「……魔法少女かぁ」
私立穂群原学園小等部、校舎の一教室の中でため息を吐き出す白銀の髪の少女が一人。
昨夜、入浴中にヘンテコなステッキが空から降ってきて、あれよあれよという間に魔法少女に変身させられた。
そのあと、唐突に表れた黒髪の高校生くらいの女性に、色々と説明を受けたのだ。
曰く、彼女は遠坂凛といい、魔術協会なる組織から派遣され冬木の町にカードを回収しに来た。このカードというのが、高度な魔術理論で編みあげられた特別なモノらしく、悪用すれば町一つなど簡単に破壊できるとのこと。
そんなカードを回収するために、魔法少女に変身できるカレイドステッキ、ルビーを貸し与えられた。しかし、諸所の事情がありマスター権をステッキ本人からはく奪され、イリヤへと移ってしまったというのだ。
とにもかくにも、イリヤは魔法少女として危険なカードの回収に協力させられることになったと。
「困惑しつつも、実はちょっとワクワクしているんでしょう?」
「うん、まぁ……うぇっ!!!」
かばんの隙間からのぞく、羽の生えたステッキ(頭部のみの携帯バージョン)に驚き、思わず奇怪な声が上がる。
「どうしたの、イリヤちゃん?」
隣の席の女の子が、心配そうにイリヤに声をかける。
「な、なんでもない」
慌ててルビーをかばんの中に押し込みつつ、乾いた笑いを浮かべて答える。
女の子はそれ以上興味を示さず、前に向き直り友人たちとのおしゃべりに戻った。
「ちょっと、ルビー。人前では顔出さないでよ」
ヒソヒソとかばんに向かって声をかけるイリヤ。
「かばんの中は退屈でして〜〜」
退屈を理由に、平穏な学校生活を脅かされてはたまらない。
そのあと、しっかり、きっちり、はっきりと学校内で許可なくおしゃべりをしないように言い含めた。ルビーは意外なほどあっさりとそれに頷いたのが、逆に不安を誘ったのだけれど。
※※※
その日の放課後、一通りの魔力の扱い方を練習した後。
日も暮れて、夜空に星が瞬くような時間帯に、凛から高等部の校庭に呼び出しをくらった。
呼び出しの文章がある意味、脅迫めいていたような気がしないでもないが。
かくて、ここからイリヤの魔法少女としての非日常が本格的に始まることになる。
※※※
現代日本では、真夜中になっても明かりが消えることはない。
それでも一地方都市でしかない冬木市の深夜は深夜らしく、人気は全くなくなりシンと静まり返っている。
こと、学校においてはそれが顕著だ。
昼間は人が絶えることないせいで、余計に真夜中の真っ暗な校舎はヒトではない何かが徘徊していてもおかしくない気配を漂わせている。
そんな学校の校庭で密会している少女が二人。
「お、ちゃんと来たわね」
凛が現れたイリヤに声をかける。
「というか、なんでもう転身しているのよ?」
凛の言葉通り、すでにイリヤはピンクのフリフリのミニスカートの魔法少女の姿に変身している。イリヤはこれまで、魔力の使い方を練習していたことを凛に明かした。
「で、その練習の成果は?」
「とりあえず、基本的な魔力弾の射出はできるようになりましたよ」
質問に答えたのは、白い羽らしき飾りをフリフリとはためかせるステッキ。
その答えに、凛は長くため息を吐き出す。
「正直かなり不安ではあるけど、今はあんたに頼るしかないわ。準備はいい?」
「うん」
イリヤはステッキを握る手に力を込めて頷く。
「カードは、校庭のほぼ中央にあるわ」
「……あの〜、何にもないんですけど」
気合を入れたはいいが、凛の説明する場所にはまっ平らなグラウンドがあるのみ。
「ここにはないわ。カードがあるのはこっちの世界じゃない。ルビー」
「はいは〜い、それじゃいきますよ」
指名を受けたルビーが楽しそうに続ける。
「半径2メートルで反射路形成! 鏡界回廊一部反転します」
ルビーの声に反応して、彼女たちを中心に複雑な文様めいた魔法陣が地面に浮かび上がる。
瞬間、世界が反転した。
※※※
「ようやく、始まるようね」
彼女たちの様子を校舎の屋上で観戦している少女が呑気に呟く。
少女の手には、どこかで見たような白い羽のような飾りが頭部についたステッキ。そして、身につける衣装は猫耳に赤を基調にした可愛らしい魔法少女の装い。
「リン、手は出さんのかね」
「とりあえずは。楽できる時に、楽しておかなきゃ。これまで散々こき使われてきたんだから。それに、私たちの目的はカードの収集じゃないわ」
リンと呼ばれた少女は、肩をすくめて答える。
「ふむ。確かに」
答えるアーチャーの口元に浮かぶ微かな笑み。
「何よ、アーチャー。文句あるの?」
何か含みのありそうなアーチャーの言に不満を漏らす。
「まさか。ただキミがどこまで我慢できるのか、と思ったまでだよ」
「人をバトルジャンキーみたいに言わないで」
「キミの場合は、戦闘狂というよりどちらかというと……と、どうやら始まったようだぞ」
アーチャーの瞳が獲物を見つけた鷹のように鋭く光る。
彼の言葉通り、眼下では黒く染まった英霊と魔法少女イリヤの戦闘が開始された。
英霊の方は、長い紫の髪に顔の半分を覆うほどの眼帯が特徴的な姿をしている。欲情的な肢体にピッタリと吸いつくような黒い服は、まるで蛇のような鱗がぬらりと光を放つ。
「あれは、ライダーね」
騎兵の英霊は、その脚力を最大限に生かしイリヤをかく乱するように校庭を所狭しと駆け抜ける。
対するイリヤは、ライダーに向けて魔力弾を放ち続ける。その威力は目を見張るものがある。だが、撃ち方には戦略も何もない。初めこそ、ライダーに直撃していたが、すぐにあっさりとかわされるようになってしまう。
彼女のステッキや凛があれこれ指示を出しているが、全てが後手の行き当たりばったり。当然のごとく行き詰まり追い詰められていく。イリヤが放った魔力弾によってつくられた土煙の向こうで、急速に高まるライダーの魔力。
「まずいわね。宝具を使うつもりよ」
ちっと舌打ちをするリン。
「ここらが潮時だろう。いいかね、マスター」
そう言いつつ、アーチャーはすでにその手の中に艶を消した黒塗りの弓を用意している。
「ええ……いえ、ちょっと待って」
首肯しかけたリンだったが、それを取り消し、校庭を見下ろす。
「侵入者よ。これは…………っ!」
闇夜の中でも浮かび上がる、青い衣装を身にまとうもう一人の魔法少女。
彼女は、ステッキに一枚のカードを押し当て、命令を発する。
「クラスカード『ランサー』
固く涼やかな声に応え、手の中のステッキが光を放ち禍々しい赤い呪槍に変換される。そこから、あふれ出る暴力的な魔力。ライダーが宝具を放つ直前、彼女は脚力を強化し一気に距離を詰め、真名を解放する。
「
槍は因果すら捻じ曲げ、もたらすべき結果を提示する。それはすなわち、すでに貫かれたライダーの心臓。
ライダーは、断末魔の声を上げる暇すらなく、その存在を薄くし、カードへと還った。
「やったようね」
校舎の上の観戦者2名は、戦いの終結を確認し緊張を解く。
「かなり危ない場面もありましたけどね〜。それにしてもサファイアちゃんまで、主変えをしていたんですね」
リンの持つステッキが、明らかに他人事な発言をする。
「……あんまり、ヒトのこと言えないんじゃない?」
「え〜〜、私は、主変えしてないじゃないですか。(今のところ)リンさん一筋ですよ?」
自分のステッキの、悪気の欠片もないカッコ付きの不穏当な発言に思わず頭を押さえる。
「ホント、こんなのに付きまとわれた、不運を嘆くしかないわね」
「ヒドイですね、リンさん。私のおかげで、大師父とも連絡が取れたというのに」
「……あなたがいなければ、そもそもこんな事態に巻き込まれることもなかった、とも言えるんだけど」
「魔法少女には、こういう突発的な騒動がよく似合うじゃないですか」
微妙に通じていない会話を繰り広げる一人と一本。
「それにしても、あの
いつまで続くか知れない不毛な会話にアーチャーはため息を吐き出し、会話の方向性をそらすために、話題を提供する。
「本当よね。一時的とはいえ、英霊の宝具を借りられるんだから。どうしてこの無能杖はその能力を使えないんだか」
リンはギリギリと、杖頭の羽を思いっきり引きちぎらんばかりの勢いで引っ張る。
「仕方ないじゃないですか。あれは、こちらの世界の法則に乗っとって造られた能力です。私たちの世界では、あんな『カード』がないんですから、それに基づいた能力だってありませんよ」
乙女のチャームポイントを引っ張らないで下さいと、涙声で訴えるルビー。
「前にも聞いた説明だけど、こうやって能力を目の当たりにすると、悔しさというものがこみ上げてくるのよ」
「そんなことよりも、マスター。ちゃっちゃと済ませてしまわないと、鏡面世界が崩壊してしまいますよ?」
ルビーの言葉通り、空や地面にひび割れが走り、仮想空間が崩壊の予兆を見せ始めている。
下では、ルヴィアと凛が肉体言語で話し合っている最中に、青い魔法少女が魔法陣を展開。この世界からの脱出を図っている。
「はいはい。それじゃあ、私もお仕事をしておきますか」
リンが、屋上の中央に立つ。
「ルビー。半径3メートルで、架空元素虚数の魔法陣を展開」
「了解です。マイマスター!」
リンを中心にして、複雑で規則性のある文様が描かれた真円の魔法陣が浮かび上がる。だが、その魔法陣の形式は、下で展開されている脱出のためのモノとは明らかに異なる様相を呈しいている。下の魔法陣は白く輝いているのに、こちらのものは異様なほど黒く光を放つ。
「いくわよ。鏡界エネルギー吸収!」
噴き上がる黒い光が、崩壊していく世界に渦を広げていく。ある一定の場所まで広がった渦は、今度は風を巻き上げて収束していく。その全てのエネルギーは、リンの真正面で黒い球状の塊を形成する。球体は徐々に圧縮されて拇指頭大にまで小さくなり、カランと固い音を立ててコンクリートの上に落ちた。まるで黒曜石のようにどこまでも黒く艶やかなそれは、境界面を形成していた力の一部を結晶化したものだ。
「いつも思うんですけど、なんだかこの式をやっている最中って、黒くてすっごく悪役っぽいですよね。魔法少女っぽくなくて、不満です〜〜」
「あっそ」
リンはまともに取り合わず、力の結晶を拾い上げる。
「さて、用も済んだし、鏡界面が完全に崩壊する前に脱出しましょ」
今度は、脱出用の魔法陣を展開した。