おまけみたいな蛇足パート
「聞きましたか? ミス・ヴァリエール」
何ぞや、とルイズは首を傾げる。ここのところ何か学院内で話題になるようなものは無かったはずだが。そんなことを思いながら話しかけてきた女生徒の言葉の続きを待つと、土くれのフーケについてだと述べられた。
「ついに騎士団があの土くれを討伐したのだとか」
「騎士団が、ですか?」
ええ勿論、と女生徒は自信満々に頷く。学院に賊が入ったという不安はこれで払拭されましたと安堵の表情を見せながら言葉を続けた。
ふむ、とルイズはそんな女生徒の言葉に少しだけ考え込む仕草を取る。何かおかしなことでもあったのだろうかと尋ねてきた相手に、彼女はそういうわけではないと述べ、他に何か情報はなかっただろうかと聞き返した。例えば、騎士団に協力者がいたとかいないとか。
「いえ……特には」
「そう。それならいいの。変なことを聞いてごめんなさい」
いえいえそんな、と手をブンブン振る女生徒を見て薄く微笑んだルイズは、その後少し雑談を続けるとその場を去った。廊下を歩き、寮まで戻り。そして自身の部屋の扉を開け中に入るとドアに背を預けズルズルとへたり込む。
「あ~。助かったぁ~」
明らかに深窓の令嬢が発してはいけない声色でそんなことを呟くと、ルイズは天井を見上げ息を吐く。足も床に投げ出し、顔も緩みきり、とてもではないが他人に見せられる状態ではない。今この瞬間、扉が何者かに開かれたが最後、彼女は別の意味で終りを迎えるであろう。
だが生憎とルイズはその辺りの対策は抜かりない。扉はきちんと鍵が閉めてあるし、『アンロック』の呪文で強制的に解錠するのはこの学院ではご法度である。余程のことがない限り、貴族としてあまりにもなこれを見られることはない。
だからルイズは気にせずもう一度盛大に、そして例えるならばおっさん臭い溜息を吐いた後、よろよろと立ち上がるとソファーにダイブした。深窓の令嬢どこ行った。
「……とりあえず、今回の仕事は終わったってことで、いいのよね」
天井のランプを眺めながらそう呟く。フーケ討伐、それをもって今回のアンリエッタによる宝物庫襲撃作戦は終わりを告げたのだ。
宝物庫の奪われた宝は戻ってきていない。被害は大きいが、犯人を討伐したことで帳消しとしておけばいいだろう。とりあえず市井の噂ではそんなところだろうか。先程の話を聞く限り、その辺りに触れられていなかったのでそう間違ってはおるまい。
「で、とりあえず売っぱらった金は姫さまの懐、っと」
国庫に回した分を補填する額だけ自身のものとし、残りは国の資金として溜めておいた。その辺りは腐っても王女である。
宝物庫の修理費は学院持ちなのでトリステインの国庫は減らない。ついでに土メイジに仕事が増えて一石二鳥。ルイズとしてはそのくらいしか分からなかったが、アンリエッタはもう少し別の視点も見ているのだろうか。そんな疑問が頭をもたげたが、まあいいやと振って散らした。
そしてフーケは見事に死んだ。顔は潰れているので身元の確認は出来なかったが、状況証拠から判断して間違いないであろう。そういうことになった。
以上のことから、アンリエッタの思い付きはここで終了となる。
「あー、面倒くさかったぁ」
学院で色々証拠隠滅を行っていたギーシュ、モンモランシー、マチルダの三名も恐らく彼女と同じかそれ以上にその感想を持っているのだろうが、生憎今はルイズ一人である。彼女が一番疲れた感を醸し出していても咎める者はいないのだ。
「大体、何であそこで人が通りすがるのよ」
ルイズが先程女生徒に尋ねたのもそれがあったからである。あの時、アンリエッタに呪文をぶち込もうと躍起になっていた時。
彼女がようやく頭が冷えてきた時。それは起こった。
何事だ、とやってきたその人影を見て、アンゼリカは仮面の下で珍しく怪訝な表情を浮かべた。アンリエッタの息のかかった連中によってトリステインの者はここに来ないよう手配済みだ。もしやってくるとしたら、フーケ討伐の証人として用意された人物とアンリエッタ子飼いの騎士達のみ。
だが、この二人はそのどちらにも該当しない。そして見る限り、トリステインの人間でもない。
「このような危険な場所に、迷い人ですか?」
ニコリと微笑みながらアンゼリカは問い掛ける。対する二人は思い切り警戒を顕にして一歩下がった。杖に手を掛けているところからすると戦闘も辞さないつもりらしい。
「そう怖がらなくとも。わたくしは怪しいものではありません」
「どう見ても怪しいわよぉ!」
二人組の片割れ、赤毛の少女がそう叫ぶ。そうでしょうか、と首を傾げたアンゼリカは、同意を求めるように先程まで森と地面とフーケの死体を破壊していた相方に視線を向けた。
帽子を深く被ったフランドールは、あからさまに二人と目を合わせないように距離を取っていた。つばの広いそれは、アンゼリカの仮面と同じように口元以外を覆い隠し見にくくさせている。
「フラン?」
「……なんですか?」
「わたくし達は怪しくないか、という問い掛けでしたが……。貴女を見る限り怪しいわね」
ううむ、と彼女は腕組みをして考え込む。フランがそんな状態の理由はもう分かっているが、それを解消出来るか否かは話が別。出来ないことはないが、というかそもそもその心配は杞憂のはずであるが、しかしだからこそ実行するのは骨が折れる。
やれやれ、とアンゼリカはこれまた珍しい溜息を吐く。視線を二人に戻すと、再度微笑みの表情を作り言葉を紡いだ。
「見たところ、魔法学院の生徒のようですが。何故、このような場所に?」
先程もした問い掛け。今度はそれに二人の服装を加味し付け加えた。それを聞いた二人はビクリと反応すると、しかしどうやら観念したようで溜息を吐き口を開いた。赤毛の少女はキュルケ、ゲルマニアのツェルプストー伯の娘であり。もう一人の小柄な少女はジョゼット、ガリアのそこそこの位の家の次女であるらしい。そう己の身分を簡単ではあるが名乗ると、ここにやってきた理由は至極単純だと胸を張った。
「フーケを討伐にきたのよ」
「そういうこと。わたしが主でキュルケはおまけだけど」
「逆よ逆。へっぽこは黙っていなさいな」
「爆発で腰を抜かしていた奴は言うことが違うわね」
はん、と鼻で笑ったジョゼットをキュルケは顔を真っ赤にしながら睨み付ける。そんな視線を受け流し、そういうわけだけれど文句あるかと彼女はアンを見た。
勿論文句はあるに決まっている。が、現状その文句はここで適用させるものではない。そんなことをおくびにも出さずに、アンゼリカはまず危険を顧みず行動を起こしたことを称賛した。そして、しかし勇気と無謀はまた違うものだとも続ける。
「あら、こう見えてあたしはトライアングルよ。その辺の連中には負けやしないわ」
「魔法はまだ修行中だけれど、わたしだって負けるつもりなんてないわよ」
「あら、たのもしい。では――」
手柄をお譲りしましょう。そう言って彼女は視線を背後に向ける。え、と二人が視線を向けると、そこには周囲の木よりも巨大なゴーレムがこちらを見下ろしていた。その巨体で出来た影により、視界が暗くなるほどだ。
ピクリと反応したフランは素早くアンゼリカの隣に移動するとその視線を彼女に合わせる。ふむ、と頷くと先程彼女が言った通り仕方ない手柄は譲ろうなどとのたまいながらゴーレムから距離を取った。
「え? ほ、本気?」
「どうしたのよキュルケ。譲ってもらったのだもの、早く倒してしまいましょう」
背中に担いでいた杖を引き抜くと、ジョゼットはそれを眼前に掲げ真っ直ぐゴーレムを睨む。キュルケも我に返ると同じように胸元にあった杖を引き抜いた。
ジョゼットの呪文はお世辞にも強力とは言えない。勿論ゴーレムはびくともしない。ならばとキュルケも火炎を放ったが、しかし同じようにゴーレムはびくともしなかった。
「中々やるわね」
「じゃないわよぉ! 無理よこんなの!」
「何よ、さっきあんな自信満々だったのに」
「己の力量を弁え訂正する勇気も大事、そして逃げるのも大事なことよ」
はぁ、とジョゼットは肩を竦める。まったくしょうがないやつだ、そういわんばかりのその態度はキュルケの癪に障るものであったが、そこでだったらやってやると再度ゴーレムに向き直るほど彼女は子供でもない。
「大体巨大なゴーレムが相手なのは分かってたことでしょう? そのくせ呪文が効かないから逃げるだなんて。この勝負はわたしの勝ちってことで、いいのよね?」
「ああもう! いいわよ! それでいいから、逃げるわよぉ!」
むんずとジョゼットの服を掴むと素早く呪文を唱え一気にゴーレムから距離を取った。その引き際は鮮やかで、アンゼリカは思わず感心してしまう。判断力と思い切りの良さはなるほど、流石はトライアングルだと胸を張るだけはあるのか。彼女の評価を少し上げながら、しかしそうなるとあれを倒すものがいなくなるなと顎に手を当てる。
「幸いにしてあの二人は退避はしても撤退はしていない。『証人』にするのも差し支えなし、となれば」
フラン、と彼女は目立たないようにこそこそしていた仲間を呼ぶ。なんですかとちらりと顔をこちらに向け小声で聞いていたフランに向かい、もういいですよと笑みを見せた。
「あの二人はどうやらこちらに花を譲ってくださるようですので。フラン、やっておしまいなさい」
「この間、わたしが倒したら暇だから自分がやるとか言ってませんでしたっけ?」
「ええそうね。今回はまだまだ他のことで忙しいから何の関係もない話ですけれど」
「……そうですか」
もっと直球にお前がやれよとか言えば良かったのかな。そんなことを思いながらフランは呪文を唱えるとそれを振りかぶりゴーレム目掛けて叩き込んだ。螺旋を描いていたその風の槍は、巨大なゴーレムを削り取りながら貫き、そしてその巨体を穴だらけへと変えた。体を所々なくしてしまったゴーレムは、そこを起点にボロボロと崩れ落ちていく。ガラガラと、そして途中からは砂が滝のように地面へと降り注いでいった。
そんな様子をキュルケはポカンとした様子で眺めている。ジョゼットに背中を叩かれたことで正気に戻った彼女は、離していた距離を再度詰めるとアンゼリカに声を掛けた。
「何者よ、あなた達」
「あら、これは申し訳ありません。自己紹介が済んでおりませんでしたわね」
スカートの端をつまみ、ペコリと頭を下げる。ひょっとしたらご存知かもしれませんが、とその口元に笑みを浮かべた。
「わたくしは『豪雨』のアンゼリカ。しがない万屋メイジです。そして向こうの彼女はフランドール、二つは『暴風』ですわ」
それに反応したのはキュルケ一人。ジョゼットは単純に新たな名前を聞いてそれを反芻しているだけである。
「『豪雨』と『暴風』!? ということは、あなた達があの?」
「何? キュルケ、有名なのこの二人?」
「トリステインではかなり有名、ゲルマニアでも一部は知ってるくらいよ。確かついこのあいだ学院でも話題になったわよ。ほら、あの、『暴風雨』」
「ああ、あの強いことは強いけどそれ以外がまるで駄目なメイジ二人のならず者だっていう」
本人の目の前で堂々と言い放つジョゼットは中々に剛の者であろう。キュルケは目を見開き慌てて二人に視線を移す。もしこれでこちらに敵意を向けてきたらすぐさまジョゼットを担いで逃げる。そんな覚悟までしたほどだ。
「ふ、ふふふふっ。ミス・ジョゼット、貴女は本当に面白い方ですね」
「別に貴女に笑われるようなことは言ってないわ」
「ふふっ。ご心配なく、これはそういう笑いではありませんもの」
口元に手をやりくすくすと笑い続けたアンゼリカは、ではこのならず者にもう少しお付き合い頂けますかと問い掛けた。別段断る理由はなし、キュルケもジョゼットも首を縦に振る。
それでは、と彼女は二人を伴いゴーレムの残骸まで足を進める。恐らくこの呪文の詠唱者、フーケは逃げていないのならばこの辺りにいるはず。そう言いながら土を呪文でどかし突き進む。
そうして暫く進むと、顔のない死体を一つ見付けた。先程のフランの呪文を食らっていたのだろうと思わせる傷が、ゴーレムの製作者であることを、フーケであることを物語っている。
とはいえ、二人はそんな考察をゆっくりする余裕はあまりない。凄惨な死体が目の前に横たわっているのだ。見慣れていなければ、最悪吐くなり気絶するなりしてもおかしくないだろう。
「……それでも意外と、冷静なのね」
「あら、『暴風』の方ね。わたしは一応、こういうの見たことあるもの」
「……意地よぉ」
ジョゼットはともかくキュルケはそれだけで耐えるのか。そんなことを思ったフランは彼女の中でキュルケの評価をぐぐいと上げた。このことをきっかけにすることは出来ないが、今度学院でもう少し深く話でもしよう。そう考えつつ、アン、と仲間の名を呼ぶ。
「死体になってしまったけれど、一応これを騎士団に明け渡せば終わりかしら?」
「ええ。……もしよろしければ、お二人も討伐した者の一人として紹介しておきますが」
どうされます、という問い掛けに、キュルケはブンブンと首を横に振った。何もしていないのにもらえない、とジョゼットも頬を膨らませながらその提案を却下する。
その答えを満足そうに聞いたアンゼリカは、ではその代りと言ってはなんですけれど、と二人の手を取った。
「もし何か困ったことがあれば、『暴風雨』を尋ねてください。力になれるのならば、尽力いたします」
何勝手に言ってやがる、と言いたいのをぐっと堪え、しかし表情は隠せず。ところが帽子のおかげで顔を見せることはなく、その視線も気付かれない。キュルケ達もまあ軽い口約束程度だからとそこまで周囲に気を配っていない。
そのおかげでフランの正体がバレなかったのだから、結果オーライというやつであろう。
「……あの二人、騎士団がフーケを討伐したということになっているのは、別にいいのかしら」
聞くわけにはいかない。ルイズは『フランドール』と接点などなにもない。だからまるでその場にいたかのような質問をすることは出来ない。何も言っていないのだから大丈夫なのだろうと自分を納得させることしか出来ない。
はぁ、と溜息を吐いてから夕食のために部屋を出る。出来るだけ大人しく、深窓の令嬢感を出せるように気を付けながら廊下を歩く。同じように部屋を出て食堂に向かう生徒達と挨拶を交わし、さて今日はどんなデザートがあるのかなどと考えつつ。
「ねえ、ヴァリエール」
「はぇ!?」
背後から声を掛けられ思わず声が裏返った。ついでにちょっと跳ねた。びっくりした、と呟きながら振り返ったルイズは、先程少し気になった相手の片割れがそこに立っているのを見て内心で表情を歪める。
「あらツェルプストー。どうかしたのかしら?」
そうルイズが問い掛けても、キュルケは何かを言うことなくじっと彼女を見詰めるのみ。その態度にルイズも思わず硬直し、緊張した面持ちでキュルケの行動が終わるのを待つ。
ふむ、と少しだけ首を傾げ、顎に手を当てて視線を巡らせた。
「ねえ、ヴァリエール」
先程と同じ言葉を、もう一度述べる。なに、と返事をしながら、ルイズももう一度どうかしたのかと問い掛けた。
「あなたにお姉さん、いるの?」
「ええ。言わなかったかしら? 上の姉は今王都でアカデミーのお偉いさんをしているわ。下の姉は病弱だから公爵領の土地を少し分けられてそちらの当主をしているけれど」
「双子は?」
「は?」
「双子の姉か妹は?」
そこまでくれば流石にルイズでも分かる。これは疑われているのだ。ルイズが『フランドール』ではないかと、探りを入れているのだ。
どうする、とルイズは表情に出さずに考える。バレたら間違いなく学院生活は終わりである。どうにかして回避する方法は。いっそ存在しない双子をでっち上げるべきか。
「……ごめんなさい。変なこと聞いたわね」
「え? あ、いや、別にわたしは気にしないけれど」
そうしている内にキュルケの方が折れた。そう簡単に口を割るとは思っていないと一旦引き下がったのか、それともこのやり取りでそうではないと結論付けたのか。眼の前の彼女の表情を見る限りでは、ルイズは判断出来ない。
が、そんなはずないわよね、と呟いているのが聞こえたので恐らく後者なのだろう。よし、と心の中でガッツポーズを取りながら、そのまま二人は食堂までの道を歩く。キュルケはもやもやを晴らした顔で、ルイズはバレなかった安堵の顔で。
だから、離れた場所でそのやり取りを見ていたもう一人を、ルイズは見逃した。
「双子の姉……か」
キュルケは自分でその疑惑を持ったわけではなく、彼女に言われたから気になったのだということを、ルイズは知らなかった。
ジョゼットは、ルイズの背中を見詰めている。似ているようで似ていない、あの時のメイジの背中と重なり合うかどうかを考えながら。
怪しまれながらも今回は終わり