「………大丈夫、ですか?」
イリヤが残して行った様々な驚愕から立ち直った美遊がリンに声をかける。
リンはイリヤのそばにいたため、彼女が起こした爆発の直撃を受けることはなかったが、アサシンから受けた毒で、立ち上がることができない。
「……ぃじょうぶよ」
かすれる声で答え、リンはステッキを掲げる。ただそれだけの動作すら辛いのか、全身に冷や汗をかき、伸ばした腕は震えている。
「ルビー……魔法陣を開きなさい」
かすれる声で、はっきりと命じる。
「な!? 無茶です。今のリンさんは、魔力の循環が淀んでいるんですよ! せめてもう少し回復してからでないと」
「いいから、さっさとする!!」
焦りを隠すこともせず、リンが声を荒げる。ルビーの治癒は、現状満足に進んでいない。それは、リン自身の魔力循環が滞っているせいで、治癒への魔力が適正に働かないからだ。
まともに魔術が使えるようになるのを待っていては、今も崩壊が進む鏡面界のエネルギーが吸収できない。
「…………っ わかりました」
それ以上口論しても無駄だと悟ったルビーが、リンの淀んでいる魔力を無理やり引きだし、架空元素虚数の黒い魔法陣を開く。
「鏡界エネルギー、吸収!」
リンの前に崩壊していく鏡面界のエネルギーの一部が収集され、黒い球体を形成する。
そして、鏡面界のエネルギーを集め終えたとたん、リンは意識を失ってその場に倒れてしまった。
※※※
「全く、無茶をするわね」
倒れたリンに呆れかる凛。
血の気のない真っ青な顔色。毒のせいで、障害が生じている魔術回路に無理やり魔力を流したのだ。おそらくは、神経を引きちぎられるほどの痛みを味わったはず。だというのに、彼女は魔術を行使したのだ。倒れるのは当然の結果。
「なぜ、彼女はあんな無茶を……」
ルヴィアが、茫然と呟く。
「たぶん、イリヤのためよ。自分じゃ絶対に認めないでしょうけど」
倒れる少女を凛が抱き上げる。小さくて、軽い少女の身体。
もしも、鏡面界のエネルギーを回収せずに事が終わってしまえば、イリヤは自身を責めるだろう。自分を庇ったせいで、リンが目的を果たせなかったと。
そうさせないために、無理を押して魔術を使ったのだ。
ある意味、自分自身のことだから凛にはソレがわかる。
「全く、面倒な性格をしていますわね」
憎まれ口をきくルヴィアだが、そこに嫌味なモノはない。
むしろ、好ましいと思っているようですらある。彼女もまた、自分さえよければいいという魔術師から見れば異端なのだ。
「美遊、もうすぐ鏡界は崩壊しますわ。さっさとこんな場所から出ましょう」
「……はい」
年長組のやり取りを見ていた美遊はその言葉に応じ、美遊は離界のための白い魔法陣を展開した。
※※※
鬱蒼とした、森には変化はない。
鏡面界で起こったことなどまるで幻だったかのように、静かな夜を見せる。転移前に残したルヴィアの明かりだけが幻想的に灯っていた。
「やはり、無茶をやらかしていたようだな」
元の世界に戻ってきた途端にかけられた男性の言葉に驚き、全員が振り返る。
そこには、赤い外套を纏った少年が不機嫌に腕を組んで立っていた。
「魔力の循環がかなり淀んでいるな。魔術回路にも、ダメージが感じられる」
サーヴァントとマスターの繋がりは、命の危険はないがかなりのダメージを負ったことを伝えてくる。
「どうして、ここに?」
ルヴィアの問いには答えず、アーチャーは凛から自分のマスターを受け取ろうと手を差し出す。
「待ってアーチャー。取りあえず、ここでできる応急処置をするから」
そのアーチャーの手を止め、凛はリンを地面に下ろす。
そして、リンの額と下腹部に手を置く。
「彼女の魔術回路に、私の魔力を流して淀みを押し流すわ。そうすれば、ルビーの治癒の効率も上がるはずよ」
「はい。その通りです」
ルビーが凛の言葉を肯定する。
「普通ならば他人の魔力を魔術回路に流すなんてマネすれば、拒絶反応を起こすだけですけれど、貴方たちは別次元上の同一人物で、魔力の性質も同一ですものね」
その方法に間違いはないとルヴィアも認め、頷く。
「ということで、始めるわよ」
うっすらと、凛の左腕が輝きを放つ。遠坂の家に代々伝えられてきた魔術刻印が、凛の意志に応えて起動する。
「……っ……くぅ……」
リンの身体が意識もないまま、流しこまれる魔力に反応し微かに苦痛の声を漏らす。歯を食いしばり、苦痛から逃れようと嫌々をするように首を横に振る。若年化しているせいもあり、それは余計に小さな子供のようで痛々しい。
やがて、凛が両手をリンの身体から離す。
「これで、取りあえずは大丈夫でしょ」
凛はふぅと小さく息をつき、アーチャーへ声をかけた。その言葉を示すように、リンの顔色には赤味がさし、苦痛も軽減したようで呼吸も穏やかなモノになっている。
「あ、あの……アーチャー」
治療が一段落ついたところで、ルヴィアはアーチャーに恐る恐る、けれど思い切った様子で声をかけた。
「ん? どうした」
小首をかしげて、ルヴィアを見返る。
「その……先日は、助けていただいて……感謝していますわ!」
ルヴィアは、アーチャーへ感謝の言葉を口にはするが、その態度は胸を反らせ腰に手を当てているというまさに居丈高そのもの。
「いや。私が勝手にしたことだ。気にする必要はない」
だが、アーチャーはそんなルヴィアの態度に気を悪くした風もない。
それどころか、自分のしたことなど大したことではないと肩をすくめる。
しかも、それは振りやルヴィアへの気遣いなどではなく、彼自身の本心であると彼女は即座に解した。
「あなたは! 私が感謝を述べているというのに、それを徒為なものだとおっしゃるおつもり!?」
あまりにも素っ気ない、そして自身を全く顧みることのないアーチャーの言葉にルヴィアはブチ切れた。
大股でアーチャーのところまで歩み寄りる。
身長はアーチャーの方がほんの少しだけ高いが、ほとんど同じ。だから、自然と二人は、真正面で対峙することになる。
「そういうつもりで言ったわけではない。結局は撤退することになった身。ゆえに、君たちを危険の中に置き去りにしたようなものだ」
アーチャーは、ルヴィアに気圧されることもなく静かに淡々と事実のみを話す。
「それでも、ですわ。私があなたに助けられたという事実に変わりはありません」
対するルヴィアは、絶対に引く気はないという強い意志を込めた視線でアーチャーを睨みつける。
「わかりましたわ! 後日、きっちり私の気持を受け取っていただきますから!!!」
まるで、決闘状でも叩きつけるかのような態度なのだが、台詞はなぜか告白のソレになっている。
「ふむ」
口元に笑みを浮かべながら、それ以上表情を変えることも動揺することもなくルヴィアのセリフを受けるアーチャー。
むしろ、ルヴィアの反応を楽しんでいるようにも見える。
「…………随分と捻くれてるわね……」
ぼそりと、そんな二人のやりとりを眺めていた凛が呟いた言葉は、一体どちらに対する感想なのか。
「…………サファイア、ルヴィアさんはお礼をしているんだよね?」
そしてこちらでも美遊が、まるで喧嘩をしているような雰囲気に、こそりと他には聞こえないようステッキに話しかける。
「そのようです」
サファイアも声をひそめて答える。
「なんで、あんなに険悪な雰囲気になるんだろう?」
心底不思議だという顔で、二人のやりとりを見ている。
「単に、ルヴィア様が照れているだけだと思われますよ」
「?」
美優は説明されても全く理解できずに首をかしげるばかり。
「覚えなさい、アーチャー!! 行きますわよ、美遊」
ルヴィアは捨て台詞を残して、首を傾げたままの美遊の襟首を引きずってその場から立ち去って行った。
「ったく、アイツは捨て台詞を吐かないと立ち去れないのか。さてと、私たちも戻りましょう、アーチャー」
「そうだな」
アーチャーはリンを抱えて立ち上がり答えた。