深夜。
郊外の森の中。
フクロウの静かに啼く声が響く。
月明かり以外に光源がほとんどないため、深い森の中に一歩入ってしまえば辺りはひどく暗い。
「さすがに、この暗さは厄介ですわね」
周囲に宝石の欠片を置き、魔術で明りを灯すルヴィア。
明かりの中に浮かぶのは5人の少女たち。
「今回は、最初から姿を見せてくださるのね」
ルヴィアが小さな赤い魔法少女へ向けて、天使のような悪魔の笑みを見せる。
「ええ。前回の戦いでアーチャーが傷を負ってしまったので、色々と状況が変わったモノですから」
対するリンは全く怯むことなく笑顔で皮肉を返す。
「…………その、アーチャーはいらっしゃらないのですか」
ルヴィアは応戦するかと思いきや、きょろきょろと落ち着きなく周囲に視線を巡らせ始める。
「アーチャーなら置いてきたわよ。前回の傷がまだ癒えてないから」
「そうですの……」
リンの説明に、ルヴィアが心の底から残念そうに呟き唇を軽く噛む。
「ふぅん。アーチャーに伝言があるなら、伝えておくけど?」
リンはルヴィアへ意味ありげな視線を向ける。
「な!? べ、別にあの時のお詫びやお礼を言おうなんて思ったわけではなくってよ」
慌てた様子で早口にまくしたて、つんと顎を反らせて明後日の方を向くルヴィア。
「了解したわ。お詫びとお礼をアーチャーに伝えておくから。それとも自分で言いたい?」
リンはにま〜と、意地の悪い笑みを作ってルヴィアに問いかける。
「だ、だから、そういうことではないと言っているでしょう」
「あっそ。じゃあ、そういうことじゃないと伝えておけばいいのね」
「っく……ま、まぁ、助けていただいた方にお礼の一つもしないというのも、レディとしては不義に当たりますもの。後日、正式に私の方から言わせていただきますわ」
ルヴィアが顔を赤くして、落ち着きなく手を振り精一杯の強がりを見せる。
「次回はちゃんとアーチャーを連れてくるから、せいぜい頑張ることね」
そのルヴィアにしっかりとプレッシャーをかけることを忘れないリン。
「容赦ないです」
「あらま、明日が楽しみですね」
「ツンデレぶりが堪能できそうです」
彼女たちの話を聞きながら好き勝手なことを言いあうのは、カレイドステッキたち。
「ほらほら、遊んでないで。さっさと始めましょう。とりあえず、鏡面界の探査をしてみるから」
凛が話を進めるために、懐から宝石を取りだす。
「ここは私がやるわ。宝石がもったいないでしょう?」
魔術を行使し始める前に、リンがそれを止める。
「本当に? 助かるわ」
しっかり経済観念が植え付けられている者どうしだ。リンの申し出を快く受け入れる。
「あら? 別に宝石を1・2個使う程度のことでしょう?」
その二人のやりとりを上品に、けれど確実にあざ笑う『きんのけもの』が一人。
「宝石魔術の使い手が宝石を出し渋らなくてはならないなんて、大変ですこと」
「使う必要のない場面で、必要のないモノを使うほど、無能ではないですから」
「まぁ、自分の才能をモノで補わなくてはならないような人は、そういうわけにもいかないでしょうけど」
ルヴィアに対抗心を燃やしてやり返す『あかいあくま』二人。彼女たちの背後で目に見えない炎が盛大に燃え盛っている気がするのは、決して気のせいではない。
「……なんていうか」
「面倒な人が増えただけのような気がします」
年少組の二人が同時にため息を吐き出した。
「ほらほら、喧嘩しないで。早く片づけちゃいましょう」
リンのステッキが、正論で話の先を進めるよう促す。
「その通りなんだけど……あんたに正論を言われるとなんだかムカつくわね」
むぅと小さく唸りつつも、リンはステッキを構える。
「鏡界回廊接続(mirrorworld passageway connection) 探査開始(inquiry start)」
ルビーの呪文により、リンの足元に魔法陣が開く。
探査自体はさして時間もかけずに終了し、陣は音もなく閉じられた。
だが、探査を終えたリンは納得のいかない顔で唸る。
「————何も……探知できなかったわ」
眉根を寄せ、リンが口元に手を当て考え込みながら半ば独り言のように告げる。
「どういうこと?」
凛は失敗したのかとは聞かない。今の術式には何の問題もみられなかったし、何より『遠坂凛』がこの程度のことで失敗をするとは思えない。
「残っているクラスは、バーサーカーとアサシンでしょう。バーサーカーに自身の気配を隠すなどという芸当ができるわけもありませんわ。ならば、今回の敵がアサシン。それなら、気配遮断を使ってくるでしょうから、探査に引っ掛からなかっただけではありませんの?」
ルヴィアが自身の推論を述べる。
「あのアサシンに限って、それはないわ」
だが、それはないとリンが断言する。
「まるで、アサシンが誰か知っているような言い方ですわね」
「今までのパターンからすると、次のアサシンは私たちの世界での聖杯戦争で召喚されていた佐々木小次郎がその正体よ」
「誰ですの? それ?」
首をかしげるルヴィア。それも当然だ。佐々木小次郎は極東でしか知られていない人物である。
「日本ではそれなりに有名な剣豪。でも、実在したかどうかについては諸説あるわ」
リンはルヴィアに簡単に佐々木小次郎について説明する。
「佐々木小次郎って物語上においては主人公の引き立て役でしょう? そんな人物が英霊になれるの?」
続く凛の言葉。
佐々木小次郎は、ただ宮本武蔵を引き立てるためだけに用意された登場人物だ。
それが、英霊などになりうるのかという当然の疑問が凛に沸く。
「普通なら、佐々木小次郎は召喚されることはなかったわ。でも彼はイレギュラーだったのよ。ここでは関係ないから詳細の説明は省くけれど。とにかくアサシンとして召喚された彼は、隠密には非常に不向きな性格をしていたわ。敵に対して、自ら姿を現し真名をばらしちゃうんだから」
戦うならば正々堂々と。佐々木小次郎を名乗ったアサシンはそれを信条にしていた。
「……ここで議論していてもはじまりませんわ。とにかく、乗り込んでみましょう」
「そうね」
小さく息を吐きして、ルヴィアの言葉にリンは応じる。
なんにしても、これ以上は論議しても無意味だ。実際に中に入って確認するより他に方法はない。
「向こうに繋げる前に、一つ伝えておくわ。アーチャーへ魔力供給分があるから、今回の私の出力は5〜6割程度。だから、戦闘では後方支援に回るわ」
他の面々が頷いたことを確認し、リンは接界のための魔法陣を開いた。
※※※
「誰もいないし……本当にアサシンがいるの?」
イリヤが戸惑ったように周囲を見回す。生命の気配が全くしない無機質な灰色の森。
自分たち以外に動くモノは何もない。
「ええ。もともと鏡面界は単なる世界の境界。クラスカードの存在による歪みが原因で生じた世界。それがこうして存在している以上、必ずどこかに原因であるカードがあるはずよ」
凛がはっきりと断言する。
「む〜」
「どうしたのよ」
きょろきょろしていたイリヤが、難しい顔をして空を見上げた。モノクロの空にはデジタルのような四角い区切りが見える。
そんなイリヤに気がつき、彼女の隣に並んだリンが問いかけた。
「あ、うん。なんか、前より空間が狭いような気がする。天井も低いし」
「カードが回収されるごとに、歪みが減っている証拠よ。最初の頃なんて、柳洞寺のお山をすっぽり覆うくらいの広さがあったわ」
実際にそこで戦ってアーチャーのカードを回収したリンが説明する。
「ほわぁ……」
ただ感心するばかりのイリヤだ。正直、アサシンの英霊にそんな広域な空間で隠れられてしまったら探しようがない。
とはいえ、狭くなっているとはいえちょっとした公園くらいの広さのあるこの場所をあてどなく探すのもかなりの労力がかかりそうである。
「この中からアサシンを探すんですか」
「なんとも地味な話になりそうです」
「どうせなら、こう広範囲にド派手な魔力弾をババ〜〜ンと行きたいですよね」
「それ、いいですね。やっぱり魔法少女は一面焦土に変えるくらいのリリカルさがなければ」
「「ですよね。ということで、ぜひ!!」」
リンとイリヤのステッキであるルビーたちは突っ込みどころがありすぎて、どこから突っ込めばいいのかわからない会話の後、物騒な方法を勧めてくる。
「「却下」」
二人の魔法少女は声を揃えて、ルビーのありえない提案を当然拒絶する。
「それにしてもどう考えてもやっぱりおかしいわ。どうして、アサシンは姿を見せないのかしら……」
強者と戦いたいという想いも強かったが、女好きという面も否定できない
他のクラスカードによって限界していたサーヴァントと同じように、単に黒化の影響で理性などなくアサシンとしてのクラス特性を最大限に生かして攻撃してくるつもりなのかもしれないが、違和感は拭いきれない。
「もしかして、その佐々木小次郎じゃないのかな?」
ポツリとリンの隣で呟かれた言葉。
「え?」
リンは思わずイリヤに聞き返す。
「あ、なんとなくそう思っただけで……」
だが、リンはもうイリヤの言葉を聞いていない。
そんな余裕はなかった。
視界の隅に映った黒い影。
「避けなさい! イリヤ!!」
そう叫びを上げるのと、リンの身体が動いたのは同時。イリヤを押し倒し、その背中に彼女を庇うようにして立つ。
「美遊!!!」
ルヴィアの声に応え、咄嗟に美遊がステッキを振って砲撃を攻撃のあったと思わしき方角へと放つ。
うっそうとした木々をなぎ払い魔術弾が通過するが、手ごたえはまったくなし。
「リ……リンさん……血が……」
リンの後ろでイリヤが震える声を上げる。彼女の視線の先、黒く塗られた
「っく……ったいわね。物理保護が薄くなってるのね」
リンが苦々しそうに舌打ちしダークを勢いよく引きぬくと、赤い血の軌跡を描きながら、散った。
「方陣を組むわ! 全方位を警戒!!」
凛の指示。
手傷を負ったリンを庇い、全員が戦闘態勢に移行する。一か所に密集し、どこから攻撃されても対応できるように対処する。
それは、戦略として正しい。
しかし、この場においては、無意味だった。
灰色の世界の中で、不気味なほど白く浮き上がる骸骨の仮面。それが、彼女たちの視界を埋め尽くすようにして現れる。総数は50以上。
まさに、軍勢。
そんなものに、いくらカレイドステッキがあるからといって、たった5人が立ち向かうなど無謀に等しい。
「っ……体勢を立て直しましょう。一点集中で、包囲網を突破するわよ!!」
凛とルヴィアが宝石を取り出し、美遊とイリヤがステッキを構えてかけ出す。
だが、リンだけが動けずにその場で膝をつく。
「今の
どす黒く変色している左の二の腕を抑えリンが呻く。魔力の循環に淀みが生じている上、全身が痺れ膝をついて上体を保つのがやっと。
だが、敵は容赦なく弱っているリンを責めるべく、一斉に
その数は有に百を超える。
誰も、リンの助けに入ることはできない。
その現実を拒絶するただ一人を除いて。
「ぃやあああああああああああああ!!!!」
自分を助けたせいで、人が死ぬ。
その現実を目の当たりにさせられ、イリヤの感情の箍が外れた。
空間すら跳躍し、リンの元に跳ぶ。
灰色の世界。
黒い
無感動な白い仮面。
むせ返るほどの死の気配。
イリヤが認識する現実は、生き残る術などないと訴えてくる。
だからこそ、イリヤは単純にして明快な”正解”を導き出す。
それは、奇しくもルビーたちが言っていたこと。
ガチンとイリヤの脳裏に重たい音が響く。
鍵が外れる音。
鎖が解き放たれ、ジャラジャラと音を立てる。
あとは、簡単。
ただ、目の前の現実を拒絶すればいいだけ。
その願いを叶えるべく、発動する魔力。
それは、純粋に魔力を爆発させただけ。だが、それは無色の力として発揮され、鏡面界を内側から破壊しかねないほどの威力を見せる。
世界に反響する音と、衝撃。
それらが、収まり視界が回復するまでしばしの時間が必要だった。
風が吹く。
動くモノがない淀む世界の中で風が吹くのは、もうすぐ世界が崩壊する証拠。世界を構成していた力が消滅へと向かうために、風が流れる。
そして現れる、結果。
イリヤを中心として、抉れる地面。鬱蒼と生い茂っていた
周囲を囲んでいたアサシンの群れは、全て消滅していた。
だが、被害はそれだけに及ばない。
アサシンたちの包囲網の内側にいた凛とルヴィア、そして美遊。かろうじて、美遊が魔力防御を張っていたが、それでもイリヤの爆発の威力を無効化することができなかった。
肌が避け、あちこちから血が出ている。傷自体は浅く、大したことはないようだったが、彼女たちがイリヤに向ける視線には、驚愕があった。
「あ……わ、私……」
傷つけた。
その事実に、イリヤが茫然とする。
「な、なんなの……どうして? どうして私が……こんなこと……」
血が、赤い色が、イリヤを責め立てる。
鏡面界までもを破壊する威力の魔力。
そんなものが、なぜ自身にあるのか分からない。
分からない。
分からない。
分からない。
分からない。
「もうイヤ!!!!!!」
叫びだけを残し、イリヤは世界から離脱した。