冒険に異世界を求めるのは間違っているだろうか 作:その辺の人
暴風にも似たあまりの怒号にリリは尻餅をついた。
僕の声は聞こえただろうか。
大きな武器を持ってようが関係ない。行くぞ。
「平気なところまで下がるんだ!」
リリに気を使う余裕はない。奴と距離を詰める。どうせあの巨体だ。格闘しても勝てるわけがない。それでも目と鼻を潰せば逃げられる。
勝ち目はある。
次の一歩であいつの距離。長さを考えれば剣が来るか。
顔を上げた。吠えるなら手はある。一歩でも近くへ。
「ファイアボルト!」
大口を開けたミノタウロスの顔に左手を向け、思い切り叫んだ。
大きくなるはずの唸り声が炎にかき消され、顔を炎に包まれる。一歩下がって大剣を床に擦りつけると頭を振った。何が起こったのか分かっていない様だ。
目は焼けていない。今ならあの剣を落とせる。
「リリ!狙うなら顔!」
「はい!」
叫ぶと同時に踏み込んだ。矢の威力には期待していない。目に当たればもうけもの。何より鬱陶しいはず。今みたいな隙を作るんだ。
リリの準備が出来たらしい。ひとつ目が角にあたるとがちがちと次の矢を構える音がする。
神様のナイフを僕の足より太い手首に突き立てる。この距離ならすぐ背中を抜けて離れればむしろ安全なはず。骨のような手応えを感じたところで刃が止まった。傷口から熱い血が吹き出し視界が真っ赤に染まる。
これじゃ何も見えない!突然の事態に焦ってしまい、闇雲に力を入れて剣を抜こうと踏ん張った。
「抜けない…!」
衝撃が左肩から走る。宙に浮いて、全身を打ち付ける感覚。唯一守れた頭を起こしなんとか動く右手で血を拭うと、あいつは右手の大剣を落とすどころか両手で無理矢理上げていた。
なぜ僕へ向いていない。
声が出ない。
空を裂く重い音。
走りだして跳んだリリは避けきれずに柄を腹にめり込ませ吹き飛んだ。
土を掘る大剣の音だけが聞こえる。リリは顔を土まみれにしてぴくりとも動かない。
無意識に伸ばした右手に当たる硬い感触にはっとする。
ポーションだった。このために避けきれなかった。僕のために。
「まだ…!」
振り返って来たミノタウロスをにらみ返しながら飲み干す。
左手は上がらないけど少しは走れる。元から付けていた腰のポーションは割れてもうない。
抜け落ちたらしい神様のナイフを拾って突き出す。
ここからだ。僕は生きてるぞ。無意識でも受け身をとれていた。強くなったんだ。
向こうのリリに手を出すなら殺してやる。次はこの刃を絶対に通してやる。
今刺したばかりの傷の流血がおさまりかけている。ふざけた頑強さだ。歩み出ると返すように顔を突きだして口を開いてくる。
やってみろ。どうせ避ける余裕なんてないんだ。
怒号に耳鳴りがするが、それだけだ。掠れた咆哮だった。無駄な賭けだったが、ひとつ確かめられた。あいつの喉は焼けている。
リリが視界の端でもがき出すのが見える。もう十分だ。望みが繋がった喜びはすっと心に広がり、冷静さを取り戻させてくれた。
ただ攻撃しても全力の突きであの程度。考え直した方がいい。他のことをなんでもやるんだ。
ミノタウロスとは視線を合わせたままでナイフをしまって下がる。
下がる。更に下がる。あいつはこっちに寄ってくる。目を合わせていれば必ず来る。徐々に速度をあげて来た。思った通りだ。
まだ下がれる。まだだ。もう一歩。振ってこい。来い。振りかぶったな!
「ファイアボルト!」
視界を埋め尽くす白。あいつは目を合わせれば必ず追ってくる。そういう習性。そういう性格。
自ら目を閉じて見失ったあいつがでたらめに暴れる脇を抜け、全力でリリの鞄へ走る。
中身は一緒に入れ方を決めておいた通りになっていたおかげで迷うことはなかった。ポーションふたつをリリへ投げ、厚い生地の巾着袋を取り出す。
怒って僕しか見えないんだろ。叩きつけてやる。
3足で乱暴に床を蹴り、全力で走り出したミノタウロスへ袋を構える。
ナイフで裂いた口を使い捨てのグローブで押さえて投げつける。猛進する避ける気のない角へ刺さった袋が、大口を開いてパープルモスの毒粉を顔中に吐き散らした。
この毒が効くかは知らないが、これで見えないはずだ。左手だけでは真っ直ぐ進めないだろう。案の定傷をおった右手を庇って妙なリズムの足音で曲がり始めた。
万が一踏みつけられないよう、鞄を抱えて曲がった方と反対へ転がる。
今だ。まだ上手く動けないリリへ走る。
「今助けるから。さあ飲んで。」
素直に瓶の口を咥えたリリは、飲み込めずに半分こぼしながらもなんとか回復した。
「だ、大丈夫です。あとは一人で飲めます。」
「また引き付けるから。頑張って。そうしたら…逃げよう。」
「…分の悪いことは止めませんか?」
「え?」
「この際です…倒しましょう…!」
リリの言う意味が分からない。困惑しつつ自分もポーションを飲み干す。左肩がようやく上がるようになった。リリの表情は自信に満ちている。
「ベル様、逃げるのは嫌ではありませんか?初めから震えていたのは、リリにはただの臆病には見えませんでした。」
そんな顔なのか。嫌なのか、逃げるのが。
…違う。怖いのか。そうだ。草に顔を擦り付けるあいつから視線を外せないのは、怖いから。背を向ければきっと突き殺されるとあの日の記憶が叫んでいるから。
全然冷静じゃなかった。きっとこのまま逃げたら、最悪を繰り返した。本当にリリはよく見てる。いい加減向き合わなくちゃ。二人なら出来るに決まってる。
「…あの日僕は死んだんだ…!」
「今何と?」
「倒すよ。それで本当に生き返るんだ!」
「はい!生きて帰りましょう!」
血走った真っ赤な瞳を取り戻したミノタウロスがついに立ち上がった。その顔は自らの乱雑な蹄の擦り傷で荒れ果て、息はこれまでになく荒らげている。
怖いけど、体は軽い。僕には希望があった。
跳ねるように走り出した体には確かな熱を感じる。僕だけの魔法、僕だけの剣、僕だけの仲間。みんなが助けてくれる感覚があった。
僕がなんでもやらなくちゃなんて背伸びしすぎてた。もらってばかりの僕なんて恩返しで精一杯なんだ。
「ひとつひとつだ!お前を倒して!あの人に分かってもらって!バッツに思い出させる!」
叫んだものの、これまでの訓練の日々が冷静を促す。全力の一撃しか通さないあの皮膚だ、狙うなら手足をもう一本。あるいは目鼻を潰したい。
「ファイアボルトォ!」
先制の一撃は視界を塞いでの低い位置の足狙い。
全速力で近寄っての魔法は確かにミノタウロスの顔を覆い尽くした。速度を落とさず右手に逆手で構えた神様のナイフを左手で押し込むように、当て身の要領で全ての力を込めて突く。今出せる最大威力の刺突。これなら骨だろうと通るはずだ。
これでもかと重心を下げて懐へ飛び込んだ僕は、視界が一転し、気付けば草を噛んでいた。見上げれば3M先にミノタウロスの背中。
背中?あいつは暴れるだけじゃないのか?下がって避けることを覚えた?
今頃あいつの視界にはリリしか映っていないはず。リリの方へ進むならもう一度足を。それで終わりだ。
やはりそのまま前進した。同じ要領で右手を前に速度をあげる。どこかで感じた寒気が走る。何かおかしくないか?
前足を付いた。突進の体勢だ。走り出すよりも僕の方が早く突けるはずだ。なのに嫌な感じ。
あいつの頭が落ちる。腰を落とさない?何故?
「避けて!」
「!!」
既に殆ど腰ほど低い体勢からナイフで床を突き、体を捻って無理矢理体をそらすと、突如真っ暗になって全身を殴り付けられた。
壁にでもぶつかったのかと錯覚しそうな衝撃にひるみつつ顔を拭うと、土の味がして理解できた。
「後ろを蹴ったのか、来ると分かって…」
こちらも観察されている。最も辛い展開かもしれない。
立ち上がるミノタウロスに隠されていたリリはあいつに投げつけられた無骨な銀の大剣を引きずっている。
確かに拾われても困るが、無防備な顔へ矢を当てるチャンスだった。
惜しむ時間が惜しい。リリとの間へ出て再び相対し睨み合う。始めに刺した手首の血は止まっている。それでも床に付かなかった辺りダメージは残った。まだ魔法は撃てる。だが目眩ましは読まれた。口から体の中を焼けば確かなダメージがあるし、無駄には使えない。
どうする。
「どうしよう…」
「リリが射ちます!行って!」
背中に当たる声は強い。
再装填はそれなりにかかる。大事な一手。今こそバッツにだって通用したあれだ。リリと二人でなら。やってみせる。
射出音は僕の踏み込んだ後に鳴った。それに合わせて急ブレーキを踏む。あいつは頭を下げて矢を避けながら横なぎに腕を払ってきた。
ここだ。止められない初動は空振らせる。
ミノタウロスの目が見開かれる。来ると思ったんだろう。僕は目眩ましなんて撃たないぞ。
ぐっと力を込めて腕を越えるように跳び、ゼロ距離へ。ファイアボルトは、これ以上ないほど当てるつもりで。鼻を掴んで叫ぶ。
「ファイアボルト!ファイアボルトォ!!」
全力で顔に掴まり、そのまま無心に連発する。顔中を焼かれ、口から火を漏らしながら声にならない悲鳴を上げてふらつくミノタウロスが僕を叩き落としたのは、永遠に感じたがきっとすぐだった。
横殴りにされて息を吐き切る。手足を伸ばせ。あの人に何度蹴飛ばされたと思ってる。左手から着地して目を閉じないまま一回転。あいつは下がっている。受身こそ取れたが胸当てが壊れて着けていると苦しい。リリの合図で投げ込まれたポーションを飲みながらとっくに壊れていたすね当てと共に外す。
「もうないですからね!あんな無茶は無しです!」
「行けると思ったんだ!」
まだあいつは膝もつかない、不死身かと勘違いしそうだ。
冷静になれ。火が思ったよりも外に漏れたか。いまので結構消費した。そうだ。ダメージはあるはずだ。あいつは声もでなくなって、まともに突進も出来ない。毒だって効いてるかも。
背後でがちっと鳴り始める。まだか。
ずしんと踏み込むミノタウロスがこちらを見据える。
「リリ、もっと下がって。」
「嫌です。リリも戦います。ここなら、ここからなら絶対に当てます。」
「言うことを…」
「もう決めました!」
3足で走り込むミノタウロス。避けるには既にギリギリの距離だった。ナイフを構え、腕を伸ばす。
がちゃん。
まだか。リリに向かってさがるしかない自分に焦る。
チチチキ…
足音が2つ、3つ。汗の吹き出すのを自覚した。もう僕が庇うしかない。はやく!
バツン。射撃音と肩越しに抜けた鋭い鉄矢の煌めき。
片目を貫いて吹き上がる血飛沫が3本目の角の様だった。
「ファイアボルト!!」
もう何度目かの白炎の目眩まし。ふらつく三本角。
やることはやった。効いてることを祈って僕は全力でリリの元へ駆ける。背中を見せようが知ったことか。リリを何とか突き飛ばすんだ。
大きく息を吐く音と四つ目の足音がする。ふざけるな、その手は使えないんじゃないのか。これでは追い付かれる。
またなのか。いや、リリだけは助ける。
「ここを!」
リリ?そんなところ、穴にしたって足くらいしか入らないじゃないか。あいつもきっとつまずかないよ。いいからどくんだ。
足元から異常な金属音。反射的に体がリリの元へ跳ねた。
思い切り二人で踏みつけた穴には大剣の柄。
生きて帰るんだ。
リリを抱き締め、力いっぱい走る。
背後で皮を裂き、肉を押しのけ骨を砕く金属音。地震と轟音が土を掘りかえしながら近寄ってくるのを全身で感じる。
真っ直ぐ猛進してきたあいつは、うまく走れずにリリを投げ出して転んだ僕の背中を小突いてついにその足を止めた。
「やりました!!やりましたよ!!」
振り向けば、残った片目でじっと僕を見る真っ赤な瞳。僕が一つまばたきすると返すようにまばたきをして塵になった。
残っているのはめくれあがった床、あいつの大角と柄が突き刺さって天を突く銀の大剣。そして散らばるアイテムの残骸だった。
僕はもうわけわかんなくて涙が出てきたのに、なんでそんなに笑顔なんだい?リリ。