後輩は自称劣等生   作:一ノ瀬巧

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入学式(前編)

 西暦二〇九四年四月、新年度。

 新しい生活、新しい環境、知らない場所、知らない人たち。

 世界が一変してしまった、と感じる人もいるのではないだろうか。

 ある者は期待をまたある者は不安をあるいはその両方を併せ持ち、新しい世界へと飛び込んでいく。

 

 ここ、国立魔法大学付属第一高等学校でもまた一人、期待と不安を胸に新境地に踏み出さんとする者がいた。

 しかしこの少年の場合やや不安より期待の方が大きく、それが空回りしてしまったらしい。

 二〇九〇年代を生きる若者としては珍しく眼鏡を掛けており、黒い髪を目にかかる程度に伸ばしている。身長は平均よりやや低いが、彼が成長期の男子であることは考えればまだいくらでも伸びる余地はあるだろう。

 

 

(しまった、早く来すぎたか)

 

 少年、(しずか)裕也(ゆうや)は内心頭を抱えていた。

 逸る気持ちを抑えられず、朝早くに目が覚め、真新しい制服に袖を通し、予定より大幅に早く家を出てしまった。

 その結果、まだ入学式開始の二時間近く前だというのに学校についてしまった。

 

(……どうしよう)

 

 ここにいるのは入学式の準備を進める上級生と教職員だけで、新入生は自分一人しかいない。

 このまま、この風が吹きすさぶ校庭で立ったまま時間を潰すのは流石につらい。

 さらに『張り切り過ぎて早く来すぎた結果、手持無沙汰になっている、滑稽な新入生』として、先輩達の笑いものになるのも避けたかった。

 

(仕方ない、学校の外周でも一周してくるか)

 

 この学校はかなりの敷地を誇るため、一周するのにそれなりの時間がかかる。それに何か新しい発見があるかもしれないと裕也は考えた。

 そうと決めれば、回れ右をして来た道を戻り正門から出ようとした。その時。

 

 ドンッ

 

「うわ!?」

 

「きゃ!?」

 

 正門を出た直後、走ってきた小柄な栗色の髪の少女と裕也がぶつかってしまった。

 少女の脚はお世辞にも早いといえるものではなかったが、それなりのスピードは出ていた。

 しかし裕也はよろけたもののそのまま立っていたのに対し、少女は尻餅を付いて転んでしまった。

 少女が転んだ瞬間、ポケットから何かがこぼれ落ちたが、誰も気づくことはなかった。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 裕也は慌てて手を差し伸べるが、少女はその手を取らず自力で素早く立ち上がる。

 

「ごめんなさいっ!失礼しますっ!!」

 

 早口に言うと、少女は裕也の脇を通り抜けて、校舎の方へと駆けていった。

 

「……何だったんだあの子」

 

 何か急いでいるようだったが、入学式の準備の手伝いに遅れそうだったのだろうか。

 

 裕也はそう思い、ぶつかった衝撃でずれた眼鏡を掛けなおし、先ほどまで少女がいた場所へ視線を向けると地面に何か落ちていることに気が付いた。

 拾い上げてみると、神社などでよく見る袋状のお守りだった。あの少女の持ち物だろうか。

 

 そう思い少女が駆けて行った方を振り返ったが、すでに少女の姿は影も形もなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

「遅れて、しまって、本当に、申し訳、ありません、でした」

 

 先ほど裕也にぶつかった少女は、息を切らしながら自身の目の前に立つ小柄な(とは言っても少女よりは大きいが)女性に謝罪した。

 

「まだ時間はありますから、落ち着いてください中条さん」

 

 女性はやんわりとした口調で中条と呼ばれた少女に告げる。

 

「間もなくリハーサルが始まりますので、控室で準備をお願いします」

 

「は、はいっ!」

 

 中条は上擦った声で返事をする。

 緊張している中条を安心させるため女性、七草(さえぐさ)真由美(まゆみ)は柔らかい笑みを浮かべた。

 

 

◆◆◆

 

 

 あの後、裕也は少女を探し回ったが、結局見つからないまま入学式開始の時間になってしまった。

 やむを得ず捜索を中断し、入学式の会場である講堂へと向かった。

 

 講堂へ入ると、既に多くの新入生が席に座っていた。

 座席の指定はないためどこへ座ろうと自由だ。

 だが、前半分の席には一科生が後ろ半分の席には二科生が分かれて座っていた。

 裕也は何を意識するでもなく、ただ自然に前方の席へと座った。

 講堂の壁に設置されている時計を見ると、後五分で入学式が始まる所だった。

 

 さて、空き時間をどうしようかと裕也が考えていると。

 

「ねえ、ここ空いてる?」

 

 突然、ショートヘアのツリ目をした少女に横から声を掛けられた。

 『ここ』というのは裕也が座っている席の隣の空いた二つの席のことだろう。

 

「ああ、どうぞ」

 

「やった。(けい)、こっち、こっち!」

 

 嬉しそうに笑った彼女は連れであろう人物の名前を呼ぶ。彼女に呼ばれてやってきたのは中性的な顔をした、優しそうな線の細い男子生徒だった。

 

花音(かのん)、周りに人がいるんだから、あまり大きな声を出しちゃだめだよ」

 

 啓と呼ばれた少年は少女に軽く注意する。

 

 「はーい」と舌を出しながら花音は返事をした。

 

 花音と啓は裕也の隣に座った。

 その際、花音は啓の右腕に自分の両腕を絡めていた。

 

 このやり取りを見て裕也は、啓と花音の間に単なる友人関係以上の何かがあると感じた。二人の距離感が非常に近いと感じたからだ。

 

 裕也が二人を見ていたので、啓は何か話した方がいいかもしれないと考えた。

 

「初めまして、僕は五十里(いそり)啓。これからよろしく」

 

「静裕也だ、よろしく」

 

 啓が自己紹介をしてきたので、裕也はこれに返す形で自己紹介をする。

 

「あたしは千代田(ちよだ)花音。よろしくね!」

 

 二人につられて花音も自己紹介する。

 啓と花音の名を聞いて、裕也はあることに気が付いた。

 

(『五十』里に『千』代田……なるほど『数字付き(ナンバース)』か)

 

 現代魔法師にとって苗字に数字が入っているというのは特別な意味を持つ。

 

 魔法師の才能は九割が遺伝子で決まると言っても過言ではない。

 かつて魔法師が兵器だったころ、第一から第十研究所で生み出された一から十までの数字を持つ二十八家を筆頭に、二十八家に準ずる力を持つとされる百家が現在まで強い力を持つ魔法師として君臨してきた。

 その中でも、五十里家は刻印魔法の権威として、千代田家は強力な振動魔法の担い手として、百家の主流とされる一族である。

 つまり啓と花音は、才能主義そして血統主義の現代魔法界に置いて、将来の活躍を約束されたも同然の一握りのエリートということだ。

 

 それはさておき、裕也は先ほどから気になっていたことを二人に質問してみることにした。

 

「二人は、その、友達なのか?」

 

 初対面の人間がいきなりプライベートに踏み込むのはどうかと思い、どういう風に聞くか迷った結果、遠回しな聞き方になった。

 

「あー、うん。僕たちはね」

 

「あたしと啓は婚約者なの」

 

 啓は言いずらそうにしていたが、花音は構わず打ち明けた。

 

 それを聞いて裕也はなるほどなと思った。

 

 先ほども言った通り、魔法師の世界は血統主義だ。現代魔法師は優秀な遺伝子を残すことが奨励されている。

 魔法師の上流家系である二人の婚約は、戦略的政治的な意味を持つのだろう。

 

 しかし、と裕也は恥ずかしがる啓とそんな啓をからかう花音を見て思う。

 二人は一種の政略婚にしては、というか一般的な恋愛関係のカップル以上に仲睦まじいものに見えた。

 

「ねえ、あたしからも質問していい?」

 

 啓をからかい終えた花音は裕也の方へ話の矛先を向けた。

 

「ああ、構わないよ」

 

 こちらの質問にむこうが答えてくれたのだから、今度はこちらが応じるのが礼儀だろうと思い裕也は快く承諾した。

 

「静君はどうして眼鏡を掛けてるの?」

 

 視覚矯正治療が発達した現在では、視力矯正のために眼鏡をかける人間はほぼ皆無だ。にもかかわらず眼鏡を掛けている理由は嗜好かファッションかまたは視力以外の問題で目に何かあるのか、このいずれかだ。花音が不思議に思ったのも無理はない。

 

「実は俺、霊子(れいし)放射光(ほうしゃこう)過敏症(かびんしょう)なんだ」

 

 と裕也は答えた。

 

 霊子放射光過敏症とは『見えすぎ病』とも呼ばれる体質だ。感覚が鋭すぎるため、意図せずして霊子放射光が見えてしまう、また意識して見えなくすることが出来ない。

 霊子放射光は見る者の情緒に影響を与えるため、それが見えすぎてしまうものは精神の均衡を崩しやすい傾向にある。

 そのためオーラ・カット・コーティング・レンズと呼ばれる特殊なレンズを用いた眼鏡を掛ける者もいる。

 霊子放射光過敏症は魔法師としてはそれほど珍しいものではないため、裕也が眼鏡を掛ける理由としては妥当なものだった。

 

 納得する花音を見て、隠し通せたか、と裕也は内心安堵の息を吐いた。

 実際は霊子放射光過敏症というのは建前だ。裕也が眼鏡を掛けている理由は別にある。しかし花音や啓にその理由を話すことは出来ない。彼のこの秘密を身内以外に知るものは今の所いなかった。

 

 入学式開始のブザーが鳴った。周りの生徒は話すのをやめる。裕也と啓と花音もおしゃべりをやめ、舞台の方に視線を向ける。

 ブザーが鳴り終わると、裕也たちから見て右手から、黒い長髪の小柄な女性がマイクを持って現れた。

 

「ただいまより西暦二〇九四年、国立魔法大学付属第一高等学校入学式を開始します。司会は(わたくし)、第一高校二年、生徒会執行部副会長、七草真由美が務めさせていただきます」

 

 こうして入学式は始まった。

 

 

◆◆◆

 

 

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 

 中条あずさは今、混乱の極みにあった。精神沈静の効果がある精神干渉系魔法『梓弓(あずさゆみ)』を自分自身に使いたいと思うほどに混乱していた。

 なお、ただでさえ魔法の無断使用が禁じられている第一高校敷地内で、さらに魔法の中でも使用が制限されている精神干渉系統魔法を使えば、どうなるかは想像に難くない。そもそも『梓弓』は個人に対して使用する魔法ではない。

 

 あずさがここまで混乱している理由は、普段身に着けているお守りの紛失だった。

 あずさがまだ小学生だった頃。近所にある神社で母が買ってくれたお守りは、ずっと彼女の心の拠り所になっていた。

 緊張しやすくあがり症なあずさは、大勢の人の前で何かしなければならない時、いつもお守りを見て彼女は精神の安定を保っていた。お守りがあれば母と神様が自分を守ってくれる気がした。

 しかし、今そのお守りはあずさの手元にはない。昨日の夜、明日の新入生総代の答辞に緊張しなかなか寝付けず。寝坊してしまい慌てて着替えて家を出ようとした直前、母にお守りを持たされた事は覚えている。

 落としてしまったのだろうか。しかし、いつ、どこで。

 

 そんなことを考えていると、ついに総代の答辞の番が来てしまった。

 あずさの頭は真っ白になった。ただ、行かなくてはという義務感だけが彼女の脚を動かした。

 彼女の顔色は血の気が引きすぎて、青を通り越して蒼白になっていた。

 

 

◆◆◆

 

 

 総代の答辞の番になり出てきた少女を見て裕也は、ハッとなった。朝、校門でぶつかった小柄な少女だった。

 

 

「小さい子ね」

 

 見たままの率直な感想を言ったは花音だ。

 事実あずさは女性としても小柄な方である司会の真由美よりさらに小さく、童顔であることも手伝い、第一高校の制服を着ていなければ中学生にしか見えなかっただろう。

 

「彼女、随分緊張しているみたいだ」

 

 心配そうな声色で啓は言った。

 前列からなら分かる程、あずさの顔は強張っていた。

 

 あずさが壇上へたどり着き、備え付けマイクの高さを調整する。

 一度大きく深呼吸をしてあずさは口を開いた。

 

「ほんじちゅッ!」

 

 ……噛んだ。それも序盤も序盤、開口一番であった。

 

 プッ! 

 誰かが笑いを堪えきれず溢してしまったのが聞こえた。

 あずさの顔は客席からもはっきりと分かる程、真っ赤になっていた。

 

 その後もあずさは時々どもったりつっかえたりしながら何とか答辞を終えた。

 あずさは涙目で顔を赤くしながら、足早に壇上を後にした。

 ある程度の緊張感に包まれていた講堂はすっかり緩み、新入生たちはひそひそと話しをしていた。

 真由美はあずさの小さな背中を心配そうに見つめていたが、新入生に向かって「静粛(せいしゅく)にお願いします」と呼びかけ入学式の進行を続けた。

 

 ざわついていた講堂はすぐにまた静まり返り、何事もなかったかのように次のプログラムへと進んだ。

 

 その後は問題なく入学式は終わった。

 

 けれどあずさの姿はそれを見た者の記憶に刻み込まれた。

 

 

◆◆◆

 

 

 式を終えた裕也達は窓口でIDカードを受け取った。これが終われば、連絡事項などはもうない、あとは自由参加のホームルームだけである。

 

「僕はA組だったけど静君は?」

 

 先にIDカードを受け取った啓が裕也に聞いてきた。

 

「俺もA組だ」

 

「あたしもA組なんだ、奇遇だね」

 

 啓と一緒なんだ。と嬉しそう言う花音の頭を啓は優しく撫でた。

 

「僕達はもう帰るけど、静君はどうするの?」

 

 啓が花音の頭を撫でながら聞いてくる。

 この分だと啓と花音はこの後二人でデートだろうか、と裕也は思った。

 

「俺は行きたいところがあるから少し残るよ」

 

「そっか、じゃあまた明日ね」

 

 手を振って、啓と花音の二人と別れる。

 

 裕也はズボンのポケットの上から手を当て、お守りがポケットに入っていることを確認した。

 総代に落とし物を返してこなければならない。

 

 

 

 裕也があずさを見つけるのにそれほど時間はかからなかった。

 大勢の人が集まっているところにあずさの姿を見つけたからだ。

 大切なものかもしれないし、早めに返した方がいいだろう、と考えた裕也は人混みをかき分けあずさの元を目指した。

 

 人混みの丁度中央にあずさはいた。

 たくさんの人に囲まれすっかり委縮してしまい、ただでさえ小さい体をさらに小さくしていた。 

 

 あずさの隣で真由美が上手く話せないあずさの代わりに話しかけてくる人の対応をしていた。

 元々、実の妹を二人持つお姉さん気質な真由美は、落ち込んでいたあずさのことを放っておけず、元気付けようと奮戦していたのだが。来賓客や教師生徒などがあずさに群がってきたため、完全に自分の心に閉じこもってしまったあずさに変わって彼らの対応をすることになってしまった。

 

 人の波をかき分け、ようやく裕也があずさの前にたどり着いた。

 真由美は他の生徒の相手をしていたため、裕也には気が付かなかった。

 

「中条さん」

 

「――あ」

 

 裕也があずさに呼びかけると、俯いていたあずさが顔を上げ裕也のことを見た。

 そして入学式で裕也があずさを一目見て気づいたように、あずさも一目見て裕也のことに気づいた。

 あずさは極端に小柄なゆえに、裕也は現代としては珍しく眼鏡を掛けているために、印象に残りやすかったのだ。

 あずさはすぐに朝、校門で男子生徒にぶつかってしまったことを思い出し、今目の前にいる男子生徒が朝ぶつかった人と同一人物であることに気が付いた。

 

 謝らないと。気弱なあずさは反射的にそう思った。

 

「あの、今朝は申し訳……」

 

「これ中条さんのでしょう?」

 

 だがあずさが謝罪の言葉を言い切る前に裕也はあずさにお守りを差し出した。

 

「――え」

 

 あずさの視線は裕也が持つお守りに固定された。

 

「どう、して」

 

「中条さん、今朝俺と校門でぶつかっちゃったでしょ。多分その時――」

 

 もうあずさに裕也の声は聞こえていなかった。

 

 どうして。その気持ちが彼女の胸を満たしていた。

 

 今日はあずさの今までの人生で最悪の一日だった。

 朝寝坊してしまって、人とぶつかってしまい、遅刻して先輩達に迷惑をかけて、大切なものを失くして、答辞をすれば大失敗を犯し同級生の笑いものになってしまった。

 

 どうして今になって届けに来たのか、どうしてもっと早く渡してくれなかったのか、どうしてあの時あそこにいたのか、どうして私にぶつかったのか。

 

 どうして、私はわざわざ落とし物を届けてくれた親切な人に八つ当たりをしているのか。

 

 行き場のない怒りと溢れ出る悲しさ、情けなさと自己嫌悪で、あずさの感情は彼女自身の許容力を超えてしまった。

  

 ぽろり、と溢れ出た感情が涙となってこぼれ落ちた。一度溢れてしまえばもう止まらない。

 ボロボロと次から次へと涙があふれて出てきた。

 

 裕也はギョッとなった。

 落とし物を届けようとしたら、落とし主が突然泣き出したのだ。訳が分からなかった。

 周りも騒然となった。

 

「――ごめんなさい」

 

 本日二度目のあずさから裕也への謝罪。

 あずさは、裕也からお守りをひったくるように奪うと、そのまま人混みを掻きわけどこかへ走っていった。もう誰の顔も見たくなかった。このまま消えてしまいたい、とさえ思った。

 

 一部始終を見て目を丸くしていた真由美は、我に返るとすぐにあずさを追いかけて行った。このままあずさを放っておけば取り返しのつかない事態になるような気がした。

 

 後には、事態を飲み込めずざわつくギャラリーと、ポカンとした表情で呆然と立ち尽くす裕也が残された。

 

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