天寿を全うしてもらうお手伝いをキジムナーと共に行っていく。
おばあとキジムナーの時空を超えた旅がはじまる。
森のおばあは、長い間世の中をみてきた。もう自分の年が数えられない程生きている。推定2500才ぐらいなのだろうか?紀元前から生きている計算になる。ずっと生き続けることがいかにつらいか、生き続けた者にしかその悩みはわからない。おばあの紫水晶を覗くと、これまでのすべての出来事が映し出される。陰で悪行三昧しつくした者、欺瞞に満ちあふれ益を独占した者、人を陥れようとした者。人は生まれながらに罪人であるが、その罪を悔い改めなければ、永遠にシエロを知ることはない。
おばあはヨタの森に住み、キジムナーと暮らしていた。これまでいろんな人、いろんな事をみてきたが、人間とはなんともおぞましいものだろうかと、心を痛める毎日だった。正しく弱い者は虐げられ、権力をかさにきて思い通りに人を動かそうとする者が牛耳る世の中。理不尽な世の中は救いがないのだろうか。
シエロに入り、ディオスの元に到達できる者は、全ての罪を心から悔い改め、魂を清めた者のみであるのに。人が傲慢になったのはいつからだろうか。科学の発展は絶対的な存在であるディオスを超えると慢心しはじめたのはいつからなのだろう。
ただしこれだけは言える。いつの時代も悪人と善人はいる。また、悪の心で善行を装っているもの、だます者。また悪の誘惑にに負け、善の魂を売ってしまう者。
一方、悪を目の前にしても教鞭な精神力で、悪をものともしない強く優しい心を持った者。
苦労は報われないのかと思っていてもトータルでみれば、良いこと・悪いことイーブンであるのが人生。長い間生きてきたおばあは、それだけは明かであると断言していた。
立場は弱くても心を強く持ち、悪魔に魂を売り飛ばさない勇者は最後には勝者となり、ディオスの元に行くことができると。
おばあの使命は、人々の心の灯火となること。希望を捨てず夢を持ち、しかし慢心せず、ディオスの前で正しく謙虚であることを教え諭す事。人がみていなくとも、ディオスは必ずみているのだということ。
来る者は拒まず話を聞いては助言を与えるおばあ。遠くに助けを求める人あれば、行って助けるキジムナー。
わしんなよーやーわしんなよーわねうむとーんどー かなさんどー ぬちどぅ宝
と言って励ますことを忘れない。
もしおばあの存在が必要なくなれば、きっとこの世からすべての悪は消え去ってしまうのかもしれない。そうすれば、おばあの命が納められる日が訪れるのかもしれない。
水晶玉が映し出すこれまでの数々の悪行を葬り去って行くために、おばあは日々祈りその出来事の時代・場所に行って教え諭そうと試みる。
さて、どれだけの人が聞こえる「耳」と、変わる「勇気」を持っているのだろう。
おばあとキジムナーの果てしない時空を超えた旅が始まる。
遠浅の海は、どこまでも続く水平線が美しく広がっています。そんな景色をみながら育ったおばあとキジムナーは、人々の心の浄化作業をし続けます。
なんくるないさー
心が弱くなりそうなとき、この言葉をつぶやくとがぜん元気になります。
あきちゃびよー!
仕事に遅れちゃう!
ってときも、焦りは禁物。なんくるないさー。慌てない慌てない。
来週もお仕事がんばりましょ。