冒険に異世界を求めるのは間違っているだろうか 作:その辺の人
バベル。人々が見上げてやまない大穴のフタにしてこの街で最も高い建物。世界一大きな石造りの円筒。その一室で、ロキは一人の女神を待っていた。
呼び出された女神は約束の時間から少し遅れて降りてくる。ここの最上階に住む彼女にとってはこの部屋でさえ日頃から見下ろしているものの一部だった。
窓辺のロキは開かれたドアの方へ目をやると、目的の女神の姿が見えた。
誰が使うわけでもないこの部屋は、信仰のあつい人々から納められた最高級の家具がいつでも使えるよう配置されている。そのそれぞれが風格を持ち落ち着いていながらも、気品のある彫刻の模様やオラリオの外で作られた民芸品など、静かに部屋を飾りたてる一つ一つを見れば人の温もりを感じさせる。対して床には敷物こそないが、いつか住む主の為にほこり一つ無い清潔さが保たれている。
そして全体を何となく見れば、全てがよく磨かれ、そして整いすぎており無機質ささえ覚える。だが、神が住むとあれば、そこまで贅沢に作り込むのも人からすると妥当なのかもしれない。
年季の入った床の赤い木板はきしむことはなく、女神の軽い足音だけが鈍く鳴った。ロキが肘をつく窓はチェス盤を優に置けるほど広いが何もなく、3Mほどの一枚扉が上開きに外側へ引かれて開いている。女神はロキの反対側まで着くと木の質を確かめるように軽く手をつく。互いに風の吹きこむ方角を一瞥すると、どちらからともなく視線を交わした。
怪物祭の時は、食事を取るなか外の景色に気を取られて飛び出したかと思うと、そのまま往来で人の子を誘惑さえ始めた女神フレイヤ。ロキはその気が散らないよう、たった数分会うためだけにここを用意したのだった。
「待たせたかしら。これで、おあいこね。」
フレイヤは、目をわずかに細くして、街中に向けた視線を泳がせて始める。顔を少し上げたロキはそれを見てひとつ舌を打ち、また外を見た。ここから外を見下ろすと、足元を押し上げられる感覚がある。石造りの巨搭に立っているはずが、死人が積み上がってこんな高さになっていると錯覚しそうになり、気分が悪くなる。
この一階から下へと続く大穴に飲み込まれていく帽子や兜たちは、いつでも出てくる方が少ない。ロキ自身の家族も例外ではなかった。
ロキは手に顎をのせたまま深く息を吐くと、街を囲う大壁とその向こうに広がる草原へ視線を上げ、目の前の女神が視界に入ると口火を切った。
「ありもしない本の宣伝なんて、明らかに売りたい客は一人や。」
言い終わる前に机のふちを人差し指でなぞって歩き出したフレイヤは、一呼吸してからロキの後ろ姿に返した。
「本当にないのかしら。回りくどいのは私の趣味じゃないのだけれど、今は楽しくて仕方がないの。」
雲一つない外の景色は平穏そのもの。ここまで高いと街の喧騒も聞こえてこない。ロキは後ろに束ねた朱色の髪を風に流されている。街を眺める顔の笑みは消え、その目尻は普段より伸び、正面に見える通りでも特に大きく目立つギルドを見つめている。
「ムーまで巻き込んだならもう行くとこまで行くってことや。ふざけんな。ご近所メイワクや。」
明らかに怒気を帯びた声だった。フレイヤは足を止め、即座に口を開く。いつもと変わらずゆったりと、淀みない声だった。
「私は好きにする。あなたたちもそうするといいわ。どうあれあの子は貰うもの。」
ロキは目を閉じ、すでに話の通じる段階を越えてしまっていた事を落ち着いて飲み込んだ。やがて風が落ち着いてくると、懐かしむような目で神話の英雄を模した顔の彫像を眺めるフレイヤとすれ違い出口へ向かう。目を合わせる素振りは互いに無かった。
「これだけは覚えとき。次シヴァやらうちに火の粉がかかれば実力行使。絶対にとめる。」
フレイヤは風に流された細い髪を軽やかに遊ばせ、払うこともしない。くすぐるような返事は弱った風に乗せるように優しかった。
「お姉さんの手間はとらせないわ。」
ドアに手を掛けようとしたロキは怪物祭でみたバッツの寂しい顔を思い出した。
「…次その呼び方をしても許さんからな。」
フレイヤは右手を口に添え、この部屋へ来たときのように意識をバッツへ向けた。口こそ動いていたが、言葉に意味はなかった。
「そこまで大事だなんて、妬けてしまいそう。」
わずかな音も立てずにゆっくりと開いたドアを押すロキは、ここ数日で何度も唱えていた言葉を再び反芻した。
(お前はなんもわかってない。バッツは人の子、神を、使う側や。)
ーーーー
バベル内、ヘファイストス・ファミリアの店で昼の休憩がてら可愛い新人たちへ送る物品を漁っていた次期団長候補ラウルは、唐突に首をひっつかまれ、同時に周囲にはわからない程度の神威をあてられ腰を抜かしかけた。
「おい、こんなとこでなにやっとるん。」
神威に耐性のない大勢の人間の一人であったラウルは本能的にどうしようもなくなり、力なく振り向いた。仕える主神の、見目麗しき怒れる顔がそこにあった。
「うおっ、え、神様、なぜ怒ってイラッシャイマスカ?」
突然首を捕まれて無茶をやらされるのは慣れたものだったが、普段とは明らかに雰囲気が違う。神威を発している時点で結構な事態である。きっと何かあったに違いない。八つ当たりされているのだとしてもすでに冷や汗が止められない。
「うるさい。まあなんでもええ。今からさっさと団長に英雄譚を探して持ってこいと伝えろ。誰よりも早くムーの新作を押さえろって言えばフィンもすっ飛んでいくやろ。」
ラウルは困惑した。ロキの雰囲気と発言の内容が一致しない。それほどこの前1日だけ大声で宣伝しまくられたらしい、あの話題の新作の初版が大事なのだろうか。ロキ・ファミリア全霊の、深層攻略を行う大遠征が近いと言うのに。
「こ、このあと遠征の準備が…」
すでに最後の抵抗として大義を掲げるしか出来ないラウルへ、ロキはその首を押さえる握力を強めた。非力な女性でもだとしても神である。人に対する威圧としてはそれで十二分に働いた。
「はよ行け。ウチは今、かなりきてる。」
ラウルが顔中の汗か涙かわからなくなった液体を拭うことなく駆け出す。見送るロキの笑顔に気付くことはなかった。
「いつまでたっても素直なのは、ホントええとこや。さて、うちも仕事仕事。ラウルばっかり走らせとったらまた兄貴の剣が降ってくる。」
ロキはラウルの選び終わっていた分を買い取り、搬送も頼むと早足にバベルを後にした。
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シヴァは自室で少し早い昼食を終え読書中。
いまだに丈夫でないものを見付けては手早く取り替えさせている、飾らない淡白な部屋。門番へお願いして拝借した、何十年も歴代の門番の休憩に使われつづけた、丈夫さが取り柄の無骨な木椅子をきしませて、その目は閉じかけている。脇机には興味の向くままに取ってきた4、5冊の本。
ちなみに今の門番はシヴァが使うはずだったものを賜り、ファミリア内でちょっとした有名人となっている。グリーン・ドラゴンの美しく光る苔色の革が張られ、真っ黒な木材にミスリル金具の上品な、手足を伸ばして寝られるほど大きなソファー。外に置かれて異様に目立つこのソファーの耐久性は抜群、雨が降れば汚れが落ちてむしろ都合がよいほどだが、身の丈に合わない代物をほとばしる緊張の顔で律儀に使いつづける姿に、最近仲間からの差し入れが増えたらしい。
こんな静かな昼のシヴァへ聞こえてくるものと言えば、お気に入りのこの椅子のきしみと本をめくる音だけだったが、あくびを噛み殺すと同時に風と共に唸る声が舞い込み、心地よいまどろみに浸ることは許されなかった。その穏やかでない声色に目は冴え、本を閉じると同時にドアが叩かれる。唸り声の主である女神は使用人がドアを開くなりすでに十分響いていた音量を更に上げた。
「シヴァ~、バッツが大変なんだぁ。」
「ヘスティア、平常心というものを知らないのか。」
「それはベル君にあげた!いいから聞いておくれよぉ。愛しの我が家を黙って飛び出して、ミアハの所の、ふかふかの!ベッドで寝てるんだってさ。しかも今は会えないって。」
「ふむ…その調子ではどうせやれることはない。諦めろ。」
「さっぱりとひどい!」
使用人がシヴァへ入室の許可を取ったのち、紅茶が運ばれてくる。ヘスティアは大規模なファミリアの神の扱いを改めて思い知り、家族と離れて過ごすのは嫌だと思った。すぐにベルの神を一方的に崇める態度も思い出し、彼とファミリアが順調に成長すれば将来は目の前の光景に重なるだろうと思うと気分は落ち込んだ。
目の前で女神が顔をあげたり下げたりするのを見ていたシヴァは、しかしそれを気にしなかった。
「会えないのだろう?そして我々には金も策も無い。ならば鍛えて構えろ。降りてきた神々でも肉体はともかく心は鍛えられる。そうなると誓えばだが。」
「…ごもっとも、だなあ。」
「なんだ。私も仮暮らしの身だ、なにもやれるものはない。」
「いや、こういう話を聞いてくれるだけでよかったのさ。ありがとう…アリガトウ。」
「…癒しか。言い過ぎたな。悪かったが、その類いは苦手だ。」
「気付いてくれただけでも才能あると思うぜ…」
「そうか、では最後に見たヤツの話でもしよう。」
「うん。よろしく頼むよ。」
「今のは人並みの冗談というやつだ。一般的らしいものにならうと、まだ死んでないから止めろと言うところだぞ。」
「え?故人を偲んでってこと?…ヒドイ!」
「遅すぎる。…この前朝からバベルへ向かうバッツを捕まえたのだが…」
「話は本当にあるんかい!」
「今のは良かった。笑えるぞ。」
「顔が笑ってないんだけど!」
「顔のことはいうな。生まれつきだ。」
「そういう意味じゃないんだ!もう、分かって言ってるな。」
「ああ、ガネーシャに冗談は素晴らしい文化だと毒されてな。お前も覚えるといい。」
「ボクだってバカじゃない、少しくらい言えるさ。けど、そんなことよりバッツの話を続けて!」
「大した話ではないが、時間は大丈夫か?」
「今日は空けてきたよ…やっぱり仕事は手につかなかったから。」
全く平気そうなシヴァの考えることは分からなかったが、少しずつ人を気にする事もある性格だと分かってきたヘスティア。
こちらもお返しにとバッツに色々教わっている様子のベルの話も交え話は盛り上がった。無事を祈るばかりのヘスティアに対してシヴァは戦うことにも関心があるようだった。
ヘスティアは安心したのか、はたまた貧乏性が抜けないのか紅茶と茶菓子のお代わりをしっかりと要求し、昼食がわりに腹一杯になるまで日頃手の届かない高級品を堪能すると満足してホームへ帰った。
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これで世界は大丈夫なはずだ。もう無を使えるやつはいない。でもあとは帰るだけだっていうのに、みんないなくなった。もうどれくらいたったかもわからない…ここは何も感じない。でも、誰かいるような気がする。
「いつまでもこんなところに居るんじゃない。」
(…親父?)
「気合い入れろよ、のんびりあくびなんぞしているのはお前だけだったぞ…」
(なあ聞いてくれよ…あれ?)
「行くのだ!」
声がでない。息も出来ないけど苦しくはない。
不意に風にふかれたような気がした。体が重くなる。落ちるような感じがして、親父の気配が遠ざかっていく。
…なれない臭いだ。ちょっとまぶしい気もする。
ということは、ここは無じゃあないのか?