ワンダリング・テンペスト   作:負け狐

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巻きで


その4

 代わりとしての価値を見出された。それ以外には何も評価されなかった。独学で、必死で覚えた魔法の腕も。平民に墜ちても失わなかった誇りも。

 母親が付けてくれた名前も、自分自身の顔さえも。

 妾の娘として私を放り出したその家の、本妻の娘が死んだ。跡取りの無くなった当主は、そこでかつて捨てた人間を拾い上げた。でもそれは、私を跡取りにするわけではなく、死んだ娘の代わりに仕立て上げることだった。

 そうして体を拾い上げられた私は、それ以外を捨てさせられた。死んだ本妻の娘と同じ顔、同じ名前にさせられた。わたしは、私じゃなくなった。

 死んだのだ。私は、もう死んだ人間だ。なら、わたしは生きているのか? 違う、わたしは、死体だ。死んだ人間だ。私だろうと、わたしだろうと。もう既に死んでいるのだ。

 死んでいるのに生きている。都合でただただ、生かされている。そんな生活に嫌気が差しても、自分から死体に戻ることは出来はしない。怖いのだ、死んでいるなどと強がったところで、結局本当に死ぬのは嫌なのだ。だから、希望も無いのに、ただただ日々を過ごしているのだ。

 そんな死体に、婚約話が舞い込んだ。わたしはそれに答えを出す権利はない。現当主の言葉一つで、好きに動かされるのだ。

 話を持ってきたのはアルビオンの貴族らしい。当主と付き合いのある家系なのだろうけれど、わたしは知らない。死体にそんな考える力など必要ないからだ。

 それでも、わざわざこんな死体に話を持ってくるなどとは随分物好きだ。まあ話を聞く限りアルビオンとガリアを繋ぐための体のいい生贄らしいから、所詮そんな程度の相手なのだろう。

 アルビオン。そういえば、まだわたしが私であった頃に、一度だけあの国の皇太子と顔を合わせたことがあった。あの時はまだ私が生きていて、でも、ただの町娘で。

 落とした時計を拾ってくれて、笑顔を向けてくれた。こんな自分に、あんな素敵な人が。

 ウェールズ、という名前が聞こえた。はっとしてそちらを向くと、先程の貴族が当主と話しているのが見える。どういうことだろう、と耳を澄ませると、わたしを婚約者とするのはかのウェールズ・テューダー皇太子殿下だという。

 どうして、とわたしは目を見開いた。当主は当然だと髭を触りながら自慢げに笑っている。家柄だけは立派なここは、当主の言う通りアルビオンとの架け橋に足る血筋なのだろう。別にどうでもいい、わたしは所詮死体だ。威張るなら勝手に威張ってくれ。

 でも。

 

「わたしが、ウェールズ殿下の……婚約者……」

 

 わたしは所詮、役割を満たすためだけに生きている死体だ。だから望まない、望んではいけない。かの皇太子殿下の婚約者になれというのならば、首を横に振ってはいけない。

 だから、わたしなんかが、あの方の婚約者になってしまう。憧れていた人の婚約者に、なれてしまう。

 決して忘れることのなかった、二度と会うこともないと思っていた。あの人の、隣に。

 

 

 

 

 

 

 馬鹿馬鹿しい、とジェームズはマリアンヌの言葉を斬って捨てた。ただでさえあの事件で信用を失っているのに、更にそんなことを言い出すようでは。口には出さずに彼はそう結論付け、本格的にトリステインを決別しガリアと同盟を結ぶべきだと思考を巡らせた。そういう意味では今回の婚約は実にいい機会であった。一人小さく口角を上げると、ジェームズはマリアンヌを下がらせんと手を動かす。ついでだ、このまま退場してもらうのも一興だなどとも考えた。

 

「……分かりました。では、わたくしは御暇させていただきましょう」

 

 小さく頭を下げると、彼女はそのまま踵を返す。その顔には聞き入れられなかったことについて何か思うことも無さそうであり、普段どおりの平然としたもののようであった。

 そのまま離れていくマリアンヌであったが、ふと思い出したように立ち止まる。振り返ることなく、そういえばお義兄さま、となんてことのないように口を開いた。

 

「そこにおられるミスタは、随分と我慢強い方なのですね」

 

 何、と怪訝な表情を浮かべたジェームズは彼女の述べた人物を見る。先程、既に死体であるなどと中傷を受けた彼の息子に婚約者を紹介した立役者でもあるその貴族へと振り向く。

 何かあったのですか、と不思議そうに自分を見ているその貴族の右手首が、千切れ掛かりプラプラと揺れていた。

 にわかに騒がしくなる。一体どういうことだ、と周囲の貴族達が慌てて件の男へと手を伸ばした。その拍子に、皮一枚で繋がっていた右手がぼとりと落ちる。誰かの悲鳴が辺りに響いた。

 

「どうした!?」

 

 騒ぎが聞こえていたのだろう。ウェールズが婚約者を伴いこちらへと駆けてきた。当事者である彼にはまだ聞かせられない、とこの場には呼んでいなかったのが幸いし、あの光景を目にすることは避けられたらしい。もっとも、視線を動かせばすぐにそれは分かってしまう程度のものではあるのだが。

 

「おおウェールズ殿下。いや、今は少し離れていたほうがよろしいかと」

 

 そんな彼を一人の男性が押し留める。聖職者の姿をしてはいるものの、物腰が軽くあまりそれらしい雰囲気の見られないその男は、二人の視線を遮るように立つと踵を返すよう勧めた。その行動に怪訝な表情を浮かべたウェールズは、しかし状況も分からないまま立ち去ることは出来ないと男に述べる。

 

「いや全くその通り。しかし、これが私もよく分からぬのです」

「どういうことですかな、クロムウェル司教」

 

 クロムウェルと呼ばれた男は、眉を顰めるウェールズに対し苦笑しながら丸帽ごと頭を掻く。

 曰く、トリステインのマリアンヌ太后が、今回の婚約話を持ってきた貴族はとうに死んでおり動く死体としていいように操られているだけに過ぎないとジェームズに述べたのだという。得体の知れない何者かが操る死体の提案する婚約を続けるもよし、少し考えを改めるもよし。それはお任せしますと、そう言ったとも。

 

「死体?」

「ええ。何を馬鹿なことを、とジェームズ陛下はまともに取り合いませんでした。機嫌を悪くされ、マリアンヌ太后を追い払ってしまいましたが」

 

 まさか本当に死体だとは。苦い顔を浮かべ、クロムウェルはゆっくりと頭を振った。

 その言葉に面食らったのはウェールズである。本当とはどういうことだ、と思わず彼に詰め寄った。落ち着いてください、と隣の婚約者の少女に言われ、彼はすまないと一歩下がる。

 

「いえいえ、当然の反応ですとも。……その貴族の方ですが、右手が取れかかっておりましてな」

 

 その光景を想像したのか、ウェールズの隣で小さく悲鳴が聞こえた。失礼、とクロムウェルは謝罪し、しかしそのまま話を続ける。慌てて駆け寄った他の貴族の前で、その手首は地面に落ちた。それでも男は平然としており、その異様な光景を見た女性は恐怖で悲鳴を上げながら逃げていった、と。

 

「そうして会場にも騒ぎが広がってしまい、今に至るというわけなのです」

「それなら尚更私は行かねばならぬだろうに」

「よろしいのですか? 婚約者様にはいささか刺激が強いと思われますが」

 

 向こうは誰が死体で誰が生者なのかで阿鼻叫喚に陥っている。だからこそ自分もここまで避難してきたのだ。そう言って苦笑したクロムウェルは、止めはしましたよと言い残すとここから立ち去ろうと足を動かした。

 引き止めて申し訳なかった、とその背中に述べたウェールズは、隣の少女に少し待っていてくれないかと告げる。先程彼が言ったように、恐らくこの先の光景は彼女に見せられるものではない。そう考え、自分一人で向かおうと思ったのだ。

 だが少女は首を横に振る。わたしは貴方の婚約者ですから、と彼を真っ直ぐに見る。

 

「貴方の隣に、いさせてください」

「……分かった。離れないでくれ」

 

 はい、と少女は笑みを見せる。そんな彼女を見て苦笑したウェールズは、では行こうと足を動かした。

 その場は成程クロムウェルの言う通り酷い有様であった。生きている人間と同じように動く死体が紛れ込んでいる。その事実があるだけで、周囲の人間が全て死体に見えているかのように皆が疑心暗鬼になっている。

 

「父上」

 

 老体のためか椅子に座ったまま周囲の貴族に指示を出しているジェームズへと駆け寄ったウェールズは、この状況の大まかな説明を聞いたことを伝え自分に出来ることはないかと尋ねた。そんな息子をジェームズはゆっくりと眺めると、その隣の少女に視線を動かす。そして、静かな口調で彼に問うた。

 その少女は、死体か?

 

「……彼女を侮辱する気ですか?」

「そうではない。ただ、この話を持ってきた男が動く死体であった以上、当人である彼女を疑うのは仕方あるまい」

 

 ジェームズの表情に嘘はない。それが分かったからこそウェールズは苦い顔を浮かべたまま、しかしはっきりと否定の言葉を口にした。彼女はそんなものではない、と。

 

「ウェールズ様……」

「君が死体などではないことは、私が一番よく知っている」

 

 真っ直ぐにそう述べると、彼は彼女の肩を抱く。そして、その唇に小さく口づけをした。

 

「これが、その証拠――」

「あぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁ!」

 

 突如悲鳴が木霊した。何事だ、とジェームズ達がその方向へと振り向くと、驚愕の表情を浮かべていると思われる仮面の少女がウェールズを見て固まっている。かたかたと小さく震えており、傍から見る限り何か恐ろしい光景でも見たかのようで。

 あれは確かマリアンヌ太后の護衛だと言っていたメイジの一人だ。そんなことを思い出し、おそらく動く死体にショックを受けたのだろうとウェールズは考えた。

 

「ウェールズ様が、ウェールズ様が! キスした! わたくしじゃない相手と、キスしたぁ!」

「……は?」

「申し訳ありませんウェールズ殿下。この人今ちょっと頭がアレなのです」

 

 隣に立っていたポニーテールの少女が深々と頭を下げる。とりあえず現状に恐れをなしているわけではないので、と続けると、彼女は仮面の少女を思い切りどついた。

 

「何をするのですか!」

「文句があるならまず正気に戻ってください」

 

 え、と周囲を見渡した仮面の少女は、コホンと咳払いをすると何事もなかったかのように笑みを浮かべる。それで状況はどうなのですか、とポニーテールの少女に問い掛けた。

 

「まずは死体とそうでないのとを分ける必要がありますね」

「分かりました。フラン、貴女がやるの?」

「まあ、アンのやり口よりは被害少ないですし」

 

 そんなことを言いながら、フランは背中に背負っていた大剣を抜き放つと頭上に掲げる。瞬間、彼女の背後から小さな光が伸び、周囲の者達へと絡み付いた。パチン、と何かが弾ける音が響き、先程まで騒乱状態であった連中がバタバタと倒れ伏す。

 一体何をした、というジェームズの護衛のメイジの言葉に、フランはなんてことないように『ライトニング・クラウド』を唱えたのだと言い放った。

 

「威力を極限まで抑え、衝撃で気絶する程度にしてあります。生きているのならば、ですが」

 

 はっとそこにいたメイジ達が辺りを見渡す。言い争っていた貴族達がほとんど倒れている中で、先程の電撃を食らっても問題なく動いている数人がいた。その内の一人はこの騒ぎの発端となった、既に死体だと分かっている右手の取れた男。そしてその貴族の従者をしていたメイジ達が二人。

 そして、恐怖で怯えていたはずの若い女性貴族と、そのメイド達だ。

 

「余程電撃に耐性があるのですね。それとも、飛ばす意識など最初から持ち合わせていなかったのかしら?」

 

 クスクスとアンが笑う。先程の醜態をなかったことにせんがごときのその余裕の態度を見てフランは小さく溜息を吐いた。そうしながら、さてどうするかと顎に手を当てる。

 そのタイミングで叫び声。どうするもこうするもない。そんなことを言いながら会場を見回っていたマリーとギーシュ達がこちらへと駆けてくるところであった。

 

「結構紛れ込んでいたよ、死体」

「マリアンヌ様を含めたみんなの避難、終わったわ」

 

 ついでに引っ張ってきた、と視線を背後に向ける。マリー特製、水の精霊石を少量混ぜ込んだ誘蛾香だ。『死体』の仕組みを知っている彼女達だからこそ出来る芸当である。難点はまだ試作品のため水系統を扱えるメイジであれば生きていても誘われてしまう点だろうか。

 ともあれ、こちらにぞろぞろとやってくる死体達を合わせるとその数は十を余裕で超える。その光景を見たジェームズは何ということだと頭を抱えた。

 そんな彼を死体から守るように、フラン達が立ち塞がる。何のつもりだ、というジェームズの問い掛けに、あははと頬を掻くことで彼女は返答とした。

 

「……マリアンヌ太后が場を荒らし回るだけ荒らして後は知らんとばかりに去っていったので、こちらで尻拭いを、と」

 

 誰を思ったのか、仮面のまま鼻で笑いながらアンがそう述べる。ですからお気になさらずと言葉を続け、腰の双剣杖を取り出した。

 そんなアンに続くように、フランも下げていた大剣を再度構え直す。合流したマリーも杖を取り出し構えた。ギーシュも剣杖を取り出し、巨大な十字の形をした盾と剣を混ぜたようなそれを持つカレンデュラの横に立つ。

 

「ジェームズ陛下」

 

 視線を死体から外さぬまま、フランは彼に問い掛けた。あの動く死体は、こちらで思うように処理してしまっても構わないか、と。

 元よりこのような異常事態、そちらで対処出来るのならば任せてしまうのが手っ取り早い。そう判断したジェームズは、マリアンヌの、トリステインの者であるのが癪だが渋々頷くことにした。

 

「感謝いたします」

 

 こちらに振り向き一礼したアンは、では早速、と呪文を唱えると水の鞭をしならせる。鞭、というよりもカミソリのように細く鋭利なそれは、死体の一体に纏わりつくとそのまま全身をスライスしていった。細く切り刻まれた体はそれでも尚ピクピクと動いていたが、出来ることはもうそれしかない。脅威では無くなったのを確認すると、では次、と彼女は視線を別の死体に動かした。

 風の螺旋が死体をミキサーにでもかけたように挽肉に変えていくところであった。まあこんなものでしょ、と呪文を放ったフランが剣を軽く振るのを見ながら、アンはやれやれと肩を竦める。

 

「もう少し周囲の被害を考えなさいな」

「考えてますよ。ほら、別に周り吹っ飛んでないでしょ?」

「あら本当。珍しいわ」

 

 何だと、とアンを睨むフラン。その眼光を涼しい顔で受け流すアン。

 そしてそんなこと知るかとこちらに迫り来る死体達。

 

「ワルキューレ!」

 

 ギーシュが剣を掲げる。こくりと頷いたカレンデュラは、十字型の武器の中心の取っ手を使いクルクルと風車のように回しながら一気に駆けた。以前学院の決闘騒ぎでギーシュが喚び出した時よりも更に早いその踏み込みは、すれ違いざまに死体を微塵切りにするほどである。

 キュ、と音を立てブレーキを掛けると、カレンデュラはダッシュのベクトルを変え別の死体を細切れにする。その動きはさながら音速のごとし。

 あの面々と比べると本当に地味だな。そんなことを考えながら、マリーはマリーで死体の処理をしていくのであった。

 

「はぁ……っと」

 

 マントの下に仕込んであるポーションを投げつける。死体に当たるとたちまち魔法反応を起こしグシャリと溶けた。本当に地味だ、と彼女はもう一度溜息を吐いた。




どうでもいい設定解説

今回のカレンデュラ
『ワルキューレ・ソニックフォーム』
武器はクルスブーメラン
速さマシマシだよ!

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