風が気持ちいい。風圧に目を細めながらも、全身でその温度を享受する。沈黙していた神経が刺激を受け鳴動し、その感覚を脳に伝える。伝達される信号一つ一つを読み解くことはできないが、少なくとも俺の全身が心地よく風を受け止めていることだけは分かる。
「……また更地が出来上がったね~」
「土地不足の解決に貢献してんだよ」
隣に佇むノホホンの言葉に、俺は軽く笑った。
眼前には先ほどまでオーウェル社のIS関連製造工場があった。炎に包まれて崩れ去った。これで五件目だ。ドローンによる消火活動が終了し、今はもう残骸しか残っていない。燻る火種が風の温度を上げている。
執拗に工場を爆破されているオーウェル社だが、別段製造力が大きく減退したわけじゃない。むしろメインの生命線であるIS本体の製造ラインは、俺は一切爆破していない。
「オーウェル社に恨みがあるのー?」
「
呆気なく言い放つと、ノホホンが考え込む。
今の俺の行動原理を推理しているのだろうか。真実にたどり着かれたら困るんだよな。
何も考えず俺の人質でいてほしいと思う。すべてが終わったら、被害者として俺を弾劾し、学園の日常へと戻ってほしい。心の底から、そう思っている。
「ショーショー、そろそろ戻る?」
「ああ、そうしようかな」
拠点としている町のホテルはここからさほど離れていない。
ノホホンが俺の腕に縋りつく。立っているのが面倒くさくて俺に体重を預けているのだ。
「じゃあ早く帰ろー、おなかぺこぺこだよ~」
「分かった分かった、引っ付くんじゃねえよ」
剥がそうとするがここぞとばかりに力を籠められ――痛い痛い痛い! 関節が極まりかけてる! やめろバカ!
全身全霊で俺にしがみつくノホホン相手に格闘している間に、空から太陽が、ゆっくりと消え去っていった。
ノホホンがホテルで熟睡してしまったので、暇を持て余した俺は近くの喫茶店でタバコを吸っていた。
資金は潤沢にある。町を移る際、誰かが俺に金をくれる。彼らが人を売って手に入れた金だったり、薬を売って手に入れた金だったりする。出どころが薄暗い金は、それを俺が奪い取っても問題ない。多分。
ただ、ISの闇業者だけは手を出せない。そっち関連で捜査対象になった場合、俺の視覚偽装がハイパーセンサーで見破られる可能性があるからな。
全席喫煙可能な喫茶店――席ごとに高精度分煙装置があり、副流煙が俺から一メートルも離れることはない――故に、煙草を吸わない人も俺の隣に座ったりしている。
店員はラテン系だった。町自体は白人が多い。特にこれといって特徴のない町。気晴らしに別の顔で裏路地をうろついてもギャングはいなかった。平和そのものだ。今回は町を乗っ取る必要性がないので、普通に旅行客として居座っている。
コーヒーを流し込む。味覚が苦みを感知する。味蕾が正常に作動しているのに安心する。このコーヒーがもし
暇つぶしに、先ほど露店で買ったデータ形式の雑誌『インフィニット・ストライプス』を表示させる。かつての知り合いが編集長になっている。
現在は『インフィニット・ストライプス』の編集長だ。お姉さんが元々副編集長をやっていた。お姉さんは本社の役員に出世したらしい。
雑誌の見出しはティナ・ハミルトンの熱愛報道をメインに据えている。写真を見ると、俺、もといショータの顔にはぼかしが入っていた。助かるよ。
「……これは驚き」
不意に隣から声をかけられた。顔を向けた――薫子さんがいた。声を上げそうになった。
「……編集長さん、ですっけ」
「あら、時の人に知られてるなんて光栄」
眼鏡を光らせて、彼女は隣の机ごと此方に寄った。
「ショータさんね。初めまして、『インフィニット・ストライプス』編集長の黛薫子です」
「初めまして。
日本人とコンタクトを取った時のために、苗字は既に用意してあった。
ちなみに相棒は
「流れ者、アウトローすれすれの旅する商売人だと聞いてるわよ」
「事実ですね。今は休業中ですが」
「ノマドワーカーってやつなのかしら?」
「死語じゃないですか……」
「ふむ――次のトピックは『ティナ・ハミルトンの恋人の生活に迫る!』なんてどうかしら」
「お断りです。商売柄、敵を作りがちなもので」
苦笑いでそう告げると、彼女は残念と肩をすくめた。
「それにしても本当にいい男ねェ」
「ありがとうございます。会議の時に重要ですからね、顔は」
「身もふたもないわね」
顔にしろ何にしろ、パッと見て相手に何かで勝っていることは、心理的に重要だ。此方の余裕と、彼方への圧迫につながる。
「ネタを探してるんですか?」
「まあそうね。常に、365日そうだけど」
「オーウェル社の連続爆破事件なんてどうです?」
声色、表情、姿勢、すべてを意識して制御した。自然に切り出せた。薫子さんは黙っている。
彼女は胸元からシガレットケースを引き抜いた。煙草に電子ライターの火を移して、そっと煙を吐き出す。
「……調査中といったところね」
「『インフィニット・ストライプス』と関係あるとは思えませんが、やっぱり追ってるんですね」
彼女なら興味を持つはずだと思っていた。正確に言えば、警戒していた。
「まだネタにできる程度じゃないわよ」
「ここ、奢りますよ」
「……ビールをお願い」
どいつこいつも不真面目だな――いや、彼女は仕事を終えてここで休んでいただけだから、別にいいのか。
運ばれてきたビールをグラスに注ぐ。薫子さんはそれをぐいと飲む。喉がこくこくと動く。
グラスをテーブルに置いて、彼女は俺を見た。
「爆破されているのはオーウェル社にとってあくまでサブの製造ラインばかり。増設装甲や追加武装に関連した工場しか狙われていない」
「オーウェル社への攻撃としては不自然だと?」
「そうね」
やはり
「では、何のために?」
「……その工場で造られていたものを今調査中なの」
舌打ちをこらえられたのは僥倖だった。
「え、何を造ってるか、今言ってたじゃないですか」
「そうだけど、そうじゃないかもしれない……他社を出し抜くには絶好の機会だし、多少は危険でも取材する価値はあるはずよ」
俺が考え込む番だった。薫子さんは馬鹿じゃない。学生時代ははっちゃけている側面が大きく出ていたが、若者向け雑誌として全世界で大きなシェアを誇る『インフィニット・ストライプス』の編集長にまで上り詰めた逸材だ。頭のキレがなくては務まらない。
ゴシップや捏造とは関係ない、報道人としての嗅覚が彼女には備わっている。
「ショータさんは何か知らないの?」
「……エージェントと交渉したことがありますが、
即座に殺害しておきながらよくもまあぬけぬけと――自分でも嫌になるほど、ツラの皮が厚くなっている。好都合だけれど、それが無性に恥ずかしい。無様を晒していると思った。
「明日はさっき爆破された工場に向かうつもりよ。情報が開示されたら、あの工場から出荷されたものの流れを追ってみる」
「それはいいですね」
やめろ。やめてくれ。そう声には出さない。表情にも出さない。
貴女は――楯無さんの友人だ。俺にとって大切な人の、その大切な人だ。危険を冒さないでほしい。
でも
「なら――僕、ついて行ってもいいですか?」
「はい?」
眼鏡がずり落ちそうになっている薫子さんは、ちょっと見てて面白かった。
「ビジネスを考えてるんですよ。メインの製造ラインに影響はないとはいえ、被害を被っているのは確かだ。そこを補填するための何かが必要でしょう」
前から考えていたことだ。
俺が破壊したオーウェル社の工場を、何らかの形で補填する。人的被害はまるで出していないが、金額は相当になっているはずだ。
「呆れた、根っからの商売人なのね」
「そうですね」
涼しい顔をして、嘘を吐いた。それがまた嫌になった。顔も嘘。言葉も嘘。全て嘘で塗り固める。そうでなければ、こうして顔見知りと話すことすらできない。
いつしか身動きが取れなくなる。フェイクはアクセサリーじゃない。ノホホン相手にショータとして話している時、いつも思う。こうして世界を飛び回る、自由な商売人になれたら――そういう未来だって本来はあった。ISを起動したときにズレてしまって、最終的にすべて自分の手でぶち壊した。俺は罪を背負い、いつか、罰によって死を迎える。それでいいと思いたい。そうしかないと分かってはいるけれど。
「でも調査とビジネスは別だと思うんだけど」
「ビジネスのためには調査が必要ですよ」
「……踏み台にする気満々ってこと?」
胡散臭そうな目で見られると傷つくのでやめてほしい。そりゃあ、ちょっとあくどいことを言っている気はしてるけどさ。
つまり俺は、薫子さんの調査にタダ乗りしようとしているわけだ。
「……何かしらのメリットがないと受けられないわよ」
「僕、こう見えて結構頭がいいんですよ? それにオーウェル社とパイプ役もできます」
コンタクトは取れる。だがそれだけだ。交渉に持ち込むための材料がない。その材料が欲しい。俺の動機はそれだ。
どうだ、と薫子さんを見る。
数秒考えこんでから、彼女は深く息を吐いた。
「……明日の午前十時に、工場の正門で」
「ありがとうございます」
彼女の表情は、気苦労を背負ってしまったと憂鬱そうだった。ごめんなさい。
まあ交渉材料を集める気なんてさらさらない。
現段階ですでに交渉は可能なんだ、今更何も必要じゃない。
では、何のために――薫子さんへの警戒。それは薫子さん自身に対してでもあるし、薫子さんにふりかかるものに対してでもある。
実のところ、この五件目でオーウェル社を襲撃するのは止めだ。
次のステップへ進む必要がある、けれど、まだ俺の計画を進めるためには情報が足りていない。それはおいおい、俺が個人でやる。
それはともかくとしても、アフターケアは大事だ。オーウェル社に恨みなんてないし。
薫子さんが妙なところまで踏み込まなければそれでよし。踏み込んで危険に巻き込まれたら俺が処理する。
……ノホホンに彼女と会ったことは伏せておいた方がよさそうだな。会いたいとか言い出したら面倒だ。
ホテルへの帰り道、一人でぶらぶら歩きながら、空を見上げる。
戦争なんてものは存在しなくていい。テイクアウトした瓶ビールを片手に、俺はふらふらと歩く。
拠点としてきた町々でビジネスを展開した。余っている労働力をあっせんし、俺が潰した軍事産業の代替となるような産業を発展させた。
実態はただのテロリストだ。
稀代のテロリスト。
かつて戦役を終わらせた人間が、新たな戦役の発端を開こうとしているのではないか。誰もが俺を探している。俺の後ろ盾になっている存在に探りを入れている。後ろ盾なんて存在しない。個人活動の限界ギリギリかつ、何らかの集団の存在を匂わせている。個人でできる規模ではない犯罪を、俺の努力によって必死に行う。それを繰り返している。だから皆、組織的犯罪を意識する。
織斑一夏は何らかのテロ組織に加担している――その認識を必死に守らなくてはならない。
そうでなくては意味がない。
もう一度空を見上げた。女が待つ部屋に戻るというのに、俺は少し酔いの回り始めた頭で、いつまでもこの星空を見ていたいと思った。
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引き続きやっていきます。