冒険に異世界を求めるのは間違っているだろうか 作:その辺の人
書くなら2巻目以降はもっと話を飛ばしぎみにやるかもしれません。
最上階で状況を見守る主催者は付けているゾウの面が外れそうな勢いで立ち上がると声を荒げた。
「どうなっている!」
付き人が把握できている現状を発言しようと前に出たところで冒険者が走り込んできた。察した付き人はより鮮度の高い情報を優先し、冒険者の発言を促した。
「捕らえておいたモンスターが逃げ出したようです!テイムを止めに向かわせた同胞は全て行方がわかりません…」
面を押さえながらガネーシャは戦慄した。何らかの工作を許しただけではない。目の前に広がるのは平穏を保証したはずのバッツが戦いに駆り出される光景。まだ彼は目立って街の噂にもなっていないはずだが、この状況は明らかに彼を試している。
彼の素性を知るからこそ調査は急務だと判断したが、この街最大の民衆の味方は迷わない。
「民の安全を優先しろ!予定外の見せ物になったが捨て置け!飛び入りは絶対的に信頼できる。」
指示を受け飛び出していった冒険者へ街の平和を託し、ガネーシャは面越しに額へ手を当て呟いた。
「彼はどうしても戦わなければならないのか?父よ…サガは変えられずとも、ここは彼の安息の地足り得てほしいのだ。…享楽に浸る我々と同じように。」
会場の司会が大きな声で宣言した。
「さあ、モンスターも冒険者も飛び入りで派手に行こう!このまま3体のテイムだ!」
どうにも緊張感のない目をした冒険者が2つの檻を運び込んだ。鉄格子の中から覗く獰猛な目は初めて浴びる太陽の光を気にもしない。
戦闘中に突如モンスターを追加され混乱するガネーシャ・ファミリアのテイマーは今日一番の興奮を見せる民衆を一瞥すると、見せ物としてでなく彼らを守るために戦うことにした。
冒険者の彼女は自身がレベル2なのを鑑みても3対2とモンスターの数が多い現状を重く見て、一つだけ願った。せめて飛び入りが強者でありますように。
「今回の参加者について速報です!なんとレベル1!レベル2が推奨される15階層からのモンスターを相手に如何に立ち回るか!?」
涼しい顔でモンスターとすれ違い、マントをなびかせ出来るだけ客からモンスターを遠ざけるために中央へ走る彼女は、初めてダンジョンの外で死ねるかもしれないと苦笑いを浮かべた。
鋭角に曲がれず砂を巻き上げ大きく弧を描いて走るバトルボアをにらむ。
それは単純な突進しかしないため見せ物にはうってつけであったが、他のモンスターに注意しながらとなれば話は違う。力強い踏み込みはレベル2の冒険者でもまともに貰えば怪我を免れないため注意を割かざるをえず、おまけに体力があるため囲まれた場合に最優先で倒すのも時間がかかり望ましくない。
彼女は調教用の軽い棍棒と護身用に携帯するダガーのみではまともな手段では即座にバトルボアを倒しきれないと踏んだ。
バトルボアを避けて飛び入りを待つか、賭けになるがこのあと向き合う瞬間のみ許される致命、ダガーによる魔石への一突きかの二択を悩む。
砂を蹴ってこちらへ向かうとんがり帽子は3つ星を光らせている。
何かありそうだと彼女は期待せずにはいられず、再び猪の突撃を回避することにした。
走りながらマントと帽子を脱いで魔獣使いへジョブチェンジを終え、白い雲と見紛う毛皮を纏って頭に角を生やした姿はさながらヒツジであり、観客を含め見ていた全員はバッツが狩られる側に見えた。
走る魔獣使いが戦闘体制に入るのを待たず一つの檻が解き放たれた。同時に歓声が上がるとモンスターは団子になって勢いよく飛び出した。
テイマーへ向かう大玉は大人ほどの大きさで、砂を巻き上げ真っ直ぐな轍を残し猛進する。
冷静に下がるテイマーは逃げ切れないと悟り体勢を整えるとその場で跳躍し、身を翻して回避した。
真下を通りすぎる団子へすれ違い様に腰のダガーを投げ付けるが、砂を擦る刃のむなしい音が焦りを促す。
大玉はしばらく転がって、壁にぶつかる前に止まり丸めた体を伸ばした。
ハード・アーマードと呼ばれるそのモンスターの特徴はバトルボアをより尖らせたようなもので、ダンジョン上層において最高の硬度を誇る背中の甲殻を丸まって攻防に生かす。反面腹部は柔らかく、彼女のダガーでも易々と刃を通すだろう。
着地に合わせて走り込んできた猪を馴れた手つきでマントを広げ誘導し華麗に避けたが、体当たりをすかされた2つの牙に仕返しとばかりに転がるダガーを弾き飛ばされ舌打ちした。
ようやくテイマーに近づいたバッツが代わりにダガーを拾い、腰に携えた小ツボをバトルボアへ構えるがなにも起きない。
「あれ?弱ってないのか?アイツ。」
気の抜けたヒツジの態度に思わず彼女はその短髪を逆立て叫んだ。
「ふざけているの!?」
バッツは二つ目の檻が開かれるのを見逃さなかった。2対2が崩れ、余裕の無くなる状況に魔獣使いは集中した。
司会が消えている。さらには観客の好奇に混じって明らかに自分だけへ注がれる視線がいくつかある事に気付いたが、その集中力故に歯牙にもかけなかった。
「俺もいきなり呼び出されて驚いてる。手を貸してくれ。」
彼女は驚いた。レベル1と聞いていたがこの落ち着きようはなんだ。
とても年下の細身には似合わないその雰囲気は、彼の場違いな仮装も相まって彼女に多大な違和感を与えると同時にその緊張を解いた。
檻から出た一本角のウサギは白く人型で赤目をきょろつかせ、状況把握をしながら歩いている。
檻の上にいた虚ろな表情の冒険者には気付いていないようだ。
テイマーは狂乱寸前のウサギより冷静なヒツジの方が弱そうに見え、バトルボアをバッツに任せることにした。
「…よろしく。バトルボアの体力は折り返しってところかしら。ハード・アーマードはレベル1のあなたには辛いでしょう。今出てきたアルミラージもまとめて私がやる。」
バッツは前足で砂を掻く猪と丸まった鎧ネズミがこちらへ来るのを見ながら冷静に返した。
「無理は無しだ。まあ見ててくれよ、団子と猪はこうだ!」
左手を真っ直ぐ伸ばしバトルボアに向けたバッツはその威圧する獣の瞳を見た。
駆け出す猪。合わせるようにネズミが転がりだした。
猪は全力で目のあった獲物へ叫ぼうとした。恐怖を煽り狩る側は俺だとわからせるために。
しかし獲物のはずのヒツジの目は怯えるどころかぎらついた。
圧倒的な獲物からの視線はバトルボアの喉を焼くように固まらせた。恐怖を覚えた猪がまばたき一つを終える頃に獲物は自分だと理解した。
バトルボアは錯乱し、足の止め方をわすれた。
みるみるうちに顔を振り乱し唾液を撒き出したバトルボアへ、魔獣使いは話し掛けるようにはっきりと叫んだ。
「曲がれ!」
突進する獲物は、恐怖の源から距離をとる許しを得て歓喜にも似た悲鳴をあげながらバッツの思う通りに向きを変え、ヒツジへ転がり込むネズミの横っ腹にその牙を突き立てた。
猪は刺さった牙を回転する甲殻に引っかけて顔半分が裂け、即死した。
ネズミは横からの衝撃に体勢を崩し、砂を噛み、コマのように回りながらヒツジの横を通り過ぎた。
バッツが目を離さずに行方を追うと2、3転がって勢いを失い、牙が突き刺さったまま自らの回転によって大きく傷口を拡げた。
すぐに猪が魔石を残し死体が消え去ると刺さった牙も消え、裂けた腹から体液を流しのたうつことしか出来なくなった。
一瞬の出来事に口の空いたテイマーは、突然の出来事に混乱した観客とウサギの叫びで我に帰った。
バッツの見せた圧倒的なテイムの実力はそれを生業とする彼女だからこそ理解できた。バケモノの本能を握り潰し、一声で操ってみせる離れ業。
何より目的を達成したことに彼女は安心した。観客への被害はもうありえない。
「アナタ本物ね!」
バッツはまだ安心していなかった。彼女の危機はまだ去っていない。
「来るぞ!」
バッツは続けて下がれと指示するつもりがウサギと目があって言葉を詰まらせた。
白髪、紅色の瞳。昼間何かを探していた少年、ベル・クラネルの顔を思いだしヒツジは角の付け根、こめかみを押さえた。
ウサギはバッツとテイマーを見ると近くのテイマーめがけて跳んだ。
初動で見切った彼女が腰をおとして踏み込むとウサギの拳は空を切り、掬い上げるように棍棒をそのすねへ叩き込んだ。
石の砕けるような打撃音がウサギの右足はもう機能しないことを告げると同時に、完璧なカウンターを決めたはずの彼女を焦らせた。
折れて飛んで行った棍棒を一瞥する。
振り向けば両手で立とうとするアルミラージ。
彼女は武器も防具もなくこのゼロ距離をしのがねばならない。
大股に5、6歩程の距離にいる彼の腕力はレベル1、その身のこなしからするにもうAはあるかと彼女はテイマーならではの観察眼で評価し、しかしそれでは無傷で切り抜けるには間に合わないと冷静に覚悟した。
体勢を整えきれないアルミラージは地面を両手で突き跳ね起きると、そのままモンスターらしく力まかせにテイマーの顔を殴り付ける。飾りをつけた右腕はほとんど素手と変わらず、防御すると自分の骨が折れる音がした。
それでも痛みを顔に出さず、想像を越える衝撃にも意識を手放さなかった彼女は人間の体の弱さを恨んだ。
よろけながらも殺意に赤く燃える瞳がこちらを見据えている。恐怖した彼女はアルミラージの左足を蹴って転ばせるとすぐさまバッツへ助けを求めて走った。
アルミラージは再びバランスを崩しながらも両腕を加えた3つ足で、彼女よりはるかに勢いをつけて跳ねた。追い付こうと駆け出したバッツが踵をかえし逃げて来たテイマーを両手で受け止めると、すぐに似たようなさらに強い衝撃が走った。
息の上がった彼女は背中に突き刺さる痛みに乾いた声で叫んだ。
恐怖した観客も彼女に呼応するかのように叫んでいる。
ずぶずぶとテイマーの肉から角の抜ける音がしてバッツは顔をひきつらせた。
テイマーが弱くとも息を続けていることを確認し寝かせると、狩人は静かにウサギへ近づいた。返り血を全身に浴びて高揚するアルミラージが顔をぬぐい叫ぼうと空を見上げたその瞬間、喉を彼女のダガーで一突きした。
猪のものと合わせて二つの魔石が転がり、わずかにもがく鎧ネズミの周囲は体液が波打つほど流れ出している。
バッツが後始末とばかりに腰の小ツボを構え、ハード・アーマードを吸い込んでとらえるが、もはや誰も気にしなかった。
テイマーは血が止まらず息も絶え絶えで、バッツは急いで白魔道士へジョブチェンジしあらん限りの精神力でケアルガを何度も唱える。
観客はこのわずか数分ですっかり冷めきった。半狂乱の客は一部の物好きを残し既に退場し始めている。
例年に無い見せ物の大失敗。しかし物陰で精神力切れにふらつくバッツを見つめるこの事件の元凶、フレイヤは一人満足し興奮の熱を上げ続けていた。
「凄く良かった…何て若さで完成しているのかしら、私もあの瞳に、腕に……」
自身が歩き出していることに気づかないほど衝動にのまれていた女神は、突然肩に走った痛みに熱が引いた。それでもバッツから視線はそらさないままフレイヤは話した。
「ラムウなのね?今だけはあなたに触られたくなかったわ。」
彼女の魅了など微塵も気にしない様子のラムウがバッツへの接触を阻んだ。風もないのに浮く髭は帯電している。苛立ちを隠さない表情で、バッツから目を離そうとしないフレイヤの肩を引いて振り向かせると、そこには無遠慮に発散する彼女にあてられ腰を抜かした冒険者の集団がいた。
彼女は全く罪悪感を感じないままラムウへ言った。
「あら…気付かなかったのよ。」
帯電が全身へ広がり青白く光る。直後に冒険者たちを覆い尽くすように背中から放たれた稲妻が空気を割ると、閃光に包まれた冒険者たちはほとんど同時に倒れた。
通路へ訪れた静寂に老いた声が響き渡る。
「未だ私をどうにも出来ないでバッツへ甘えるのか?変われないというのは度し難いな。」
フレイヤは寂しい心を抉られたように感じ動揺したが、それでも涼しい顔を保ったまま目を開けると、倒れた冒険者の姿しかない。
ラムウへ言い返すことも出来ず、今バッツへ手出し出来ない事を察したフレイヤは元々の用事を思い出し静かに立ち去った。あの子の頑張る姿はきっと私を癒してくれる。
ーーーー
「神様!あのとんがり帽子の飛び入り冒険者ってまさか、バッツでした?」
「きっと違う!それに今はその名を出してはいけない!」
ヘスティアは飛び入りの冒険者についてもしやと閃いた瞬間ベルと闘技場を出て、バッツから遠ざかった。
素直が過ぎるベルがバッツの英雄的な一面を見てしまえばヴァレン某へ向けたその一途さが揺らぐ。何よりベルへ素性を明かさないのはバッツ自身の願いなのだ。
生活することさえ右も左もわからなかった自分達を何にも我が儘を言わずに助けてくれる彼の、ささやかな平穏を家族が壊してはならない。
我が家の大黒柱が舞う華やかなテイムとなったろうし、本当はベル君と大声上げて見てみたかったけれど、それはいつかの夢にしておこう。
ヘスティアはベルの目的を出して話をそらす事にした。
「困ってる人を探す方が大事なんだぜ?早く行こう。」
ベルははいと返事するつもりであったが、妙な感覚に足を止めた。
ヘスティアが不思議そうな顔でたずねる。
「どうしたんだい、こんな通りで立ち止まって。」
ベルは祭りの喧騒に混じって聞こえる何かを、感覚的な言葉で素直に話した。
「何だか、嫌な風が吹いてません?」
言い終わった直後に、誰かがモンスターだと叫ぶ声がした。
ーーーー
魔法の連発に精神力を吐き出し気絶寸前のバッツは、その甲斐あってほとんど全快したテイマーの背で揺られながら闘技場の廊下を歩いていた。
「なんなのよ、これは…」
バッツを連れてすぐに気絶した冒険者の集団を見つけた彼女は事態の異常さが想像を上回っていたため
、付近のギルド職員を探すのを諦めガネーシャの元へ保護を求めて急いだ。
最上階への階段を登ろうと曲がった廊下では金髪の少女がギルド職員らしきエルフへ話しかけている。
誰でもいい、人違いだろうがこの場で救いを求めないわけにはいかない。
「剣姫なの?…力があるなら助けなさい!」
怒声にびくついたエルフと冷静に状況把握に努めるアイズはテイマーの方を向くと、その背に揺られる顔をみるなりそろって驚きながら近づいてきた。
「「彼に何があったの!?」」
テイマーは詰め寄ってきた二人に面食らった。過剰にバッツが気にされているように感じ彼が何者か気になったものの、今は彼を安全なところへ送ることが第一だった。
「私を助けるためにおそらく精神力を使いすぎたのよ。それよりあっちに冒険者がたくさん倒れているから何とかして!」
バッツの命に別状ないと知ると冷静になったギルド職員のエイナはすぐに冒険者集団は任せるよう言った。
「周囲のギルド職員を集めて対処します。お二人は逃げ出したモンスターの対処をお願いします。では。」
アイズが頷くとエイナは髪を振り乱し走って行った。逃げ出したモンスターを後回しにしたテイマーがバッツを抱え直して階段を登ろうと歩き出すと、アイズが止めた。
「待って。彼をどうするつもり?」
アイズの手を払い歩き続けようとするテイマーの視線は階段へ向いている。
「最上階のガネーシャ様に直接保護して貰うのよ。邪魔しないで。モンスターはよろしく。」
アイズは歩みを止めないテイマーの言うことは最もに思えた。それでも我が儘だと知っていながらバッツを引き取ると申し出た。
アイズは孤独の辛さを知っていた。
きっと彼は記憶も取り戻せないまま知らない人たちにいいように使われる。私にはロキが守ってくれなければそうなっていたに違いない経験がいくつもある。
アイズはガネーシャが彼を守ってくれるのは精神力が満ちるまでだろうと思った。そのあと彼はどうなる?
「私が彼を連れていく。あなたはいい人だってわかるけれど、私を信じて。」
テイマーはアイズを無視して進んだ。バッツはもう目を閉じて声さえ出さなくなっている。
バッツが離れていく恐怖にアイズは怒った。ここで彼を渡しては後悔する。それが同情か母性かなど、若すぎる彼女にはどうでも良かった。
「力ずくでも連れていきます。」
テイマーは走り出した。剣姫のレベルは知っている。どうか追ってくれるなという願いはたった2、3M進んだだけで断たれた。アイズの力に逆らえずバッツを剥がされたテイマーは叫んだ。
「彼に何かあってみなさい、私は絶対に許さない!」
アイズはバッツを背負おうとして怯んだ。
バッツの記憶を奪いこの状況に追い込んだのは誰だ。彼の人生をかき乱し続けているのは誰だ。
泣きそうになってなにも言えないアイズはそれでもバッツを抱えて走った。
闘技場前にいたロキは、状況を聞いてきただけのはずが想定外の土産をもってきたアイズに頭を抱えた。
「ロキ、バッツが精神力を使いすぎてるみたい。」
アイズはなにか動揺している。ロキは慰めつつ指示を出して落ち着かせようとした。
「とりあえずここまで連れてきたのは正解やで。ほれ、割高な薬の押し売りがその辺にいるやろ。」
「買ってくる。まってて。」
バッツを置いて飛んでいったアイズが道を見渡すと、ロキの思っていたより強引に、道行く冒険者へ何か言ったあとあせる表情をごまかさずつぶらな瞳で実に少女らしく顔を見つめると薬を買い取った。薬を安く譲ってくれた商人でない普通の冒険者へ挨拶もせずに戻ったアイズはロキを急かす。
「お願いしたら譲ってくれた。早くバッツにこれを。」
ロキは立派な交渉やったなと薬を受け取りアイズの頭を撫でると苦笑いした。
そのまま封を切った黄色い薬をバッツの口に突っ込みこぼさないよう押さえると、半分ほど飲んだところで息が詰まって苦しそうに動き出した。
「まだ残ってるで。」
ロキはごぼごぼ言い出したバッツが元気になったとわかると、薬瓶の中身を飲み切るまでさらに強く押さえこんだ。
「ごぶっ…殺す気か!」
笑顔のロキが訂正する。
「なにいっとるんや。生き返す気かの間違いやん。」
アイズが割って入るとバッツの表情も落ち着いた。
「薬…効いた?」
「おう、二人ともありがとな!」
笑顔でお礼を言うバッツに、アイズは表情が明るくなった。
バッツの調子が元通りなのを確認したロキは、アイズへ逃げ出したモンスターを倒すよう指示して別れると、二人で歩き出した。
すっかりみんな避難して人のいない路地で、ロキはバッツの早着替えに興味が押さえきれなかった。
「なあ、あのぱって光るやつ、あれなんなん?」
何か思い付いたバッツは両手を広げ聞き返した。
「ジョブチェンジか?助けてくれたお礼になるかわかんないけどさ、好きな服装、教えてくれよ。」
彼女の細い目が揺れた。きっと何が起こっても面白いであろうという予感を無駄にしたくないのはもはや本能であった。
ロキは全身全霊でバッツが着たことの無さそうな服を考えるとにやけながら言った。
「占い師や!」
バッツは風水士へチェンジしようと決めた。
「よっと!」
3つ星が光り、緑に橙の線が入った手織りの生地を見に纏う。細身はだぶついた生地で隠れ、緩い帽子のせいで背の高さも分かりずらい。腰に下げた風水盤を持ち上げると妖しい目付きでロキを見つめた。
「カミサマを占うのも、初めてじゃないんだぜ?」
驚き目を輝かせるロキが次はあれやなと呟いている間、バッツの脳裏にクリスタルの欠片を拾ったいつかの瞬間が駆け抜け、懐かしい気持ちになった。
「決めた!次はウチも本でしか知らないんや、サムライなんて初めて聞くやろ!?」
忘れていた記憶を思い出せるかもしれないと感じたジョブチェンジに楽しくなってきたバッツは、ひとつ頷くと侍へチェンジした。湧き出る記憶に揺さぶられても不思議とわずかに首もとが痺れるような感覚があるだけで混乱は起こらなかった。
「鎧ってのはほんとはもっと重いらしいんだけどな、特注品さ。」
すっかりバッツの七変化に楽しくなった女神は祭りにはしゃぐ子供と変わらなかった。
「続けて…忍者!」
「あいよっ!」
「泥棒!」
「ほっ!」
「修行僧!」
「えいっ!」
「昔ながらの騎士なんてどうや!」
「任せろって…?」
ナイトに変身したバッツは違和感を覚えた。首の痺れが収まらない。とめどなく思い出されるのは父親との鍛練の日々。人生の最も多くを共に過ごした笑顔。全ての恐ろしいものから今も守ってくれるあまりにも大きく温かい背中。
突如うつむくバッツの心が大きく揺れるのを感じたロキはまたあの悲しみを振り撒くような発作が出るかと心配になって拳を震わせる彼の手を包むように両手をそえた。
「ありがとう…でも、俺は、寂しいよ…」
バッツのそれは天涯孤独の身であることを改めて受け入れようと、溢れ出してぶつける相手のいない我が儘を目の前の現実で噛み殺す心の叫びであった。
長い時間をかけて受け止めたはずの孤独を一度に呑み込もうとする彼を、壊れてしまうのではないかと焦ったロキは、しかし彼にファルナが不死の運命を刻み付けてしまった事を思いだし言葉をなくした。
涙の出てきた女神は彼を癒すためには家族が必要だと思った。
殺しに娯楽しか見いだせなかった自分の愚かさに気付かせてくれた子供たちなら。
共に有限の時間を燃やし、その火で心を暖め会える家族なら。あるいはあらゆる可能性を宿した人の子ならば。
「バッツ…家族と共に過ごすんや。ベル・クラネルなら、ヘスティア・ファミリアならきっと…」
バッツはロキの哀しみがただの同情でないと察したが理解できなかった。それでも温かい手のひらに包まれたおかげで少し冷静になれた。
「あんた本当にいいやつだな。」
ファルナの事がある、神を簡単に許すなと心の中で願いつつも、ロキは今の彼をこれ以上落ち込ませないために明るく話すと決めた。
「ヘスティアっちゅうのがいてな?なんともいけすかんのや、乳ばっかりデカくてすぐウチを殴る。しかもどんくさいものぐさで…それでもな…ちょっとやで?善神らしさは認めてる。本神には絶対に言うなよ。」
バッツは少しずつ気楽に話を聞けるようになっていた。ロキのあんまりな物言いに思わず苦笑いで聞いた。
「誰なんだよ、そのヘスティアって。」
女神はすっかりもとの調子で何か考え込んでいる。
「まあ、会えばわかるから。楽しみにしとくんや。それでな、ヘスティア・ファミリアのホーム。ウチは検討もつかん。」
バッツはここまで大事にしてくれるロキにいつか恩を返すと誓った。
「じゃあ、ここまでだな。俺は家族とやらをさがしに行くよ。」
細い目がさらに伸びて達者でなと手を振る姿に手を振り返すと、突如大きな地鳴りと共にロキは地面から大きく伸び上がった蛇にはね飛ばされた。
バッツの目が見開かれると同時にその背中はまばゆく光りだす。
バッツは今の自分が思い出の中と同じように軽い体で、力がみなぎるのを感じた。壁に叩き付けられる寸前のロキを見据えると、この街を吹き抜けるどんな風より疾く駆け、そのか細い体を砕く衝撃全てをかばった。
「おい、平気か?」
バッツに抱き止められてようやく自分の状況を理解したロキは体が軋む痛みに負けず笑顔で答えた。
「お陰さまで生きてる。さ、仕返しは頼むで。」
バッツはロキを寝かせ、任せろと言うが早いか
両手を天に突き出し、大きく一息すると雄々しく叫んだ。
「漆黒の光閃き、大気の震えとなれ!」
女神は世界がこじ開けられたのを感じ驚愕した。目の前の騎士が激怒している事から彼が全力を出しているのは間違いない。
ロキはこの規格外の魔法を止めようとしたがあまりの威圧感に声が出ない。
全てを切り裂く無慈悲の召喚が路地へ響き渡る。
「斬鉄剣! オーディン!」
目の前の蛇は頭を空へ向けその先端を花のように開いた瞬間、空から降ってきた巨大な剣が轟音と共に石畳を割り、蛇の化物はつぶれるように消えた。
ロキは目を覆いたくなる現実を必死に受け入れようとした。目の前の騎士はあろうことか神を喚んだ。
有り得るのか?何よりこの世は神の力の行使を禁じられている。バッツは記憶喪失でそんなこと知るはずもないため呼びかけるだけなら分かる。が、声が響くだけで天から返事があってはならないのだ。
それが今落ちてきたこの巨大な剣。黒い刀身に白く光る神聖文字の癖はまさしく…
「蛇っころなんぞバッツがこじ開けた外から落とすだけで十分っちゅう事か…そんなんグレーやろ。いや、一度だけだぞってわざわざ書かんでも。やっぱアウトやで、兄貴。」
黒い剣はバッツが手を下ろすと共に溶けだし霧のように消えた。
すっかり落ち着いて体の光もおさまったバッツがロキへ近寄ると、ナイトからすっぴんへ戻りケアルを唱えた。
元気になった二人は改めて互いに別れる。
「ベルたちも危ないかもしれないからもう行くよ。…それと、家族がっていうけど、姉さんがいたらこんな感じなんだろうなって思ったよ。」
ロキは頬をほのかに赤くしながら別れの言葉を返した。
「…必ず元気になるんやで!」
笑顔で別の方向に歩き出した二人はすぐに飛び散ったレンガを見て冷静になり、大きく裂けた路地をモンスターのせいにするように小走りで別れた。
一人広場で空を見上げるバッツは仰々しい金の冠をきらめかせ、その予言によって付近のモンスターを探そうとしていた。
周囲に人がいない事を確認した予言士はまだ見つけていないモンスター目掛けてその未来を頭にうかんだまま口にする。
「白猿よ、汝いたずらに女神を追えば双牙に裂かれその身を滅ぼすであろう。」
幸運なことに焦るベルと何故か笑顔の女神がつぎはぎの壁に挟まれた道で追われている姿がまぶたに映った。覚えのない景色だがこの街のなかではあるだろう。
バッツはレビテトを使い宙に浮くと、空からあの特徴的な屋根の密集を探した。
ーーーー
ベル・クラネルは岐路に立っていた。
逃げ切ったかと足を止めた瞬間に屋根から降ってきた大猿はベルとヘスティアを分断するように着地した。
守るべき女神は今やモンスターの向こう側で立ちすくんでいる。
目の前のそれはエイナからの知識によると出現階層15以降。白い毛皮に丸太のような腕、その背丈もベルの倍は優にある猿のモンスター、シルバーバックが低く唸りながら女神を狙っている。
先ほどから追われ続けてその速さと力は把握している。先に女神へ走られてしまえばベルの足で距離を詰める事は出来ない相手だった。
腹を決めたベルはいつかのミノタウロスのように殺される恐怖を祖父から受け継いだ信条と正義感で押し返した。
「ここで逃げるなんて無いだろ!女の子が危ないんだぞ!」
素手で防具もないままゴブリンを殴り飛ばしたバッツを思い出す。組み合えば必ず負けるような化け物相手でもどうにか勝つ方法をバッツは教えてくれた。
まずは走ることだ。絶対に止まらないこと。
「ワアアアァ!」
ベルはシルバーバックへこっちを向けと必死に叫んだ。わずかでもこちらが危険なのだと感じてくれれば女神の危険は減る。
足を止めたシルバーバックの耳が確かにこちらを向こうと左に動いた瞬間にベルは走り込んだ。
2歩、3歩。まだやつは動かない。
腰の短剣を右手でつかんだ。あのわからず屋に必ず返してやるつもりだけど、壊しても怒らないよね。それと…僕たちを守って。
もうやつが腕を伸ばせば僕へ届いてしまう。
ここからは目をそらさないこと。好機を掴むためには瞬きだって我慢しないといけない。
振り向き様に白猿の肩が浮いた。きっと振り払うだろうと思ったベルが膝まで頭を下げると飛んできた拳が空を切った。
拳の勢いのまま振り向く猿の背中側を通り抜けるように踏み込むと、すかした拳に少し遅れてついてきた風がその暴力の凄まじさを見せつける。
風にあおられるベルはそれでも目を閉じなかった。シルバーバックの首もとを、今なら。
「うおおお!」
全力で跳ねたベルは背中同士を擦り付けるように体をひねり勢いを増すと、左手を添えた逆手持ちの短剣を突き刺した。
ボクの家族が命を賭けている。
目の前でアイツが大きく叫んで背中の短剣にしがみつく彼がぼとりと落ちた。そのままゴミでも捨てるように拾って彼を壁に投げつけると、アイツの深い息だけが響いた。
血が滴る短剣はアイツの右肩に浅く刺さっている。
ベルくんは人間だ。体を失うだけのボクたちとは違う。逃げてくれ、生きるんだ。
そんな所でうなだれている場合じゃないだろう!
「何で動かないんだ!ベルくん!」
歯を食いしばりながら顔だけはこっちを向けて逃げてと訴えてくる。君のためのこれだってまだ渡していないんだ。
再び耳をつんざく雄叫びに思わず目を閉じてしまった。ボクから離れるような足音がする。
止めろと叫びたいのに口が動いていない。身代わりになってあげることさえ出来ないのか。
…わかっていたけど、ボクは無力なんだ。
この目が開いたら、ボクの一番恐ろしいことを見ないといけない。
足音が止まった。
「聞こえてたよ」
声の後、何かが潰れる音がした。
恐る恐る目を開いたヘスティアは涙を浮かべてあるがままを見つめると、血を吹き出す団子が猿の右手を潰していた。
間を置かず影になっている壁際からベルを担いで白い雲が飛び出し、ようやく瞬きを思い出した女神は息を吸って涙を拭うと震える声で精一杯叫んだ。
「バッツ!!」
シルバーバックを睨みつける雲はよく見れば角が生えている。その背中で気が付いたベルは白い毛皮と二本角しか見えず、モンスターの背に揺られているのかと飛び起きた。バッツは混乱するベルをなだめることもせずヘスティアとの逃走を促す。
「目が覚めたな。アイツと走れるか?」
モンスターらしき背中越しで聞こえるやたらと落ち着いた声に聞き覚えがあるベルは、安心感と共に現状を思い出す。
「神様!」
ヘスティアはいつものように強気な顔で親指を立て、自身の無事を知らせた。バッツがベルを下ろすと、右腕の肘から先がひしゃげたシルバーバックが団子の殻の裂け目を左で殴り、ハード・アーマードにとどめを刺した。
バッツはヘスティアの名が出てこないままだったが状況を考え直感的に浮かんだ名前で指示した。
「あそこの…なんだ、じゃが丸くんは任せたぞ。」
こんな状況にもかかわらず、バッツが初めてヘスティアをふざけた名前で呼んだことにベルは驚きの声をあげた。
「え?」
焦りだしたバッツは目を丸くするベルの背中を叩きながらヘスティアへ走らせる。
「もう来るぞ!走れ!」
押し出されるままヘスティアの顔を見たベルは、はっとして表情が変わった。女神の目の回りはうっすら赤く、涙のあとが見て取れる。
「神様とホームで待ってるから!」
ベルは迷いなくヘスティアの手を取って走り出した。バッツはシルバーバックの注意を引くために大声を出す。
「こっちを見ろ!…って、え?」
シルバーバックはヒツジなど眼中になく路地を曲がった二人を追い始めた。バッツはホームの場所もわからずモンスターの注意も引けていない。割って入ったはいいものの、蚊帳の外であった。
白い背中を追ったバッツがいくつか路地を曲がると誰の姿もなく、反響する足音からはどこへ消えたのか判断できなかった。
最後に見たシルバーバックの背中を思い出す。アイツの背中はすっかり止まりかけていた血で濡れていた。その傷口には見覚えのある短剣が刺さっていたような。
「俺のグラディウス?」
バッツはわずかに首がしびれた気がした。
ーーーー
シルバーバックの雄叫びが近づいてくる気がした。バッツは同じレベル1だし、ヘスティアだけを狙っていると知らないせいで追い付けなかったと判断したベルは、ヘスティアを抱えて走っていた。
いりくんだ道の分かれ道、ここの住人のほかにあった妙な視線を気にしないことにしたベルは、こんなときでも抱えられて嬉しそうなヘスティアをおろして苦しそうに言った。
「今なら見られていません。ここで別れたら一人で逃げてください。もう家族をなくし…」
ヘスティアは何一つ納得のいかない気持ちを隠そうともしなかった。二人で生きて帰らなければ何にもならないと首を振り、必死に思いを絞り出すベルの言葉を遮った。
「諦めるには早すぎるぜ。どうせ追い付かれるなら、倒せばいいんだ。」
ベルは戦いにもなっていなかった少し前の一刺しを思い出した。
今しかないと踏み込んだ一撃は致命のはずで、実際は高さも威力も足りていなかった。さらには反撃ですらない叫びを鼻の先程度の距離で聞いただけで軽く気を失う始末。
みるみるうちに自信をなくすベルの表情を見てもヘスティアの意見は変わらなかった。
「誰かを犠牲にしたってしょうがないんだよ。バッツにホームでって約束したのは、ほかでもない君じゃないか。」
ベルは小さなカバンだけで、どうしようもないと手を広げながら言った。
「でも、こんな…武器もないんですよ。」
ヘスティアは下がらない。
「いいかい?君はまともに向き合って1発も貰っていない。でもこっちは一突き出来たんだ。つまりベルくんは、勝てるのさ。」
絶対的な自信を見せる主神に乗せられてベルはわずかに奮い立った。心が落ち着き始めたベルへもう一押しとばかりに何か取り出すヘスティア。
「それにね。武器ならここにもあるんだぜ。」
ベルは素直に驚いた。ヘスティアが武器をもっているなんて。
「どこから、そんなものを?」
出所なんて気にするなよと手渡された黒い短剣は、バッツの短剣とは真逆のシンプルなもので、黒い刀身に黒い柄。装飾のように見える文字はびっしりと刀身へ刻まれていて、受け取ったベルが握ると光りだした。
「さ、早くステイタスも更新しよう!絶対に僕が勝たせる。」
少し行って開けた路地を決戦の地と決めると、地面から少しづつ大きくなる足音に緊張するベルを励ます余裕もないヘスティアは、必死にステイタスの更新を行った。
「この足音…もう、来ます。」
「今終わるよ…!」
走りこんできたシルバーバックが路地を曲がろうと足を止める。
ベルと目があった。その後ヘスティアを見つけて息を荒くし、短剣の刺さった肩やひしゃげた右手を痛がるそぶりはない。白猿は幾度かの確かなダメージに油断の色を消していた。
ヘスティアがベルの背中を軽くたたくと同時にシルバーバックは吠え、ベルは剣の柄で壁を叩いた。
先手を打つつもりのベルは拳ほどの大きさの石を壁から取り出し、ヘスティアへささやいた。
「勇気を下さい。それと…」
頷く彼女は微塵も恐怖を見せない。この場においては間違いなく勝利の女神であった。
「行くんだ!」
女神の一声でベルは走り出した。呼応するようにシルバーバックも石畳を蹴る。
一息もしない間にベルの視界が巨体で埋まっていく。踏み込む度に気付かされるステイタスの上昇はベル自身の想像を上回っていた。
右腕をぶらつかせ走るシルバーバックは肩が上がると速度を落とした。既に何度か見た吠える予兆に合わせ直感的に加速したベルは口へめがけてつぶてを放ると、きっと石を払うシルバーバックの手の影になるように駆け込んだ。
予兆に合わせて小さく先手を打つ。バッツに散々叩き込まれた駆け引きの基本。
顔を守ろうと左手で石を落としたシルバーバックは頭を下ろして叫ぶ瞬間、視界に誰もいないことに気付く。直後に喉を突き刺されて声の代わりに血を吐いた。
よろめくシルバーバックの脇から壊れて動かない右腕に取りついたベルは、強くなった腕力だけで背中の剣まで移動し、勢いまかせに引き抜いて着地すると叫んだ。
「神様!!」
息を吸って準備の終わっていたヘスティアはシルバーバックを見つめて大声で呼びかけた。
「さあおいで!抱きしめてあげるよ!」
女神が白猿の本能に応えた。腕を広げて待っているその姿は、止めどない流血によって絶命の警鐘が鳴り響くシルバーバックの頭を幸福感で真っ白に埋めつくした。
命を狙う敵の存在など無かったかのように恍惚の表情で女神へ歩き出す。その足は重く、すでに体力の底が見えるようだった。ひゅうとしか鳴らない雄叫びは寝息のようで既に覇気はない。ダンジョンに生まれ落ちて初めて味わう幸福がもうすぐそこにある。
肘から先の使えない右腕さえも痛みを忘れて女神へかざし、ついに流血する喉からも手を離し両手で抱き締めようと大きく一歩踏み出すと、女神が同じだけ下がる。
これが何事か理解できない白猿はしかしもうすぐそこなのだと一歩一歩を必死に踏みしめる。背中に何かくっついたようだが気にならない。
ついに女神が壁を背に当てた。
ようやく幸せを手にできると確信した瞬間女神が白く細い腕を静かに下ろして呟いた。
「ごめんね。」
直後に背中を大きく裂かれる強烈な痛みで我に返ったシルバーバックに、死の直感が駆け抜けた。
膝から崩れるように伏せて倒れたシルバーバック。
その背中は大きく裂け、傷の中央では身体中真っ赤に濡れて前も見えないベルが両手にそれぞれ握った白と黒の短剣を深く突き刺している。
ベルが剣を抜き石の砕ける音がすると、周囲を塗りつぶした赤は何もなかったかのように消え去り、白猿は影も形も残さず霧散した。
シルバーバックの撒き散らした血液を追い、遅れて走り込んで来たバッツがベルを見つけて安堵の表情で近付く。
「やったんだな。」
振り向くベルとヘスティアはバッツにもうモンスターは居ないことを告げられると緊張の糸が切れた。
「「た、助かった…」」
ぱたぱたとなにか開き始めた音がする。バッツが音の出所を見ると窓を開けた住人と目があった。この迷路について尋ねると、ダイダロス通りと呼ばれるこの地区はアリアドネなる迷路の出口へ続く壁の線があるようだった。
アリアドネを頼りにホームへ戻る道中、疲れて眠るヘスティアを背負ったベルの表情は暗い。
ベルの不安な表情が歪むのを見ていたバッツがその理由に気付いた。
「ああ、今さら怖くなったんだろ。過ぎたことにもしもはないんだぜ、考えるなよ。それより本当によくやったな!」
ベルは褒められた喜びに顔をあげると背中のヘスティアを落としそうになった。
ーーーー
「あの子、やっぱり素敵じゃない…格好良かったわね。バッツの影響かしら、なんでもありって風に頭を使って、女神まで使うなんて、本当に可愛いわ…」
ダイダロス通りを見渡す屋上で風になびく銀の髪を軽く払い、フレイヤは一人微笑んだ。
ーーーー
ロキはアイズと合流していた。
蛇の化け物は建物より高く伸び上がり、それを目印に追いかけるだけで簡単にアイズを見つけられた。
アイズの剣閃が化け物を両断するとロキはひとつ頷き戦闘終了を告げた。
モンスターの討伐報告が人伝いに流れる中、家路を行くアイズとロキは逃げ出したあるモンスターについて話す冒険者へ思わず詰め寄った。
「シルバーバックなんだがよ、やられそうになった所を白い冒険者に助けられた白髪の少年がな?そのあと一人で倒したんだってよ!」
「ちょっと!詳しく!聞かせてくれん?」
「うおっ!あ、あんたらは…!」
「ウチらのことは置いといて、その話、はよ続けてーな。」
「あ、ああ…あっという間にシルバーバックをすり抜けると、シルバーバックがよろめき出してな?背中からバッサリいったんだってよ!しかも子供なのにしっかり短剣二本を使いこなしてたらしいぜ。」
「ふーん…ありがと!」
そんな噂になっているとは露知らず、人混みを進む男の声。
「通してくれー!」
大変そうな声とはまるで噛み合わない速さで、器用に人混みを抜けていく冒険者の白い服がアイズの目に留まった。その右手首に繋がれるのは小さな左手。次いで少年の白髪が見えると、アイズはシルバーバックを倒したのがベルだと確信した。
再び帰路に着いたロキとアイズの顔は少し明るかった。
ベル・クラネルがシルバーバックを倒したことは意外だったが、バッツの実力を垣間見たアイズとロキは、彼の教育があれば身体能力の差程度どうということは無いだろうと盛大に過大評価した。
同時にアイズは、ベルをささやかに祝福しながらもバッツに鍛えられていることを羨ましく思った。
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道中シルを見つけたベルは鞄に入れっぱなしの彼女のサイフを思い出すと急いで駆け寄り手渡した。サイフもシルも無事で安心したベルは彼女に見ていたと言われ、格好良かったと誉められたが、疲れからかお礼をいうとそそくさと別れた。
別れ際にバッツはシルと目があったが、その瞬間彼女が少し暗い表情になった理由は分からなかった。
ホームでヘスティアを寝かせるとベルは今朝バッツから押し付けられた短剣を返そうとした。
「これ、やっぱりバッツが持ってないと駄目だと思う。僕は神様からこれを貰ったし、今日はモンスターに刺してそのままなくしそうになったんだ。」
見覚えのある短剣を受け取り握るとやはりしっくり来たバッツは、しかしいつ贈ったものか思い出せなかった。
「なあ、俺がいつこれをおまえにあげたのか教えてくれ。覚えていないんだ。」
ベルはからかわれていると思った。
「そうやって受け取らないつもりなんだ?僕だって折れないからね。絶対それはバッツが使ってよ。」
バッツは顔をしかめた。
「悪いけど、本気でいってるんだ。俺はここでどうしてたんだ。」
ベルは焦りだす。まるで近所の子供でも相手取るようなバッツをみて、祖父がいない朝のさびしさが突如思い出され首を振った。
「そういうふざけ方はダメ!僕だって怒るよ!」
何を言われようと黙って目を合わせるバッツの表情が少しずつ暗くなるのに合わせてベルの目には涙がたまる。
「嘘だって言ってよ…ほら、あの神様の名前は?」
指差された先で幸せそうに寝息を立てるヘスティアを見たバッツは、ただ分からないとだけ呟いた。
ベルの疑いは確信に変わり、叫んだ。
「何で…なんで!?」
一つ一つ記憶を確かめるごとにバッツはことごとく首を横に振り、ベルの声は震えを増した。
出会ったあの日ベルを受け入れるファミリアを探して一緒に走り回った事から始まり、ベルに短剣を押し付けて別れた事を話す頃には、ベルは大粒の涙を流していた。
「僕を置いていかないでよ。おじいちゃんもバッツも…いつもなんにも言わないで!」
その時の自分を思い出せないバッツは、空虚な自分を否定するようにベルを諭した。
「それは違う!…と、思う。俺が武器をあげたのは、お前がもう一人でも大丈夫だからだ…多分。」
この場で最も孤独なバッツへ、ベルは子供らしく当たった。
「自分の事だって分からないのに!僕の事なんてわかるわけないよ!」
こんな寂しさは経験するものじゃない。バッツは自分の事を後回しにした。
「でも今日はちゃんと家族を守ったじゃないか!神様だってもう面倒見ないといけない子供だなんて思っちゃいないさ。」
あの時バッツがシルバーバックから遠ざけてくれなければどうなっていたか。少年は少し怖くなった。
「バッツも元気じゃないとダメなんだ…」
ベルの素直さはぼんやりと思い出せる幼い頃の自分と良く似ていた。誰かが寄り添えばきっと真っ直ぐ育っていくだろう。ふと、親父ならどうするかと考えた。俺はあんなに男らしく家族をまとめていけるだろうか。結論は簡単にだせそうになかった。
バッツは男同士の付き合いならやれそうだと感じ、これからは正直に自分の事を話したいと思った。
「おじいちゃんのことは知らないけどさ、俺は元気だから…大丈夫だ。信じてくれよ。」
「…ちょっと風にあたってくる…」
ベルはホームを出ると、本当なら今から訓練するはずだったいつもの柱のそばで泣いた。
バッツは小さく寝息を立てるヘスティアが涙を流している事に気づき、ベルの代わりに戻ってきた寂しさを眠って誤魔化した。
静かな夜がヘスティア・ファミリアの始まりに幕を下ろした。
誰にも先などわかりはしない。だがひとつだけ確かな事がある。
バッツはここで無二の家族を得るのだ。
かつて田舎で慎ましく暮らした青春とは真逆の、世界の中心で大騒ぎとともに。
宣告はシルバーバックが遠くにいてバッツと顔を会わせていなかったためカウントダウンがかなりのびているイメージ。
オーディンは例によって1分しか空いていない程多忙なので無理をおして5秒だけ働きました。
結果剣に殴り書きして落とすだけになりました。