冒険に異世界を求めるのは間違っているだろうか   作:その辺の人

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時間が空いてしまった。
この時期はいつもそう。


冒険、観察、遭遇

朝。寝ずに進み続けたダンジョン14階層にて、互いに集中力を切らさないまま進行をつづける。

ここがどこか分かった上で、未知の何かをとりあえずつんつんして遊ぶことすらはしゃいでやってのける男を、フィンは見飽きることがなかった。

 

(探求心がある、興味が尽きないのか。そのわりに勉強は好きではないと言っていたし、知識欲に取りつかれているわけでも無いらしい。ああ、その草の根は抜くと臭うぞ…こっちに持ってこないでくれ。)

「くさい!どうすればいいんだ?」

「水で洗うだけでいい。途中で香草でも拾っていこう。」

「水か。次はどこで汲める?実は18階まであと少しだから飲んじゃったんだ。」

「君ばかり戦っているから喉も乾くだろうね…僕のを使ってくれ。」

「よし!」

「何をしてる?手を洗うんだ。」

「え?根っこ食べたかったんだよ。エイナが非常食に食べられるって。」

「君というやつは…」

「おっと、あそこ割れるぞ。ベルもどきだ!」

(こういうのは僕より鋭い。と言うより良く見ている。ダンジョンの中なのに今日は良い風が吹いているとか言っていたのは、この親指と似たようなものだろう。全く、僕でないと妄言甚だしい仮定だ。)

 

「俺がやる。犬が生まれて来たら下がるからな!」

音を殺して走り出したバッツが短剣を抜くと、突如バックアタックだ!と叫んだ。これをした時の急襲成功率は十割からぶれる気配がなく、それはこのアルミラージも例外ではなかった。

見ていただけでは忍びない、せめてこれくらいはと魔石を砕いて死骸の処理を終えたフィンにその掛け声はなんだと聞かれると、バッツは、よくやられて危なかったから知らせるのが癖になっていると返した。やられていたはやっていたの間違いではないのかと聞き返そうとしたがモンスターの発生で邪魔され、微妙に気になるまま16階層へと降りた。

 

(あの武器はアイズのデスペレートより高価かもしれない。本当に勇者の遺品と言われても信じられる。こんな階層のモンスターなんてあの技量と切れ味を合わせれば身体能力の差なんて無いようなものだ。光っていなくとも余裕か、なんの参考にもならない。)

一度魔石の位置を覚えてしまえば人より大きなライガーファングにさえ有無を言わさず急所を突くことは容易く、この階層でもバッツの立ち回りはこれまでより速度をあげれば問題にならなかった。

徹底した先制攻撃によって囲まれる危険を排除し立ち止まることなく行われる戦闘は、フィンの予想の3割ほど早い攻略速度を叩き出している。

モンスターの発生を見て、それを構えて数えるだけの冒険者とは考え方と練度が違う。鼻の良さに頼っているベートや脊髄反射で動くアマゾネス姉妹にも一流としてこういう立ち回りを覚えてほしいとフィンは思った。

 

いざというときの連携は驚くほど滑らかで、バッツが引き付けてモンスターを走らせる流れをつくり、囲まれるようであればフィンがなぎ払って即座に包囲を回避する。もっとも、1対1での戦闘が全く問題ないバッツにフィンが手を出したのはそんな状況だけで、正確には大量発生に巻き込まれた2回を数えるのみだった。

1対多の状況も多少はこなした。心配といいながらも、ふたを開ければ腱を切られたり目に泥を被ってくらやみに慌てたモンスターが順序良く相手取られ、砂を噛んでいく。相手に合わせた無力化の手段の多彩さと実行の早さをフィンは惜しまず称賛した。

実際に土や石、現地の植物を使う戦い方は文字通り泥臭く、現代の冒険者には見下されがちで、それはギルドでは指南書の角に補足で載る程度の原始的な戦い方だったが、道具など最低限の薬しか持たない身軽さであった事もあり良く機能した。元より探索で汚れまくったバッツの手がこれ以上泥を掴もうが誰も気にしないどころか、フィンはこの汚れながら進む姿こそ冒険者の本来の姿なのだと思った。ここまでの道すがら、小綺麗な人が多すぎるとバッツが語っていたのにも合点がいった。

 

そんな二人は余裕からか、弱いはずのバッツを先駆けにフィンが後を追って進んでいく。16階層半ばへ差し掛かり、初めて見るものには残らず何か言うバッツがなにも言わずに足を止めた。

フィンは親指が疼き、警戒を強めながら前を向くと、大きな角と筋骨隆々の巨体に威圧されるのを自覚した。

(僕らが彼を怒らせた原因にして、彼の家族にトラウマを植え付けたモンスター…なにか思い出すかもしれない。)

「フィン!あいつ見た目より動きが速いから交代だ!」

「ああ。」

(その見解は正しい。だがアイズの言う通りなら、そしてこれまでの動きを見る限り彼は一人でも勝てるんじゃないのか。普通なら消耗を避けていると見るべきだが…)

「それに、見てると嫌な感じがするんだよな。」

「…何か思い出したのかい?」

「何も!」

目を会わせることもなく、モンスターを遠目に、ほんの数秒の会話だった。それでもこれ以上時間をかけるのは危険なだけと判断したフィンは、ひとっ跳びで3M先のバッツの頭上を飛び越えた。素直に穂先を狙う先へ構えると、そのまま矢のようにまっすぐ伸びた切っ先が紙を切る程度の小さな音をたて、ごぼっと血を吹き出させながらミノタウロスの頭を串刺しにした。

ずしんと重く床に沈む音が、消滅を待つのみとなった巨体の声なき断末魔だったが、二人は気にも止めずそれぞれの視界に他のモンスターがいないか見回す。

鼻先から角の間をまっすぐ貫きぴくりともしない両肩を足場に着地したフィンは、すぐにミノタウロスの魔石を突き砕くと振り向いた。至近距離で浴びた血を滴らせる槍は、血振りをせずとも消滅する体に伴い何もなかったかのように鏡のような刃を取り戻していく。

(やはりまだ疼いている。こんなものが原因であるはずがない。)

「低いけど、ジャンプするんだな。きれいに決まった。」

「高さはあれで十分だろう?」

「そうか?やっぱり、うんと高くないとな。」

「…君は、君より強いミノタウロスをこんなにした僕をなんとも思っていない。」

「俺だってあんなのに負ける気はないけどな。頼りにしてるぜ!」

「それは、同じ人間だから?」

「仲間だからさ。」

「…そうかい。じゃあ次は一人でやって見せてくれ。」

「仕方ないな。信じてないなら見せてやる。」

 

そうこう言っているうちに再びミノタウロスの足音を聞き付けたフィンに案内され、向かった先は目と鼻の先まで迫っていた17階層。嘆きの大壁までたどり着けば晴れて18階層までの往路はロキ・ファミリアが予定通り安全に過ごせることになる。

しかし、遠くでミノタウロスのたてる音を追うフィンの親指はより強く疼き出し、すぐに聞こえる音は異常な足踏みに加え怒声のような咆哮ばかりとなった。

未確認の問題は回避できない。遠征のために安全を確保するのが独断で行動している自分の出来るわずかばかりの貢献なのだから。

「バッツ。正直に言うとこの先のミノタウロスは、なにかおかしい。連れてきておいてなんだけど、亜種ならば僕が殺す。」

「ちょっと強いだけだろ?オメガがオメガ改になったからって…それはマズいかもしれない。」

「オメガ?なんだいそれは。」

「一人で動く機械さ。めちゃくちゃ危ないからちょっと前に壊した。」

(魔法道具の延長にあるものと思っていいのか?いまのオラリオにそんなものを作れる人がいるだろうか。昔話の賢者ならあるいは…本当ならそんなとてつもなく価値のあるものを二つも壊したのか。デタラメだとは思えないなんて、アイズに感化されたかな。)

 

「ここを曲がる。あとは真っ直ぐ行けばミノタウロスがいる…だろ…」

今度言葉をなくし足を止めたのはフィンだった。

(おかしい…この音は人の武器だ。それがなぜミノタウロスの足音に合わせて床を擦り続ける?)

フィンは自然に冒険者の武器が奪われた可能性を想像する。つまりはこの先に散らかった死体があり、ミノタウロスが今も吠えるほどの興奮状態であることを考えると、つい先程殺された可能性が高い。人の武器を理解するミノタウロスなど、やはり逸脱した個体、亜種と考えるのが道理だった。

「先に行く。君は追って…!?」

明らかな異音の中にはっきりと混ざる人の声はミノタウロスを圧倒しつつも十分に理性を感じさせる。

先にあるのは事故ではなく狙って作られた環境に違いないと考えを改めた。弱りだしたミノタウロスの声から察するにもう終わりが近い。これ以上踏み込むべきではない。

「どうした!」

「いや、もう帰ろう。テイムの最中らしい。」

「お!俺見てみたいな。」

「止めるんだ!」

突如慌て出すフィンに制止され、つられて声を大きくしたバッツは、軽く捕まれたはずの腕が全く動かせず驚いた。

瞠目するレベル1を気に止めないままレベル6は続ける。

「今声が聞こえた…オッタルなんだ…この街で最強と名高い、レベル7の猛者の声だ。」

 

(僕がこんなところにいるのは向こうも気付いているかもしれない…なによりフレイヤ・ファミリアとバッツが接触するのは避けなくては。追われれば確実に速度では追い付かれる。オッタルがなぜこんなところに居るのか考えている場合でもない、いっそ担いで走る方がほうが早く戻れるか?)

「なに黙ってるんだよ…誰でもいいけど話せばわかって通してくれるだろ。回り道したっていい。もう少しで帰るのはもったいない。」

前を行こうとしたところで巨木にでも絡まったかのような頑強さで固定された腕を千切るわけもなく、歩くふりだけしてしつこくアピールしている。

担ぐのを諦めたフィンは説得して帰ることにした。

「先に進みたいが、君一人では危ない。オッタルについて話す。まず、僕より耳がいいだろうからさっきの大声を聞かれてるかもしれないことと、あちらは僕たちロキ・ファミリアと仲の悪いフレイヤ・ファミリアだって事が不味い。」

「フレイヤ…ああ、俺を狙ってるっていう神様の仲間なのか。」

そうこうしている間にもモンスターの発生が有りそうなものだが、運が良いのか悪いのか全くその気配はなく、気付けばこの道で音をたてるのはこの二人だけとなった。説得するなら今しかない。

 

この男は出会った人々の中でも最も素直。よって正直に話すのが一番効くだろうと考えた。フィンがしっと一息歯を通して鳴らすと、二人の声はより小さくなる。

「現状ロキの考えでは、君は三大討伐対象、黒竜並の重要度だと聞かされた。だから今から、絶対に街へ返す。」

「黒竜?それってどれくらい重要?」

「…軽くこの国が滅ぶくらいってことさ。」

「俺はそんなことできない。」

「気持ちの問題じゃない。わかってくれとは言わないが、僕らはそういう目で君を見ている。」

少しがなる道徳心に胸を痛めながら、淡々とロキ・ファミリアの意向を告げる。ロキの考えを持ち出した時点で1対1の話ではなくなり、互いの顔が曇るのは分かりきっていた。

「腫れ物扱いは嫌だな…」

「すまない、君を善人だとは思っている。それは信じてほしい…」

バッツは暗い顔をしたのもつかの間、フィンの肩に手を置いて真っ直ぐ見つめると僅かに広角を上げ、冷静に意見する。

「仲間なんだ。俺がお前を怪しいって考えてたらここまで来てないって分かってるだろ?どうしたんだよ。」

最後の確認だった。全く悩みのない瞳を見て、フィンは思わず二人ならこのままオッタルを何とか出来るかもしれないと、根拠のない自信がわいた。自信は予感となって心に広がったがすぐに経験と理性が否定した。結局この事態の緊急性を納得させる返事は出来そうになく、さらに黙ってしまった。

遠くのミノタウロスの声も消え、フィンはいいから帰るんだと言いかけ、らしくない自分に気付く。

それを見たバッツは大きなため息を一つして散漫になっているフィンの気を引いた。

「…うーん、分かった!帰ろう。楽しかったし、18階の街はいつかベルと見に行くよ。」

「助かるよ…そうと決まれば…」

 

「決まればどうする。フィン・ディムナ。」

「「!?」」

低い声がすぐそこの曲がり角から聞こえた。

音もなく気取られずにこの距離まで詰められ、身体能力の差を見せつけられたようだった。

既にこの間合いで逃げるのは悪手。腹を括った二人は武器を構えた。

「オッタル。ロキ・ファミリアはこれから遠征なんだ。邪魔をしないでくれるかな。」

赤く染まった拳から肩が見え、すぐにその大柄な全身を確認できた。血なまぐさい臭いを纏う全身は、魔石を割らずに死骸の山を作ったか、あるいはわざと殺さずに生かしているからか。

武器は無く、道具らしい物もほとんど身に付けていない。威圧感にひりつくのは見た目のせいでないのは確かだった。

「横に新参者を連れていればそうは見えんが。」

見下ろす視線と目を合わせたバッツが前に出る。この場においてはフィンの頭が冷静になればそれでいいと思っての時間稼ぎだった。

「18階層に行きたいんだ。このままなにもしないってのはどうだ?」

「見過ごすことは出来ん。我が主より、お前は…ほう。」

 

互いの空気をうち壊す一歩に猛者の目が輝く。

バッツが迷い無くさらに前へ出た。軽く突きだされ明かりを反射するグラディウスの切っ先は、オッタルの胸に向いている。

戦慄したフィンは更に混乱し、バッツの狙いからは遠ざかっていく。

「やるならこっちにも考えがある。」

(その手はない!ファミリア間のもめ事になると考えないのか!)

「見せてみろ。と言いたいが…フィン・ディムナ、お前は好きにするといい。」

この場では誰も流されない。ロキ・ファミリア団長は勇敢な新参者の横に並び、熱くなる頭を自覚しながらも帰路を断つと決めた。

「彼が狙いなら、退くつもりはない。」

「そうか、ならば嘆きの大壁を調べろ。何もなければ俺も去るとしよう。」

(最悪だ。ムーの本まで嗅ぎ付けられている…はじめからこれがフレイヤの狙いだろう。一歩行かれていたのを知っていてロキは僕を使った。状況は分かるが、さすがにオッタルまで出るなら先に教えてくれ。)

「それって、進んでも良いってことか?」

あっさりと武器をしまい、戦闘体勢を解いてしまったバッツの言葉はこれ以上ないほど率直だった。目をつぶったオッタルの表情はわずかに口角が下がっていた。

「…ああ。」

「よし!行こうぜフィン。壁を調べるだけならいいだろ。あそこはモンスターもいないらしいし。」

「階層主の事を忘れてないかい?まあ今日は確かに何もいないだろうけど。」

 

 

ーーーー

 

 

オラリオ最強ファミリアのトップ二人が謎の冒険者を中心に歩く。冒険者が見れば漏れなく仰天するにちがいないこの即席パーティは、謎の冒険者バッツの緩んだ空気でどうにか正気を保っていた。

「どうするかなー。おみやげ買って帰れるかな。」

(…あの御方の睡眠時間を奪い続けるのがこんなやつとは…)

(胃が痛くなっても仕方がないな、これは…あとでロキには必ずつけを払わせる…)

一人を除きほとんど無言のままたどり着いた嘆きの大壁。オッタルの視線に合わせて壁の中央を天井につかんばかりに見上げればそれは大口を開けるようにゆっくりと開いた。

(明らかにあれじゃないか。ああ…バッツの腰の魔石灯もやたらまぶしい…)

開いたページがめくられて止まる。ゆっくりと目のような紫の紋章が浮き出て、ぐるりとぎょろついた瞳が石細工を見据えた。

(来たか。聞こえるか、持ち主よ。)

「ラムウ!」

(…バッツか。)

「がっかりするなよ。おれもそれなりに大変なんだぞ。見えてるなら早くオッタルを何とかするの手伝ってくれよ。」

「む…」

名指しで厄介者扱いを受けたオッタルは目を細めた。これほど堂々と格下に邪魔者と言われるのは珍事だ。しかも唐突に一人で話始め、今は光る石細工を顔の前へ持ち上げて楽しそうにしている。

「声がするのかい?バッツ。」

(オッタルが何物か知らんが、まあなんとかなるじゃろう。バッツ、危ないからどっか行っとりなさい。)

「え?いま何処に居るんだ!」

(ワシはようやく安全な所に着いたから気にするな。あとできっと会える。それより、もう忘れ事は平気か?)

「ここにいないのか!?じゃあ…うわっ!」

 

本が壁から音もなく離れ、ばたんと大きな音をたてて髪を巻き上げるほどの風圧とともにバッツの目の前へ落下した。近くで見るとやはり大きな本で、そのまま両手で持ちあげると前が見えないほどだった。

「これは、背負って帰らないとな…」

「「その手間はいらない。」」

同時に発した二人が視線を交わす。この巨大な本がバッツの元に落ちてきたことで、互いに使命を悟っていた。

「この場に置いて去れ。二度は言わん。」

「引けない。君もどうせ似たような流れで焚き付けられた口だろう。」

「…ならば…」

(早う逃げんか!もう遅いぞ!)

「え?遅いって?」

抱えるバッツへ本から電撃が走る。不意の攻撃は手を離し尻餅をつかせるには十分だった。目を白黒させるバッツに構わずすぐに本は開き、ページが風をたててめくられていく。

ほとんど白紙に見えたページの数々に、魔法が使われていることがバッツには感じられた。

(ダンジョンだから、誰彼構わず相手取るようにできとる。それよりも…)

「みんな逃げろ!」

叫び声と同時に風とめくれる音がやむ。ページが見開かれた。全員の言葉は途切れ、本に集中している。

白紙にゆっくりと動く模様が浮かぶ。狼の顔と紋章、青く清んだ空気に、吹き付ける風。それらが何を意味するか、バッツにははっきりと理解できた。

「親父…!ガラフ!ゼザ!ケルガー!」

((父だと…!))

(本当はただの動く絵本が作りたかったんじゃ。それがちょっと本気でやり過ぎ…おっと、そいつももう魔力切れか、せっかくじゃ、あとで使いをやる。)

それぞれの模様が浮き上がり、狼の顔を残して消えた。

 

模様は黒く広がり、一人の人形が空に浮き彫りにされた。継ぎ目が金に光る黒い鎧と腰に巻かれた緋色の布、細く前に突き出た角の頭飾りがはっきりと形になっていく。

(これが暁の四戦士なのか?…それよりも痺れているバッツが優先だ。)

「面白い。英雄を模した魔法道具と手合わせできるなど…玩具で終わってくれるな。」

オッタルが徒手空拳で構える。垂れ流される殺気で空気が重くなるのに合わせたフィンは、右手に持った剣を構える狼人の向こう、バッツをめがけて走り出した。

回り込むように離れたフィンを無視してオッタルは黒い狼を睨む。鋭い眼光を帰してくる狼人は影のように音もなく動き出した。うなずく程度に頭が沈んだのを合図に踏み込もうとしたオッタルの笑みが消え、それに気づいたフィンが更に大回りで離れようとする。

「ケルガーは速…」

叫びは間に合わなかった。

ほんと一言の間で、離れたはずのフィンが膝をつき、オッタルは食いしばりながらケルガーの剣を左腕に突き刺している。

 

バッツは目を見開いた。

それは見た事のある技だった。老いて、病に倒れる直前でさえ失われなかった必殺の剣。親父の姿に照らせばおそらく全盛期の姿であろう狼人がそれを振るうならどうなるか、理解できているのはきっと自分だけだった。

幸い装備だけの傷で平気な様子のフィンは放っておき、オッタルの援護を考える。

素手の左腕が剣の貫通を許さないのはどういうことか、ケルガーが装備を含め本物より明らかに弱いのは分かるが、もしかしたらオッタルはベヒーモス並の硬い体をしているらしい。

楽しそうな顔をしているし、見切れてはいないが反応出来ている。盾にするのが良いか。

オッタルにリジェネをかける間に、自分が一撃耐えればそれで形勢は逆転できる。

迷うことはない。左手で取り出したポーションを咥えながら、猛者へ右手をかざす。ケルガーが剣を引き抜き顔を動かすと、開いた傷から血が出るより早く目が合った。

 

余所見する英雄に殴り返すオッタルの体が光をおびて、フィンがまっすぐ走り込んでくる。

最低限体を反らしたケルガーは迫る拳に合わせて刃を向けながら足に力を込めた。鎧の上からでもわかる筋肉の盛り上がりは直感通りの威力を発揮し、拳は刃を避けるわずかな減速のおかげで脇腹をかすめた。光を発散し、傷の治り始めを自覚した猛者が追撃の一手を伸ばすが、既にケルガーの姿勢は低い。

予感できても体が追い付かないバッツは迫る緋色のはためきを追い、急所を守ることだけで精一杯だった。

あっという間に詰められて残り6M、目を閉じることだけはなく、最後の瞬間までいつか見切った経験を生かそうとケルガーの生命線である脚を見る。

 

バッツを見ていたフィンは、最後の抵抗である視線の動きをしっかり把握し、槍を握り直した。

(奴のつぎの一歩で合わせる。)

剣の届かない一方的な距離、真横から走るまま腕力に任せて薙ぐように繰り出した脚への一撃。一番の武器である機動力を奪うためにバッツとの距離を材料にした一瞬の駆け引き。

「フィン!止まるな!突き抜けろ!」

徐々に叫び声が荒いで聞こえる。当てた感触はない。鮮やかな緋色が伸びる。少なくともバッツとの間に割って入れるはずが腰布を裂くだけに終わった。

確かに奴の脚が着いた瞬間に合わせたはずだ。それなのに奴は半歩遠ざかっただけで無傷。床の足跡が深い。それだけ強く、そして速く踏んでいる。

 

ケルガーのステップは変幻自在だった。狼人独特の、柔らかく、一見たたらを踏むような動きは、しかし減速もなく静かに方向転換を可能にする一流の技術。槍を使うフィンの得意とする間合いは、より短い得物である剣を使うにもかかわらずケルガーの最も得意な追い込みの間合いだった。

 

フィンは声に従ってすかされた槍を引き、そのままバッツの元へ加速する。

首を守るバッツの胸へ容赦なく伸びる剣が突然ぶれ、切っ先が落ちる。致命の刃を落とす横槍が間に合ったが、それでも脇腹へ食い込み、完全に切り払うことは出来なかった。椿の鎧がひしゃげて刃を反らす。防具がなければ間違いなく体を裂かれていた。激しい金属音に次いで猛者の右手が伸び、ケルガーの背後から裂けた腰布を掴む。

現れて目があってから10秒もなかった戦闘は、オッタルの圧倒的腕力に捕まれたケルガーが抗えなかったことで勝敗を決した。

(鎧を着込んでおきながらなんて初速だ!僕どころかオッタルが置いていかれるなんて規格外もいいところじゃないか…魔法道具でありながらゴライアスなんて赤子同然。これほどの技術、ムーが賢者なのかもしれない。)

残り1Mを切った目と鼻の先にいる狼人へ、バッツは話しかけた。

「ルパインアタックはどうした?」

「…今は第3章だ。知りたければ第2章を見ろ。」

低く唸るようで落ち着いた、群れの長を思わせる声だった。まさかの返事に驚くフィンを置いてケルガーの肩を引き、振り向かせたオッタルが口を開く。明らかにその目はこの戦いが物足りないと訴えていた。

「死ぬまで戦う定めならば、見せてみろ。」

手を離すオッタルを見て警戒した二人に反し、ケルガーは静かだった。ただ、先程までとは違い、視線が猛者だけを見据えている。

バッツの安全を悟ったフィンが本へ手を触れるとケルガーが話し始めた。

「これは唯一の初版だ。始めに触った者を覚える特別な本。つまりバッツ・クラウザーでなければ読めず、そして他人に見せることあたわず。」

「なぜだ。書とは知識の共有こそが本分だろう。」

「遊びだからだ。気づいた者だけに教え、そしてその者の思い出とともに消える。知りたくば読んだ者に聞くか、第2版を待て。」

(遊び、か…)

「行くが良い。もう用はない。」

言うが早いか、地響きの後に叫ぶ声が部屋全体を震わせる。

呼応して吼えるケルガーに安堵した二人はもう電気を帯びていない本を閉じた。

「帰ろうバッツ。本は僕が持つ。」

「18階層が…仕方ないな。」

ポーションをしまったバッツは剣を収めた。

 

 

ーーーー

 

 

背中の本で上半身がまるごと隠れた小人とバッツが全力疾走する。

明らかにお宝といった雰囲気を隠しきれないフィンの背中のそれは、見た目の奇妙さから見るものを釘付けにした。

(不味いな。噂にされる。この本よりもバッツが隣にいるのが不味い。)

可能な限り人の少ない道を選び上がっていくフィンだが、それでも冒険者との遭遇を全く無くすことは出来なかった。

(仕方がないことはあとで考えよう。無事に帰れるし、目的の獲物はいただいた。暁の4戦士、ケルガーとの戦闘後に気が変わって追いかけてくるかもしれないが、フレイヤへの恨み節が悪化しているイシュタル・ファミリアが彼を探していた。いい時間稼ぎだ。彼女達は昂るオッタル相手に無事ではすまないだろうが、知ったことではない…)

 

「アイツには気を付けろ。この前通路を蟻だらけにして子供の荷物を奪ってたんだ。」

「あそこの3人組かい?なら避けていこう。こっちだ。」

「ありがとう。」

「事情は聞かないよ。」

7階層を無事に抜けると。ひとまず安心した二人は人目を避けて休憩を取ることにした。

「それでこの本だけど、僕らの所に預けてもらえないだろうか。」

「よろしくな。」

「あっさりだね。頼んでおいてなんだが、いいのかい?」

「ああ、全部思い出してから読むよ。それにうちは狭いんだ。気になるなら、先に読んでもいいぜ。」

「見れないらしいが、試してみるよ。それより、君のお父さんが出るらしいけど。」

「そうだな。みんな強くてかっこいいんだぜ。特にオススメはガラフ!」

「…そうかい。」

「親父の事は一番近くで見てたからそれで良いんだ。」

「…少しはその素性を隠すんだ。」

「いっけね!もう何回も言われてるんだ、それ。秘密にしといてくれよ。な?」

「…ああ、誰にも言わないよ…はは…」

(ここに来て信憑性が落ちてきたな、なんて。ムーとグルでも信じられる。そうなら騙されても笑えるほどの演劇だ。もう元をとった気分だよ。)

 

 

 

ーーーー

 

 

時は数時間戻って戻ってベルの訓練最終日。

壁の上で挨拶したアイズは、ベルに魔法の行使を許可した。

 

 

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