1
トンテントンと、太鼓の音とリコーダーのような笛が不思議な音色を奏でている。
夜の湿った匂いに交じってお肉と香辛料のスパイシーな匂いと甘い果物の匂いが混じって私を誘惑した。
そして、色とりどりの紐に吊らされた丸いランプから漏れるオレンジの光に行き交うたくさんの人、人、人。
「……ここ、どこ?」
私はひしめき合う人の邪魔になっていることにも気付かず、呆然と立ち尽くしていた。
両手は空っぽ。服も着の身着のまま、いつものライトグレーのチュニックワンピースと七分丈のレギンス、学校指定の革靴に腰のポーチに入った応急セットだけ。いつもの肩掛け鞄は泊まっていた宿に置いたままだ。
そもそも、私はさっきまで宿にいたはずなのに、いつ外に出たのかさえも覚えていなかった。
「こ、コタロー。トオノ?」
いつもならすぐに返事があるはずなのに、今は私の声に応えてくれる人はいなかった。それどころか、道の真ん中に立っているから歩いている人たちに邪魔そうな顔をされる。誰かとぶつかってしまう前に、私は人混みからなんとか離れて道の端っこに避けた。
たった数メートルの移動のはずなのに、たったそれだけですごく疲れた気がした。気を抜いたら、座り込んでしまいそうで、膝に手を着いてぐっと堪える。こんな異様な状況だからか、口の中が苦くて酸っぱい味が広がっていく。吐かないように口にギュッと力を入れて、恐る恐る顔を上げると、やっぱり見覚えのない景色が広がっていた。それを理解すると同時に景色がぐわんと歪んだように見えた。
ここは、アヴァリティアでもグーラでもなければ私の元いた世界でもない。全くの未知の土地に、私はまた連れてこられた。また、最初から。また、独りぼっち……。
「なぁ……。なぁ、おいってば!」
「っ!?」
至近距離から声がして、私は思わず体を硬直させた。
錆びついた金属みたいにギチギチと音が鳴りそうな感じで声のした方を向く。
膝に手を着いて屈んでいる私と同じくらいのところに目があった。身長は私よりも小さいみたいだ。活発そうな大きな目に、そばかすが目立つ。外に跳ねた短い髪とそこから生えている動物の耳に既視感を覚えた。
「あ、あなた、グーラ人……?」
「それ以外の何に見えるんだよ。それよりも姉ちゃん。ものすごく顔色悪いけど、どっか具合でも悪いのか?」
男の子の呆れたような返事に、私は真っ先に『よかった』と。
グーラ人という単語が通じるなら、ここがアルストである可能性は高い。少なくとも全くの別世界に来てしまったわけではないみたいだ。
「どうしたんだ? 答えられないくらい体調が悪いのか?」
「あ……。ううん、違うの。ちょっと――慣れない場所に来て混乱しちゃったというか……」
「ふぅん。姉ちゃん、迷子なんだな。その年で」
「う゛っ……。ま、迷子に年齢も性別も関係ないでしょ。それに……」
「それに?」
「……なんでもない。えっと、ここはどこら辺なのかな?」
とりあえず、場所さえわかれば帰り道の算段もできるだろう。お金の問題もあるけど、最悪みんなと合流した時に払えばいいし。見覚えのない場所と、この男の子がグーラ人というのも加味すると、ここはグーラのどこかなのだろう。それにしてはずいぶん大きい街だけど。と私は男の子から地名が出るのを待った。
「ここ? ここはアウルリウム正門の近くだよ」
「…………? えっと、どこのアウルリウム正門?」
「姉ちゃん、何言ってんだよ。アウルリウム正門なんて一つしかないだろ。イーラ王国の、アウルリウム正門だよ」
一瞬、からかわれているのかと勘ぐったけど、男の子にしてみたら私の方がとんちんかんなことを言っているみたいな反応だった。
アルストで、イーラという単語にあまりいい思い出はない。思い返すのはテンペランティアやゲンブの頭で戦った人たちのことだけだ。
「イーラって……。シンがいる、あのイーラ……だよね?」
恐々口にすると、意外にも男の子の顔がぱっと明るく輝かせた。
「――なぁんだ、シンと知り合いなら早く言えって! シンがいるところまで案内してやるよ!」
「えっ!? い、いいいい、いいよ! 大丈夫! うん!!」
「とは言っても、姉ちゃん迷子なんだろ? 必要だったら警備の人に姉ちゃんの知り合いも探してもらわなきゃいけないだろうし」
「いやそれはっ、そうなんだけど……!」
正直、シンと出会った瞬間に斬り殺される気がしてならない。
今はコタロー達もいないし、そうなった場合私はなすすべ無く殺される……。あの背中に背負った長い刀でこう、ざくっと。
自分が殺される光景をまざまざと思い描いてしまった私は、本能的な恐怖に体が震えた。
「あなたは……怖くないの?」
「怖い? 誰が? シンが?」
「う、うん」
「まぁ、確かに最初はちょっと近寄りがたかったけど、でも今は全然! シンの作るご飯うまいし!」
なんだろう。私の知っているシンとこの男の子の言ってるシンは別人に思えてきた。
私の知ってるシンは、近寄りがたいっていうのは同じだけど、料理なんてしそうにないし。もしかして、全くの別人だったりする?
一縷の希望が見えた気がした一方、男の子はいつまで経っても動き出そうとしない私に焦れて、手を取ってぐいぐいと引っ張ってきた。
「なぁ、行くなら早く行こうぜー。シン達が移動しちゃったら、またこの人混みの中歩かなきゃいけないし」
「そう言えば、すごい人だよね。何かお祭りでもしてるの?」
「……姉ちゃん、本当に何も知らないで来たんだな。今日は一年に一度の、イーラの建国祭だよ」
なんか、その台詞も聞き慣れてきたなぁ。と、遠く空を眺めればいつもと変わらない満天の星空が瞬いていた。
2
グーラ人の男の子に手を引かれて、どこかに連れて行かれる間に私はイーラという国のことについて思い出していた。確か、500年前の聖杯大戦っていうメツとヒカリさんの戦いで巨神獣ごと沈んだ国の一つのはずだ。なのに、今私の手を引いてる男の子は、ここはイーラだと言う。
嘘を吐いてるようには見えないし……。でも、もし本当なら私は500年前に来たことになっちゃうし……。
「うーーーーん……」
いくら考えても納得いく結論が導き出せなくて、最低限足がもつれて転ばないようにだけ気を付けてものの数分で男の子が立ち止まった。そこは、先ほどいた場所よりは人通りは少ないけれど、お祭りの中心地に繋がっているのかひっきりなしに人が行き交っている。
その道の端っこに、数人の男の人と女の人が固まって立っていた。
おーい。と私を掴んだ手とは逆の手を振る男の子に気付いたのは、ショートカットに襟足を伸ばした髪を結んで赤いミニスカートと黒いスパッツを履いた女の人だった。
「あ、ミルト! どこ行ってたの? サタヒコだけが戻ってきたから心配してたんだよ?」
「ごめんごめん! ちょっと具合悪そうな人がいたから介抱してたんだ。それよりシンは?」
「シン? シンならヒカリと一緒に料理対決の仕込みに行っちゃったけど……」
「えぇーっ。やっぱりかぁ……」
「何か用事あった? それに、ミルト。その女の子は誰?」
「迷子。シンのこと知ってるみたいだから連れてきたんだ。――そうだ。ラウラならシンのドライバーなんだし、この姉ちゃんのことも知らない?」
「私は見覚えないなぁ。カスミは?」
「申し訳ありません、私も見覚えはありません……」
「そっかぁ。ねえ、あなた、名前は? ……? おーい?」
目の前で手をひらひらとされて、私はハッと意識を取り戻した。
「あっ! はい!?」
「どうしたの? カスミのことじっと見つめて……」
「な、なんでもないです! ちょっと知ってる人と似てたので……」
似ているというか恐らく同一人物なんだろうけど。けれど、アーケディアの女神と呼ばれていたその人は不思議そうに首を傾げた。私の知ってるその人とは名前が違う。ドライバーが違ってしまえばブレイドの名前も変わったりするのだろうか。
そんなことを聞けるわけもなく、私は上の空で聞いていた先ほどのやりとりを何とか思い出す。
「なっ、名前ですよね!? 名前、えっと……」
「あ、そう言えば私たちもまだ名乗ってなかったよね。私はラウラ! それで、こっちの子はカスミで、その子はミルト。そっちにいるのはアデルとミノチよ」
「ん、あれ? ユーゴ達とサタヒコは?」
「みんななら料理対決の審査員にユーゴが選ばれたから、その護衛に行っちゃったよ。サタヒコは料理対決のお手伝いだって。私たちも後で行こうね」
「そうだな。ヒカリの料理で死人が出ないように見張ってなくちゃな」
心なしかミルト君が青ざめている様な気がしなくもないけど、ヒカリさんの料理で死人ってどういう意味なんだろう。ラウラさんとミルト君のやりとりを首を傾げて見守っていると、横合いから色褪せた金色の髪と顔に塞がった傷跡を持った男の人の声が割り込んできた。
「お前ら、そこのお嬢ちゃんが喋れなくて困ってるだろ」
「あっ! ごめんね!」
「い、いえ、大丈夫です。えっとあの、私の名前は――ア」
そこまで言いかけて私の頭が高速回転した。
本名を名乗って本当に大丈夫? だって、この後にもしもシンやヒカリさんと会って私が500年後で出会うはずの人間だとわかったら、どうなっちゃうの? 気味悪がられない?
「ア……」
「ア?」
「――スナ……。私の名前は、あ、アスナです……」
私の口から出てきたのは思いっきり自分の読んだことのあるラノベのヒロインの名前だった。
咄嗟とはいえ、あんな才色兼備なヒロインの名前を借りるなんて恐れ多すぎると、心の中で懺悔をしているとすっと目の前に差し出されたのは、ほっそりとした女の人の手。
「よろしくね、アスナ!」
「よ、よろしく。ラウラさん」
そっと差し出された手を握り返してみれば、笑顔でラウラさんは頷いた。
その一片の曇りもない笑顔に私もつられて笑みを浮かべる。すると、ラウラさんは私の手を握ったまま天に衝き上げるように腕を伸ばし、
「せっかくのお祭りなんだし、目一杯楽しむぞー! おーっ!」
「「「おぉー!!」」
「お、おぉー……?」
なんだかよく分からないけど、そういう流れになっていた。
3
この後に控える料理対決では、観客にも料理を振舞われるとのことでお腹を空かせておかなければならないと意気込むラウラさんを尊重して、屋台は食べ物系以外を中心に冷やかしていくことになった。でもこういうお祭りって基本的に食べ物系がメインなので、見られる場所はそう多くはない。
必然的に織物やアクセサリーのお店を回っていくことになった。そんなとあるお店で、私の知ってる男の子とよく似た金色の瞳持った、未来では英雄と呼ばれるその人が大真面目に二つのブローチを見比べていた。
一つは細かくて小さな桜色の宝石が連なった華やかなブローチ、そしてもう一つはスズランのような花を模った木彫りの温かみのあるブローチだった。まさか自分で使うとは思えないので、誰かへのプレゼントかな。と思っていると、視線に気が付いたアデルさんがこちらを振り向く。
慌てて視線を外すけれど、それが逆効果だったようだ。
気づいたら、その人は私に向けて二つのブローチを差し出していた。
「遠方に住む妻が身重でね。お土産を買って行ってあげたいんだが……。こういうのは女性の方が得意だろう? どちらがいいか、良ければ君の意見を聞かせてくれないかな」
「結婚――してるんですか?」
「何かおかしいかい?」
「い、いえ」
おかしくはないけど、ちょっと意外だった。
てっきりヒカリさんとそういう関係だったのかな、とどこかで思っていたから。
私は改めてアデルさんの手に乗っているブローチを見比べて、迷わず木彫りのブローチの方を指さした。
「こっちのほうが……。えっと、赤ちゃんが生まれるなら細かい石は誤飲に繋がっちゃうかもしれないし、尖ってて危ないから。こっちなら飲み込めないくらい大きなもので尖ってる部分も少ないから、あまり危なくない、と――思います……」
ジークさんのあこがれの人であり、500年先まで語り継がれる英雄と直接言葉を交わしていると思うと、ものすごく緊張したけれど、言いたいことは言い切った。最後、途切れ途切れだったけど……。
私の意見を聞いた後に、アデルさんは「ふむ」と鼻を鳴らすと、露天の人に向かって手に持っていた品物をどちらも差し出してお金を払っていた。
一つは包装してもらって懐に入れてから、もう一つは包まずにこちらに向かって歩いてくる。
「手を出して」
言われた通りに両手をお椀の形にしてその場で待ってみると、シャラリという手触りと共にさっきの細かい石の連なった桜色のブローチが手の平の上に乗っていた。
「こっちは君にあげるよ。選んでもらったお礼だ」
「え、で、でも……!」
「お、なんだなんだ。そんな子供に粉かけるつもりか? 王子様」
「カイみたいなことを言うなよ、ミノチ。人聞きが悪いだろ。――それに、イーラでは建国の祭りのときに現れる迷子には丁重にもてなすべしという教えがあってね」
「ほぉ? それは初耳だな。その迷子を丁重に扱うと何が起きるんだ?」
「確か、いい未来が来るとか――だったかな?」
ひくっと喉が鳴った気がした。
さっきまで興味がなさそうに出店を冷かしていたミノチさんも、アデルさんの話に目を輝かせる。ともすれば、今すぐ試してみようか、なんてそんな嫌な予感が伝わって来た。
一方のアデルさんは、自分で言っておいて記憶に自信が無くなったのか、腕を組んでうんうん唸り出してしまった。
「いや、未来が分かる……。いや、いいことがある……? その年一年が健康に過ごせるだったかな……?」
「つまりは覚えてないんだな?」
「すまん。正直、後半については今作った」
ずびしっ。という音と同時にミノチさんのチョップがアデルさんの頭頂部に直撃した。
アデルさんと同じくらいの体格の男の人の割と本気のチョップは傍から見ていても物凄く痛そうで、現にアデルさんは振り下ろされたままその場にしゃがみこんで頭を押さえていた。
ふん、と鼻を鳴らしてどこかに行ってしまうミノチさんを見送ってから、私はアデルさんの近くに駆け寄って同じようにしゃがみこんだ。
「ミノチ、行ったか?」
「? はい、行っちゃいましたけど……」
「そうか。……さっきの話だけれど、イーラでは祭りのときに迷子に出会ったら丁重にもてなすようにという伝説があるのは本当なんだ。なぜならばその子は、
その時のアデルさんの目は、さっきまでの穏やかな物ではなくて射抜くような真剣な目だった。それでいて問いかけてくるような黄金色の瞳に、私は何も言えなくなって俯いた。そうしてただ、手のひらにあるブローチをぎゅっと握った。
「いいんだ。君は、君のいたところへお帰り」
その優しい声に、どれだけ心が軽くなっただろう。
パッと顔を上げれば、嘘のように穏やかな眼差しが戻ってきていた。
「君がどこの誰だろうと、例え本当に君が僕たちの知らない未来から来ていたとしても、僕たちにそれを話す必要はない。僕たちの未来は、僕たちの目で確かめる。――なんて、少しカッコつけすぎたかな?」
ぶんぶんと首を横に振ると、アデルさんから「ありがとう」という言葉が返って来た。
こういう時になんて言えばいいか分からない私は、口を閉じたり開いたりしながら必死で言葉を探す。しかし、幸か不幸か考える方向にばかり集中していた私は突然背後から肩を叩かれて、驚いたあまり今まで考えていた言葉が霧散した。
心臓がバクバクと鳴るのを聞きながら後ろを振り向くと、困惑したようなラウラさんがオレンジ色の逆光を受けながら、肩を叩いたそのポーズで固まっていた。
「ご、ごめんね! そんなに驚くとは思わなくて……。そろそろ料理対決の時間だから、サクスム庭園に行こう?」
「あぁ、もうそんな時間か……」
アデルさんはなんでそんなげっそりした顔をしているんだろう? そう言えば、ミルト君も料理対決の話になった途端青ざめていたような……? と、思い返している間にもラウラさんとアデルさんは歩き出してしまう。
慌てて貰った桜色の石の連なるブローチを腰の救急ポーチにしまい込むと、小走りで二人の背中を追いかけた。
4
たどり着いたサクスム広場は、日本の枯山水が取り入れられた庭園だった。
その庭園の真ん中には広いスペースが確保されていて、そこが今回の料理対決の舞台になっているみたいだ。
参加者は全部で6人。審査員も5人。
参加者にはシンとワダツミさんとヒカリさんと後は知らない人だった。
審査員側にはカグツチさんと、ネフェル君そっくりな鎧を着た男の子が座っていた。それを見て一瞬で彼がスペルビアの皇帝陛下だと分かる。それにしてもネフェル君に似すぎてるような気がするけど、隔世遺伝という奴だろうか。
今回の料理対決にはテーマはずばり『揚げ物』。
観覧者にも作られた料理は振舞うとのことなので、量を予め用意できるものにしておいたのだろう。
各々が用意した素材を油で揚げる音といい匂いが会場に漂い始め――うん?
「ねぇ、何か変な臭いしない……?」
「本当だ。なんだろう、この鼻にツンとする感じ……」
ざわざわと異臭に対する反応が増えてきた。
私もラウラさん達に並んで会場の様子を一通り眺めてみると、明らかに異常を起こしている調理台があった。
流れるような金髪を一つに結んで真っ白いエプロンを身に着けたヒカリさんが、銀色のバットとトングを使って悪戦苦闘している様子が垣間見える。
そうして、事態は最悪の展開を迎えた。
「きゃーーっ!!!」
その悲鳴はヒカリさんのものか、それとも別の誰かのものかは分からなかったけれど、その悲鳴が巻き起こった途端得体の知れない暗黒物質がお祭りを彩るキャンプファイヤーよろしく、禍々しい異臭を放ちながら黒紫色の煙を巻き上げた。
こう言ってはアレだけど、メツの噴き出す禍々しい黒紫色のオーラと似たようなものを感じる。
こんなんじゃ料理対決どころの話ではない。
観客は逃げまどい、その勢いでラウラさん達ともはぐれてしまったみたいだった。しかも、見る限り消火活動するには炎の勢いが強すぎて誰も鍋に近づけていないようだった。シンと、ワダツミさんがじりじりとヒカリさんの燃え盛るお鍋に近づいてるみたいだけど、二人の力づくの消火だと逆に爆発まで誘発しかねない。
というか、もう水はヒカリさんの手によって投入済みだったらしい。
白と黒の煙をまき散らしながら、バラバラバラバラッ! と強い雨が雨どいを叩くような音が会場に響き渡る。
私は人並みをかき分けるようにヒカリさんの使っていた調理台の方に進むと、近くの調理台に置いてあったボウルに水を張ってからその中に布巾を投入した。
後は、ときょろきょろとあるものを探していると、意図していない方向に思いっきり腕を引っ張られた。
「何をしている!? 早く非難しろ!」
シン! と身構える暇もなく、なんとか手の中にあるボウルの中身を溢さないようにするのが精いっぱいだった。
いつもとは違う気迫の500年後のイーラの首魁は、私の持っているものに視線を向けるとわずかに疑問の表情を浮かべる。
これは、もしかしてチャンスなんじゃないか。
腕を掴んだまま対面するシンに、私は意を決して口を開いた。
「ぎょ――凝固剤って、ありますか?」
その時のシンの顔は忘れられない物になった。
凝固剤と濡れタオルを装備してヒカリさんの鍋から発生するイペリットに挑みかかるシン。
未来で敵対しているイーラ最強のブレイドのそんな姿を見るのは、これっきりであって欲しい。
5
「――っ!!」
次に気が付くと私はどこかのベッドの上だった。
がばっと、身を起こせば朝の光が部屋に差し込んでいる。
慌てて周囲を見回すと、同じ部屋のコタローとトオノが部屋の中で眠っていることが見て取れて、ここが昨日泊まった宿であることにようやく気が付く。
でも、先ほどまで感じていた匂いや熱や音は、まだ鮮明に思い出すことができた。
あれが夢だとはどうにも思えないのに、何度考えても夢以外の結論が出てこない。
全く眠った気がしなかった。残ったのはもやもやとした想いと、全く疲れの取れていない体とぼんやりとした頭だけ。
寝たはずなのに寝不足という、よく分からない状況に欠伸を漏らしながら私は自分のベッドから這い出した。
ちょっと早いけど、二度寝なんてしたらそれこそ起きられない気がする。
体を動かせば少しは眠気も飛ぶと思ってとりあえず向かった宿のダイニングスペースに向かう。すると、そこには長い金髪を床に着けてしまっていることにも気付かずに、しゃがみこんで何かをしてるヒカリさんがいた。
そっとその小さな背中越しから覗きこめば、黒紫色のゲル状の何かと特徴的な刺激臭が鼻を突いた。
「ヒカリさん、それ……」
「ぎっくぅ!」
そんなベタな。と言ってしまいそうになる反応になんとなく状況を察する。
じっとその翠色の瞳を覗き込めば、その天の聖杯のお姉さんは気まずそうに視線を逸らした。
「違うからね! こ、これは――ちょっとお料理をしようと思った訳なんかじゃないんだから!」
わかりやすすぎるその言葉は、夢であるはずのそこで出会ったミルト君の「ヒカリさんの料理で死人が出る」の言葉が確信に変わった瞬間でもあった。
「凝固剤、使ったんですか?」
「えっ?」
「なんにせよ、火事にならなくてよかったです。捨てるときは、紙か何かに包んで捨ててくださいね」
「え、えぇ……」
呆然と頷くヒカリさんにそれ以上は何も言わず、外につながる扉に触れようとした。その瞬間ふと思い立って、私はチュニックワンピースの裾をめくり、腰につけたままだった応急セットの入ったポーチを開いた。
そこに手を入れれば、包帯やガーゼとは違う固い感触がする。そのまま引っ張り出してみれば、細かい桜色の石が連なったブローチが私の手のひらに収まっていた。
シャラリ、と陽光を反射する華やかなブローチを見て、私はふと後ろにいるヒカリさんに向けて振り返った。
「ん? なぁに?」
「いえ、なんでもないです」
そう答えてから、私は外につながる扉を押し開けた。
足を一歩踏み出せば、途端に朝特有の涼しい風が頬を撫でる。透明感のある空気が、朝の光をより一層輝かせている気がした。
再び風が吹き抜け、胸につけた桜色の石が連なるブローチがシャラリと鳴った。
Twitterで呟いたゼノブレイド2の2周年記念小説でした。
スペルビア組みとサタヒコをアサヒと喋らせることができなかったのはちょっと心残りでしたが、書きたいものを書きたいだけ詰め込んでみました。
結果、纏まりのない物になってしまいました……。
最後になりますが、ゼノブレイド2、2周年おめでとうございます!