その1
まいった、と彼は頭を垂れた。眼の前では自分の杖を掲げながら勝ち誇った顔をしている男子生徒が見える。まあ所詮ドットではこんなものか、そう言って踵を返す男子生徒を、彼はぼんやりと眺めていた。
「ふう」
パンパンと服についた埃を払う。呪文で取り払ってもいいが、つい先程まで試合をしていた身だ。そんな余力を残していると思われればまた絡まれるかもしれない。そう判断し自分の力のみでそれを行った。
さて、と彼も踵を返す。周囲には情けないなギーシュ、と野次を飛ばす同級生や頑張ったわねと慰める女子生徒もいるが、彼はそれに一々返事をしながら人混みを抜けていった。律儀ね、とそれを見ていた少女、モンモランシーは肩を竦める。まあだからこそ言ってしまえば無様ともいえる姿を見せたのに彼の評価が落ちないのであろう。
と、彼を追っていた彼女の視線がピタリと止まる。ギーシュの目の前に立っている一人の女生徒が視界に入ったからだ。仁王立ちし、明らかに不機嫌ですと言わんばかりの表情を見せているそのピンクブロンドの少女は、視線だけで彼を同行させた。
「……随分怒ってるわね」
そんな二人の姿を見たモンモランシーがそう漏らすのを聞いていたのかいないのか。周りの生徒達も今の光景について口々に推測を飛ばしていく。ある程度付き合いのある男が情けない敗北を喫したのだから、公爵令嬢として見逃せない。大体そういう結論に皆達しているようではあったが、モンモランシーは違うそうじゃないと苦笑していた。
まあ仕方ないであろう。彼女はこの学院では『深窓の令嬢』なのだから。
「さて」
自分もあれに合流するか。そんなことを思いながら、モンモランシーは人混みから抜け出しギーシュと公爵令嬢、ルイズが向かったであろう場所へと足を進める。学院の職員が主に休憩を取る場所として用意されているラウンジの一つ、学院秘書の普段遣いであるそのテーブルまで向かうと、予想通りギーシュを睨んでいるルイズの姿が目に入った。
「ここ、いいかしら」
「やあ、モンモランシー。いいとも」
「あらモンモ――ランシー、どうぞ」
お前またモンモン言いかけたな。そんな感情を視線に込め睨んだモンモランシーは、では遠慮なくとギーシュの隣に腰掛ける。ところでマチルダさんは、と問い掛けると、逃げたという簡潔な一言が返ってきた。さもありなん。
「それでルイズ、何怒っているのよ」
彼女のその一言に、そんなのは決まってるだろうと視線をギーシュからジロリと動かす。この野郎負けやがった。一言でまとめるとそういう意味合いの言葉を述べた。
「いや仕方ないだろう? 僕はドットだよ? 向こうはラインメイジだ、試合では勝てないに決まってる」
「アンタ何言ってんのよ。それを覆すのがメイジでしょ?」
「それはメイジの仕事じゃないよ。大体、どうして君がそこまで怒るんだい?」
馬鹿にされたのは自分だけで、そちらは関係ない。むしろへっぽことも変わらず接すると深窓の令嬢度を上げるきっかけになったのに。そんなことを続けたギーシュは、次の瞬間ルイズの弾いた指で額を小突かれた。あた、と間抜けな声をあげた彼は、額を擦りながら何をすると彼女を睨む。
「わたしが自惚れてるわけじゃなければ、わたしはアンタと友達よ」
「そうだね。もうかれこれ六・七年くらいかな?」
アンリエッタ王女よりも少しだけ短い。確かそのくらいだったと記憶している。そう述べたギーシュに向かい、ルイズはだったら分かるでしょう、と指を突き付ける。
「友達馬鹿にされて怒らないわけないでしょうが!」
「姫殿下は笑うんじゃ?」
「あの人はああ見えてそういう部分割と厚いわよ。まあ表面上は笑うけど」
モンモランシーの野次にそう返しながら、ルイズはそういうわけだとギーシュを睨む。対するギーシュは、そう言われてもなと頬を掻いた。
そうなった理由はちゃんとあるし、そうならない手はなかった以上、こればかりはどうしようもない。あの状況は必然なのだ。立場が悪くならないよう努めただけでも上々といえる。
「……むぅ」
「お気に召さなかったみたいだね」
「お気に召さないわよ。というかアンタ、グラモンの家名的にそれでいいわけ?」
「兄さん達が立派に軍人やってるよ。四男の僕はほどほどでいいさ」
「『命を惜しむな、名を惜しめ』の精神は?」
「名が離れないならば、命を惜しんで当然だろう?」
ああ言えばこう言いやがる、とルイズは歯噛みする。モンモランシーはそんなルイズを見てクスクスと笑った。何笑ってやがると矛先が自分に向いたことで笑みを止めた彼女は、しかし別段態度は変えるつもりがないようでだってしょうがないじゃないと言葉を返す。
「貴女の方がムキになっちゃって、子供みたい」
「誰が子供だ!」
「そういうところよ、深窓の令嬢さん」
こんちくしょう、とルイズは唇を尖らせた。大きく息を吸い、吐く。少し気分を落ち着けたルイズは、しかし納得はいっていないとばかりに二人を眺めた。学院では随分と窮屈な思いをしている自分の代わりに、せめて二人はのびのびと過ごして欲しいのに。そんなことを思いながら手を付けていなかった紅茶を一口。
対する二人はそんな彼女の態度を見て顔を見合わせ、そして溜息を吐いた。
「貴女の場合は、まあある意味自業自得な部分があるわよね」
「うっさい、知ってる」
「そもそも、僕達は学院でのびのびしているよ。君よりも多分、ずっと」
「……なら、いいのよ」
そう言ってそっぽを向いたルイズを見て、ギーシュとモンモランシーは苦笑した。まったくしょうがないな、と微笑んだ。
今日も今日とて深窓の令嬢である。いい加減一ヶ月以上も続けてくれば慣れてくるもので、ルイズは学院での自分の立ち振舞を意識せずとも出来るようになってきていた。貴族らしい貴族、というむず痒い評価で噂されているのを小耳に挟みつつ、それでも己を曲げない彼女は廊下を歩き、すれ違うメイドに挨拶をする。
「ミス・ヴァリエールは、何故メイドに一々挨拶を?」
前から思っていたのだけれど、と女子生徒に問われたことがある。対するルイズはむしろ何故挨拶をしないのだと首を傾げた。彼女達はこの学院で我らを支えてくれる者達だ、相応の誠意敬意を持つのは当たり前だろう。そう言うと、女子生徒達はよく分からないと首を傾げる。
平民である彼等彼女等が貴族に仕えるのは当たり前のことであり、そこに何か思うことは別段無い。そういう考えを持っている者達には、彼女の話は理解が難しかった。こちらが雇っているからこそ向こうは生活出来るのに、とあくまでこちらが上位であることを主張するものもいた。
「まあ、別にこれはわたしの考えよ。皆にそうしろというわけではないから」
そう言ってルイズは笑い、こちらにやってきたメイドに声を掛けた。おはよう、今日も頑張っているわね。そう言われたメイドは、おはようございますと笑顔を見せる。ペコリと頭を下げるメイドにひらひらと手を振り、さて行きましょうと彼女は食堂へと足を進めた。
そんな彼女を一部の人間は『平民に媚びている』と揶揄していた。が、メイジとして実力を伴っている彼女の前ではその程度の悪評は吹けば飛ぶようなものである。それでも公爵令嬢ともあろうものがあんな下々と一々関わっているとは品が下がると思うものも少なからずおり、潜在的なその連中と揶揄していた表面上のその連中は、段々と一つにまとまり彼女を害そうとする悪意へと変貌しつつあった。
だが、直接どうにかすることは出来ない。自分達の気に入らないその部分を突いたところで当の本人には何のダメージもないし、こちらの評判が下がるのみだからだ。
となれば、まず攻めるは彼女の周囲。そう結論付けた連中が選んだのが、彼女と付き合いの長いという二人。ギーシュとモンモランシーだ。別段仲が深いという話を直接聞いたことはないが、しかし少なくとも昨日今日会った人間よりは思い入れがあるであろう。そう判断し、ではどうしてやろうかと考えを巡らせた。
二人はメイジとしての実力は彼女の足元にも及ばない。となればまず攻めるのはそこからだ。そんなわけで、連中の内の一人がギーシュに試合を申し込んだ。
試合、というのは決闘がおおっぴらには禁止されていることから出来た軽めの小競り合いの名である。致死性の低い呪文を唱え、相手の杖を取り落とさせるのが優雅な勝利、傷を一つ付ける程度で決着、という文字通り軽いお遊びだ。
当然、試合を申し込んだラインメイジの男子生徒の呪文に、ギーシュは打ち負けた。手の甲に軽い擦り傷がついたことを理由に降参し、連中の思惑通りやいのやいのと野次が飛ぶ。公爵令嬢ともあろうものが、あんな情けないドットメイジと共にいれば品格が問われる。その野次に紛れ込み、そんな言葉を混ぜ込んで少しずつ種を植え付けていった。
当の本人であるルイズも彼の醜態には思うことがあったのだろう。不機嫌そうにギーシュを見る彼女の姿を見付け、連中は作戦通りとほくそ笑んだ。
と、いう策謀のことなどとんと知らず、あるいは知っていても気にせず。ルイズはいつも通りに生活していた。とはいえ、あの日以来彼女はギーシュと会話をしていない。ただ単にタイミングが合わなかっただけの偶然なのだが、周囲の噂を強めるには十分である。
「ミス・ヴァリエールは、ミスタ・グラモンと何かあったのでしょうか?」
「は?」
朝食を終え、授業が始まるまでの空き時間をブラブラしていたルイズは、何気なく話しかけたメイドにそんなことを問われ怪訝な表情を浮かべた。同級生達は噂を受けてなるべく触れないようにしていたために、メイドの質問に彼女は目を見開いたのだ。いやまあ何となくそんな気がしてたけど、やっぱりそういう噂か。難しい顔をしながら考え込むルイズを見て、メイドは申し訳ありませんと頭を下げる。
「あ、いや、別に怒っているわけじゃないわ。気にしないで」
「しかし」
「違うの。やっぱり皆そう思ってたのかって、ね」
どうなの、とメイドに問い掛けると、恐縮しながら彼女ははいと頷く。おそらく学院のメイド達にもほとんど広がっているだろう。そう聞かされ、これは中々と額を押さえた。
ほれ見ろギーシュ、お前があんな適当な戦いした所為で変なことになってるじゃないか。心の中で悪態をつきながら、ほんの少し溜息を吐きルイズはメイドに向き直る。そして、別になにもないわよ、と返した。
「こないだの試合騒ぎで、ギーシュが負けたじゃない。そのせいで変な噂が立っているの」
「そ、そうだったのですか……」
メイド達はその試合そのものは見ておらず、あくまで聞こえてくる噂を集めただけだ。だから、当事者である彼女の言葉と聞こえてきた噂を比べれば、どうしたって当人の言葉が勝る。何より、彼女はこちらにもきちんと向き合ってくれる貴族であり、『深窓の令嬢』だ。こちらを取らない理由がない。
その後適当に言葉を交わし、他のメイドにも話しておきますと頭を下げ去っていく彼女を見ながら、ルイズはコキリと首を鳴らした。これはもうどうにかした方がいいかもしれないな。そんなことをついでに考えた。
授業を受けながら、彼女は何かいいアイデアがないか思考を巡らせる。一番手っ取り早いのはギーシュが試合なり決闘なりを起こして勝つことだが、本人が乗り気ではないので焚き付けても意味がない。では彼が戦わざるを得ない状況に追い込めばいいのだろうか、と考え、それは向こうの担当だろうと頭を振った。体よく虚仮にしていますね、という仮面の少女のイメージを脇に追いやり、やはりなるようにしかならないかと肩を落とす。
「あらヴァリエール、何かお悩み?」
「あらツェルプストー。まあ、大したことじゃないわ」
ふうんとキュルケは返すが、しかし何を悩んでいたのかと興味津々である。大したことだろうがなかろうが、聞くまでは納得しないと顔に出ていた。
聞かれたくないことを無理に聞くのはよろしくないな、とルイズはジト目でキュルケを見る。が、そこまでの事情じゃないでしょうと返されれば彼女としても頷くしかない。何せ自分で大した事ではないと言ってしまったのだから。
「ひょっとして二つ名のことかしら?」
「ん?」
「結局いいものが出来ず、未だ無しでしょう? 『
「あら、そう。……ゼロ、か。ま、それも悪くないわね」
少なくとも『暴風』と関連付けられることはなくなりそうなそれを聞き、ありだな、と彼女は頷く。そんなのだから変な敵を作るのよ、とキュルケは呆れたように溜息を吐いた。
「貴女ほどじゃないわ。聞いたわよ、男子生徒を五人も六人も侍らせているって」
「別にいいじゃない。それにあたしは他人の一番は取らないの。所詮はその程度よ」
そんなものかしらね、とルイズは投げやりに返す。そんなものよ、とキュルケは笑みを浮かべた。そうしながら、それで結局何を悩んでいるのだと話を元の軌道に乗せる。
やはり駄目か、とルイズは肩を竦めた。本当に大したことじゃないわよ、そう前置きすると、頬杖を付きアンニュイな表情を浮かべ視線を適当な場所に向けた。
「ギーシュをどうすれば見直させられるか、って」
「……へぇ。あらあらぁ、ふぅん」
キュルケも噂は聞いている。ギーシュが試合で無様な姿を見せたからルイズと仲が悪くなった、という根も葉もないものだ。が、今の言葉を聞くとその噂に別の側面が見えてくる。少なくとも彼女はそう思った。そう判断した。
「なによ。あたしにそんなこと言っておきながら、あなたも十分やることやっているじゃなぁい」
「は?」
「ふぅん、ミスタ・グラモンかぁ……。あら、でも彼にはミス・モンモランシが」
そこまで言いかけ、キュルケは言葉を止めた。そうか、そういうことか。彼女の微熱で沸いた脳は瞬時に答えを弾き出し、そして出来上がったピンク色のそれを思い浮かべ一人悦に走る。
「ヴァリエール、あなたって案外情熱的なのね」
「さっきから何言ってるの?」
「他の女の一番を手にしようだなんて。ああ、違うのね? 元々彼はあなたのもので、向こうがそれを持っていった。だから取り返そうと」
「ちょっと何言ってるか分からない」
燃えるわ、これは恋の情熱なのよ。一人ドン引きしているルイズを尻目に、キュルケはもうこれが決定事項だとばかりに盛り上がっていた。どうにかしてギーシュの評価を上げ、公爵令嬢に相応しい相手に仕立て上げないといけない。そう思っているのだと誤解した。その過程で、恋敵であるモンモランシーを始末せねばならないのだ。若干過激な工程も付け加えた。
「とりあえずミス・モンモランシの始末はいつでも出来るでしょうから、さしあたっての問題はミスタ・グラモンの名誉回復ね?」
「え? そ、そうね? ……モンモランシーの始末?」
「彼の強さを見せ付けられればいいのでしょうけど、流石にドットじゃぁねぇ」
「何言ってるのよ。ギーシュの本領はそんなのじゃ測れないわよ」
キュルケの若干馬鹿にするような評価に、ルイズは思わず言い返した。あれは『暴風雨』のサポートを続けていた奇特な人間だ。メイジのレベル程度の物差しで見極められるものではない。
そんな意味を持った言葉であったが、キュルケにとっては愛する人を貶されたので反論したようにしか見えていない。そうよね、そうなるわよね。目をキラキラさせながら、彼女はずずいと顔を近付けた。
「じゃあ、見せ付けてやりましょうよ」
「な、何をよ」
その無駄にでかく揺れてる胸をか。若干頭に過ぎったそれを蹴り飛ばしつつ、ルイズはキュルケの言葉を待つ。キュルケはそれに対し、勿論これだと言わんばかりに胸を張った。
「ミスタ・グラモンの実力をよ!」
「……え? あ、うん? そうね?」
よしよしこれだ、拳を握りながら何やら良からぬことを考え始めた眼の前の同級生に、ルイズはついていけなくなり遠い目をしながら溜息を吐いた。
とりあえず姫さまがいなくてよかった。そんなことを考えながら。
ギーシュはモンモンのものだよ?