凛が起きた時、時間はすでに昼を回っていた。
「…眠い……」
だが、さすがに寝てばかりもいられない。
もぞもぞとベットから這い出すようにして、起きる。
さすがに、夜中の疲れは取りきれていないため、身体が鈍いし頭も上手く働いていない。
あくびを噛み殺しながら、服に着替え、眠い目をこすって一階に下りる。
————牛乳でも飲んで、少し目を覚まそう。
それだけを考えつつ、居間のドアを開く。
部屋に入った途端、フワリと温かい香りが凛を迎え入れる。
「ああ、凛。ようやく起きたか。随分とだらしがないんだな。もう少し遅かったら、起しに行こうかと思っていたところだ」
そんなことを言いつつ、ティカップが差し出された。
「ありがとう」
寝ぼけた頭のまま、温かいハーブティが入ったカップを反射的に受け取り口をつける。
銘柄は『ローズマリー』
花の香りとすっきりとした味わいにほぅと小さく息をつく。
「……おいしい……」
モーニングティには最適とされている茶葉で、ここまで丁寧に葉のうま味を引き出されると『おいしい』以外に表現がなくなってしまう。
「……って。アレ?」
これは、誰が淹れてくれたのだろうか?
ティカップから顔を上げる。
「………、は?」
まだ、夢でも見ているのだろうか?
ありえない現実が、目の前に提示されている。
紅茶を差し出した人物は、赤い外套に白い髪、灰白色の瞳の少年だ。けた外れの魔力を帯びた者が、茶坊主よろしくお茶を淹れてくれている。
「な、なななななな」
動揺のあまり、まともに言葉が綴れない。
「なんか、自分の寝ぼけ具合をこうやって傍から見せられると恥ずかしいわね」
アーチャーの後ろにあるソファーに座って、優雅に紅茶を飲みながらのたまう、小学生くらいの自分。
ようやく寝ぼけていた頭が再起動し始める。早朝、彼女たちに屋敷に入り込まれなし崩し的に滞在を許可したのだ。
「なんで、あんたら、そんなにリラックスしているのよ……」
「勝手知ったる、なんとやら。ついでだから、掃除もしておいたし」
「リン、掃除をしたのは私なのだが?」
「ええ。頑張ったわね、アーチャー」
機嫌良く笑うリンに、疲れたとばかりに息を吐くアーチャー。
これでは誰がこの家の主なのか分かったものではない。
「勝手なことをしないでちょうだい。茶坊主が欲しいわけじゃないし、貴方達も頼みもしないことをする必要なんてないわよ」
主導権を取り戻すべく凛がそう言うと、アーチャーは愉しげに笑いリンの方をちらりと横目で見る。見られているリンは、バツが悪そうに顔をしかめた。
「何よ」
二人の反応の意味が分からず、凛が首をかしげる。
「いや。彼女に召喚された時のことを思い出してね」
喉を鳴らして皮肉げな笑みを見せるアーチャー。
「アーチャー」
リンはがちゃんと音を立てて、ティカップをテーブルに置く。それで、この会話はお終いということだろう。
「向こうもそろそろ体調が回復する頃だろうし、様子を見てくるわ。アーチャーはお留守番よろしくね」
テーブルの上で優雅にお茶を啜っているルビーを有無を言わさずに取り、リンは立ち上がった。
※※※
「彼女、どこへ行ったの?」
去って行ったリンの行き先を残ったアーチャーに尋ねる。
「イリヤスフィールのところだ」
アーチャーはテーブルの上のティセットを片付けながら答える。
「なんで?」
「…………凛、キミはまだ寝ぼけているのか?」
凛の素朴な疑問に、アーチャーは手を止める。
「カレイドステッキの補助もなく、彼女はセイバーを倒したのだ。確認すべきことは多々あるだろう」
「……………………え?」
————セイバーをイリヤが倒した?
彼は、間違いなくそう言っている。しかも、カレイドステッキなしで。
「一体、どうやって?」
「だから、それを調べるために……まさか、知らなかったのか?」
アーチャーは「しまった」という顔をして、目をそむける。
「アーチャー?」
「なにかね? 凛」
アーチャーは動揺を押さえて凛に向き合うが時すでに遅し。
「話して、くれるわよね?」
鮮やかすぎる笑顔を向けてくる凛に対し、アーチャーには否と言う答えは残されてはいなかった。
※※※
「イリヤ、お見舞いに、」
言葉を途中で切り、リンはパタンと部屋のドアを閉めた。
「……今のは何?」
「決まってるじゃないですか。メイドさんとのそういうプレイですよ」
懐の内側から、ぴょこんと出てきたルビーが断言。
メイド服を着た美遊とイリヤがじゃれあっていた。それだけならば、納得はできないが許せる。だが、そのイリヤの着衣がパンツ一枚のみとなれば、意味はかなり変わってくる。
「さすが、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。平行世界でも侮れないわ」
「ああっ!! 違う。違うんです」
「なんか、ものすごい勘違いされてる! しかもなぜか、感心されてる!」
「向こうの世界のリンさんも、面白い人ですね〜」
ドアの隙間からのぞく少女たちをあえて思考から追い出して、リンはここからお暇する術を真剣に検討し始めていた。
※※※
色々と取り乱したりもしたが、なんとか落ち着きを取り戻した魔法少女3人組。
だが、イリヤと美遊は突然の訪問者であるリンをじっと無言で見ている。
「あら、もしかして、警戒されてる?」
「一体、何の用で来たんですか?」
美游からしてみれば、リンは正体の知れない相手である。警戒しない方がおかしい。
「イリヤが風邪を引いたって聞いたからお見舞い。と言っても、それだけ元気ならお見舞いもいらなかったかもしれないわね。もう、身体の方はなんともないの?」
「あ、はい。もともと風邪でもなんでもないんだし。身体はぜんぜん元気です」
リンの真剣な様子に気がつき、イリヤは正直に答える。
「そう。ホントに何ともないみたいね。……も感じられないし」
「え?」
リンの小さなつぶやきを聞き逃したイリヤが首をかしげるが、「なんでもない」と笑顔で返されてしまった。
「美遊も……その……お見舞い?」
リンの言葉には、『なんでメイドさんでお見舞いなの?』という意味合いが含まれている。
「はい。イリヤの……あ、でもこの服は……ルヴィアさんに無理やり着せられて……」
顔を赤らめて、涙ぐんだ目で上目づかいをするメイド姿の美少女。
「これは……イリヤにヘンなスイッチ入るのわかるわ……」
普段は冷淡な対応をする女の子が、恥ずかしさに悶えている姿は、なかなかにそそられるモノがあるかもしれない。
現に、ベッドの上に腰をおろしているイリヤが、やたらキラキラした眼差しで隣の美遊を見ている。リンがここに来る前にもひと騒動があったらしく、かろうじてイリヤは行動に出るのを押さえていた。
「それにしても、ルヴィアの奴……小さい子にメイド服を着せて、あんなことやこんなことをさせてるんじゃないでしょうね」
「あ、いえ、大丈夫です。他に行くところがなかった私を、ルヴィアさんが拾ってくれて。生活の保護をしてもらう代わりに、メイドやカードの回収の手伝いをしているんです」
リンのルヴィアに対する勘違いに気付いた美遊が、慌てて自分の置かれている立場を説明する。
「そう。でも、ヘンなことをされたら言いなさいよ。きっちりアイツに言い聞かせてやるから」
「そちらの世界でも、お二人は仲が悪いんですか?」
「逆に、あいつと私が仲よくしている世界なんてあると思う?」
問い返され、美遊は言葉を詰まらせる。
「でも、貴方達は仲がいいわね」
リンがイリヤと美遊に目を細める。
「うん。友達だから」
大きく頷くイリヤと、頬を染めて小さく首肯する美遊。
「ところでリンさんはなんでこの世界に来たんですか?」
リンと話すことに慣れてきたイリヤは、ずっと不思議に思っていた素朴な疑問を口にする。
「……ルビーとか、悪ふざけとか、うっかりとか、ノリと勢いとか、その辺の単語で察していただけると助かるんだけど」
なんとなく、どういういきさつがあったのか、察しがついた二人はこの件についてこれ以上突っ込まないことを決めた。
「そういえば、ルビーたちは?」
ルビーの名前が出てきて、美遊はあの傍迷惑なステッキが近くにいないことに気がつく。
「ああ。あいつらなら、あっちよ。向こうは向こうで、結構楽しそうに…………」
「…………楽しそうっていうか……」
外のベランダでサファイアとルビーたちが何やらコードでつながっている。
それは、いい。あのカレイドステッキ達は、無線モードだのテレビ電話だの、無駄に多機能だから今さらどんな機能がついていようが、驚きはしない。
だが、コードでつながっているルビーたちが身悶えているのはなんなのか。
「「「……………………」」」
3人は言葉もなく、やたらと楽しそうなルビーと冷たい反応を返すサファイアを生温かい視線で見守ってしまう。
どうやら、彼女たちのお楽しみは終了したらしい。
3人の視線に気がつき、二本のルビーが全く同じ動作でフリフリと愛想よく羽飾りを振っている。
ガラスの向こうで何を言っているのか聞こえないが、どうせたいしたことではないだろう。
「なんか、あんなステッキに振り回されている私って、かなり切ないかも……」
振り回されてきた過去を思い返し、涙を流す二人の少女の姿と、なんと声をかけていいか分からず戸惑うメイドさんがいたりした。