突然だが、俺は今有休を取って日本本土に来ている。
今回はマジの有休だ。つまり、暴力オチはない。これだけで安心感が段違いだ。
「ねえ一夏さ、どっちが似合うかな?」
そして俺の目の前には、下着姿で、二つのブラウスを交互に身体にかざすかつての同級生がいる。
清潔な白いブラウスか、シックな紺色のブラウスか。
その下にちらちら見えるオレンジ色の下着か。
「……一夏、僕が聞いてるのは服についてなんだけど、どこ見てるの?」
昔と変わらぬ髪型で、シャルロット・デュノアは、少し頬を赤くして胸元をブラウス二着で隠した。
最初から脱ぐなよ。
「うーん、オレンジ!」
「ねえ一夏話聞いてた?」
いやいい感じだと思うよオレンジ色。最高。メガミマガジンのピンナップは固いな。
世界唯一のデュアルコアなんとかかんとかハイパーISを使う彼女は、端的に言えばチートだ。
明らかに世界のルールがバグを起こしたとしか思えない共鳴現象からISとISが融合……何を言っているんだろうな。俺も分からん。
授業中に世界各国の代表について分析した時も、生徒全員が頭の上にハテナを浮かべていた。俺もその場にいたけどちんぷんかんぷんだったしな。
まああれは、絆が起こした奇跡とか、そういう括りに入れていいんじゃないかなと思う。
彼女の首にぶら下がるネックレスがその待機状態だ。
ISの名は『リイン=カーネイション』……いや強いです。なるべく戦いたくはないです。
だってこいつ、
「ふふっ、じゃあディナーにそろそろいこっか。で、どっちがいい?」
「あー、どこで誰が来るんだよ」
「二人で、このホテルの最上階だよ」
「じゃあ紺色だな」
俺の答えに気を良くしたのか、いそいそとシャルロットはブラウスを着込み始めた。
三日も休暇があるから、別にこれぐらいはいい。
怒ってるわけじゃない。
それでも、言わなくてはならないことがある。
「いやその……まずはさ、俺が有休取った瞬間に拉致してホテルに半日監禁したことについて弁明しろよ」
「……来ちゃった♪」
「おいアラサーいい加減にしろよ」
いつまで学生気分なんだよお前はよぉ!
「む、たまには若いころの気分に浸るのだって大事だよ?」
「俺はその若い連中を相手に仕事してんだ、そんな暇ねえよ」
「ふーん、そっか」
何気ない反応だったのに、微かに彼女の表情に影が差したのが見えた。
上品なスカートに足を通して、それから彼女は俺を見た。
「どこ見てるの? 一夏のえっち」
「嘘だろ」
どう考えても今日半日をえっちなことに費やしたのはお前のせいだ。
俺は眉間を揉みながらも、とりあえずホテルのスーツレンタルサービスに電話をかけるべくベッドから立ち上がった。ちなみに今までずっと全裸だった。
前みたいにタキシードを着たりしないのかだと? あんなんパーティーで死ぬほど着てんだよもう嫌だわ。動きにくいし。
ドレスコード順守の服装で現れた俺に、シャルロットは感心したような声を上げる。
「わ、スーツ似合ってるよ一夏」
とはいえ普段学園で着ている、一分の隙も無いダークスーツはちょっと着飽きた。
今回はチェック地のややカジュアルなスーツを借りている。
いつかみたいに誰かが勝手に持ってきたものではなく、ちゃんと自分で選んだ一着だ。
……いつか、か。こうしてホテルのレストランで、誰かと食事をするのは、もう慣れたことだけど。いつまで最初の記憶を引きずってるんだろうな、俺は。
「じゃあいこっか」
ごく自然に腕を組んで、シャルロットが歩き出す。
大丈夫? 普通に写真とか……いや、そういう心配はなさそうなホテルだなここ。
「予約してたデュノアです」
「お待ちしておりました」
レストラン入り口で俺たちを待ち構えていたウェイターが、恭しくお辞儀をして俺たちを案内する。
立場が立場だし、こういう雰囲気には慣れてるんだろう、シャルロットは流麗な足取りで進んでいく。
「ほら一夏、絶景だよ」
町に浮かぶ明かりが一望できるこのフロアからは、眼下が光の海のようだった。
これは確かにすごいな。
「ああ、すごいな」
席に座る。対面のシャルロットは、言動こそあまり変わっていないが……確かに大人びたと思う。
ワインのボトルが置かれた。食前酒か。
二人で、ホテルでご飯を食べて、ドレスコードがあって、ワインを飲んで。
大人のすることをしているから、俺たちは大人なんだろうか。きっと、そうなんだろう。
あと深い考えは抜きにして、こいつ今日俺をホテルから出す気ないな。
「さ、ワインでも飲もうか」
「変なの入れてねえよな」
シャルロットは俺から顔をそむけた。
ウェイターも同時に明後日の方向を向いた。
「隠す気ゼロか! 変えてくれ、薬なんて飲まなくてもちゃんとするから!」
もうこのレストラン来れねえよ……ていうかブリュンヒルデが何してんだよ本当に。ホテル側だって大困惑だろ。
「いやその……僕も飲むっていうか……その、ね……」
「あ゛っ」
一瞬で察した。
こいつ着床しやすくなるタイプの薬も混ぜやがったのか!
戦慄する。あざとい挙動はそのままに策謀を張り巡らせるようになっている。いや学生時代からその節はあったが、年齢を重ねるとこうも強かになるのか。
「僕だってアラサーなんだからさ、しょうがないじゃん」
「まあ俺たちみんなそうだよな」
正確にはアラサーに片足突っ込んだぐらいか。
俺まだ26とかだし。全然いける。まだ仮面ライダーに変身してもおっさん枠にはならない。
「こちら、本日のおすすめです」
新しいワインと一緒に前菜が運ばれてきた。
「この店ってシェフの気まぐれサラダとかないんですか?」
ウェイターに聞いてみると、彼は爽やかに笑った。
「シェフの性癖サラダならございます」
「店変えるぞ」
一応注文してみたら、タコが混じったサラダが来た。
触手フェチかよ。
朝日が……黄色い……視界が変調をきたしている……
げっそりと干からびた俺は、シャルロットと二人で街を歩いていた。
現役ブリュンヒルデ専用の視認阻害機器、なんてものが発明されたらしく、ISのセンサーを使って誤認を看破しないと今のシャルロットの素顔は見えない状態だ。
すげえ発明だよな。もちろんメイドイン束さんだ。
「便利だよねこれ。国家代表みんなにも配った方がいいって」
「むしろ束さんは何でお前に第一号を与えたんだ?」
「Money is power」
「嘘だろ……」
さすがに絶句した。話が汚い。
かつてなんかこう、いい感じのラスボスっぽい感じになった束さんも、今はガラクタ弄りに夢中なご隠居さんだ。
彼女は彼女で、俺と同じく、深紅のISを探したものだが――
束さんは、心が折れたんだ。
シャルロットの案内で、俺は都心の超高層ビルに入った。
120階建てらしい。
「で、何なんだよ」
「ラウラに呼ばれたんだ、僕も詳しくは知らない」
おい、何か面倒ごとを押し付けられるんじゃないだろうな。
中国軍幹部の言葉にもあったように、ISを用いた軍事組織と、ISを競技に用いる国家代表はその管轄を別にする。
別にはするが……当然のように、関りはある。
軍事行動に代表や代表候補生が参加することもある。だって貴重な戦力だしな。
代表例。
かつてのアメリカ代表、イーリス・コーリングは軍属だった。
亡国機業戦役にも参加してたし、何度も共に戦った。
ラウラの今の立場は、それとまったく同じだ。
エレベーターに乗り込むと、シャルロットは迷うことなく最上階のボタンを押した。
高いところに上りたがるやつだな。やっぱ馬鹿だからか?
扉が開き、廊下を進み、突きあたりのドア。
「お邪魔するね」
シャルロットが扉を開けて中に踏み込んだ。
広い空間だ。その中央にデスクが置かれている。
どうもここはドイツ軍が間借りしてる、日本での活動拠点らしい。ビルに入ってからすれ違った連中全員軍人だ。
「来たな、シャルロット」
デスクから少し離れたところに、スーツ姿で外を眺めていたラウラがいた。
ドイツ軍特殊部隊シュヴァルツェ・ハーゼ隊長にしてドイツ国家代表、ラウラ・ボーデヴィッヒ。
時代が時代なら敵なしの傑物だ。
第四回モンド・グロッソにおいて総合三位を果たした実力者でもある。
ちなみに準優勝は鈴だ。シャルロットとの決勝戦は史上稀にみる大接戦だった。
そもそもモンド・グロッソの決勝で、熱い戦いが行われるの自体が初だったしな。
一回目はどっかの誰かが全員蹂躙して、二回目は行われず、三回目は俺の同期みんな不参加で、現更識家当主が全員蹂躙した。
三回目の時はまだ、みんな、俺に協力してくれてたもんな。
「そして――久しぶりだな、一夏」
「もう嫁って言わないのか?」
「忘れろ」
これ以上続けたら――多分銃声が響く。それを察して俺は肩をすくめた。
「で、どうしたんだよ」
「うむ……貴様たちの力を借りたい」
ほらきた。視線でシャルロットにそう伝えると、彼女は苦笑いを浮かべた。
「いや、力を借りたいというのは半分だ、知らせた方がいいと思ったのが、もう半分になる」
「何?」
まさか未確認ISか?
前のめりになる俺を真正面から見据えて、ラウラが告げる。
「――
「……は?」
「実際にやっていることは、クローン生成だ」
おいおいおい……どっちも俺にとってなじみ深い単語だな。
「まず男性IS操縦者の新たな登場はありえない。それは各国上層部も周知している」
「そうだな」
俺以外の男がISに乗れることは、絶対にありえない。
何故なら束さんにしかできないことだからであって、今束さんは無力化されている。
心が折れて、隠居して、がらくたを弄って……彼女の心は過去に囚われたままになっている。
早い話、今の束さんは病人だ。
「不可能であることは分かっている。つまりそれをエサに民間人を研究所に閉じ込めて、彼らを実験体としてクローン生成技術を進めているのだ」
クローン……マドカの顔が瞬時に思い浮かんだ。
あいつは俺のクローンだ。そしてあいつを作ったクローン製造工場は、あいつ自身が焼いた。
技術もその時に失われたという。なら、新しくイチから研究してやがるな。
「どうする?」
「チッ……有休がパーだ。その殲滅作戦に俺も混ぜろ。見過ごすわけがねえ」
「僕も行くよ」
軍事行動に巻き込まれることもあるが、国家代表は自ら軍に介入することもある。
他の国なら面倒かもしれねえが、ドイツ軍とは特に仲が良い。縁がある、と言っていいな。
俺はこう、あれだ。
コネだ。
「分かった。アンネ、二人を作戦に組み込め」
『了解』
胸元のエンブレムは通信機だったか。会話ダダ漏れじゃねえか。
「作戦は今晩2200に開始する。隊員たちと機体の調整を行ってくれ……あと一夏」
「お、なんだ?」
「貴様の参加があり得ることを伝えたら特定の隊員が挙動不審、あるいは歓喜の様子を見せたのだが、何か言うことはないか?」
有休だから暴力オチはないって言ったな……あれは嘘だ。
俺はその場から脱兎のごとく駆け出そうとし、扉の前に立ちふさがるシャルロットを見て、崩れ落ちた。
「いやその……黒ウサギ隊の方々とは仲良くさせていただいておりまして」
「なるほど、休暇にわざわざ日本へ行く連中がいるなと思ったがこれか。よしシャルロット、グレースケールⅡは?」
「ばっちりだよ」
ばっちりとは俺の致死性についてである。
デュアルコアだからってデュアルパイルバンカーじゃなくてもいいよなホント、余計な進化しやがって。
ISを部分展開させ、天使のような――ソドムとゴモラを焼き尽くそうとする天使のような笑顔を浮かべ、かつての級友が近づいてくるのを視界に収め、俺は思わず天を仰いだ。普通にオフィスの天井だった。