない観葉植物の描かれた室内の映像だった。

 そうしてようやく、彼は仕切りをまたいでアメリアのベッドの付近まで歩み寄った。

 

「……お久しぶりです、先輩。この度は、ご出産おめでとうございます」

「ありがとう。正直、君がお祝いに来てくれるとは思ってなかったよ。――クラウス」

 

 クラウスと呼ばれた白衣を纏う青年は、居住まいが悪そうにアメリアの視線から逃げるように再び視線を床に向けた。

 

 

 

 

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「ガラテアは、どうしても外せない用事があるって、他の研究員も、忙しそうで……。それで、仕方がないので、僕が代わりに――」

 

 これ、お祝いです。と、クラウスがぞんざいな手つきで渡したのは今時珍しい籐で編まれた籠だ。その中には瑞々しい様々な種類フルーツ達が胸を張るように飾られていた。

 そうしてもう一つ。こちらはカラフルな包装紙に包まれ、ピンクのリボンの結ばれたティッシュ箱ほどの大きさのプレゼントだった。フルーツ籠の時とは違い、両手で丁寧に渡されたそれはクラウスが用意したものではないことを明確に示していた。恐らく先ほど話題に上がったガラテアからだろう。

 

「それじゃ、僕はこれで」

 用は済んだとばかりにそそくさと出て行こうとするクラウスの背中に向かって、アメリアは慌てて呼び止めた。

「待ってよ。せめて、娘と会っていってくれない? ガラテアもきっと、聞きたがると思うし」

「………………」

 

 クラウスはアメリアに背を向けた状態で立ち止まり、逡巡している素振りを見せた。あれは恐らく、脳内でガラテアに差し向けられる言葉をシュミレートしている。その状態で一分が経ち二分が経ち、結果アメリアの言葉に軍配が上がったのか、小さくため息を吐いた彼は無言で保育器のある方に歩み寄った。

 保育器を覗き込むクラウスの様子はまさに恐る恐るといった感じだった。まるで爆発物でもその中にあるように。しかし、その中におさまっている小さな体を見れば、ゆっくりと強張った肩の力を抜いたのがアメリアの目でもわかった。

 

「小さい……」

「君も、生まれたばかりのころはこうだったんだよ?」

「あの、触ってもいいですか?」

「いいよ。寝てるからそっとね」

 

 好奇心を刺激されたらしいクラウスは静かに首を縦に振った。

 一言断りを入れて、身を乗り出したアメリアが保育器を操作する。微かな機械音を立てながら、埃やウィルスから子供を守るための透明な蓋が取り払われる。

 貴重な研究材料を扱う以上に慎重なクラウスの指先が、赤ん坊の小さすぎる手のひらと触れ合った。

 

「うわっ!」

 

 小さく驚きの声を上げたのはクラウスの方だった。

 保育器に入った赤ん坊が、彼の指先を握ったのだ。これはよくある子供の反射動作なのだが、今日この日まで赤ん坊と触れ合ったことのないクラウスには未知の体験なのだろう。

 大した力でもないはずなのに、クラウスは娘に指を握られたことで体を硬直させている。

 このラダマンティスの研究所で教授(プロフェッサー)に任命され、エリート街道を直進している彼のこんな姿を他の研究員がみたらどう思うだろうか。想像したアメリアは、小さく笑い声を漏らした。

 

「あの……。この子の名前は決まってるんですか?」

「うん、フィリアっていうのよ」

「フィリア――。もしかして、ソフィアに合わせて?」

「あはは。やっぱり、君にはバレちゃうか」

 

 肩を竦めたアメリアは、悪戯がばれた子供のようにちらりとクラウスの様子を窺った。

 そこに浮かんでた感情は怒りとも失望とも違う『困惑』の表情だった。なぜ、クラウスがそんな顔をするのか。アメリアにはわからない。しかし、言葉を選んでいる間に研究者の顔に戻った後輩はフィリアを一瞥すると再びアメリアに顔を向けこう尋ねた。

 

「なんで先輩は産もうと思ったんですか」

「子供を身ごもったら産むっていうのは、そんなにおかしいことかな」

「違いますけど……。でも、むしろなんで今なんですか? 新生児は移民船には乗れないなんてことは、先輩でも知ってますよね?」

 

 本人にその気はないようだが、咎めるような口調に今度はアメリアが視線を床に向ける番だった。

 

「これから、この戦争はさらに激しくなります。もう、自分たちがどこの誰と戦っているのか、本当の敵は誰かなんてわかっちゃいない。一般人は民間企業や国が用意した移民船に乗って地球に代わる新たな星を探すとか息巻いてます。今ここを離れないのは、僕たちみたいな研究員や戦争に加担してる人間と、病気やケガで動かせない病人や老人、あとは――」

「新生児とその親、でしょう?」

 

 クラウスの続く言葉をアメリアが引き継げば、彼はぐっと口元を強張らせた。

 そこまで分かっているならどうして。

 彼が必死になって抑えようとする声言葉が、アメリアには手に取るようにわかった。

 わかっているからこそ、アメリアはその返答を困ったように微笑むだけに留める。

 クラウスを納得させられるような理由をアメリアは持っていなかった。

 

「先輩、もうひとつ聞いてもいいですか……?」

「もちろん。なんでも聞いて」

 

 質問と回答は相互理解の一歩だ。まだ彼がステーションにある大学に通っていた時には、3つ年上のアメリアが研究に行き詰まるクラウス達の相談によく乗っていたのを懐かしむ。

 あの頃は同期のガラテアと共に人工知能の未来と発展について議論を深めていた。しかし、それもアメリアが卒業するまでの短い時間だけだった。

 あの頃に戻ったみたいだ。とはお世辞にも言えない。3年の時間を経て成長したクラウスは、もはや誰に質問をしなくとも全てを察し、全てを見通す知恵を身に着けていた。

 そんな彼がいまさら何を聞くのか。静かに身構えるアメリアにクラウスはじれったいほどの間を空けて、口にした。

 

「親になる感覚って、どんなものなんですか?」

 

 予想外の問いかけに、アメリアは自分の目が丸くなる感覚を覚えた。

 純粋に自分の後輩がどんなことを聞きたいかが彼女には理解ができなかったからだ。

 

「? どんなって?」

「例えば全能感、とか――」

「まるで、神様にでもなったような?」

 

 その一歩踏み込んだ問いかけに、クラウスは虚を突かれたように息を詰まらせた。

 彼が今、何を為そうとしているかは風の噂で耳にした程度だったが、この反応を見る限り信憑性は高そうだ。

 なら、止められるとすれば今が最後かもしれない。とアメリアは声に芯を持たせるために深く息を吸った。

 

「私たちは、どんな偉業を成し遂げたところで神にはなれない。ただの人間なんだよ、クラウス」

「確かに、僕たちは人間です。けれど、他の――誰かの神には、なれるかもしれない」

「なれないよ。君のやろうとしていることは、人間に火を与えた神と同じだよ」

 

 洞窟の中で寒さに震える人間に、神の世界から盗んだ火を人間に与え文明を築く力を与えた古の神は、その不老不死の力を逆手に取られ、山に鎖で繋がれ大鷲に内臓を貪り食われ続けるという永遠の責め苦を与えられた。

 優しく、諭すような言い方が逆にクラウスの逆鱗に触れたのか、ギリッという奥歯を噛みしめる音が静かな病室に響いた。嫌気の差したような濁った瞳でクラウスはアメリアの目を射抜く。

 

「僕なら――いや、僕たちなら、もっとうまくやれます……!」

「クラウス……」

「ゲートさえ正しく運用できれば、こんなくだらない戦争もすぐに終わらせられます。そうして僕たちは、新たなステージに行けるんです……!」

「クラウス。あなたの言ってるゲートはただの――」

「あなたもっ!」

「っ!」

「あなたもガラテアや、他の研究員と同じことを言うのか……! あれはただのマルチバースジョイントだと。人は神には、なれはしないのだと……!!」

 

 激昂するクラウスに、アメリアは言葉を失っていた。

 彼女の胸を支配するのは驚きと困惑、そして後悔だった。信奉を通り抜けた傾倒や心酔の域にも達する思想に、なぜこんなになるまで気付いてやれなかったのか。自分の不甲斐なさに今度はアメリアが唇を噛みしめる番だった。

 個室に広がる硬直状態の張り詰めた空気を打ち破ったのは、赤ん坊の泣き声だった。

 ここにいるのはアメリアとクラウスだけではない。己の存在を精一杯響かせるその声は、そんなことさえも忘れてしまっている大人を一瞬で正気にさせた。

 アメリアは身を乗り出し、保育器に入っているフィリアを抱き上げ、左右に優しく揺らす。その間にクラウスは、怖気づいたように保育器からあとじさった。

 

「あなただけは……。あなただけは、理解してくれると思っていました。なのに……!」

 

 白衣の裾を翻したクラウスは、ここが病院であることさえ頭にないのか走って部屋から出ようとした。しかし、彼は不意に個室と廊下を繋ぐ敷居の間で立ち止まると、なかなか泣き止まない娘に格闘するアメリアへと首だけ動かして吐き捨てるように告げた。

 

「僕が、こんな戦争を終わらせて、その子と一緒に暮らせる世界を作ってあげますよ。先輩」

「待って……! 待ちなさい! クラウスっ!!」

 

 静止の言葉虚しく、クラウスの足音は遠ざかっていく。

 部屋の中には火がついたような自分の娘の泣く声が響き、その声を察知したスピーカーが自動で赤子に心地いいとされる周波数の音楽を流し始めた。子供をあやすことさえ機械任せにせざるを得ないアメリアは、しばらくクラウスの出て行った扉を呆然と見つめていた。

 そんな折、彼女のいる病室に足音が近づいてくる。騒ぎを聞きつけた医者か看護師かと彼女は勘ぐったが、開けっ放しにしていた扉から顔を出したのは、アメリアの所属していた彼女の研究仲間の一人だった。

 

「なんか、さっきものすごい勢いで走ってきたクラウスとすれ違いましたけど、どうかしたんですか?」

 

 眼鏡をかけた凡庸な顔立ちの同僚を見て、アメリアは事情を説明するよりも先に気が付けば口を衝いていた。

 

「手伝って」

「何をです?」

 

 僚は聞いた。『なぜ』ではなく『何を』と。理由ではなく、アメリアの指示を聞いてくれた。

 まるで悪戯に付き合ってくれる友人のように、瞳の中にほんの少しの好奇心を輝かせて。

 そんなことがいちいち嬉しかった。しかし、彼女は浮かびそうになる笑みを押し殺し、母親の顔から研究者の顔へと表情を変えて言う。

 

「まずは適当なアクセサリーに模したソフィアのコアの一部を用意して、ソフィアたちのバックアップデータをその中に。それからソフィアの(デバイス)と相互に情報を共有できるようにシステムを構築。それを全部、あちらにばれないようにやれる?」

「やってみますよ。僕からの出産祝いです」

 

 そうして一度きっかけが生まれれば、その後のアイデアは濁流のように二人の頭の中にあふれ出した。

 出産祝いという形で認識票(ドッグタグ)をフィリアに渡すこと。

 認識票(ドッグタグ)の文字をこの世界のどこにもないものにして、解析の時間を遅らせること。

 必要なことを必要なだけ全て。たった一つの抜け漏れもないように。

 二人の研究員は長い間言葉を交わし、やがて慌ただしく個室から出ていく同僚の後ろ姿を見送ったアメリアは、自分の左腕がしびれていることにようやく気が付いた。自分の娘に託す物について夢中になり過ぎたせいで、フィリアを抱えていた腕の血流が悪くなっていたらしい。

 泣き疲れたのか、腕の中にいる娘は静かに眠っている。

 数分前までの部屋を支配していた熱気が途端に冷め、部屋の中には赤子に安心感を与える音楽が、アメリアの耳にもやっと届く。

 アメリアは、サイドテーブルの端に置かれていたリモコンを手にすると再びクラウスが来る前に映していた景色を壁と床一面に映し出す。

 夕暮れに照らされた地球ではコスモスと呼ばれる花が咲き乱れる。

 彼がこの光景に怯えた理由はもしかしたら、この景色が彼の言っていた移民船に乗れなかった人々の行く先と似ていたからかもしれない。と、彼女は今更ながらに思い至った。

 

 

 

「転がり始めた岩は、勢いがついてしまったら誰にも止めることはできない。坂を転がりきるか、それと同程度の力を持って対消滅をさせるしかない。なら、何が起きてもリカバリーができるように準備をしておくのが賢明というものでしょう。下種の後知恵と言われようが、なんだろうが――ね」

 

 

 その静かな決意を聞き届ける存在は、母親の腕の中で幸せそうに眠っている。

 

 

 




次話『世界樹 第七外郭エアポート』
大変お待たせ致しました。
そして誤字脱字報告ありがとうございます。すべて適用させていただいています。

9章の時点で入ってきたマルベーニの過去話を丸々こちらの方に差し替えたかった結果、76話の前半ができ上がりました。
認識票(ドッグタグ)に刻まれた文字の理由が書けてちょっと満足しています
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