その連絡が来た時、俺は学園の教師寮の食堂でうだうだしていた。
麺が伸びる危険性をいとわずラーメンを前にしてぼーっとするという背徳的な行為。
というか豚骨スープが思ったより胃にキていた。
いやマジで。
普通に気分がちょっと悪い。生徒だったころはスープ完飲してたんだけどな。
表示されるテレビ通話の発信者は、中華人民共和国の国家代表こと、セカンド幼馴染だ。
「もしもし」
『やっと出た! 遅いわよ一夏!』
画面に映る彼女は、学生のころは二つに結んでいた髪を下ろしていた。いやこれ本当にいい変化だし英断だと思う。ロングヘア鈴はすごいよ。色気とかすごい。
「何か用か」
『ちょっと知り合いと久々に顔合わせたから、あんたのツラも拝んでおくかーってなったのよ』
「俺は大仏か何かか?」
見てもご利益はないぞ。
鈴はにししと笑い、かつてと変わらぬ活発さのまま画面外に腕を伸ばした。
『ほらほら、あのバカとつながったわよ!』
あのバカで通じるのか。俺の扱いはどうなってるんだ。
『あ、一夏?』
画面の外からひょいと顔を出してきたのは、現日本代表である更識簪だった。
見慣れた眼鏡型外部ティスプレイ越しにも、なんか目がとろんとしているのが分かる。
「簪か……ああそうか、日中合同演習だっけ」
うちの学園に通っている代表候補生が、それを理由に今学校を離れていたはずだ。
『そそ。あたしたちはその監督ってワケ』
『今年は結構粒ぞろい……一夏、教導頑張ってるみたいだね』
「俺じゃなくて、元々あいつらに素養があるんだと思うぞ」
ラーメンをすすって、俺は生徒たちの顔を思い返した。
代表候補生はなんか皆キャラが濃い。俺をライバル視したり神聖視したり。後者はあまり歓迎できないな。
生徒に手を出すほど落ちぶれちゃいないが、若い娘が露骨にアピールしてくるのはどうかと思う。もう少し落ち着きを持つべきだろう。いやなんか、何年も挟んで知り合いたちに凄まじい攻撃を加えてしまったような気がするが。
「もう演習は始まってるのか?」
『バーカ、開始は三日後よ』
『先入りして色々、調整してるから……』
『その合間を縫って、あたしらで飲んでるってワケ』
「あーやっぱ酒入ってるのな」
やけに声が陽気だと思った。普段から明るい声ではあるが、今は底抜けに、なんというか、馬鹿っぽい。
彼女たちの仲の良さは折り紙付きだ。
というか俺と同世代の国家代表はみんな仲が良いので、平和の象徴とか言われてる。
しかも世界を大混乱に叩き落した戦役を戦い抜いた伝説のISパイロットだから、そりゃあみんな知ってる。
日本代表、更識簪。
UK代表、セシリア・オルコット。
中国代表、凰鈴音。
フランス代表、シャルロット・デュノア。
ドイツ代表、ラウラ・ボーデヴィッヒ。
ロシア代表、更識楯無。
そして、IS学園教師となった俺――織斑一夏。
同世代のエースは他にもたくさんいたし、俺の同期は化け物揃いだったが、その中でも突出した戦果を挙げたのが上記の面々だ。
ていうか俺の同期は本当にどうなっていたんだろうね、俺が教師だったら頭を抱えるぐらい天才揃いだったし、問題児揃いだった。
……一人足りないんだよな。
挙げた戦果だけなら、俺に次ぐ二番目の少女が、記録から、抹消されているんだよな。
「壁からして個室か」
『当たり前よ! 普通にその辺で飲んでたら大変なことになるじゃない!』
『有名人……』
簪が両手でピースしてきたので、真顔のままピースし返した。
こいつ結構酔ってるな。
『で、今は演習に向けて調整してるんだけど、学園組があんたに見てもらいたいーってうるさいのよね』
『日本勢も同じ……学園じゃないとこで、訓練受けてる子に、一夏のことずっと話してる……』
超高速で通話を切ろうとしたが、着信が再び来そうで諦めた。
二人とも目が据わっている。これは駄目だな、つまり、俺は死ぬ。
『あんた次会うとき覚えてなさいよ』
『……残念』
「残念って何だ? 俺に何をする気だ? 二度と会えなくするから残念って意味じゃないよな?」
手は出してないからセーフ……ッ! ノーカン……ッ! ノーカン……ッ!
別に教導者として高く評価されているというだけで、何故怒られなきゃいけないんですか!
「とにかく、学園組はあれだ、まあまあの問題児だから、手を焼くかもしれないがよろしくな」
『まっかせなさい!』
『かしこまー……』
「あと、ちゃんと簪をホテルの部屋まで送ってやれ……」
鈴は笑顔を引っ込め、神妙な顔で頷いた。
さすがに日本代表が路上でブッ倒れてたらシャレにならないからな。
「じゃあ今日はここまでだな」
翌日、若干の胃もたれを抱えつつも、俺は見事全授業を駆け抜けた。
定期的に失踪する癖がある以外は、普通に教師をこなせていると思う。多分。千冬姉は比較対象としては論外だから(生徒を馬鹿ども呼ばわりはない)、山田先生を見習って俺は先生をやっている。
まあ適切なナメられ方を目指しているわけだ。
「センセ、パフェ食べいこーよパフェ!」
「先生、ここが分からなかったので……今日の夜23時に私の部屋に来てくださったりしませんか……?」
「織斑ティーチャーに問題です! 今日のあたしのパンツは何色でしょう!」
しかしどう考えても、俺は適切ではないナメられ方でナメられている。
ていうか油断してたらナメようとしてくる。なんちゃって。
「織斑せんせー、今何考えてたのー?」
ドアを蹴破るような勢いで、のほほんさんが教室に入ってきた。
なんでみんな、俺がダジャレ考えたらニュータイプばりに直感を発動させるんだろう。不思議だ。
「何も考えてないさ。俺は普段から何も考えていない。無我の境地ってやつだな」
「へーすごいセンセー!」
悪いが嘘だ。
もし本当に何も考えてなかったら、そいつはただの馬鹿だと思うし。
俺は生徒たちからの声、まあ大半は謎のアピールだが、それらを適当に受け流しながら教室の外に出た。
「悪い、助かったよのほほんさん」
「いえいえー」
スーツ姿ですらどことなくダボっとしているように見えるのは人徳だろうか。
布仏本音は廊下で左右を見てから、誰もいないのを確認して、半歩俺に距離を詰めた。
見上げるような身長差だ。必然、上目遣いになる。顔立ちに幼さが残る彼女だからこそ、この挙動も堂に入っていた。
「
「……剣道部が解散してから、な」
俺はこう見えて剣道部の顧問だ。
IS学園の剣道部を、立派な姿のまま残しておく。それは教師となるにあたって、俺がひそかに立てた目標だ。俺自身、毎日剣道の鍛錬を欠かさず行っている。最近はやや剣道より剣術の方に重きを置いているが、試合でそう簡単に生徒に負けてはやらない。
「じゃ、部屋で待ってるねー」
瞬時に距離を元に戻して、のほほんさんは鼻歌交じりに去っていった。
さすがは暗部所属だ。のほほんとしてるのに、いざという時はシュババッと動く。
頭をかきながら、俺は別校舎にある剣道場へと歩き出そうとした。
途端に、コール音。
「……もしもし」
『一夏、昨日の今日でごめん。でもこればっかりは……気乗りしないけど、あんたに教えないとって思ったんだ』
「お、おう。どうしたよ」
画面に映ったのはセカンド幼馴染だった。
鈴はいつになく真剣な表情で、一呼吸置いた。
『中国代表候補生が襲われたわ……未確認の、深紅のISに』
「――――――――ッ!?」
驚愕のあまり、俺は廊下に呆然と立ちすくんだ。
のほほんさんに連絡を入れたらありえないぐらい冷たい笑顔で『事後処理は任せてー』と言われた。
見ただけで心臓が止まりそうになる笑顔は、本当にあるんだな。
要するにはいつもの失踪だ。多分また千冬姉にド突かれて終わる。
俺はISをステルスモードで起動し、日中合同演習の演習場――モンゴル国に間借りした広大な敷地へとやって来ていた。
さすがに今回ばかりは、俺が来てるとなんなんだってなるので隠密行動中だ。
サングラスでささっと変装した。気分はエージェントだ。
演習場の警備兵に、鈴から送られてきた紹介状のデータを見せる。あっさりと通された。スーツ姿のままだし、関係者な感じはあるだろう。
『何かあったんですか』
『俺たちも詳しくは知らないんだが……代表候補生が怪我したらしいぜ』
門番が知る情報なんてこんなところだろう。軽く礼を言ってから、中に入る。
俺の横をトラックがひっきりなしに走り抜けていく。積み込んでいるのは、演習場に並べる障害物や、IS用の銃火器だ。
周囲を見渡しながら進んでいけば、俺を待ち構えていたかのように、野戦服を着込んだ日本代表が佇んでいるのを発見した。
「簪」
名を呼ぶと、簪はこちらを見て……複雑そうな表情で歩み寄ってくる。
「この場にいる限り、一夏のことは、ワンサマって呼ぶから」
「偽名雑過ぎないか?」
絶対名前考えたの鈴だろ。
「いや、それはどうでもいい。それで深紅のISって」
「私は……ここに呼ぶの、反対だった」
「簪ッ」
驚くほどに語気が荒くなった。
「頼むよ、簪。俺はどんな手がかりだって見落としたくないんだ。可能性が万に一つもあるなら、そのためだけに命を懸けたっていい」
「だからだよッ!」
珍しい簪の怒声に、思わず動きが止まる。
彼女は目尻に涙を溜めながら、俺に向かって必死に叫ぶ。
「このまま、探させてたら……一夏まで、どこかに行っちゃいそうだって、みんな言ってるッ。私だって探したいよ、でも、もう何年経ったと思ってるのッ。一夏は、何も見えてない……」
分かってる。
浴びせられる言葉は、もう十分承知している内容だ。
それでもやっぱ、きついな。
「ごめん」
「……謝ったって、許さない。ちゃんと、最後には、笑顔に戻ってもらうから」
それだけ言って、簪は踵を返した。
言われてから、気づいた。
俺が最後に、心の底から笑ったのは、いつだろうか。
あるはずの存在が欠けてしまって、ずっと
違和感が、心の一番奥に沈んでいて、そいつは粘っこくて、まるで洗い落とせなくて。
「……ごめん」
壊れたラジオみたいに、俺は同じ言葉を繰り返して、それから簪の後を追った。
「あんまり多くは話さないわよ……その様子からして、簪に絞られた後みたいだし」
テントが三つほど並ぶ前で、簪と同じ野戦服姿の鈴は真剣な表情で俺を迎えた。
キャンプに使うようなテントではない。運動会の時にいくつも並ぶ、細い鉄柱を地面に突き立てるタイプのものだ。
「状況は?」
「最悪の一歩手前ね……調整場に向かっていたウチの代表候補生が、ISに襲撃されて負傷したわ。命を取るつもりは元々なかったみたい」
鈴の視線を辿れば、椅子に腰かけぼーっと宙を見つめている少女が一人いた。
「ウチのチームのエース兼キャプテン、
「そりゃあ……」
大黒柱だな。
それが何者かによって負傷させられたんだ、俺たちのいる周辺はみんな殺気立っていて当然だろう。
特にそれは、日本代表である簪への鋭い視線となって表れている。本人は気にしていないようだが。
「……今回の件で、演習の中断も、検討されてるみたい」
横にいた簪が、ひょいと口をはさんだ。
「ま、あり得る話ではあるな」
「冗談じゃないわよ。学園に通わない代表候補生は、こういう場じゃないと実戦的な経験を積めないの。あんただって分かってんでしょ?」
「分かってるよ。それで、襲撃はどんな感じだったんだ」
情報を集めるために発した問いだった。鈴が答えようと口を開いた。
けれど答えは、まるで予想だにしない方向から飛んできた。
「私もISを展開していたのですがー、瞬殺されてしまったのですー」
間延びした日本語だった。
ガバリと振り向く。被害者本人である劉明美が、椅子に座ったまま俺を見て、言葉を発していた。
「君は……」
「明美とお呼びくださいー。先ほど鈴さんが通信していたのでー、ちょっと聞いてましたー。ワンサマさんとお呼びすればいいでしょうかー、お忍びですねー、ニンニン」
人差し指を重ねて、彼女は無表情のまま言う。
多分、俺が織斑一夏であることを瞬時に看破した上で、茶番に付き合ってくれているんだろう。できた子だ。
「君が日本を勘違いしてるのはなんとなく分かった……明美、瞬殺されたというのは本当なのか?」
「ええー。私専用に調整していたー、『
紅い、IS。
心臓がドクンと鳴った。
「どういう戦い方だった、そのIS」
「ちょっと、いち……ワンサマ、やめなさいよ」
「いえいえー、かまいませんよー」
鈴にたしなめられ、自分でもハッとした。
チームの中核になるような代表候補生がボロボロに負けたのだ。何を無遠慮に聞き込みしてやがる馬鹿野郎。
しかし、明美はまるで動揺することなく、滔々と語り始めた。
「最初にエネルギー兵器で攻撃を受けてー、近づいてきたのでー、近接戦闘をしようとしたのですがー」
「…………それで?」
明美の唇の動きが、やけにスローに見えた。
「二刀流でしてー、こちらの攻撃を全て受け流した上に、カウンターを受けてしまったのですー」
――――――――――ッ!!
拳を強く、強く握った。
そうなのか。お前なのか。
「お姉ちゃん、お水取って来たよ」
「あらー、
俺が言葉を失っている間に、ISスーツを着た少女がとことこと明美に近づいていた。
聞き覚えのある声だった。
「ん、あれ……え、あれ!? 先生ッ!?」
その呼び名が俺に向けられたものであることに気づき、慌てて意識を引き戻す。
見れば、明美にペットボトルを渡そうしていた少女は、まさに俺が担任のクラスに所属する少女だった。
「劉って……まさか、
劉海美は、俺が担任を務める一年一組に所属する、中国代表候補生だ。
見れば二人の顔立ちは確かに似通っていた。やや海美の方がキツい目つきだが、二人とも明るい茶色の髪で、明美は肩にかかる程度のセミロングヘア、海美は腰まで伸びる長さをポニーテールに括っている。揃って、思春期の少女らしい柔らかそうな身体のラインだ。
いやはや、海美に双子の姉がいて本国でISの訓練を受けている、とは聞いていたが、こんな形で会うことになるとはな。
「な、なんでここにせんせもがもが」
「あーすまんいつものだ。それと、ここにいる限り俺のことはワンサマと呼べ」
シュババッと海美の傍に駆け寄り、その口を手でふさぐ。
いつもの、と言って通じたらしい。海美は完全に呆れ切った視線をぶつけてきた。
変装してても意味なさそうだなこれ。いや、顔見知りだから一発でバレただけか? そうだと信じたい。
とりあえず事情は理解してくれたっぽいので手を放す。
そのタイミングで、明美が口を挟んできた。
「そういえばー、海美の担任さんでしたねー。ご噂はかねがねー」
「ほう、何と言っているのか気になるところだが」
「なんでもー、理想のおうじ――」
「あああああああああああああああああああああああ! お姉ちゃん黙って本当にお願い静かにしてぇっ!」
顔を真っ赤にして、海美が明美の口をふさいだ。
おう……何? なんて言おうとしたんだ?
「……随分、仲いいわね?」
心底ゾッとした。
鈴が、見たこともないほど生気のない瞳で(嘘だわ何度か見たことある、全部女性関係についてだった)、俺をじっと見ている。
「ワンサマ……モンゴルの草原はきっと、寝心地いいから……」
「簪待ってくれ。寝心地って単純にゴロ寝するってことだよな? 永眠じゃないよな?」
同じような目をした簪がいちいち怖いことを言ってくる。
勘弁してくれ。
「それであんた、どうするつもりよ」
鈴が湯気を上げるマグカップ片手に、椅子に座ったまま問うた。
俺は鈴と共に、ひとまず休憩用テントに入っていた。ここで寝ていいらしい。きちんと寝れるよう、側面には防音素材の特殊繊維で編み込まれたカバーがかけられていた。入り口を開けない限り外の様子は分からないし、逆もまた然りだ。
折り畳み式のベッドに腰かけて、俺は鈴の質問に答える。
「もし、あいつなら、また来るはずだ」
「……そうね」
椅子の上で三角座りをする鈴は、野戦服のままだ。
俺の身体がいつものアレを起こしている。つまりは興奮している。直感的に、鉄火場を感じ取っているんだ。
「ねえ、その目、まさかここで今?」
「ダメだろ、さすがに」
身体の言いなりじゃないんだ、自制ぐらい利くわ。
「これが解決したら朝までちゃーんと付き合ってあげるから、今はガマンしてよね」
「嬉しい言葉だな」
「……あたしもね、またあいつは来るって思うの」
「理由は?」
「カンよカン。あんたのそれだって同じようなものでしょ」
言い返す言葉が見つからず、肩をすくめた。
そうだな。俺の中では、確信に近いんだけど、これは傍から見ればまるで論理性のない直感的な考えだ。
俺は頭の中で、事態を整理する。
襲撃されたのは中国代表候補生。
合同演習が日中合同だから、人々は殺気立っている。
日本の勢力からの妨害ではないか。
あるいは都市伝説の、未所属であらゆる戦場に現れるISではないか。
憶測は飛び交っている。誰もが不安なんだ。エースを瞬殺した未知の敵がそのへんにいるかもしれないわけだからな。
「……なあ」
「何よ」
考えをまとめている間に、疑問が一つ出た。
「海美はかなり優秀な生徒だ。ややムラっ気はあるが、実力も才覚も優れている、と俺は思っている。向上心も強い。負けん気がいい方向に働いている。俺たちが育て方を間違えなければ、あいつは大成する」
「同意するわ。あの子はかなりいいとこまで育つわよ。あたし、正直あの子をちょっと後継者にしようかなって思ってるぐらい」
「生身の人間相手に衝撃砲を撃ち込む後継者か?」
鈴はいい笑顔を浮かべた。
俺は両手を挙げた。降参のしるしだ。
「悪い。今のは、完全に俺がバカだった」
「人の黒歴史をぽんぽん掘り返すんだから、まったくもう……それで、話の続きは?」
促され、俺は人差し指を一本立てた。
「その海美を……言い方はアレだが、
キャプテンである、というだけではなく、エースも兼ねていると鈴は言っていた。
海美の性格では確かに、チームをまとめ上げるキャプテンは難しいかもしれない。しかしISの部隊を編成する上で、司令塔と切り札は分けることが多い。兼任できるのはよっぽど優秀な奴だ。
例えばそれはラウラ・ボーデヴィッヒだ。鈴も、兼任できるだろう。俺は指揮官はできない。
「ええ、そうよ。海美もよそならエースを張れるとは思うけど、ウチの場合は間違いなく明美ね」
鈴は即時に肯定した。それだけ絶対的な存在なんだろう。
ならば、だ。
「
俺の問いに、鈴はマグカップの中身を見て、しばし黙った。
「……あんたの予測通りなら、自然なんじゃないの」
「ああ、そうかもな」
もちろんそうだ。俺が追い求める深紅の機体ならば、三十秒はむしろかかり過ぎなぐらいだ。
だというのに、どうしても引っかかった。
「悪い。整理してたら、なんか気になってな」
「別にいいわ。あたしも疑問だったし」
マグカップを折り畳み式のテーブルに置いてから、トウと声を出して鈴が椅子から飛び降りる。
そのままこちらまで近づいてきて、勢いのまま俺の唇に唇をぶつけてきた。
「んむ!?」
さすがに奇襲が過ぎるだろ!
舌まで入ってきたので、どうにもこうにも……
とりあえず腰に腕を回すと、鈴は甘えるように腰をくねらせながら、あろうことか俺の下腹部にまたがった。
いやいやいやいやいやさすがにダメだって言ったじゃん。我慢してよねつったのそっちじゃん。
これ大丈夫なのか? 『零落白夜』起動許可出たってこと? 普通にのほほんさん相手に期待してた分、フルパワーでやっちゃうよ? あ、日中合同ってそういう……?
「入るよ……一夏、頼まれてた戦闘ログだけど」
テントの入り口をばさっと開けて、簪が入ってきた。
終わった。
俺も簪も、完全に時を止めている。
動いているのは鈴だけだ。しかも動きはやたら艶めかしい。水音が俺と鈴の口の間から響いている。
「ぷは」
やっと顔を話した時、俺と鈴の唇の間には、細い半透明のアーチがかかっていた。
「あ、簪戻ってたの? なら言いなさいよ」
「……『山嵐』取ってくる」
「待ってくださいッッ!」
何を隠そう『山嵐』とは簪の愛機に搭載された独立稼働型誘導ミサイルだ。
死ぬだけじゃすまない。多分何回か死ぬ。
「やーね、今のはあたしの性欲発散よ」
「それはそれで……どうかと思うけど……」
「いや自然に俺の上に乗っかっておいてそれはどうなんだ」
鈴が俺の上からどいた瞬間、目にもとまらぬ速さで簪が入れ替わった。
やたら顔が近い。年齢を重ね、落ち着きが大人の色気へと昇華された分、心臓に悪い。
「明美さんの機体のレコーダーから、戦闘ログを抽出した……」
「で、どうだったんだよ」
ごく自然に簪は俺の肩に手をかけ、ベッドに押し倒した。
逆じゃない?
「映像上、敵機はマントを装備して外見を隠蔽してた……」
「お、おう」
簪がこなれた動きで、接触してる部分を上下に揺らす。発情した猫みたいに、身体をこすり付けてくる。
「確かにマントの下から、見えた装甲は……深紅。でも、展開装甲かどうかは……判別できなかった……」
いや驚くほど話に集中できない。
「音声も、なし。敵のパイロットの呼吸音だけ拾えたけど……それだけ……」
「わ、分かったから、動くのやめてくれ」
上下だけじゃなく左右にも動き始めてるし、簪はもう完全に全身を俺にゆだねていた。柔らかい物体が胸板の上で形を変えているのが、嫌というほど分かる。許して。
じっと簪は、もの言いたげな目で俺を覗き込んできた。
ああもう、仕方ない、と俺は上体を起こして顔を寄せる。
その瞬間に、全身が震えた。
「来た」
「え?」
俺の言葉から数秒後、演習場全体にサイレンが響き渡る。
「な――管制応答しなさいッ! 状況は!」
「一夏ッ、外に!」
素早く意識を切り替えた代表二人が、テントの外へ走り出す。俺も後を追って飛び出した。
周囲を見渡す。皆がざわめき、どこかと通信を取っている。
「一夏! 例の敵だわ! 今度は日本の方に来たって!」
「クソ、少し遠いな、簪ッ」
日本のチームがいるテントはここから離れている。徒歩では遅い。
無言で頷いて、簪が『打鉄弐式』を展開した。無論、展開装甲に換装済みの第四世代機だ。
隣では鈴が展開装甲仕様の『甲龍』を身にまとっている。
俺は簪の背部マルチラックに乗り込んだ。ISスーツなら、ワイシャツの下に着ている。
「飛ばすよ」
宣言通り、全身を薄く引き伸ばすようなGが俺にかかった。
高度を一旦上げてから、二人はさらに加速した。
風圧に閉じそうになる瞼を気合で持ち上げ、前方を確認。火の手はない。ただ、銃撃音は聞こえる。
「いた!」
簪と鈴が速度を緩め、地面を削りながら着地する。
ちょうど、そいつと、そいつと相対していた少女たちの間に割り込む形だ。
「大丈夫ッ!?」
後ろに振り向いて、簪がへたり込む日本の選手らに声をかけた。
震える返事が聞こえる中で、俺は半ば夢見心地のまま、簪の背中から降りた。
そいつは急造のテント群の上に、悠然と浮かんでいた。
紅いアーマーが、たなびくマントの下から覗く。
駄目だ、識別するには距離がある。だから確証はない。
確証はないのに。心臓が痛いほどうるさい。鼓動が激しく乱れる。
どんなに落ち着かせようとしても、俺の意志を無視して身体が勝手に叫び出す。
おまえ、なのか。
口に出していない問いが、相手に届くはずもない。
深紅のISはマントを翻して、どこかへ飛び去って行った。
「あたしと簪で追跡する! 管制室にレーダー追跡も頼んで!」
「了解!」
鈴が手早く指示を出しているのが、ぼんやりと遠くに聞こえる。
ただ、呆然と、俺は彼女の名をこぼしていた。
「――――――箒」