ショータの案内で、ティナは町を見て回った。
専門的な職業訓練校では、機械作業に従事していた労働者が手先の器用さを活かして若者に技術を教えていた。
街はずれの倉庫は、工場出荷物がなくなった代わりに交易拠点としてあちこちから荷物が集荷され、各地に送り出されていた。
町の西部に生い茂っていた林は伐採され、木材として売られていた。専門家が招集され、質のいい土に笑みを浮かべながら、労働者たちに指示を飛ばしていた。
どれもこれも、今まさにティナの隣にいる男の手腕によるものだ。
「呆れた……ここまで好き勝手にやってるなんて。貴方もう町の支配者じゃない」
「ピンチはチャンスというやつですよ」
ティナが町に来てから五日間が経っている。毎日、昼から夕方にかけて、時には夜まで、ショータと共に行動している。
捜査本部には交渉中であると伝えたが、激化するデモへの対応に追われ、ティナ以外の捜査官はほとんど工場爆破事件など追いかけられていない。
町の通りで、衝突するデモ隊と機動隊を肴にして、今日も二人は酒を飲んでいた。
「まったく、我ながら呆れた不良捜査官だわ」
「ティナさんは捜査官ではなく操縦士でしょう」
からかうような声色に、我知らずティナは頬を緩めていた。すっかり気を許している。
ショータという男は思えば最初から彼女を親し気にファーストネームで呼んでいた。
人の懐に入るのが抜群にうまい。だからこそこの町の支配者にのし上がっている。
こんな男が、世界を牛耳るのだろうかと、ティナはぼんやり思うようになった。
「それで今日は何処に連れて行ってくれるのかしら」
「こちらです」
日が暮れようとしている。そろそろデモも解散し、人々は自分の家に戻るだろう。
ばらばらと歩いている町民らの流れに逆らわず、ショータはティナの腕をそっと引いた。男のエスコートはサマになっていた。ティナはもう、そういう関係になってもおかしくはないなと思った。経験のない身であることが悔やまれる。いい年齢で、ベッドの上で相手をがっかりさせることを想像して、頭をブンブン振った。
「ティナさん?」
「いいえ。ちょっと自分がバカ過ぎて嫌になっただけよ」
頬を赤くした彼女は、顔の熱を追い払うべく手で自分を扇いだ。
不思議そうに首を傾げてから、ショータは改めて歩を進める。
案内されたのは町の中心部の十字路に面したレストランだった。
入り口のドアを開けば、ウェイターが近寄って来る。強面の黒人だ。ウェイターは男女二人を見て、それから男の顔を注視してから、柔らかな笑みを浮かべた。
「お待ちしておりました」
「とっておきを頼むよ」
ショータは今日、普段見るシンプルな服装に加えて上品なジャケットを羽織っていた。スニーカーでなく、下品にならない程度に磨かれた革靴。グレーのスラックス。隣でティナは、自分もジャケットを着ていて良かったと思った。
周囲を見渡せば、皆がショータをちらりと見ている。町の支配者――その呼び名は、彼の善行を踏まえれば不適切だ。救世主と言った方がいい。
「屋上の
「ジャック、お前はやっぱり最高だ」
ショータの賛辞に黒人が笑みを深くする。気前よく、ショータは懐から引き抜いた紙幣をウェイターの手に握らせた。
客席の間を縫うようにして進み、エレベーターに向かう。建物の外観からは想像できなかったが、中心を貫くようにしてエレベーターがあった。
「屋上なんてあるのね」
「特等席ですよ」
歩いている間、皆がショータに愛想よく挨拶し、ショータもそれに応えている。
ティナは一昨年護衛した大統領選挙を思いだした。大統領より、この町では彼の方が支持されているだろう。
エレベーターに乗り込み、屋上に向かう。すぐにドアが開いた。
屋上は観賞植物が邪魔にならない程度にぽつぽつと置かれ、真ん中に一つの白いテーブルが置かれていた。見て分かる、今日この日、この男のために誂えられた特等席だ。
ティナは自分の頬が熱を持つのが分かった。異性からのサプライズなど生まれて初めてだ。
「見てください」
すぐ席に座ることはなく、彼は屋上の
町全体を一望できる場所だ。夜闇に浮かぶ街灯、人々の影、温かい風。
素晴らしい場所だ。ショータは一か所、指さした。
「僕はあそこを、公的な塾にしようと考えています」
「――ッ」
彼が指さしたのは、爆破された工場跡だった。
「貴方、本気?」
「本気です。もう工場はいらないんです。労働力をあてがうのも終わりました。必要なのは次の世代への配慮です。この町で働かずとも、町の外で通用するような人材に、若者たちを育て上げる場が必要です」
ショータの瞳には曇りなど一切ない。
デモ隊を結成させたのはそのためか。オーウェル社への嫌がらせなどではなく、彼はオーウェル社と戦おうとしている。
「……ティナさん、手伝ってくれませんか」
「オーウェル社との交渉ね?」
頷き、彼は至近距離でティナを見つめた。身体がこわばったが、彼の視線に色気はなかった。
見ているのは自分であっても、見据えているのは子供たちの未来だ。尊いことであるはずなのに、一瞬、ティナはそれに不満を覚えた。隣に今いるのは自分だというのに、こうして彼は夢を語っていて――何度目だ! ティナは茹だちそうな顔を彼から背けた。
「……考えてみるけど」
「明日、面会するんでしょう」
「やっぱり知ってるのね」
工場の復旧がまったく進まないのに業を煮やしたのか、オーウェル社の本社からエージェントが派遣されていた。
恐らくこの男、派遣されたエージェントの名前、顔、宿泊地も全て押さえているだろう。
「恐ろしい人ね」
「光栄です」
気持ちのいい笑顔だった。ティナは両手を挙げた。
爆破事件の犯人は教えられていない。ISも出てきてはいない。ここに来た目的は何一つ達成できていないのに、また新しく仕事が増える。
けれど悪くはないと感じる自分がいた。見えない敵と戦うより、誰かの未来のために働く方が性に合っている。
ティナは町の風景に向き直ってから、半歩だけ、ショータに近づいた。
「オーウェル社のアメリアです」
エージェントと会談する場所は、工場横にそびえたつ管制タワーの最上階だった。
ティナはデモに振り回される捜査官に代わって、アメリアの前に座った。
一回りは上の年齢と見えるアメリアという女性は、一分の隙も無いダークスーツと、きつく結ばれた唇がまず目についた。ティナ程ではないにしろ、豊満なバストをブラウスが締め付けている。ビジネスパーソンとしての風格があって、少し気後れした。
「ティナ・ハミルトン操縦士です。今回は町の代表に代わって、こちらに」
「代表は何故ここにいないのですか?」
アメリアの眉がつり上がった。そうなるでしょうねとティナは内心嘆息する。
「ここに来るまでにご覧になったでしょう。貴女の到着が
「あれを黙らせるのがあなたたちの仕事でしょう。高等教育も受けていない連中に何を手間取るのです」
女尊男卑とは異なる、きつい意見の持ち主だった。それが簡単にできれば苦労しない。
「お言葉ですが……ただのデモではありません。周到に計画されています。行政からの許可を受け、進入禁止区域には一歩も立ち入らず、しかし人々は入れ代わり立ち代わりデモに参加するため勢いが衰えません」
「力づくで――」
「それをやってしまっては我々の負けです、ミセス・アメリア」
アメリアの左薬指に付けられた指輪に、ティナは最初から気づいていた。
「ならば許可を出さなければいいでしょう」
「手続きは正当に、法を守って行われています」
「規模を縮小させなさい」
「デモの参加人数を過少に見積もって、デモ中に町民が参加するのです。それを理由に責任者を追及しても、『新たに参加した人々は我々とは異なる主義主張を振りかざしているので私には関係ない』と逃げられます」
「屁理屈ではないですか!」
「事実なんです……プラカードは一貫していません。ほとんどお祭りのようなものです」
ぴくぴくと頬を引きつらせるアメリア相手に、ティナはまるで自分がデモ主催側の立場のようだなと苦笑した。
全て、本当のデモ主催者が言っていたことだ。そしてアメリアの追及は全てティナが既に言ったことだ。
「恐ろしい存在ですよ。神算鬼謀と言っていい……敵に回せば悪魔のような男です」
敵に回さなければ、親切で、ユーモアがあって、人を慮ることのできる好ましい男性だ。内心付け加えたが、無論口には出さない。相当ヤられていると自覚はしていた。
「では工場の復興はどうなるのですか!」
「責任者はいませんが……
「何ですって?」
訝し気な声をアメリアが挙げると同時、ティナはとんとんとテーブルを指で叩いた。
「失礼します」
アメリアが入ってきた入り口とは別、最初から待機していたのであろう――スーツ姿の東洋人が姿を現した。
ティナの隣、アメリアのはす向かいに腰かけ、彼は人好きのする笑みを浮かべた。
「初めまして。バートン総合商社のアドバイザーを務めております、ショータといいます」
誰だ――アメリアの猜疑心にあふれた視線に、ショータは困る様子もなく朗らかに応じて見せた。
「工場が停止し、職を失った労働者たちに新たな職業をあっせんしています」
「……なるほど。この場に来るなんて、大した度胸ね」
つまりアメリアの、オーウェル社の敵だ。
「私は今回、工場の復興について提言がありまして、ハミルトンさんに無理を言ってこの場に来させていただきました」
「何でしょうか」
アメリアの声は固い。
「場所、人員、すべて用意できます」
「!?」
驚愕したはティナも同様だった。思いもよらない言葉だった。
「……どういうことでしょうか」
「町の西部の林を伐採し、土地を作りました。職業訓練校で、今まで工場で働いていた労働者と遜色ない労働力を確保できました。以前あった工場の二倍の規模でも耐えられます」
滔々と語るショータの言葉に、ティナは戦慄する。
(最初から落としどころを定めていたのね……場所と人材を確保しておいたのは交渉のため。決してオーウェル社を追い出すだけでなく、向こうにも利益を与えるよう計算していた)
「それに伴ってお願いがあります。労働環境の改善についての提言を受け入れていただきたい」
「…………」
アメリアが計算を始めた。場所も労働力もぽんと手元に入って来る。問題は彼の言う労働環境の改善だが。
「検討させていただきたいですね。提言書は?」
「無論こちらにあります」
二人の空気が変わった。自分の知らない、ビジネスの世界だ。
ティナは真摯な表情でこの場に臨む男の横顔をぼうっと見ていた。
「アメリアさんは確かオーウェル社の先端技術部の出身でしたか」
「ええ。
「ならば、工場の拡大はアメリアさんたちのフィールドということですね? 恐らく貴女たちにとっても利益のある提案になるかと思います」
「……いいでしょう。話をお聞かせください」
アメリアが小さく笑った。会議という名の戦場でエージェントがする、底冷えした笑み。
それに対してショータも笑顔を浮かべた。金を武器に金を取り合う戦士の、ギラついた笑み。
ティナは細く息を吐いた――どうやら、ここまではうまくいっているようだった。
「お二人とも、お茶はいかがですか?」
自分の出る幕はないだろう。そう思って彼女は席から立ち上がった。
ショータが
「いいですねティナさん。美味しいお茶は話を弾ませます」
「ちょ、ちょっとショータ、アメリアさんの前よ」
「あらあら、お若い二人はそういう関係で?」
アメリアの目尻が少し緩んだ。いきなりファーストネームで呼ばれ、ティナは顔を赤くする。
しまったなとショータは頭をかいた。
その瞬間、天地がひっくり返ったような感覚がした。窓の向こう側の光景がさかさまになった。天井が吹き飛び、ティナの視界からショータとアメリアが消えた。
爆音が聴覚を奪ったのだと気づいた瞬間に、ティナは、爆破され地面に落ちるビルの上部の中で、人差し指の指輪に意識を集中した。
「ショータッッッ!!」
ISを展開しながら、叫ぶ。瓦礫と爆炎がごちゃ混ぜになって視界をふさぐ。
吹き飛ばされたビル上層階の中で、彼女が叫んだ男の名は、炎を伴う爆発音にかき消された。
いつも感想評価ありがとうございます。
誤字報告も助かっています。
やっていきます。