ざわざわと喧騒が聞こえている食堂で、ルイズは一人黄昏れていた。憂いを帯びたその表情は流石公爵令嬢だなどと言われるようなものではあったが、その実体はそんな賞賛とは掛け離れている。
学院に慣れるため、という猶予期間の三日の内の三分の一がこれで終わる。初日の夕食までの間、ルイズはとにかく大人しく過ごした。理由は多々あるが、一番の理由は寝不足である。ぶっちゃけ眠かったので自室で殆ど寝ていた。
が、その結果ルイズのイメージは深窓の令嬢的なものに固定されつつあった。トリステインのアンリエッタ姫殿下とも交流があるといわれる彼女は、今日一日誰とも会わずに過ごしていた。それだけで何かしらのゴシップが駆け巡ったのだ。
当然それはルイズ本人の耳にも入る。なんじゃそら、と顔を顰めたのがつい先程の話だ。
正直に言ってしまえば、あまりイメージを優先させられるといざ実体を知られた時の失望が半端なく大きくなってしまう。それを彼女は心配していたのだ。
が、勿論そんなことはお構いなしに生徒達は過ごしている。ルイズの下へとやってくると、初めましてとお辞儀をする者もそれなりにいた。
「ええ、よろしく。ルイズ・フランソワーズよ」
人と話す時は出来るだけ相手を見ろ。そうエレオノールに教えられていたルイズは、立ち上がると一人一人の顔を見詰めて挨拶をする。公爵令嬢がわざわざ個人個人に気を掛けているという印象を持った少年少女は、益々ルイズの深窓の令嬢感を高めていった。
「……随分と人気ね」
「あ、モンモ――」
モンモンおひさー。そんな軽い調子で挨拶をしようとしたルイズの口をモンモランシーは慌てて塞ぐ。彼女が言葉を飲み込んだのを確認すると、ふうと小さく溜息を吐いた。
「ミス・ヴァリエール。お久しぶりですわ」
「……ミス・モンモランシ。お久しぶりですわね」
ぶすぅ、といった表情でモンモランシーに挨拶をするルイズを見て、ああもうこいつはと彼女は心の中で頭を抱えた。しょうがないだろう、ここは魔法学院、その辺で出会って軽く会話するのとは違うのだ。そう叫びたくなるのを必死で押さえつけながら、ちらりと周囲の様子を観察する。
案の定今までとは一変したルイズの態度を見て、モンモランシーとの関係を邪推し始める輩が現れていた。悪い意味で、である。ヴァリエールとモンモランシ両家の確執がどうとかいうところに発展しかねない勢いであった。早過ぎだろ妄想。
ギロリ、とモンモランシーは少し離れたところにいる男子生徒を睨む。ああやっぱりかと諦めたように溜息を吐いたその男子生徒は、ゆっくりと二人に歩み寄ると軽く手を上げた。
「久しぶりだね、ルイズ」
「――っ! 久しぶりね、ギーシュ」
ぱぁ、と輝かんばかりの笑顔になったルイズはそう言ってギーシュに挨拶を述べた。
さて、傍から見ていた者はこれを見てどう思ったであろうか。あからさまに違う態度、モンモランシーには不機嫌に、ギーシュには笑顔で。これが意味するところはつまり。
「モンモン酷いのよ。何か挨拶も固いし」
「入学初日でそれは駄目でしょうと思ったのよ。というかモンモン呼ぶな。それあのクソサイトの呼び方じゃない」
「相変わらずモンモンは――はいはい、モンモランシーはサイトが嫌いなのね」
「僕は割と気に入っているけどね、彼のこと」
もう出会って二年近く経っているというのに。そんなことを言いながら肩を竦めるルイズとは対照的に、所詮二年も経っていない付き合いじゃないかとモンモランシーは毒づく。まあこの三人と比べれば浅い付き合いなのは間違いないが、しかし。
「あれでもちいねえさまの使い魔なんだから、毛嫌いしないであげて」
「……カトレアさんの使い魔だから、この程度で済んでるのよ」
やーいやーいと己をからかう黒髪の少年の姿を思い出し、あの野郎とモンモランシーは顔を歪めた。どうどうとそんな彼女を宥め、まあとりあえず、と彼は辺りを見渡す。
既に三角関係の構築は済んでいるようであった。ギーシュ・ド・グラモンを中心とし、モンモランシとヴァリエールがそれを取り合う。そんな根も葉もない『事実』が構築されていた。
「どうしようかなぁ……」
「どうしたの?」
「周囲の空気で察してくれ」
ん? と周りを見たルイズは、何となく事情を察して顔を顰めた。何でこんなヒラヒラフリルのバラ野郎とそんな関係にならなければいけないのだ、と小声で呟いている姿は生憎近くの二人にしか見られなかったが、そこまで言わなくてもと聞いていた片方は少しだけ傷付いている。
やれやれ、と肩を竦めたモンモランシーは、とりあえず誤解を解いておこうとギーシュに声を懸けようとした。ルイズと仲良く話しているところでも見せれば大丈夫だろうから、とりあえず離れててくれと伝えようとした。
「あらあらぁ? 入学初日から、随分と深い関係を築いているのね」
それよりも、赤毛の少女が三人へ乱入してくる方が早かった。胸元の開いた制服からは惜しげもなく豊満な胸が見せ付けられ、思わず男子生徒はそこに視線を集中させる。
既に男子生徒を多数誑かしているようなその少女は、ニヤニヤと楽しそうに笑いながらギーシュへと顔を向けた。その動きでたゆんと揺れた二つの果実に、思わず彼の目が釘付けになる。
「ギィィィシュゥゥゥ」
「不可抗力であります!」
ギロリとモンモランシーに睨まれ、ギーシュは竜に睨まれた家畜のように震え上がる。対するルイズは相変わらずバカねぇと笑っていた。
そんな二人を見て、赤毛の少女は何だ詰まらないと溜息を吐く。せっかく三角関係をいじろうと思ったのに。心の中で文句を言いながら、まあいいやと改めて三人に向き直った。
「はじめましてお三方。あたしはキュルケ。キュルケ・フォン・ツェルプストーよ」
ツェルプストー。その家名を聞いたルイズの眉がピクリと上がった。が、それだけである。確か昔いざこざがあったゲルマニアの貴族の名前だったな。と、そんな記憶を掘り起こしただけであった。
だから、彼女はそのまま気にすることなく名乗り返した。ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールだと言い放った。
「あら? あなたがヴァリエール? あの、お隣さんの?」
キュルケとしては挑発のつもりである。冷静を装っているが、実際はどうだ。そんな思いを込めた一言である。
ルイズは勿論気にしていないのでそうよと軽く返した。そういえば部屋も隣だったわね、と何てことないように続けた。
「……あなた、本当にヴァリエール?」
「どういう意味よ。この髪のことなら母さまの、マイヤール家譲りよ。上の姉のエレオノール姉さまなら美しい金髪だけど」
「そういう意味じゃなくて……んー、何だか調子狂っちゃうわねぇ」
なんのこっちゃと首を傾げるルイズに対し、キュルケはどうにもモヤモヤしたものが残って晴れない。
一方何となく状況が飲み込めたギーシュとモンモランシーは、ああそういうことかとお互いに顔を見合わせた。
「えーっと、ミス・ツェルプストー?」
「なぁに? えっと」
「ギーシュ・ド・グラモン。こちらはモンモランシ家の長子モンモランシーさ、よろしく」
よろしく、と互いに頭を下げる。そうしてから、少しいいだろうかとキュルケに述べた。
「ルイズ――彼女の代のヴァリエールは、ええっと、なんて言ったらいいのかな。正確には一つ前からだけれど」
「身も蓋もないことを言ってしまえば、ツェルプストーとの因縁はどうでもよくなっているの」
「は?」
今度はキュルケが目を丸くする番であった。そういえば確かに今までは随分と因縁が合った、ということは聞いていたが、今でも続いているという話は聞いていなかったような気がする。ぼんやりと思い出しながら、だとしても向こうは向こうでツェルプストーを毛嫌いしているという話は聞いていたのだと反論した。
「……正直、遠くのツェルプストーより近くの魔女だからなぁ」
「は?」
何の話だ、とキュルケは理解が追い付かない。とりあえず目の前のヴァリエールは思っていたよりもこちらに突っかかって来ないらしいということだけは分かった。が、それ以外は依然不明なままである。
コホンと咳払いを一つ。話題を変えるように、ところであなた達の得意な系統は、と尋ねた。
「ちなみにあたしは火。『微熱』という二つ名もあるのよ」
トライアングルである、ということもついでに述べる。聞き耳を立てていた他の生徒達は、その実力の高さを聞いておおと歓声を上げた。
それは凄い、とギーシュとモンモランシーも素直に賞賛しながら、自身の二つ名と得意な系統を名乗る。ギーシュは土、二つ名は『青銅』。モンモランシーは水、二つ名は『香水』。共にラインに届かない程度ではあるが、得意技ならば負けないと笑みを浮かべた。
「成程。それで――」
ちらりとルイズに視線を向ける。トリを飾るのはお前だ、というその視線を受けた彼女は、面倒臭そうに溜息を吐いた。
「わたしは――」
そこでふと止まる。そう言えば自分の二つ名はなんだっけか、と思い返したのだ。ルイズ・フランソワーズとしての二つはなんだっただろうかと考えたのだ。
「……ないわ」
ざわり、と周りがざわめく。ないわ、とは一体どういうことだ、と口々に話し始める。何かの聞き間違いだろうかと皆の視線がルイズに集中していった。
「……」
ルイズは答えない。否、答えられない。ここで自分の持っている二つ名を口にすることが出来ないのだ。
なぜならそれは、『ルイズ』の二つ名ではないのだから。
「ごめんなさい。わたし、まだ二つ名を持っていないの」
だからルイズはそれを飲み込み、静かにそう述べた。本音を言えばもうぶっちゃけてもいいんじゃないかと思い、危うく口に出しかけた。が、エレオノールとアンリエッタの顔が浮かび、何とか踏みとどまったのだ。悲しそうな姉の顔と楽しそうなおともだちの顔を思い浮かべ、踏みとどまったのだ。
結果としてどこか影のあるような物言いとなり、生徒達は案外簡単に誤解した。深窓の令嬢はきっと何か事情があって得意系統が分からないのだ。きっと病弱で奥ゆかしいのだ。そんな言葉が口々に囁かれ、彼女のイメージが益々とんでもないことになっていく。
ちなみにそのイメージを統合すると彼女の下の姉になる。さもありなん。
「なら、授業の結果で二つ名を作る、というところかしら。よし、あたしがぴったりのものを考えてあげる」
「気にしないで」
「遠慮しないの! あたし、これでもそういうの得意なんだから」
授業開始が楽しみね。そう言って笑いながら離れていくキュルケを眺めていた三人は、それに伴って注目が薄れていくのを感じながら溜息を吐いた。面倒なことになった、とギーシュとモンモランシーがルイズを見た。
「あによ」
「……いや、今の対応は正解だよ」
「そうね。アレを名乗ったらこの学院での平和な生活は終わりでしょうから」
ふう、と二人は溜息を吐く。自分達は協力者として関わることはあるが、当事者と呼ぶには少し弱い。だからその辺りの判断を下すわけにはいかないのだ。
「でも、そんなに駄目かしら」
「駄目だね」
「駄目ね」
『フラン』の、正確には『フランドール』と『アンゼリカ』の二つ名は、知っている者にとっては恐怖以外の何物でもないのだから。
学院に慣れるための猶予期間二日目。既にルイズは学院にいなかった。色々と面倒になって飛び出してきたのである。王都をぶらつきながら馴染みの酒場に顔を出し、適当な料理を注文して机に体を預ける。
暫くして注文の品が届き、そしてそれを持ってきた給仕の女性が可哀想なものを見る目で彼女を見下ろしていた。
「何でそんな目で見てるのよ」
「……入学してもう学院追い出されたのかい?」
「違うわ!」
失礼しちゃうわとその女性を睨むが、彼女はそれならいいんだと安堵したように息を吐き踵を返す。態度はともかく、どうやら本気で心配してくれているのは間違いないようであった。
そのまま暫し料理を食べていると、一息ついたのか先程の女性がまかないを持ってルイズの対面に腰を下ろす。それで、本当はどうなんだ。そんなことを問い掛けながらパンを齧った。
「だーかーら! 学院追い出されてなんかいないわよ。そもそも、わたしこれでも高貴なる深窓の令嬢とか言われてるのよ」
目の前の女性が吹いた。げほげほと咳き込みながら変な場所に入ったミルクとパンを必死で取り除いている。
どういう意味だこら、と勿論ルイズは食って掛かった。
「あ、あんたが深窓の令嬢!? カトレアならともかく! ルイズが、ルイズが!?」
「おいこら笑い過ぎだろ」
実際噂を聞いた本人もこれ限りなくちいねえさまね、とか思っていたりもするのだが、流石にここまで笑われるとカチンと来る。一発ぶん殴ってやろうかと思うくらいには。
それを察したのか、悪かったと女性は頭を下げた。笑い過ぎた、と述べ、ならば何故こんな場所にいるのかとルイズに問い掛ける。
「……深窓の令嬢とか、居心地悪くって」
「駄目だろ」
呆れたように溜息を吐いた女性に向かい、ルイズは頬を膨らませながら彼女の名を呼ぶ。それでマチルダ、そう言いながらルイズは言葉を紡いだ。
「何かいい憂さ晴らしの依頼ないかしら」
「素直に深窓の令嬢を辞めなよ」
「出来たらやってるわよ」
「まだ二日目だろう? 傷は浅い内がいいと私は思うけれど」
うー、とルイズは唸る。そんな彼女を見ながら、やれやれと肩を竦めてマチルダは苦笑した。それなら、丁度いいやつがある、と立ち上がりカウンター奥の掲示板から一枚の紙を剥がして持ってきた。
それを眺め、ふむ、とルイズは頷く。
「人さらい? この治世で?」
「らしいね」
そんなバカな、とルイズは顔を顰めた。確かに木っ端な野盗はアンリエッタのストレス解消のために見逃されてはいるが、人攫いとなれば話は別だ。まず間違いなく王女の名の下に討伐されている。
そんな怪しい依頼書を読み進め、最後に依頼者の名前を目にしたルイズは思わず目を見開いた。そして思い切り顔を上げた。
「これ、アンタの個人的な依頼じゃない!」
「あ、バレた」
「バレいでか!」
依頼者の名前はマチルダ。ルイズの前の間で笑っている女性であった。
原作沿いだぞい