ビジネスは順調だった。
世界は常に足りないものを欲し続ける。満たされることなく、何かを得たなら次には何を手に入れようと模索している。そこを半歩だけ先を読んでおけば食い扶持には困らない。
オートメーション技術――労働者の数を減らすとして労働組合から反発され、また高コスト故に経営陣にも難色を示される存在。だが緻密な部品を作るためには必要不可欠となるだろう。人々の役割なんてものは既になくて、今はもう、人間がやらなくてもいい仕事に人間がしがみついているだけだ。
パフォーマンス向上のためにオートメーション化を検討していた企業に、労働者をあっせんした。ひとまず問題を先送りにはできるようにと。そして技術は更なる発展を遂げ、きっともっと手ごろに導入できる時代が来ると。一つだけ嘘を吐いた。技術が発展するためには実地で検証されなくてはならない。こうして先送りにする企業ばかりではいつまでたっても、うそぶいた時代はやってこない。笑顔の裏にその欺瞞を隠して、商談をくみ上げる。握手をする。盃を交わす。こうも馬鹿ばかりだと人類を守った甲斐なんてものはないなと笑いながら。
オーウェル社は宇宙開発事業に本格的に乗り出していた――第四世代機の汎用性の高さに着目し、自動で搭乗者の身を守るシステム。展開装甲を常時発動させることで以前は立ち入ることができなかったスペースデブリ帯への侵入を検討している。また、人工衛星が破損した際に、他の破片と破片がぶつかり合い自己増殖し始めるという
誰が言いだしたかは知らないが、本格的に宇宙への道が築かれるかもしれない。成層圏を突き抜ける高高度軌道エレベーター計画の再発動が、国連で秘密裏に検討されているとのことだ。
地球を捨てる時代が迫っているかもしれない。
ならば、『
無人機はそこでの活躍を見込まれているが、それは現在世界で猛威を振るっているような完全自律型の話ではない。ステーション内、あるいはそれこそ地上にパイロットを置き、そこから遠隔操作で操る拡張型マニュピレータとしての役割を期待されているのだ。
商談の中では宇宙開発の話もあった。
最近は無人機の襲撃事件も頻度を落としている。今度こそ平和が築かれたのならば、人類は次のステップへ進めるかもしれない。それはビジネスの大いなるチャンスになる。
あとはそれこそ――織斑一夏を取り除ければ。
すべてがうまく行き過ぎると、かえって笑う気にもなれないということを知った。
しらみつぶしにFSB(ロシア連邦保安庁)保有のセーフハウスを潰して回る。本命のいる場所は知っているが、真っ先に行ってしまえば内通者を疑われてしまう。故に順を踏んで、次の次程度になってから行くつもりだった。
現状大した抵抗は受けていない――本命の場所に集中させているんだろう。ルクーゼンブルク公国の純正第四世代機部隊は厄介だが、切り札の解放でなんとかなる、とは思う。
目下真面目に検討しなければならない、厄介な相手は二人。
ルクーゼンブルク公国近衛騎士団団長、ジブリル・エミュレール。
俺がアイリスと初めて出会った時から今まで、一度も団長の座を誰にも明け渡したことのない傑物だ。
性格は生真面目な姫騎士そのもの(ベッドの上でも姫騎士だった)で、油断したり隙を見せたりすることはない。
専用機は純正第四世代機『インペリアル・パラディン』。かつては『インペリアル・ナイト』という儀礼的な役割も果たす大型ISだったが、戦役の最中でより実践的に改修された。機体のスペックとしては弱点なんてまるでない。近接型ではあるが、極めて高い技量を持つ搭乗者が乗った近接型の脅威を俺が最も知っている。
きっと彼女は――迷わず俺を斃しに来るだろう。最優先は王女の命令だ。半死半生だろうとも俺を彼女の前まで引きずり出すだろう。
二人目。
ロシアの裏の国家代表、アンナ・ブレジネフ。
専用機『カタストロフ・レイディ』は今まで見てきたISの中でもかなり上位に位置する凶悪さだ。束さん謹製ISによくあるトンチキさではなく、
そして搭乗者のアーニャ。彼女の精神的な迷いが断ち切られていれば、あるいは。
「やっぱりここね」
とりとめもなくそんなことを考えていた俺は、隣の席に座ったアーニャを見てウォッカを噴き出しそうになった。
「……私たちの監視を一時的に欺くなんて、本当に得体のしれない男」
「はは……」
監視されていることは知っていた。受け入れた上で生活していた。けれど息抜きがしたかった。ホテルの監視をかいくぐり、偶然にも今まで着ていなかった私服を着ることで発信機を置き去りにし、階段から隣のビルに飛び移って脱出した。
以前から目を付けていた雰囲気のいいバーに入り、マスターと他の客の会話をBGMに考えに耽っていた。休みたかった。
「疲れてるみたいね」
磨かれたテーブルには俺のシルエットしか映らない。だが顔色ぐらいは分かっている。休みを欲していた。休んでいる暇などなく、世界を飛び回っていた。目的があって経路が分かっていたら、止まれない。そういう性分だ。
アーニャがマスターを呼ぶ。
「ウォッカマティーニ。ステアせずにシェイクで」
老齢のマスターはひげ面をニヤリとゆがめた。
俺は半眼になってアーニャをねめつける。
「スパイだっていう自己紹介か? それも随分古臭い……びっくりメカでも持ってるのか」
「あら、ISっていう最高のスパイメカがあるわよ」
ISはそういう用途じゃないし、そもそもそういう映画では君は敵役だ。
呆れながらウォッカを飲み下す。カッと内臓が燃えるような感覚。思考が白熱する。意識が空間に浮遊するこの感じ。
「……そろそろ、またあの男とやり合うわ」
「機体の修復は?」
「万全よ」
「それはよかった」
彼女の手元にグラスが置かれた。アーニャはじっとその水面を見ている。
「勝てる、と言ったでしょ、あんた」
「ああ」
「
酔いが回っている頭では、うまく答えを引き出せない。
おとなしい回答を用意していたはずなのにもやがかかったように形を成さず、カウンターの向こう側の酒瓶を眺めながら息を吐く。唇からこぼれた空気が熱を持っている。
「相手は……人間だ。殺そうと思えば……殺せる」
「それは、そうなんでしょうけど」
「色々、知ってる……俺らが守ろうとしている男は、善い人間じゃない」
「…………そうね」
逡巡があった。機密情報に抵触していたか。まずいと分かったのに、どうにもスイッチできない。隣から撃たれるかもしれない。ベルトに拳銃が挟み込まれているのは知っている。
バーはほとんど囁くような声量の会話と、ジャズのBGMが流れている。誰もがスローモーションで動いているかのような感覚がする。若者向きじゃない。
「けれど、誰だってそうよ。このバーに来る途中、失業者が一枚の毛布を奪い合って喧嘩してた。殴られたほうは歯が欠けていた。飲まずに、彼らにお金を渡した方が良かった?」
「職の当ては……選ばなければあるんだ……彼らは自分にとって望ましい待遇を求めている……
襤褸をまとった男が前歯のない口から唾を散らし、もっといい仕事をくれと言う。
俺は笑ってスーツを一着仕立てたらどうですかと言う。借金をしてでも一度立て直すのは、返す見込みがあれば可能だ。
彼らにそんな可能性はない。口八丁手八丁で言いくるめて、まとめて工場に出荷する。彼らはすぐに歯車として慣れていく。労働が体力を奪い、思考できなくさせる。寮に帰って寝て、起きたらまた出社する。その繰り返しをしているだけで、気づけば彼らは路上で暮らしていたことなど忘れている。
「……立派な仕事よ」
「違う。違うんだよアーニャ。
ろれつが回っているか自分でも分からなくなってきた。アーニャが来るまでに、深酒をし過ぎていた。
「俺は……あと何人の人生を破壊すれば社会を変えられる? ずっと過信していた……俺には力があるって、俺なら世界を変えられるって」
偽りない本心だった――世界を救って、人々に愛を平和をもたらす。それを夢見て戦って、戦って、戦いの中で理想をどこかに落としてきてしまった。戦役が終わって、気づけば幼馴染を喪っていた。身の回りの人々が傷を抱えて生きていくのを見て、絶望した。
こんな結末のために、俺は、人を殺し続けたのか。
「……あんた」
「ああそうだよ。ショータ・アイザワは偽名だ。俺は、俺はっ……従軍していたんだ」
咄嗟に踏みとどまり、言葉を濁した。
行動に信ぴょう性もある。アーニャは瞠目してから、俺の瞳を覗き込んだ。
「PTSD?」
「診断されてるよ、軽度だけどね」
酒をあおる。何も考えたくなかった。ブレーキは壊れていた。
愛と平和のために戦うなんて絵空事が、どれほど難しいのか今はよく知っている。愛と平和のために俺は、愛と平和を犠牲にし続けている。
結果が良ければいいと思って。過程も結末も最悪だったあの戦いよりは、過程が最悪でも結末さえ良ければいいと思って。
「アーニャ。君も戦え。君のために。君の信じるもののために」
「……私の信じる、もの」
カウンターに突っ伏して寝息を立てるショータに、マスターがブランケットをかけた。
何度か来ていたらしい。そのことは知っている。監視していたのだ、この数日でマスターと親しく会話する程度には仲良くなっていることを、アーニャは把握していた。
(……私の信じるもの)
意地、だった。
訓練校でISの機動訓練でトップの成績を叩きだした――歴代二位。一位は不動の、現ロシア国家代表にして前ブリュンヒルデ、更識楯無。
負けたくないと思った。がむしゃらに訓練に打ち込んだ。資質とその姿勢を評価され、気づけば専用機を与えられた。モンド・グロッソの舞台に立つことが夢や絵空事ではなく、眼前に迫っていた。
――戦役が始まった。アーニャは戦役後期から参戦し、そして、戦果を挙げすぎた。
ほぼ無名の状態。表舞台に立った経験はない。ロシア政府はこの逸材を見逃さなかった。平和のための戦いは、栄誉に伸びていた彼女の腕を根元から吹き飛ばした。暗部への転向。戦後の処理。それだけのはずだった。気づけば腰元まで血に沈んでいた。通達される殺害命令に、国際的な問題解決という名目すらつかなくなったのはいつからだったか。
隣の男を見た。従軍経験は、少しだけだが予感がしていた。身の振り方に軍人の残香を感じていた。
ショータ・アイザワの経歴は一切不明。偽名なのは皆知っている。戦役に参加していた男。男の軍人も戦っていた。男同士で、地上で殺し合っていた。凄惨な地獄だった。そこを生き残った男は、今度こそ愛と平和のために戦っている。
手を、伸ばした。横髪を一房すくって、指に絡めてみる。
くすぐったそうにショータが顔を動かしたのがおかしくて、アーニャは顔を緩めた。
自分の信じるもの。
強くありたいと思っていた。栄誉が欲しいと思っていた。
暗部のエース――くそくらえだった。元の一市民として、こじんまりとした欲を持っていた時期を思い出す。
「織斑、一夏」
化け物だ。真っ向から戦ってどうする。
強くありたい、名誉が欲しい。そうすれば
「愛と、平和」
覚醒の時が迫っていた。
・アンナ・ブレジネフ
貧困家庭出身のオリキャラ
ワンサマ世代の少し下ぐらいの想定です
外見イメージとかはないから自由に妄想、しよう!
やっぱ弱者の覚醒が燃えるんすよね~
・ショータ・アイザワ
戦役に参加してた男(歩兵として参加したとは言ってない)
発言がいちいち重いんだよお前!
酒は弱くもないけど強くもないです
美人が隣にいると補正入って陽気に酔えるけど一人だと深酒する典型的なオッサン
セクハラには気を付けよう!
本当に悪い大人になって書類送検されちゃうヤバイヤバイ
・ジブリル・エミュレールの専用機
12巻の巻末付録にイラスト載ってたけどでかすぎて草
異聞帯のイヴァン雷帝か何か?
まあフルアーマー7号機みたいなのじゃなくて良かった
・愛と平和
ビルド面白スギィ!
感想評価、誤字報告ありがとうございます。助かっています。
引き続きやっていきます。