冒険に異世界を求めるのは間違っているだろうか 作:その辺の人
ベルの修行は、4日目にしてアイズとバッツが稽古する時間を上回った。
5日目。天気が悪い。風を追って見上げれば流れの早い曇り空。
組手する時間が増えると共に、ベルは精神的な負荷にまいっていた。日に日に減っていたバッツの笑顔が消えていた。
あまりに冷静な眼差しで意識を手放す直前まで追い込み続け、いよいよアイズの攻撃よりも、そこまでと止めてくれるバッツの声がしないことに恐怖を覚えはじめた。
死にものぐるいで食らいつき、自分の限界が自分より良くみえているらしい二人にしっかり限界まで疲労を背負わされる。倒れた直後に惜しみ無くポーションを使って治療されるのも精神的にきつい。
市壁の上は特に風が強い。余裕が出れば時折真横になびく黄金色に目を奪われつつ、みえない背中に近付いていると信じて襲いかかる圧倒的な技術の数々を体に叩き込まれていく。
何本か毎に交代し、癖をつけないためにバッツとも手合わせする。
アイズが下がったあと倒れている暇はくれず、行けるなと声をかけてきたかと思えば手を取られて立ち上がらせて来る。いざ一本取り合ってみれば似たような身体能力のはずなのに、特に隙も見出だせないまま、しばらく続くと突然剣を突きつけられる。
日頃の特訓と違うのは、いつもの明確なアドバイスが無いことと、視線や表情や掛け声の類いが全く無い事。
ベルは初めて敵として立ちふさがったバッツの冷徹さに泣きそうだった。
アイズの視線はバッツの詰ませ方に注がれている。ベルが恐怖していることはこの場の誰もが察していたが、本人を含め冒険者の矜持がそれを口に出させなかった。
(ダンジョンのモンスターってこういう雰囲気であってたよな?なんというか、ただ容赦なく襲ってくる感じ。雰囲気にのまれるなよ、ベル。)
(あの踏み込みは脅し。見えていない剣がもう首に届いてる。…あの距離で構えた剣先は相手に合わせて少し動かすだけで勝手に刺さる。私も引っ掛かった。先に振る時も相手の腰が下がる癖に合わせてるから避けても体勢が悪い。この調子じゃあ反撃なんて絶対届かない。バッツは一回も直接触れないまま詰ませてる。なにがしたいんだろう。)
(アイズさんとは全然違う。目で追えるのに僕の体が急所をさらしてたり、言われるまで詰んでるのに全然気付かなかったり。疲れのせいなんかじゃない。何がどうなってるんだ?)
ついに下がるだけになったベル。戦意が折れたことを察したバッツは武器を腰の鞘にしまった。
体の細い線が出ている白い服に鞘の位置、武器種とその持ち方までアイズと同じで違うのは体格程度。ここまで似通っていながら全く感覚の異なる戦闘にベルの頭は理解が追い付かなかった。
「ベル。勝つって決めたら、勝つんだ。逃げるのは、そうするって決めたときと、作戦があるときだ。わからないからって、止まるのが一番いけない。」
アイズは合点がいった。バッツはベルが危険を犯して何かを試すのを待っていた。好意的に取れば勇気は冒険者にとって命綱を無限に太く長く出来るということだろう。結局のところ死ぬまで立ち続けるには冒険が必要で、それが生き残りにつながる。
心が落ち着かないまま、それでも素直に考えはじめるベルに、バッツは構えた。驚いて飛び退いたのを気にもせず続け、一つ宣言する。
「考えすぎても仕方ないさ、どうせ答え合わせなんて出来ないんだ…今度はさっきと逆に、俺は一度だけ。振るのは一度だけだ。」
アイズは、これからバッツが気合いを当てると確信した。死線を越えた経験が、少年が修羅場に呑まれると告げた。
ベルは顔を歪めた。いざとなって何も思い付かない自分を責めてしまう。
じり、とすり寄ってくる音のひとつで一気に張りつめた。もう始まっている。
バッツは半身とまで行かない程度に引いた体を前に傾け腰を落とした。右足と共に前に出た右手はへその前あたりで柔らかく遊び、左手は剣の収まった鞘へ軽く添えられている。およそ回避は考えられていない。アイズもこの構えは全くの初見だった。
気付けば二人の距離は半分まで縮まっている。得物の長さを考えれば、なにかが起こるまでの猶予は3Mを切った。
ベルは動かなければと目に見えて焦り、とりあえず下がりはじめる。忠告を受けたばかりでも、本能が体を後ろへ動かしてしまった。
見守るアイズから見た二人の状況は全く変わらないままだった。
ただ異常なのは、動いてこそいるが足音の数がやたらと聞き取りづらく、少ないこと。そして上級冒険者の耳をもってしてもバッツの呼吸の深さ、リズムが追えなかったこと。何が起こるかはわかっても、それがいつなのかは全く予想出来なかった。
しばらくするとベルが足を止める。少年の背中に少し壁が近付いただけだった。
風向きが変わる。追い風に頭を押されながら、ベルは目を細めた。
頭をわずかに下げ、靴が石を噛み、ゆっくりと右手が柄に向かうのが見える。音がしてからでは間に合わないと悟った。
今の空と似たような、終わりの見えない思考の雲が吹き飛ぶ。気付けばあらんかぎりの叫びと共に、短い黒刀を震える両手で押さえながら前へ出ていた。
瞬間、風が刺さるように鋭くなった気がした。
真一文字だった口が開かれる。
「必殺!」
短い大声で、自分の叫びがかき消されてしまう。きっ、と。眼光に撃ち抜かれて時間が止まる。
膝が固まり、すぐに崩れるのがわかる。
頭のなかは、全て終わったという真実で押し潰された。
「そこまで。」
力なく両手を床につき、下がりきった視線を上げれば、抜かれるはずの武器を強く押さえた厳しい表情のアイズが立っている。
「うう…」
「…ベルなら大丈…」
「そんなのは駄目!…人にやっていい強さじゃあ、無かったよ。」
ベルは緊張の糸が切れ、うずくまって声もなく泣き出した。バッツは自分が何をしたか気付き、あわてはじめた。
ひたすら謝る師匠に肩を震わせ泣き続ける弟子を、アイズは見ていられなかった。
バッツをある程度離れるまで引き剥がすと、反省する目を見つめながら言った。
「バッツ…今日はおかしいよ。」
「そう、だな…信じてくれとは言わないけど、聞いてくれ。」
元より嘘をつく性格ではないと思っていたが、突拍子もないことを言い出すのもバッツだ。しかし本気で語っているのは十分わかる。まっすぐ合わせてくる目には、焦りのようなものも混ざっているように見えた。
「ここ三日、寝ても覚めても嫌な風が吹いてるんだ。」
「風が…?」
「いつもそうなんだ。なにか起こるときは風に呼ばれる。今俺たちは三人で暮らしてて、ベルは家族がいなくなったから、ここで冒険者になったんだ。また誰かがいなくなったら…きっとみんな耐えられない。」
自分が冒険者になった時の事を思い出した。両親がいなくなり、覚えた怒りと喪失感の波は未だに心を揺らし、凪いではくれない。泣きじゃくる少年もそうなのだろうか。
「嫌な予感がするから、急いでベルを鍛えるの?」
「ああ。俺がいつも付いていられる訳じゃない。それに、あいつ良く言うんだ。強くなりたいって。」
「それでも…」
「わかってる。やり過ぎた。加減できなかったなんて、言い訳だ。」
「…どうしようか。」
「俺は今日までにする。明日から、ベルをよろしくな。あいつも俺も、休んだ方が良いかもしれない。」
「私こそ、ためになりました。」
「よせよ。こんな有り様だ。」
「誰でも失敗する。ベルも許してくれる。」
「そう…だといいな。」
「また、必ず。」
アイズの約束に返事は無かった。
顔をあげない少年に、目を会わせないまま一言かけて去っていくバッツの足取りは重く、あれほど吹いていた風は止んでいた。
ーーーー
「どうしようもないほど怖いことのあとって、どうやって立ち直るのかな。」
「具体的に言ってあげられないけど、やれることをひたすらやるかな。」
「この前階層主を倒したのでは足りなかったか?」
「…何となく、気になったの。」
「んなやつ、もう死んでるだろ。気にするだけ無駄だっつの。」
「コラー!寒いこと言うなら犬小屋で寝てろ!」
「うるせえ!この…!」
「あいつら…怖いことは、生きてさえいれば時間が流してくれるじゃろう。逃げるのも悪くはないと思うがのう。」
「そのとおりだね。受け売りだけど、勝てない戦いはしなくてもいい。冒険者でないなら。」
「なんだ。真に受けてはやらないが、チェスに負け続けてやるつもりもないぞ。」
「…」
「僕はなにも止めないし、ロキにも言わないよ。」
「…顔に出てた?」
「面白いことを言うね。どう思う?リヴェリア。」
「冗談を言えるようになった、とは思えないが。それほど顔に出てはいないな。」
「というわけだ。でも僕らからみれば、ある程度は分かるだろうね。」
「何で?」
「短い付き合いでもないし、やっぱり分かりやすいからかな。」
「…良くわからない。」
「顔をつまんでも可愛いだけじゃな。」
「悪は去った…!」
「ティオナ、良くやった。」
「うん!楽しそうなアイズの邪魔はさせないよ!」
「私、楽しそう?」
「昨日もそうだけど、こんなに考えて話したがるなんて、楽しいからでしょ。やっぱりバッツのことが気になるの?」
「「ほう…」」
「さすがにそれは見過ごせないな。団長として。」
「今日の話は、バッツの事じゃない。」
「ありゃ、外しちゃった。これしかないって思ったんだけどなー。」
(関係ないわけじゃ、ないけど。)
ーーーー
「神様、僕はどうしたらいいんでしょう。」
「よし、話してごらん。ボクが全身全霊をもってなんとかしてみせる。」
「…バッツが、すごく…怖かった…まだ、怖いんです。」
(バッツ、本気でベル君の相手をしたのか。君はいったい、何を焦って…)
「…誤魔化していられるほど余裕もないから正直に聞かせてくれ。もしかして、殺されかけたのかい?」
「そんなこと、あるわけないですよね?仲間なんだから…」
(理由はあるはずだ。きっとそれは、ベル君が強くならないといけないこと。…冒険が、あるんだ。)
「ああ!そんなわけあるか!一応直接、訳ぐらいは聞いてみるけど。」
「今日は帰ってこないって…どこにいくかも聞いてません。」
「…ほらおいで。今日はもう寝よう。たまにはこっちの布団で寝ようじゃないか。大丈夫、悪い夢は見ないよ。なんたって女神の加護付きさ。」
ーーーー
(女の子に男の子だぞ。俺がしっかりしないでどうする…ボコならもっと上手いことやるだろう…何となく通りをまっすぐ歩いて、ダンジョンなんか来てみたけど、何もする気になれないな。)
「おお!その背中は、バッツ!」
「ツバキ。こんな時間に、そんな武器だらけでどうしたんだ?」
「黙って試し振りをするにはこんな時間でないとな。安い素材にこだわってみたが、改心の出来だ!」
「良かったな。じゃあな。」
「待て!待たんか!」
「なんだ。悪いけど今は気分が良くないんだ。」
「そうか。ここまで来たならもっと潜るんじゃろう?一緒に行こうではないか。」
「他のファミリアと絡むのは良くな…」
「構うか。行くぞ。お主ほどしみったれた顔が似合わん奴は見たことない。」
「…10階層までな。俺だってレベル1なんだ。」
「そういえばそうだったな!儂なんかよりよっぽどやれそうなくせに。」
「そんなことないさ。」
「こいつを使え。見たところ素手、鞄もなし。死ににいくのは見過ごせん。」
「そんな話し方だったか?」
「あ、あれは忘れろ。それなりに緊張してたんじゃ。」
「緊張って?」
「気にするなと言っておる。ほれ、はよう歩かんか。」
「着いたな。気を付けて行けよ。」
「おう!…って行くと思ったか。儂もここでやる。駄賃の分は働いてもらうぞ。」
「どうすればいいんだ。」
「その剣。少しくらい遠くても良い、モンスターが出たら振ってみい。」
「オークか…ふっ。」
「ギャァァァ…!!」
「なんか出たぞ。これお前が作ったのか、凄いな!」
「…まだまだじゃな。ほれ、もうこんなヒビが入っておる。」
「え?悪い!なんにもぶつけてないつもりだったのに!」
「ああ、そういうものだから気にするな。使えばそのうち、いやすぐに壊れる。」
「そうか…良かったのか?こんなところで使っちゃって。」
「お主の腕は、こんな魔剣ほど安くはないんだがのう?」
「…みんな買い被りすぎなんだ。」
(おっと、詮索はしたくない。が、ダンジョンでは存分に奮ってもらわねばのう。)
「こんどはこれで頼む。魔剣ではない。心置きなく見せてくれ。」
「ようし、凄いの見せてくれたし、俺のも見てくれ。今のでやりたくなったことがある。」
(よし!元より期待するなと言うのが無理な話。見せてもらう。)
「ふっ!」
「ギャァァァ!!」
(…間違えて魔剣を渡したわけでは、ないな…詠唱もない。あの小手が魔法道具?)
「どうだ!その剣ほどじゃないけどな。」
「それを返せ。…何も変わり無い。温度くらいか。あれほどの熱なら刃がおかしくなってもいいはず…」
「どうしたんだ?武器は平気なはずだけど。」
「何をした!」
「魔法剣さ。聞いたことないか?」
「魔法なのか!?信じて良いのか!?」
(しまった!俺が魔法使えるの知らなかったのか。)
「今日はもうやらない。疲れるんだ。」
「あ、ああ。こちらこそ良いものを見せてもらった。…所で今の振り方だが…ええい邪魔!」
「ギ…!」
「やっぱり俺いらないだろ。」
「そんなことあるか!切れ味なんぞよりお主の技を見たかったから連れてきた!」
「…ありがとう、気を使わせちゃったな。」
「礼は技で返せ!次は好きに選ぶといい。」
「俺が使ったこと無いのは…ないな。」
「なんだと?剣だけじゃないのか?」
「まあ、使うだけならな。」
(底が見えん…我ながら下手な手を打ってとんでもない逸材を逃しかけてしまった…絶対に放すものか。)
「時間は大丈夫か?」
「無理でもお主に合わせる。」
「俺は、特に何も考えてなかったんだ。」
「それは好都合!寝かさんから覚悟しろ。」
「…助かるよ。」
「言うのう!ここからはお主がどこまで持つかじゃ。腐ってもレベル5の儂に気遣いはいらん。」
ーーーー
「ただいま。」
「おかえり。」
「外はまだ真っ暗だぞ。ちゃんと寝られたか?」
「ううん。でも、神様がついててくれたから。」
「ごめんなベル。俺はお前がまた危ない目に会うんじゃないかって焦ってたんだ。」
「また?…思い出したの?」
「なんか、そんな気がしたんだ。やっぱりそうか。」
「そうだよ、僕…何でもない。」
「辛いことばっかりさせて悪かった。今日からはまた、アイズと二人でがんばれ。」
「そんな…僕は…」
「俺がいて、やれるか?」
「うっ…うう…」
「ベルはベルさ。自分の出来ることを信じれば何とかなるんだ。」
「僕に出来ること…」
「…ちょっとだけ、俺の昔話を聞いてくれ。」
「…」
「おっきな船がモンスターに乗っ取られて壊されそうになったのを止めたことがある。そいつ、馬なんか丸飲みしそうな炎の塊で、形を変えて動くんだ。」
「炎のモンスター…」
「いざ目の前に立ってもただの炎の塊にしか見えなかった。仕方ないから真ん中を切ってみたんだ。」
「危ないよ。」
「なにもしなかったら船が壊されて街が火事になるだけだったしな。時間稼ぎだけでもやらなくちゃいけないって思ったんだ。仲間もいたから頑張れた。」
「…」
「でな、効いたんだ。炎が弱くなるところがあった。それでやっと勝てるかもしれないって思ったんだ。」
「剣が刺さってもまだ倒せないの?」
「ああ、渦を巻いたり、手みたいになったりした。やっぱり俺もすぐ体が燃えはじめて、本当に熱かった。でも、倒せるって分かったから、ここで勝つって決めたんだ。そこからは自分の体を燃やしてせっかくの傷を治したりするもんだから、炎を作らせないように…」
「そんなことしたの!?じゃ、じゃあみんな引っ張られて…」
「…良く効いてた氷が効かなくなったんだ!しかも…」
「んんー、うるさいぞぉ。」
「おはようございます。今良いところなんです。」
「おはよう。それで街で買っておいたのを思い出して…」
「んん?バッツとベル君が仲良く話してる…なんて素敵な夢なんだ…ぐぅ…」