1
『お客様各位
いつも宿屋ジャルカマロをご利用いただきありがとうございます。
誠に勝手ながら、本日の露天は機器メンテナンスのため20時で終了させていただいております。
明日は女性は朝7時より、男性は朝8時より、利用可能となりますので、宿泊をされている皆様には誠にご迷惑をお掛けいたしますがご了承いただきますようお願いいたします。
宿屋ジャルカマロ店主』
「……あちゃー」
夕飯も終わって一息ついた21時。
本来であれば女湯の時間であるはずの宿屋の脱衣所にはそんな立札が行く手を阻んでいた。
解放的な露天風呂はお湯も抜かれていて、濡れた石畳の床が見えるだけだ。お風呂セットを抱えた私は、トオノと並び立って、どうしよう? と長身の花魁ブレイドを見上げた。
紅を引いた瞼の奥にある黒々とした瞳が、無感情に投げ返され私は逃げるように読めない看板にもう一度向き直った。
「ごめんね、トオノ。今日、お風呂早く終わっちゃう日だったみたいだね」
「主様のせいじゃありんせん。それに、わっちはブレイド故、代謝は人間より抑えられんす」
「そうなの? 便利なんだね」
「それはともかく、問題は主様でありんす。若い女子が汗を流せないというのは由々しき事態でありんしょう?」
「でもこればっかりはなぁ……。しょうがないから部屋で汗だけタオルで拭いて、明日朝一で入ることにするよ」
「主様がよろしければ、わっちもそれで――」
「あれ? アサヒとトオノやん! なんや、二人もお風呂入り来たん?」
その声に同時に振り向いた私たちは、お風呂セットを抱えて準備万端なサイカさんと出くわした。
サイカさんは脱衣所で服も脱がずに立ち話をしている私たちを不思議そうに見つめて来る。
「残念ながら、お風呂は入りささんすえ」
「温泉のメンテナンスらしくて、20時で終わっちゃったみたいで……」
「なんやて!? ほんま!?」
本当であることを証明するために、体をずらしてサイカさんに立札を自分で読んでもらう。すると、サイカさんは立札に縋りつくように文字を読んで、内容を理解すると膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……! 今日は一日中遠征で汗だくになって、このお風呂だけが一日の楽しみやったのに……!」
その絶望っぷりにあたりが暗くなって、サイカさんにスポットライトが当たっているような幻覚さえ見えてくる。それでも、その先にたっぷりとしたお湯は無く、ただただ無機質な石肌が覗くだけだ。
水風呂でよければワンチャン、トオノでどうにかなるけれど日の落ちたスペルビアは砂漠と同じようにかなり冷える。水風呂なんて入った日には風邪をひくこと間違いなしだ。
どうやって絶望に沈むサイカさんを慰めようかと思案していると、隣にいたトオノが膝を着いてサイカさんの肩に手を置いた。
おぉ、優し――
「諦めなさんし。どんなにわめいたところでお湯は出てきんせん」
――くなかった。むしろ止めを刺していた。
お風呂に入れなかったことのショックと、トオノに止めを刺されたことで幼児退行してしまったサイカさんが、「おおおおーん! おおおおおおーーん!」と野生動物かと思う泣き声を上げて私の胸に飛び込んできた。
縋りつく相手を立札から私にチェンジしたサイカさんの頭を控えめに撫でると、トオノが不服そうに鼻を鳴らす。諫めるようにトオノを見つめると、私よりも何倍も年上に見えるトオノは小さい子がするように、すいっと目を逸らした。全くもう……。
お湯の張ってないお風呂に、幼児退行してしまったサイカさんと、それに抱き着かれて身動きの取れない私に、助ける素振りのない花魁ブレイドという、なんかもうあまり他人様にはお見せできない状態にため息が出て来る。いっそ、お湯はこちらで張るのでお風呂場だけ解放してくださいと、宿の人に頼んだ方がいいような気がしてきた、その時だった。
「お前たち、何をそんなに騒いでいるんだ?」
「他の宿泊客の迷惑になるでしょう? 弁えなさい」
「メレフぅ~! カグツチぃ~!!」
よし、サイカさんの寄生先がメレフさんに移った。と、自由になったことに密かにガッツポーズをした私に、さっきの私と同じように動きを封じられたメレフさんが困ったようにこちらに視線を向けた。
温泉のメンテナンスでお風呂が終わっているというのと、サイカさんがどうしてもお風呂に入りたい、と言うことを手短に話すと、それを聞いたメレフさんとカグツチさんもお互いに顔を見合わせた。
あれ、呆れるかと思ったのにな。
「実は私たちも先ほどまで皇宮で用事を済ませていて、今戻ったのよ」
「明日は午前中に面会もある。ギリギリまで準備に当てるつもりだったから、朝にあまり時間は取られたくないのだがな……」
なるほど。メレフさん達も今日中にお風呂に入れないと困る理由があるらしい。
「……やっぱり、トオノとカグツチさんでお湯作って無理やりにでも入っちゃいます?」
「なにがやっぱりなのかは分からないが、こうして湯を抜いている以上、水質のメンテナンスなどもあるのだろう。翌日の営業に響いても困る」
「ですよね」
私はダメ元で言ったんだけど、サイカさんは下手に代替案が出たことで余計にお風呂に入りたい欲が強まってしまったらしい。
サイカさんが何なら今からノポン族の秘湯に行こう! と言ってたけど、さすがにそれは駄目だろう。
ノポン族の秘湯はここから大分遠いし、日も落ちてる。それになんと言ってもモンスターがいる場所を通らなくてはいけない。私とメレフさんはともかく、お風呂に入るだけの理由でジークさんが着いて来てくれるとも、あんまり思えなかった。
「……仕方がないか、カグツチ」
「はい。メレフ様」
「今から一時間後に皇宮に戻るから、風呂の準備をしてくれと城の者たちに伝えてくれるか?」
「かしこまりました」
恭しくお辞儀をしたカグツチさんは、そのまま青いドレスを翻して脱衣所から出て行った。
そこでようやくお風呂という単語を聞いて鼻を鳴らしてぐずっていたサイカさんが顔を上げる。
「お風呂、入れるん?」
「私も、今日中に入れなければ困る。しかし今回だけだからな」
さすがに旅の仲間と言えど、皇宮のしかも王族も利用する居住スペースに何度も他国の人間を入れる訳にはいかないのだろう。そうなると、これはスペルビアの皇宮のお風呂に入れる一生に一度の機会かもしれない。めったにない機会だけど――となれば、一人誘わなければいけない人がいる。
「あの……」
「ん? どうした、アサヒ」
「もし一緒に行きたいっていう人がいたら、連れてきてもいいですか?」
「この人数だ。いまさら一人や二人増えても問題はないが……。誰だ?」
「私たちの中でも無類のお風呂好きで、多分、誘わなかったら拗ねちゃいそうな、あの人ですよ」
2
ぼんっきゅっぼーん。という擬音が聞こえてきそうなタオル一枚の天の聖杯ことヒカリさんは、目の前の光景に喉を鳴らした。たっぷりと張られた白く濁ったお湯、辺りを包む暖かくも湿った湯煙は想定の範囲内。その人が圧倒された理由は恐らくそこじゃない。
皇宮ハーダシャル。
皇帝陛下も利用するというその大浴場は、皇室御用達と言うだけあってロイヤリティ溢れた造りになっていた。白が基調の壁と床に、ガラス張りの天井。所々に金色の装飾の柱が高級感を演出している。
中世の貴族のお風呂ってこんな感じなのかな。と想像できる内装に一足遅れて入った私はぼんやりと考える。
メレフさんにヒカリさんを誘う許可をもらった後、レックスの部屋に行ってホムラさん越しにお風呂に誘ったところ、ヒカリさんは一にも二にもなくお風呂と言う単語に飛びついてきた。一緒にニアちゃんとハナちゃんも誘おうとしたんだけど、ハナちゃんはトラにメンテナンスされているらしく、会えず仕舞い。ニアちゃんは、もうお風呂に入ってしまっていたので今回はパスとなった。ニアちゃんに声をかけた時、一瞬嬉しそうな顔をしてくれたんだけど、胸の辺りを押さえて引っ込んじゃったんだよね。
どうしたんだろう、とその時は思ったんだけど今ならニアちゃんの気持ちが分かる。
みんな、おっきい。何がとは言わないけど……大きい……。
自分だけ起伏の少ないそこに手を当てて、余りの起伏のなさにちょっとへこんだ。
「主様? いかがしんした?」
「なんでもない……」
目を合わせられない私にトオノの不思議そうな視線が注がれる。なんだかんだ言ってトオノは私のことをよく見てくれているので、すぐに妖しく目を光らせた。
弄られそうな気配を察知し、すぐさま逃亡を開始する。
10人ぐらいがまとめて入ってもまだ余裕のありそうな湯船を横目に移動すると、ここに招待してくれた恩人であるメレフさん達が体を洗ってるところだった。気になったのは、メレフさんの足元にある大量のボディケア用品だ。
「こちらは巨神獣油で作られた自然由来のシャンプーです。傷んだ髪を修復して艶やかさを取り戻してくれるそうですよ」
メレフさんはされるがままだった。いつもキリッとしている眼差しが今は死んでいる。なんかもう、どうにでもしてくれと言うサインが迸っていた。一方で、大量のボディケア用品に興味津々なのはヒカリさんとサイカさん達だ。楽しそうにきゃいきゃい手に取りながらカグツチさんに使ってもいいか交渉中だ。
私はあまりそういうのは興味がないので、お風呂場に備え付けられている物を手に取る――と、背中から気配を感じた。思わず肩が跳ね上がる。
「ひぃっ……!?」
「なに、いい子ちゃんしようとしとるんや~?」
「あんたにはいろいろと実験台になってもらうんだから、覚悟しなさいよね……!」
「そういうことなら、わっちも混ぜてくれなんし」
目を爛々とさせ、様々なボディソープやらアロマやらを抱えた美容モンスターたちが襲い掛かる。ちゃっかりトオノまで便乗してきていたので、お風呂から上がったらちょっと怒ろうそうしよう。
そうして私は、先ほどのメレフさんのように体からどうにでもしてくれサインを迸らせ、哀れ尊い犠牲となった。しばらくはモイスチャーもデトックスもフローラルの単語も聞きたくない。
「……はぁ」
湯船に身を沈めた右腕を持ち上げる。乳白色のお湯が素肌を滑って流れ左右に小さな滝を作る。
一通りのボディケア用品を私で試したヒカリさん達は、今、その尊い犠牲の上で餞別したシャンプーや石鹸で体を洗っている。一足早く解放された私は、湯船の中で鼻歌を歌いながら体を洗うヒカリさん達を観察していた。珠のような肌ってああいうのを言うんだろうな。と遠い目で考えているとメレフさんが波を作りながら私の隣にやってきた。
「大丈夫か?」
「左右の手足と顔と体と髪から別の匂いがする以外は大丈夫です……」
「最終的にはカグツチまで参加していて、すまなかったな」
「メレフさんこそ。あれ、毎回ですか?」
「まぁ、同性のドライバーとブレイドであれば、必然的に――な」
「カグツチさんの趣味もあると思いますけどね……」
肩までお湯に浸かって、大きく息を吐くとメレフさんがこちらに向かって微笑んでいた。
上気した頬が湯煙の中で鮮やかに浮かび上がり、私と同じくらいの髪は炭のように黒々としていて、反射した光が綺麗な輪を描いていた。
「仲間同士の裸のスキンシップか……」
「え?」
「以前トラが言っていたんだ。仲間同士の裸のスキンシップに憧れていたと。私が初めてトラに……いや、意図的に隠していたわけではないんだが、自分の性別を告げた時だ」
「あぁ、ありましたねぇ」
あの時は人づてにしか聞いてないけど、いきなり「メレフは実は女だったんだも!」と当たり前の事実を仲間内に言いふらしたトラが、それを知るに至った経緯やらなんやらをカグツチさんに詰め寄られていたらしい。
「あの時は、トラの言っていた意味が良く分からなかったが……」
メレフさんと一緒に見上げた先の天井は真っ白な石造りだけど、その先にはきっと綺麗な満月が昇っていることだろう。
「なるほど。トラの言う通り、確かにこれは、良いものだな」
次は、みんなで月を見ながらお風呂に入れるといいなと思って、私はメレフさんの隣で小さく頷いた。
「ですね」
温泉回のリクエストありがとうございました!
皇宮には温泉が引かれてるって信じてる。