後輩は自称劣等生   作:一ノ瀬巧

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不穏な気配

 二時間程かけて反省文を書き終えた裕也は、手首を自分でマッサージしながら自宅のマンションへと帰り付いた。

 

 家に帰っても誰もいない。裕也は、マンションの一室で一人暮らしだ。

 裕也は家事が得意というわけではないが、ホーム・オートメーション・ロボット(通称・ハル)が普及している現代において、学生の一人暮らしは難しくはない。

 

 母を早くに亡くし、父親は仕事が忙しく年に数回程度しか顔を合わせない。そんな家庭環境において、裕也はとっくに一人暮らしに慣れていた。

 

 ハルが作った簡単な夕飯を食べ、暇になった裕也は少しの逡巡(しゅんじゅん)の後、リビングのディスプレイをテレビ電話モードにして、ある番号を入力した。

 

 連絡先は、司波邸。

 

 数コールの後、黒いディスプレイが一人の精悍な顔立ちをした、ガタイの良い青年の姿を映し出した。

 

「こんばんは、裕也さん。お久しぶりです」

 

「こんばんは、達也君。夜分遅くにすまないね」

 

 二人はまず社交辞令から入る。

 

 他人よりは近いが、友人というには遠い。友好的ではあるが、親密という程ではない。近いようで遠い、それが裕也と達也の距離感だった。

 

「いえ、さっき夕飯を食べ終えた処です。それで今回はどうしましたか?」

 

「いや、用って程の物じゃないんだ。ただちょっと、君達に入学祝の挨拶でも、と思ってね」

 

「はぁ、挨拶ですか?」

 

 達也は困惑気味に言った。

 

 先ほども言った通り裕也と達也はそれほど深い関係というわけではない。

 親族としての儀礼的な物としてメッセージのやり取りをすることはあっても、ディスプレイ越しとはいえ、こうして顔を合わせて挨拶するほどの仲ではないはずだ。

 

 裕也は少し照れくさそうに、人差し指で頬を掻く。

 

「いや、俺も二人の先輩になるわけだし、お祝いの言葉でも送ろうと思ったんだ」

 

 こういうのは柄じゃないんだけどな。と照れ笑いをする裕也を見て、達也は少し裕也に対する警戒を解いた。

 

「そうでしたか、深雪はともかく俺なんかにまで、わざわざありがとうございます」

 

 達也は丁寧に頭を下げる。

 

 裕也はなにもそこまでしなくても、と思ったが、達也が極端に丁寧な対応をするときは、相手を信頼していない、という意志の表れでもあることを知っていたので、何も言わなかった。

 ただ、何か裏があると思われてしまったかな、と少し不安になった。

 

「ところで、深雪ちゃんはいるかい?」

 

「深雪は今風呂に入っています。後でこちらから掛け直させましょうか」

 

「いや、いいよ。俺が入学おめでとうって言っていたと伝えてくれ」

 

「分かりました」

 

「それで、学校で会った時の話なんだが、どうする?」

 

 彼ら出自は少々特殊だ。『本家』から、出来るだけこちらとの繋がりを悟られないように行動せよと、お互い命令されている。

 

「そうですね……。ひとまず、初対面ということにしておきましょう」

 

「そうか、了解した」

 

「深雪にもそう伝えておきます」

 

「ああ、よろしく。――それから」

 

「……まだなにか?」

 

 もうすべての話を終えたつもりだった達也は、話を続けようとする裕也を不思議そうに見つめる。

 

 裕也は佇まいを正すと、コホンと咳払いをした。

 

「改めて入学おめでとう、司波達也君。第一高校の一人の先輩として君を歓迎するよ」

 

 画面越しとはいえこうして真摯に祝いの言葉を述べる裕也を見て、やっと達也は裕也に裏がないと確信できた。

 

 達也は人の悪意には敏感だが好意には鈍感だ。こうして祝いの言葉をかけられることなどほとんどなかった。

 だから必要以上に疑ってしまった。何か悪意があってこうして連絡してきたのではないかと。

 

 だが裕也は、純粋に後輩になった達也と深雪におめでとうと伝えたかった。ただそれだけだったのだ。

 

 そんな彼の優しさを疑ってかかった自分を、達也は恥じた。

 

 これまであまり話したことのない人物だったため、今まで関わってきた人間と照らし合わせて判断してしまった。

 間違った先入観は偏見と同じだと達也は自分を戒めた。

 

「――ありがとうございます」

 

 裕也とのこれまでの会話の中で達也は初めて笑みを見せた。

 

「それじゃ、おやすみ」

 

「はい、失礼します、裕也さん」

 

 通話が終了し、ディスプレイは黒く染まった。

 

 

◆◆◆

 

 

「お兄様、誰とお話をなされていたのですか?」

 

 風呂から上がり寝巻に着替えた深雪がリビングに入り、達也に質問する。

 

 丁度達也が裕也との通話を終えた、まさにそのタイミングだった。

 

「ああ、裕也さんだ。深雪と俺に入学祝いの挨拶だそうだ」

 

「まあ、お兄様と私にですか」

 

 深雪は驚きと喜色を合わせた声を上げた。

 裕也が自分たちに入学祝いの挨拶をしてきたことは意外だったが、深雪にとって嬉しかったのは、兄に挨拶をしてくれる人がいるという事実だった。

 達也と深雪の父をはじめとして、深雪に入学祝いのメッセージを送ってくれた者達は、誰も彼もが兄を軽んじ自分に媚びを売るものばかり。

 深雪の不満もそろそろ爆発寸前だった。

 

 自分に媚びへつらう者はまあいい、深雪は幼い頃からそういった者達に慣れている。

 しかし自身が慕う兄を愚弄されるのは我慢ならなかった。兄と自分の上っ面だけを見て判断する人間達にはもううんざりだった。

 

 喜ぶ深雪を見て達也は内心安堵した。

 達也は自分が原因で深雪が鬱憤を溜めこんでいるのを察していた。

 そろそろ達也が、発散させてやらなければ、と考えていたところだった。

 あの人には感謝しなくてはならないな、と達也は思った。

 

 その後、達也と深雪はリビングで談笑して過ごした。

 その姿は兄妹というよりまるで恋人のようであったが、この兄妹にとってはいつも通りのことであった。

 

 

◆◆◆

 

 

 次の日

 

 裕也が第一高校前駅から第一高校に向かう途中、後ろから声を掛けられた。

 

「静君、おはよう」

 

 後ろを振り返ると、そこにいたのは裕也の親友の五十里啓だった。

 彼がいるということは、高確率で彼女も近くにいるということだ。

 

「おはよ、静君」

 

 啓の背中からひょっこり顔を出したのは、啓の婚約者で裕也の友人である千代田花音だ。

 

「おはよう、五十里、千代田。お前ら相変わらずいつも二人でいるのな」

 

「あはは、まあね」

 

 啓は頭を掻きつつ笑う。

 

 啓と花音のバカップルぷりは一高内でも有名だ。

 何せ人目があろうがなかろうが、どこだろうとくっついているのだ。

 主にくっついてくるのは花音だが、啓もそれを拒否しないばかりかまんざらでもないような態度なので、花音も改めようとはしない。

 節度が無いと眉を顰める者がいないでもなかったが、『人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまえ』ということわざがある通り、学年トップクラスの武闘派である花音に喧嘩を売ろうとする強者は誰もいなかった。

 花音の手綱を握ることが出来る数少ない人間の一人である渡辺摩利はこの件に関してはノーコメントを貫いている。

 

 花音に注意すれば、自分も恋人とのイチャイチャを自粛しなければならないから花音に強く言えないのでは、と裕也は睨んでいる。

 

 三人は世間話をしながら教室へ辿り着いた。

 

 三人が教室に到着したころには、既に殆どのクラスメイトが教室にいた。

 

「おはようございます、静君、五十里君、千代田さん」

 

 裕也達に挨拶してきたのは、一年生の頃から彼らのクラスメイトであり友人でもある中条あずさだ。

 

「ああ、おはよう」

 

「おはよう、中条さん」

 

「おっはよー、あーちゃん」

 

 裕也達は三者三様の挨拶を返す。

 

 花音が『あーちゃん』と呼んできた時、あずさは何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言わなかった。

 

 あずさのことをあーちゃんと呼び始めたのは七草生徒会長で、当初は彼女しか呼んでいなかったのだが、あずさの小動物的な見た目とあーちゃんというあだ名の響きが思いの外マッチしたのか、今ではあずさと仲のいい者達(特に女子)、とあずさの密かなファンから親しみを込めてあーちゃんと呼ぶようになった。

 

 あずさはこのあだ名で呼ばれることをあまり歓迎していない。

 理由は、子供っぽいから、らしい。

 自分の容姿にコンプレックスを抱えているあずさは幼く見られることを嫌っている。

 特に年下に年下扱いされるのは結構応えるらしい。

 中学生のころ、随分苦労したようだ。

 

 裕也は、あずさ達と二、三言葉を交わした後、自分の席に着いた。

 

 これから、実技指導の教師と生徒が顔を合わせる段取りになっている。

 

 

 それはついに、二学年としての学校生活がスタートするのだということを示していた。

 

 

◆◆◆

 

 

 昼食時、食堂。

 

 裕也はあずさ、啓、花音の三人と一緒のテーブルに座って昼食を取っていた。

 四人は、会話をしながら食事を楽しんでいたが、ふと食堂に不穏な空気が流れてきた。

 彼らが会話を中断し視線を向けてみると、一年生の一科生と二科生が言い争いをしているようだった。

 断片的に聞こえる話だと、一科生がこれから食事をするので二科生に席を譲れと言っているらしい。

 

「……なにあれ」

 

「……見ていて気分の良いものじゃないね」

 

 啓と花音は眉を顰める。

 一科生の中には二科生に何をやってもいいと考えている者もいるが、二人はそう言った手合いを軽蔑すらしていた。

 

 一方の裕也は別のことを考えていた。

 

(なにやってるんだあの兄妹)

 

 二科生の集団の中に達也を一科生の集団の中に深雪の姿を見つけた裕也は、内心顔を引きつらせた。

 つくづくトラブルに愛されている兄妹である。

 

 最終的に達也が席を立ち、それにつられる形で二科生のメンバーも席を離れていった。

 

 その後、一科生の集団が先ほど二科生が食事を取っていた場所に座った。

 深雪は不満そうな顔をしていたが、すぐに愛想笑いを浮かべて一科生の男女と話していた。

 

 大方、単に兄と昼食を一緒にしたかった妹に、彼女の魅力にやられた者達が余計なお節介を焼いた、トいう所だろう。

 

(こりゃ一波乱あるかもな)

 

 学校で何か問題が発生した場合、風紀委員である自分に仕事が回ってくることがあるかもしれない。

 そのことを想像して裕也は今から憂鬱になった。

 

「……あの子」

 

 あずさがポツリと呟いた。

 

「……? どうしたの中条さん」

 

 それに気づいた啓があずさに問いかける。

 

「あの一科生の黒くて長い髪の女の子、確か新入生総代の司波深雪さんです」

 

 あずさは生徒会関係で一度顔を合わせたことがあるのだろう。

 ちなみに総代となった新入生は生徒会に入るという慣習がある。

 

「へ―あの子が」

 

 花音は先ほどと変わって興味深そうな目で深雪を観察し始めた。

 

「……綺麗な人だね」

 

 ボソリと小さな声で言ったのは啓だ。

 

 深雪を見ればそう言う感想を抱くのはごく普通のことだし、異論を唱える者もいないはずだろう。

 啓の一言も思ったことが口から零れてしまったという程度のはずだ。

 

 しかし彼はもっと自分の発言に注意を払うべきだった。

 少なくとも耳ざとい彼の婚約者の近くでは。

 

「啓?」

 

 先ほどまで深雪の方を向いていた花音がグルンと振り返った。

 その顔は笑っているが、目は絶対零度の冷たさを持っている。

 

「いや……そういうことじゃなくて……僕は単に客観的な意見を……その」

 

 啓は視線で裕也に助けを求めたが裕也はあっさりと目を逸らした。

 夫婦喧嘩は犬も食わぬ、巻き込まれるのはごめんだった。

 あずさは啓と視線を合わせぬようプレートを食い入るように見つめていた。

 

 その後、啓が花音の機嫌を取るのを見物しながら裕也達は食事を終えた。

 




原作であずさと花音は名字で呼び合う程度の仲ですが、本作ではかなり仲良くなっています。
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