飛行機を乗り継ぎ、地図にはない小さな港町を経由し、船頭が操るボートに揺られ一時間。
俺は大陸に忘れ去られた、小石のような島に来ていた。
ここに来るのは基本的に俺だけなので、船頭もまたお前かという顔をしている。
チップの要求額が段々下がってきている辺り優しい人だ。
海面は透き通り、浜辺からそう離れなければ水底まで見通すことができるこの海は、ガイドブックには決して乗らない秘境だ。
別にリフレッシュしたいとかそんなんじゃない。
俺は、ここに住む人間に呼び出された。
円を描く島の、一つだけ出っ張った岬のような岩場に腰を下ろす。
身体を舐める風は熱く、空は気が遠くなるほど青い。
アロハシャツを着てきたのは正解だったようだ。
「……イカれた格好だな」
「浮かれた格好、の間違いだろ」
後ろから聞こえた声は、振り向かずとも主が分かる。
砂を踏む足音が続いて、彼女、織斑マドカは俺の隣に座った。
花柄のワンピースだった。
「お前も、人のことは言えないんじゃないか」
「私はここで暮らしているからだ」
確かに肌は小麦色に焼け、両腕で持つ麦わら帽子も相まって現地の少女みたいだ。
俺のクローンとして生産された彼女は、外見が変わることがない。
今は、束さんが作っている細胞崩壊抑止剤を服用することで、人並みの寿命を手に入れているという。
他でもなく、織斑マドカはかつての戦役において俺の最大のライバルだった――が、最終決戦の時には肩を並べて共に戦う関係となっていた。詳細は省く、面倒だし。
「呼びつけて、何の用だ」
「呼んだのは私ではない。貴様に用があるという」
「……あいつか」
立ち上がり、マドカと共に島の中心へ歩き出す。何度も通った獣道だ、迷うことはない。
「調子はどうなんだ、最近」
「身体はすこぶるいい。作物も安定して収穫できるようになってきた。釣りは……まだ未熟だな」
「今度教えてやる。忍耐が試されるからな、スナイパーだったお前は向いてるはずだ」
「それがどうにも向かん。『サイレント・ゼフィルス』で海水を蒸発させてやりたくなる」
「絶対やめろよそれ」
たわいもない会話を交わす。
戦役時はめっぽう衝突していたが、今となっては気安い仲だ。
「死ぬまでにやっておきたいリストが、おかげで進まん」
「あといくつだったか」
「490だ」
「多過ぎる……」
お前不死か?
そうこうしている間に、俺とマドカは島の中心部に建てられた木製の小屋まで着いた。
住みかとなる家屋は、島の中に三か所。
うち二つは普段はあまり使わず、一つは俺のような客のためのコテージ。一つはマドカが死ぬまでにやっておきたいリストにあった『家を建てる』で建てた小屋(耐震・防音など多方面に問題あり)。
そして最後の一つは、ここ。
「よく来たな」
あけ放たれたままの扉の前に、かつて亡国機業の一員として俺と戦った女、オータムがけだるげに座り込んでいた。
「元気そうだな」
「まあな。住めば都ってやつだ」
蛇のようにギラついていた瞳は、今となっては穏やかに陽光を映しこんでいる。
彼女の隣を通り過ぎて、小屋の中に入る。簡易なキッチンにリビングがあり、そして窓際は、あいつの特等席となっている。
「いらっしゃい、愛しい
「久しぶりだな、忌まわしい
スコール・ミューゼルが、車いすに座ったまま、日向ぼっこをしていた。
亡国機業戦役の顛末として、スコールとやつのIS『ゴールデン・ドーン』は撃破され、やつは自分の力で立てなくなった。
またナノマシンの副作用から身体にガタが来ていて、まあ、そういうことだ。
もう長くはない。
「ほらよ」
オータムが机に、ハーブティーの入ったティーカップを置いた。
会釈して、俺はそれを一口すすった。うまい。
「ここに今日来てもらったのはね、あなたにとっても耳寄りな情報があるからよ」
「……それは?」
「ISの非合法売買――かつて私たち亡国機業が取り仕切っていた闇マーケットが最近になってまた活動し始めてるの」
眉を寄せる。
こいつ、外界と遮断されているはずなのにどうやって知ったんだ。
「私たちは確かに敗れたけどね、ネットワークの一部は生き残っているのよ」
俺の疑問を見透かしたように、やつは優雅に笑みを浮かべた。
ナメやがって。国連に連絡して、この島の警備をより厳重にしてもらうしかないな。
「私、いえ、私たちは、そのマーケットを撲滅するための作戦に協力することにしたわ」
驚愕のあまり茶を噴きそうになった。隣でマドカがさっとお盆を盾にしたが、なんとか踏みとどまる。
危ない。本当にびっくりした。
「……どういう風の吹き回しだ」
「私が作った市場を、私以外の人間が、我欲のために使っている。気に入らないわ」
「大した矜持だな」
「協力するのは私だ。既に国際IS委員会からの承諾も得ている」
マドカの『サイレント・ゼフィルス』には任意のタイミングで起爆できる、自爆コードが設定されている。
怪しい動きをすれば即、爆死だ。
根本的になんでIS持ってんだよとは当然の疑問だが、普段から持ってる訳じゃない。こいつがこうして俺たちと共に戦う時、即ち亡国機業の残党処理を行う時のみ、『サイレント・ゼフィルス』が貸し与えられる。
俺と何度も切り結んだ漆黒の機体『黒騎士』は、戦役が終わったと同時、マドカ自ら束さんに頼み込み、その形態を消去された。
本人いわくケジメらしい。
まあお前はナイトよりスナイパーの方が似合ってると思うよ。個人的に『黒騎士』は二度と見たくないってのが大きいけど。
「マーケットに潜入するにあたって、イギリス代表も参加するらしいぜ」
オータムの捕捉に、俺とマドカは顔を見合わせて、げぇと声を上げた。
「やめていいか?」
「私もやめたくなったんだが」
「そう言わないの。オルコット代表は戦力としては超一流よ」
「いや俺また有給取って来てるから、顔合わせた瞬間に送還されるかもしれねえぞ」
「私など即座に自爆コードを打ち込まれるかもしれん」
本気で嫌がる俺とマドカの様子を見て、スコールは笑った。
いや笑い事じゃねえんだわ。
簡単な夕食をごちそうになり、俺とマドカは客人用のコテージに着いた。
「……それにしても、大した説明も受けなかったというのに、よく承諾したな」
木製の椅子に腰かけたマドカが、窓際で煙草に火をつけていた俺に問う。
「別に、俺に耳寄りって時点で予想はついた……あるんだろ、闇取引されるISの中に、所属不明のISが」
「ああ」
マドカはするりとワンピースを脱ぎ、下着姿になりながら答えた。
「おい」
「暑い」
外見年齢が変わらないから、絵面は犯罪そのものだ。
「それが紅椿である可能性は低いぞ」
「ゼロじゃないなら、俺は行く」
「そうか」
彼女は小屋に置かれたベッドの上に転がって、天井を見つめながら唇を開く。
「まるで呪いだな」
「……?」
「お前が持つ、僅かな希望。道を照らす明かりは、時として旅人を終わりのない迷路にいざなう」
「どうした、今日は詩人だな」
「色々考えたんだ、時間だけはあるからな」
そっと視線がずれて、紫煙を吐き出す俺に焦点が結ばれた。
「
「…………」
「英雄譚には、犠牲がつきものだ。そしてその犠牲に、英雄は気づかない――」
「黙れよ」
煙草の火をもみ消して、俺はベッドに近づいていった。
マドカは何かを期待するような表情で、赤い頬を月光に浮かび上がらせてほほ笑む。
「お前があのころと同じように、自分の正義を信じて突き進めるバカだったなら、もう
「もうしゃべるな……!」
姉によく似た貌の両脇に、手を置いて覆いかぶさった。
「そうやってまた、迷いを一時的に忘れようとする」
俺の唇に指を添わせて、それからマドカは、蠱惑的に口元をゆがませた。
「まあ私は、それでもいいがな。さあ、墜ちてこい、英雄」
月光が雲に遮られた。
暗闇の中で、俺は彼女の身体に手を伸ばす。
「通報しました」
セシリアは俺とマドカの並びを見て、というよりマドカがわざとらしく露出している首元のキスマークを見て、即座に携帯電話を取り出した。
通報しますじゃなくてしましたかよ、何故事後報告した。
「待て待て待て! 即断が過ぎるだろ!」
「スナイパーたるもの決断は一瞬でしてよロリコンさん」
「俺はロリコンじゃない!」
「隣をご覧になっては?」
視線を横に向ける。
やたらエロい表情で俺の腕に身体をまとわりつかせる、外見年齢未成年の女がいた。
アウトだった。
「ジョークだよな?」
「ええ。通報などしていませんわ。少し、母校に連絡を入れただけです」
「それはそれでジョークだよな?」
「さあ?」
俺の携帯端末が急に震え始めて、なるほどなと頷いて、俺は端末の電源を落とした。
「来てしまったものは仕方ありませんし、貴方たち二人が戦力として大変心強いことに疑いの余地はありません。今日中に終わらせましょう」
「はいよ」
ジーンズのインディゴブルーを主軸に、青系のワントーンで私服を染めたセシリアは颯爽と歩きだした。
すれ違う人々が黄色い悲鳴を上げてセシリアの写真を取り出す。この国では女優よりも彼女の方が有名だ。
「さすが、大人の女性だな。運が良かったなオルコット、貴様の思い人がロリコンだったからこそ、ゴシップを撮られずに済んでいるぞ」
「御冗談を。そういった心配のないホテルを既に予約していますわ」
ジョークだよな? とまた聞こうとして、セシリアが放出する圧倒的なオーラの前に俺は呼吸を止めた。
多分それを言うと、死ぬ。
「で、マーケットについてだが、情報は?」
「取引は、ロシアとの国境近く。東欧に存在する、地図には記載されていない町で行われているようです。そこから絞り込むことはできていませんが……心当たりは?」
「かつて私たちも利用していた場所だ。候補は3か所だが、うち2か所はどこかの誰かが徹底的に破壊して隠れる場所すらない焼け野原になっている。ならば一つだな」
どこかの誰か、のあたりで二人が俺を見た。
いや知りません。昔のことなので覚えていません。
「ではさっそく向かいましょう。基地で長距離航続ブースターを受け取ってからですわね」
「第三世代機用か?」
「まさか。展開装甲を使用した、第四世代機専用ブースターですわ」
二人のIS『ブルー・ティアーズ』と『サイレント・ゼフィルス』はかつての戦役の中で大改修を受け、アーマーの各所に展開装甲を装備している。第四世代機に繰り上げられたワケだ。
俺の愛機は特に改修されていない。アップデートが必要だったのは、パイロットの腕前だったからだ。
「おい一夏、貴様もいい加減ISを第四世代機に改造したほうがいいぞ」
「同意ですわね。こういった作戦に自ら首を突っ込むのであれば、その第四世代機モドキではいずれ厳しくなってきますわ」
まあ展開装甲を利用してブレードが『零落白夜』と実体剣を切り替えられる、ってだけで、展開装甲の大きなメリットはほぼないもんな。
「いやほら、あれがあれだからさ」
「具体的には何だ」
「一夏さんのことですから、どうせベテランの老兵が旧世代の兵器で最新鋭の兵器を圧倒するという古臭いロマンに憧れているだけですわ」
「完璧に思考をトレースするのはやめてくれ……」
あと完璧にトレースした上で全否定するのもやめてくれ……
セシリアは心の底から楽しそうに笑い、周囲の黄色い悲鳴が一層増えた。
超高速で過ぎ去っていく景色をぼーっと眺めているうちに、愛機がブースターを自動で切り離した。
長距離クルーズの時間は終わりだ。
三人ともステルス機能を既に発動している。
『ブルー1ブースターパージ。潜入に成功しましたわ』
『ブルー2ブースターパージ、ホワイト1はどうだ』
「問題なしだ」
地面に降り立つと同時、ISアーマーを光の粒子に分解し、格納していた防寒服を実体化させる。
ここから先は徒歩で、マーケットの客として潜り込む必要がある。
しばらく歩けば、かつて町だった地帯が見えてくる。
雲に覆われ真っ白な空の下、ひしめく黒いシルエット。工場だろう、こんなものを建てていたとは。
入り口傍にはライフルを手に持った男たちが、周囲を見渡していた。
俺はコートのポケットから紙切れを取り出し、ひらひらと見せびらかしながら歩いていく。
男たちは俺を見て、ライフルのグリップを握りなおした。
『紹介状だ』
英語で言うと、男たちは紙切れを俺からひったくって、それを確認してから愛想のいい笑みを浮かべた。
『中へどうぞ』
するっと工場内部に入り込む。
どこからやって来たのか、同じように防寒服を着込んだ人間が数十人もひしめいていた。
「ホワイト1、内部へ侵入」
『ブルー2、マーケットの支配人を確認。顔の照合も取れた』
『ブルー1、残念ですがブルー2さん、既にその支配人を狙撃できるポイントは私が取っていますわ』
『チッ……』
通信越しに喧嘩すんなよ。
『連絡が来ましたわ。既に周囲十キロをEU混合軍が取り囲んでいます』
『ではホワイト1、手はず通りに会場周辺の警邏を無力化してくれ』
「了解」
通信を終了し、工場の入り口から一歩出る。
先ほど俺を通した男二人を、ちょいちょいと呼び寄せた。
『どうかしましたかい』
『悪いがここで死ね』
男の一人を抱き寄せ、同時、ベルトに挟んでいた拳銃を引き抜き、密着状態で発砲。
サイレンサーに加えてコートに押し付けるように撃った、中には聞こえていない。
崩れ落ちる仲間を見て、口を開けたもう片方の男に一瞬で飛びかかる。雪の上に押し倒し、それから胸に二発撃ち込む。
「二名ダウン。次は」
『裏口だ』
工場を大きく回り込むようにして進み、裏口を固める男三人を目視した。
そのうち一名は、他の二人と違いライフルを持っていない。主催側だな。
物陰から銃口を向け、膝立ちのまま連射。マガジンが残り一発になるまで撃ち尽くす。音もなく三人が崩れ落ちるが、武装していない男だけは致命傷を外した。
「二名ダウン。一人は尋問する」
『ホワイト1、予定にない行動は――』
『やらせてやれ、ブルー1』
俺をいさめようとしたセシリアを、マドカが制止した。
ありがとな。
雪の上を大股で進み、口から血を吐き出す男の下に向かう。
やつは俺を見て、懐から拳銃を引き抜いた。銃口がこちらに向くより早く距離を詰め、腕を蹴り上げ拳銃を弾き飛ばした。
『質問に答えろ』
『なん、だ、お前……!』
『出品予定リストを見せろ』
『くたばれ、地獄に落ちやがれッ』
顔面を殴る。歯の砕ける感触。
拳銃のマガジンを入れ替え、既に装填されていた一発を右足に撃ち込む。男がくぐもった叫びを上げる。
続けざまに立ち上がり、腹を思い切り踏みつけた。
『出品予定リストを、出せ』
涙を流しながら、男は懐から携帯端末を取り出し、俺に画面を見せた。
ひったくるようにして端末を手に取り、素早く確認する。
IS用の銃火器。第一線で活躍している増設装備。
弾薬。性能が大幅に低下した疑似ISコア。
そして――完成済みの第三世代IS。
第四世代機の名前はない。
『たの、む、助けてくれ』
『……分かった』
俺は端末をその辺に投げ捨てた。ハズレだった。
安心したように息を吐く男に向かって、銃弾を三発撃ち込んだ。男は衝撃に一瞬目を見開いて、そのまま動かなくなった。
「裏口をクリアした」
『……了解。では始めましょう』
何か言いたげな感じを残しつつ、セシリアは作戦を始める。
同時、入り口と裏口が内側から爆破された。
突然の轟音と爆炎に内部がパニックになる。
爆音に紛れる銃声を聞きとれたのは、中にいる内の何名だろうか。セシリアとマドカが、暴徒鎮圧用の催涙弾を撃ったんだろう。加えて主催者にはゴム弾が撃ち込まれているはず。
どう考えても国家代表を駆り出す仕事じゃねえよな。まったく。
『ホワイト1! データ通りだ、ISが出てきたぞ!』
取引の用心棒として雇われた女傭兵がいるんだっけか。
個人でISを運用してるなんざ、大迷惑な話だ。
さっさと片付けるに限る。
工場の天井をブチ破り、ISが一機、空中に躍り出た。
瞬時に識別。第二世代機『打鉄』をカスタマイズした、かつての戦役で第一線を張っていた日本製IS――『打鉄改』だ。
まあ、傭兵が使うレベルなんてそんなものか。
やつは空中でライフルを呼び出すと、眼下の工場に銃口を向けた。
セシリアとマドカを始末してから逃げる算段なのだろう。
それよりも俺が早い。
瞬時にISを展開する。白銀の雪の中で、純白のISアーマーが鈍く光る。
「ハアアアアアアアアアアアアアアッ!」
ブースターを全力で吹かし、空中の打鉄改へ突貫。
「な――織斑一夏ッ!?」
流暢な日本語だった。即座に俺を識別するとは、大した腕じゃないか。
こちらに狙いを切り替えて、ライフルが銃声を響かせる。遅すぎる。銃弾を全て切り捨て、そのまま距離をゼロに。
振り抜いた太刀筋から、やつは咄嗟にバックブーストして逃れた。置き去りにされたライフルが両断され、爆散する。
「貴様がここに来るとはなッ」
「お前、戦役に参加してたか?」
「ああ、かつて私は米国軍人だった」
やつは俺と切り結ぶ気なのだろう、近接ブレードを召喚し、あろうことか距離を詰めてくる。
振り下ろされた太刀を雪片弐型で受け止める。
つばぜり合いは一瞬、互いに刀を切り返し、迷うことなく首を落とそうとする。読める斬撃など意識せずとも避けられる。わずかに首を傾げた直後、スキンバリヤーの数ミリ外をブレードが通過した。
「さすがによくやるッ」
俺の斬撃を大きく飛び退いてかわしてから、傭兵はブースターに火をつけた。
『ホワイト1、工場内の制圧は完了しましたわ。増援の必要は?』
「要らん」
突撃と当時に繰り出された唐竹割を、同時に俺も前へ踏み込み叩き落す。
弐ノ太刀で切り捨てるはずが、思っていたよりこいつの反応が早い。身体の前に引き戻された太刀に、剣が阻まれる。
至近距離で剣戟を続けている以上、セシリアもマドカも撃ちにくいだろう。援護を求めるなら距離を離すべきだが、別にこのままでいい。十分首を狙える。
「私は知ってるぞ、織斑一夏。お前が何を求めているのかを」
「何……?」
ブレードとブレードが互いを食いちぎろうと火花を散らす中。
突然、打鉄改を身にまとう女は、凄絶な笑みを浮かべた。
「私の太刀筋には、篠ノ之流が織り交ぜられている」
「ッ!?」
驚愕に、一瞬反応が遅れた。
やつは太刀を片手に持ち替え、もう片方の手にハンドガンを召喚。
至近距離で腹部へ発砲、俺は身体を独楽のように回転させて避ける。
「ああそうだ。
「おま、えッ」
『一夏! 聞くな!』
マドカが放ったであろうレーザーをひらりと舞うようにやり過ごし、傭兵はブレードを俺に突き付ける。
遠くから軍勢が、EU混合軍が近づいてくるのを、愛機がアラートで知らせてくれる。でも今は、どうでもいい。
「探しているんだろう?」
「何か、知っているのか」
「場所までは知らん。だが方策は提示できるな」
「何だ、それは」
気づけば、俺は『雪片弐型』の刃先を下ろしていた。
セシリアとマドカが何かを叫んでいる。通信をオフにした。
傭兵はブレードの切っ先を油断なくこちらに向けつつも、犬歯をむき出しにして笑う。
「世界が再び戦火に呑まれたら――
「――――――――」
それ、は。
それは、その言葉は、あまりにも甘美な響きだった。
「いい反応をするじゃないか、織斑一夏。世界を救った英雄サマとしちゃあ失格かもしれないが、女のケツを追っかけてる男としては上出来だ」
『冗談でしょう、一夏さんッ!?』
工場の天井が爆ぜた。
二機のISが、姉妹機の証として同じ青一色の『ブルー・ティアーズ』と『サイレント・ゼフィルス』が、BT兵器を展開しながら俺と傭兵を睨む。
「一夏、落ち着け。お前は冷静さを欠いている。今すぐ戦線を離脱してISを解除しろ」
「そりゃあできない相談だろう? さあ織斑、私と一緒に来い。さすがの私も、戦役を終わらせた伝説のパイロット二人が相手じゃ分が悪い。だがお前がいれば、二対二でも圧勝できるはずだ」
傭兵が至近距離で、俺に手を差し出す。
知っていた。
彼女のISは、目に付く武装勢力を、敵味方なく破壊する。
ならば――彼女が世界中のどこにいても戦火を見るぐらいに、あちこちで戦闘が起きるような状態まで、世界を堕とせば。
考えなかったことなどない。
考えた何度も考えた。
けど、俺の答えは決まっている。
「『零落白夜』、起動」
刀身が割れ、蒼いエネルギーセイバーが姿を現す。
傭兵の顔色が変わった。
「お前ッ」
「あいつの願いまでは知らなかったみたいだな。意識を乗っ取られた状態で、全ての戦争に介入し、一切合切を破壊するルーティンの理由までは、知らなかったみたいだな」
俺の背部スラスターが蠢動する。
マグマのような怒りが、炎となって、吐き出される。
「あいつは願っていたんだ――『全ての戦争を終わらせること』をな」
その後に何をするか、二人でよく話していた。
平和になったあとどこに行くか、頭を悩ませていた。
いつ終わるか分からない戦いの連続の中で、俺たちは明日を夢見ることしか希望の燃料にできなかった。
あいつの願いの美しさを、俺はよく知っている。
あいつの祈りの儚さを、俺はよく知っている。
だから。
「あいつを探すのに、あいつの願いを踏みにじるわけがないだろ――ッ!!」
世界が縮退し、全てを置き去りにして疾走。
迫る俺に対して、迎撃しようとする太刀はあまりに遅い。
当たり前だ、篠ノ之流を混ぜ込んだオリジナルなど、まがい物の太刀筋など、俺に勝てる道理はない。
初撃が傭兵の太刀を半ばで断ち切り。
切り返した弐ノ太刀は、反応する暇すら与えずやつを切り捨てた。
「殺さなかったのは、意外でしたわ」
裸体に真っ白なシーツのみを巻きつけて、セシリアはホテルに備え付けの灰皿に煙草の吸殻を押し付ける俺に言った。
二本目の煙草を取り出しながら、俺は首を鳴らす。パンイチのアラサー男、普通にきついな。
女傭兵を切り捨てる時、俺は『零落白夜』の出力を調整した。
フルパワーでは搭乗者ごと真っ二つにするが、学園にいたころ一番使っていた出力ならISのシールドエネルギーを消滅させるだけで済む。
打鉄改の機能を停止させられた女傭兵は、マーケットを運営していた者や参加していた者と共に捕らえられた。
国際刑事裁判所で、懲役刑を受けるのがオチだろう。
「話を聞くべきだと思った……米国の前線基地ってことは、俺と別れた後の話だ。何かの手がかりを知っているかもしれない」
「なるほど。確か彼女と最後に会ったのは」
「戦役が終わる半年前、学園での教導だ」
忘れもしない最後の日。
それ以来会えなくなるなんて考えもせず、いつも通りに会話して、それだけで終わったあの日。
今すぐ時間を巻き戻せるなら、自分を殴り倒してしまう。それから、彼女に縋り、行くなと泣き叫ぶだろう。今すぐISを手放し、前線を離れろとみっともなく喚くだろう。
「それで後で話を聞きに行くと……手を出したら殺しますわよ」
「ガラス越しじゃ無理だ」
「ガラスがなければしますの?」
おっと藪蛇だったか。
誤魔化すために肩をすくめてみたら、セシリアの視線の温度がさらに下がった。
「諦めろ。そいつは完全に麻薬中毒だ。女の身体という麻薬のな」
セシリアの隣で、ふかふかの毛布の中に潜っていたマドカがひょこっと頭を出す。
本当にこいつ、詩人になったな。
「ええ。重々承知しております。その上で一つお聞きしたいのですが」
「ん? どうした」
「なんで彼女がここにいますの?」
青筋をビキバキと浮かべて、セシリアは俺に向かって問うた。
「いやその……散々三人で楽しんだ後に聞かれましても……」
「なあなあで済ませて無理矢理始めた一夏さんのせいでしょうッ」
完全にブチギレたらしく、そのまま彼女はベッド横に置いていた端末をひったくった。
あ、これやばいやつじゃん。
「もしもし織斑先生!? はい、どうせ近くでスタンバってますわよね!? 〇〇ホテルの最上階スィートルームでしてよ!」
「ちょっとタンマ」
俺は素早く煙草を灰皿に捨てて、窓際に駆け寄りカーテンの中に身を隠した。
「一応言っておくが、不自然に膨らんでてバレバレだぞ」
マドカがなんか言ってるが無視だ無視。
さあどっからでも来いよ千冬姉。最悪窓から飛び降りてIS使って逃げてやるからな。
俺がそう拳を握った瞬間だった。
窓をブチ破り、ISを展開した千冬姉がエントリーしてきた。
凄まじい衝撃を受け、俺は部屋の中にゴロゴロと転がる。
「一夏の馬鹿はどこだァァァァァァァァァァァアアアアァァァァッッ」
「足元で伸びてましてよ……」
セシリアのため息交じりの言葉をなんとか聞き取りながらも、俺は薄れ行く意識にあらがえず瞼を閉じる。
いやあ……やっぱあれだな、休暇を取るには毎回少し急か、なんちって。
セシリアとマドカの状態を確認して、千冬姉の殺気が一層膨れ上がるのを肌で感じながらも、俺は明日こそ紅いシルエットが世界のどこかで見つかるよう祈った。