真っ暗な意識に少しずつ光が戻り始める。
それと同時に、全身を駆け巡る強烈な痛みと、内臓をミキサーで粉々にして無理やり元に位置に戻したような感覚が襲いかかる。
「っ……ぐぅ……がはっ、ごほっ!!」
喉をせり上がる嘔気に、堪え切れず吐き出す。
吐くという行為一つ取るだけでも、全身がバラバラになりそうなほどの痛みが襲う。
こんな痛みを味わうくらいならば、吐きたくなどないけれど、吐き気を押しとどめることもできない。
涙で滲む視界に入る吐瀉物は、血の塊。
想像通り、内臓を傷つけられているらしい。
「———さん……ンさん……、リンさん、大丈夫ですか!?」
嘔吐がようやく一段落したころ、ようやく外界の情報を脳が認識できるようになってくれた。そして、一番最初に飛び込んできたのは、その必死な呼びかけ。
「っ……あ、あんたか……、一体……」
自分が血まみれで倒れていた所から少し離れている場所に、カレイドステッキのルビーが転がっていた。
「説明は、後でします。ですから、早く私を手に取ってくださいまし。そうすれば、治癒促進(regeneration)できますから!!」
いつも、お気楽呑気なルビーが必死の口調で呼びかけている。
そんな彼女の声を聞いて、リンはようやく自分が死の落とし穴に片足を突っ込んでいるんだと自覚する。
とにかく立ち上がろうとして、右足に上手く力が入らないことに気がつく。左手も地面に付くだけで激痛を訴えている。
仕方なく、身体を引きずって前に進む。
ほんの2・3メートルの距離がやけに遠い。
ようやく、ルビーを手に取った時には息も絶え絶えだった。
「全魔力を治癒に回します。すぐには、完全回復できませんが、多少動くことができる程度には……」
「そ……んなことより、ぐっ……状況を説明して」
手をついて上体を起こし、少しでも得られる情報を増やそうと視点を上げながら、リンはルビーに問う。
「セイバーの英霊が出現しました。魔力砲も魔術もすべて無効化。遠距離にも近距離にも対応してくる、王道ど真ん中の最強の敵です」
「でしょうね。あの子が黒化したら、手がつけられないもの」
かなり呼吸が楽になった。
痛みも引いてきている。
取りあえず、動くことだけはできそうだ。
「リンさん! まだ、動かないでください」
「そうも言ってられないでしょう。さっさと、続きを説明しなさい」
ルビーは立ち上がり歩き始めたリンを止める。
けれどリンは聞く耳持たず話の先を促す。
「イリヤさんや美遊さんでは、彼女に対抗できず凛さんとルヴィアさんにカレイドステッキを渡して選手交代。現状は……」
ようやく、戦いが見える場所にまでたどり着いた。
戦況は凛がルビーを使って、高密度で編まれた刃を造り接近戦を挑んでいる。
その隙に、ルヴィアが魔力を貯め、空に6つの魔法陣を描く。
「…………それでも……」
リンが苦々しい口調で吐き出す。
セイバーが、彼女の知っている『セイバー』で。無制限の魔力を供給され、黒化しているというのなら———
「足りない」
6回分の魔力砲。
それだけの威力があれば、セイバーの対魔力を貫く可能性はある。
けれど、それだけ。
彼女を倒すには、足りない。
膨れ上がる、セイバーの魔力。解放される聖剣の真名。
『
刃は堕ちた太陽のごとく、どこまでも黒く深く極光を放つ。
圧倒的なまでの暴力は、二人の魔術師を飲み込み、世界すら切断する。
あれこそが、セイバーの真髄。
どんな力すらも凌駕しつくす、強大すぎる力。
それは、希望を断ち切り絶望だけを敵に与える。
「は……はははは……」
リンは力なく笑う。
あの宝具だけは撃たせてはならなかったのだ。
宝具の魔力が過ぎ去った後には、えぐられた地面と割れた空以外何も残っていない。凛やルヴィアの生存の可能性は、半々。
自分だけならば、逃げることはできる。今すぐにでも、離界すればいい。
でも、そんなのは
「遠坂凛じゃない」
ギチリと音が鳴るほどにステッキの柄を握りこむ。体力は半分も回復していない。それでも、立てる。戦う魔力はある。ならば、戦いようはある。
「な!? リンさん! ここは、逃げるべきです」
「逃げる? 馬鹿言わないで。鏡面界が半ば壊されたのよ。ここで逃げたら、あのセイバーが外に出るじゃない」
ルビーの進言は却下。
地面に広げる魔法陣は転移の法。
行く先は、セイバーの背後。
「覚悟を決めなさい、ルビー!!」
返事も待たず、リンは空間を跳ぶ。
おそらくは、リンに可能な唯一の奇襲にして、わずかな攻撃の可能性。
「とった!!」
セイバーの背後、首筋が無防備に見てとれる位置。セイバーは宝具を出した直後で硬直中。だから例え未来予知とすらいえる、直感を持ってしてもこの攻撃は確実に当たる。
ゆえに、リンが選択した攻撃方法は愚直にして単純。自身の防御を無視し、全魔力を攻撃に込めること。
「喰らいなさい!!」
凛がやっていたように、魔力を研ぎ澄まして刃となし、セイバーの後頭部にむけて思い切り振り下ろす。
それはセイバーの対魔力を貫くが、彼女の反射神経を甘く見ていた。
上体を反らせてかわされ、セイバーのバイザーを弾き飛ばすだけで終わってしまった。
仮面のようなバイザーが外れ、彼女の無機質な金色の瞳と目が合う。
感情も何も込められていない、ただ敵を映すだけの金色の瞳に自身が映るのを見る。
もしも、リンが元の年齢であれば彼女に攻撃は通ったかもしれない。
あるいは、攻撃をかわされても、第二撃を放つことができたかもしれない。
10年後の身体能力と魔力の放出量があれば、セイバーの回避行動など関係なくダメージを与えられていた。
けれど、そんなものは無意味な仮定。
セイバーは振り向きざま、リンの顔を横殴りにする。
間合いが近すぎるゆえに、剣が振るえず、また宝具の解放直後であったために、その一撃はセイバーにとっては凡庸以下の威力しかない。
それでもリンは未遠川の半ばあたりまで弾き飛ばされる。
リンは空中で体勢を立て直し左手を水面につけながら魔力で形成した足場に着地。だが勢いを殺しきれずに滑り、水しぶきがあがる。
「ったいわね!!」
水浸しになりながらもすぐさま顔を上げ、追撃に入ろうとしてリンの動きが止まった。
セイバーと対峙している誰かがいる。
「アーチャー?」
そんなはずはない。彼は彼女の手で、すでに離界させている。
ならばセイバーを挟んで反対側にいる、あの赤い外套を身にまとって人物は誰なのか。あの、ねじれて膨らんでいく魔力を発しているのは誰なのか。
アーチャーにしては体格は華奢で小さい。銀色の長い髪は、動きの邪魔にならないよう一つにまとめられている。外套の色や形はアーチャーと同じものだが、黒の革鎧は胸部だけを覆うものになっている。
あれは————
「イリヤスフィール」
イリヤが、アーチャーの力をその身に写し取り、自身の存在に上書きさせた擬似召喚している。
「まさか、あれがクラスカードの本当の使い方……」
英霊の座へとアクセスし、英霊になるための召喚の儀式を圧縮させたもの。それが、クラスカード。
イリヤは、そんなカードの意味も使用方法も知らず、ただ自身の圧倒的な魔力のみでクラスカードを媒介に無理やり結果だけを実現させたのだ。
彼女は両の手に武器を投影し、セイバーへと迫る。その戦い方までもが、まさにアーチャーそのもの。
弓に、剣にと次々と武器を投影し中距離から、あるいは近距離からと変幻自在の攻撃を繰り出す。
追い詰められていくセイバーが取った手は、宝具。
「な!?」
リンの声が上がる。その声はセイバーに対してではない。
イリヤが、セイバーの宝具を見て投影したから。
それは星が鍛えた究極の幻想。例えアーチャーがその武器を投影したとしても、本来のモノよりはどうしてもランクが下がってしまうはずのモノ。
だというのに、今イリヤが構える白く輝く『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』は、黒化しているセイバーのそれを完全に凌駕している。
二人の宝具は同時に真名を解放する。
ぶつかり合う宝具の絶大なエネルギーにより、地上に二つの双極の光の巨大な羽が生み出される。均衡を保ったのは僅か一瞬。
白は黒を飲み込み、セイバーを完全に消し去った。
こうして、全てが終わった。
イリヤの英霊化は解け、セイバーはクラスカードに戻り。
謎を残したまま、夜は終わる——————