「ここって、柳洞寺の裏の沼地?」
平行次元への転移先は、なぜか見知った冬木市の由緒正しいお寺だった。
正確な時間は不明だが、空には星が瞬いており周囲を囲む木々は異様なほどの静けさを保っている。
「おかしいですね。このあたりに魔法少女っぽい騒動があると、ルビーちゃんのアンテナにビビッと来たんですけどね」
「……あやしげな黒電波でもキャッチしたんじゃないの」
「いや、そうでもないようだ」
アーチャーが周囲を警戒している。彼はいつ何が起こってもいいように、魔力を調整し、いつもの黒い革鎧と赤い外套のサイズを現状の身体サイズに合わせていた。
「サーヴァントの気配が感じられる。かなり近い……が、姿は見当たらない。林に隠れているのか……」
鷹のようにするどい目を周囲に向ける。
「だが、この距離でサーヴァントの姿が見つけられないのはおかしい」
沼の周りは、林で覆われているとはいえ、その他の場所は比較的見通しがいい。アーチャーの目で見つけられないとなると、何かしらの魔術的な隠ぺいを施している可能性が高い。
リンは思わず、手の中のステッキを握る力を込める。
「でも、結界らしきものは感じられないわ」
感覚を広げ、魔力の探査を図るが引っ掛かるものは何もない。
「いえ……何も……ない? そんな馬鹿な?」
リンが自身の言葉に、驚く。
ここは柳洞寺、キャスターの本拠地であり彼女の工房とも言える場所である。
魔術師である彼女は、柳洞寺を魔境にでもしたいのかと思うほど、ありとあらゆる仕掛けを施している。もちろん、一般人にはわからないように。けれど、魔術師の目から見れば、その精緻にして極悪な罠は一目瞭然だった。
しかし、現在。冬木の地において最高の霊脈ゆえの歪みは確かに存在しているが、ここにあるのはソレだけなのだ。
「どういうことよ。サーヴァントの気配があるとするのなら、ここにいるのはキャスターかもしくはアサシン、あるいはその両方のはず。なのに、魔力の痕跡の欠片もないなんて。アーチャー、あなたが感じるサーヴァントの数は?」
「一体だ」
リンの問いに答えながら、アーチャーは地面に片膝をつけて右手を押し当てる。
「ふむ……リン。この場所は、世界が歪んでいる」
アーチャーは立ち上がり、手についた土ぼこりを払う。
「世界が、歪む?」
「ああ。まるで、鏡に映したような世界が、重なって存在している」
「あ、あ、あああああああ!!!!」
唐突に、まるで枕元のプレゼントを見つけた子供のように純粋な歓喜の声がリンの手の中のステッキから上がる。
「本来なら、私が先に気がつかなければならなかったというのに。さすがアーチャーさん、世界の異常にはちょっとアレなほど敏感ですね」
「……それは、どういう意味だ?」
「それじゃ、行きましょうか。いざ、魔法少女の活躍の場を求め!」
アーチャーの疑問など、綺麗さっぱり無視してルビーは己の欲望に忠実に愛と勇気と傍迷惑を振りまくべく、呪文の詠唱を開始した。
「限定次元反射炉形成!(limitation dimension reflectionfurnace formation)鏡界回廊一部反転!(mirrorworld passageway turn over)接界!(jump)」
気合が入りまくり、語尾にハートマークや音符マークがつきそうなほど、ウキウキした声音での詠唱。地面に展開される魔法陣。
そして、世界が反転する。
空がデジタルのように四角く区切られている。おそらくは柳洞寺全域をすべて囲っているであろう、広大な空間。
「……ねぇ、もしかして、私だけ話についていけてない? 一体、何がどうなって、こんなことになっているの?」
「いえいえ〜、そんなことはないですよ。私にも現状はさっぱりですから。ただ、サーヴァントらしきものがいる世界に飛んだだけです。ここは、無限に連なる合わせ鏡、その中の一つ、鏡面そのものの世界です」
灰色がかった色に覆われ、命の気配がほとんど感じられない、ひどく無機質な世界。
それをルビーは鏡面界と説明する。
「平行次元とは全くの別物というわけね」
「はい。あれは、一つの分岐から無数に枝分かれしていく世界の総称です。だからこそ、平行次元上の世界にはありとあらゆる可能性が存在しています。魔法少女になってしまったリンさんとか、巻き込まれて、若返りをさせられたアーチャーさんとか」
彼女本人には、まったくもって悪意のない言葉。だからこそ始末に悪いが、あえて二人は突っ込むマネをない。ここで突っ込んでも話が進むわけではないし、早々に情報を入手しておきたいから。
「けれど、ここは一つを除いてあらゆる可能性が切り捨てられ、ただもとの世界を映すだけの場所です」
「その一つが」
「アレ、というわけか」
彼女たちの前に現れたのが、もう一人のアーチャー。
煤けた白髪、目は黒ずんだ血に汚れたような布で目隠ししているのに、周囲をはっきりと認識しているようである。
黒い革鎧はなく、包帯のように黒い革が足に巻かれているが裸足を晒している。腰には目隠しと同色の布が巻き付いているが、その裾も焼け焦げてボロボロだ。
今にも燃え尽き擦りきれ欠けて砕けてしまいそうな鋼。それが、黒いアーチャー。
彼からは感情や理性が欠片も感じられない。まるで、自動人形のように、ただ一つの目的を遂行するためだけの存在。
「………アーチャー、アレは抑止の守護者とかじゃないわね?」
「違う」
念のためアーチャーに確認すると、彼は即座に断言する。
今必要な確認はそれだけ。
『アレは何か』とか、『なぜ、ここにいるのか』とか、そんな疑問、今は余分だ。
「そ。なら行くわよ」
言うが早いか、リンはルビーを横なぎに払う。
細く絞りこまれた砲撃がまるで刃のように『アーチャー』へと向かう。その軌跡を追うようにしてリンが走り込んでいく。
迎え撃つ黒化した『アーチャー』は、両の手に白と黒の対の中華剣、
「ちぃっ!!」
舌打ちをして、体勢が悪いままリンが右の中段蹴りを腹部に向かって打ち出す。
だが、所詮は苦し紛れの攻撃。
『アーチャー』はあえて、蹴りを受けつつリンの軸足となっている左足を払い地面に転ばせる。さらに、一緒に倒れ込むように彼女の下腹部に向かって肘を打ちこむ。
「うぐぅぅぅぅ!!!」
内臓を吐き出しそうなほどの衝撃。実際、ゴボリと咽頭から血が噴き出し、一時的に呼吸もできなくなる。
リンに止めを刺す絶好の機会。
だが、『アーチャー』は追撃しない。
ばね仕掛けのように跳ねあがってリンから距離を取り、
即座に黒塗りの弓を投影し、番えた矢をリンに向かって放つ。その矢は、リンの後ろからアーチャーが放った矢の爆発によって消滅した。
「っ、気づかれたってわけね」
リンは顔をしかめ、口元の血を拭って起き上がる。
彼女が握るステッキには、魔力弾の塊が爆発食前の爆薬のように赤く煌めいていた。
さらに、後ろには弓に矢を番えたアーチャーという二段構えの攻撃を用意していた。
だが、それらを全て読みとったから、『アーチャー』は引いたのだ。
「リン、大丈夫か?」
「大丈夫です。物理防御を展開して、ダメージの軽減を図りましたし、治癒促進(regeneration)をかけていますから、すぐに回復します」
アーチャーに応えたのはルビー。
「敵になってみて、改めて実感できるわ。読みの速さが尋常じゃない。しかも、近・中・遠距離の攻撃に全て対応できるなんて、厄介すぎるわ」
こちら側は、ルビーがどの程度の性能を発揮するのかすら把握していないうえ、リンとアーチャーの若返りによる弱体化というハンデを背負っている。
正直なところ、敵と戦う上での自軍の情報が足りなさすぎる。
「撤退を進言するが、どうするかね? リン」
「いい案ね。ここで戦う意味も意義も見出せない。一度引いて、体勢を立て直すのが正しい選択だと思うわ。でもっ!!」
リンは正眼に構えたステッキにありったけの魔力を込め、砲撃用の魔法陣を開く。
「意志も理性もなく、ただの力として『アーチャー』が存在しているというのが、無性に腹立たしいのよ、私はっ!!!」
彼女の強い怒りの感情を受け、高い音を放ちながら、魔法陣に膨大な魔力が貯め込まれていく。
「ふむ。確かに、アレは気持のいい存在ではないな。ならば、早々に排除するとしよう」
「あんたねぇ……なんだって、そんなに呑気なのよ」
横目でアーチャーを見る。彼は自分の鏡のような相手を涼しい表情で見ていた。
「いやいや。腹立たしい状況であるのは間違いないが、君が怒ってくれているからね」
そのことの方が、重要であるとアーチャーは言う。
「なら、全力で潰すわよ」
リンは沸騰していく自身の体温を自覚し、アーチャーから顔をそむけ、前に向き直る。
「全力全開!! 砲撃(フォイア)!!!!」
溜まりに溜まった、高密度の魔力が大砲のごとき勢いで撃ちだされる。赤い閃光が、空間ごと削り取りながら、『アーチャー』へと向かう。
『アーチャー』は砲撃に向かって右手を突き出し、七枚の花弁を有する盾『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』を展開。彼が唯一得意とする防御用の装備を、リンの砲撃は一枚、また一枚と削り取っていく。しかし、残り一枚を残し『アーチャー』にまでは届かない。
「アーチャー!!」
「————
アーチャーの詠唱とともに弓から解き放たれる、膨大な魔力を有した投影宝具。それは、狙いを外すことなどありえず、愚直なほど真っすぐに『
『アーチャー』は声もなく、一枚のカードを残して消滅した。