いやはや、と避難した先でクロムウェルは苦笑する。これはまた盛大にやらかしましたね。そんなことを呟きながら、騎士の誘導に従って会場を後にした。
そのまま他のアルビオン貴族達と情報交換をしながら、己が乗ってきた馬車へと乗り込み、出発させる。一斉に逃げ出せばそれはそれで二次被害に繋がるだろうと、彼は周囲を確認しながら人が少なくなるのを暫し待った。
「それで、どうなりました?」
馬車にいるのは彼一人ではない。同乗していたメイド服の女性に視線を向けると、彼はそんなことを問い掛けた。
対するメイドは、編み込みアップにしたその髪をガリガリと掻きながら泣きそうな顔で彼を睨む。目付きは鋭いが、苦労人と小動物加減が混じり合い微塵も怖くなかった。
「どうしたもこうしたもあるかぁ!」
「落ち着いてください、シェフィールドさん」
「ここで落ち着いていたら何とかなるんですかね!? なるんだったらいくらでも落ち着いてやるわ!」
シェフィールド、と呼ばれたメイドはそんなことを叫びながらクロムウェルの胸元を掴みガクガクと揺らした。見た目通りの立場ならば、まず間違いなく首が飛ぶ。が、当の本人はそれをされても苦笑するだけで文句を言うこともない。まあまあ落ち着いて、ともう一度彼女を宥めるように言葉を紡いだ。
「少なくとも、こちらの『レコン・キスタ』との繋がりを示す証拠はありません」
「そりゃそうでしょうとも。私が駆けずり回って消したし」
ジロリとクロムウェルを睨む。ありがとうございます、と頭を下げた彼を見て舌打ちをした彼女は、大きな溜息を吐いて馬車の背もたれに体を預けた。
「それで、陛下の方は?」
「あの人が一々指示出すわけないでしょう……。もうこの場の屍兵を使い潰して撤退ですよ撤退!」
「私としては構いませんが……よろしいのですかな?」
このままではガリアが疑われるのではないか。そんなことを問い掛けたクロムウェルを見て、シェフィールドはもう一度溜息を吐いた。別に構いはしないでしょうと言葉を続けた。
「それくらいの方が丁度いいハンデだとか言い出しますよあのクソ髭親父」
「その物言いは……貴女は一応陛下に恩があったのでは?」
「命一回助けてもらった代わりに十回以上命なくしかけてますけどぉ!?」
ざっけんなちくしょう、とシェフィールドは叫ぶ。その拍子に片目に掛かるほどの前髪で隠されていた額のルーンが薄く光った。あ、出番だ、と表情を元に戻した彼女は、置いてあったカバンから一体の人形を引っ掴む。
「それは?」
「クソ髭親父からの追加指令ですよ。……あー、ほんっと、私悪役ですね」
「どうしました?」
「ガリアがしらばっくれるためには、件の婚約者が邪魔だそうです」
「彼女は何も知りませんよ? そもそも、あの名前も顔も彼女本人のものではありませんし」
確か追い出した妾の娘を拾い上げて死んだ娘に仕立て上げていたはず。そんなことを述べるクロムウェルに、知ってますよとシェフィールドは返す。その表情は無、完全に目が死んでいた。
「別にジョゼフ様はどうでも良かったみたいですけど。……向こうが乗り気らしいんですよ、切り捨てるのに」
「所詮代替品、全部の罪を彼女に引っ被って貰おうと言うわけですか。いやはや」
それで、どうするのですか。そう尋ねた彼は、シェフィールドが表情を変えないのを見て察した。死んだ目のままなのを見て、はははと苦笑した。
「屍兵に通達――」
額のルーンが光る。人形の首にはめられている指輪の宝石が、それをきっかけにゆらりと揺らめいた。
「――ウェールズ皇太子を、殺せ」
「これで死体は全部!?」
「と、思うわよ。一応避難させてからアロマ焚いたし」
「最終確認もしたからね」
ちらり、とギーシュが重なって転がっている人の山を見る。誘導してきた者の内、間違って誘われた生きた人間を選り分けるため気絶させた結果であった。基本的に死体は気絶しないので、あそこに倒れているのは生者ということになる。
そして気絶をしなかった連中は、正体を看破されたことで任務が変更されたのかこちらに襲いかかり、そしてそうした者は例外なく肉塊に変えられた。
フランが周囲を見渡す。こちらに襲い掛かってくる死体は既にない。ふう、と息を吐いた彼女は、大剣を一振りすると己の背中の鞘に仕舞い込んだ。同じようにマリーも杖と劇薬を片付け始め、ギーシュはカレンデュラをお疲れ様と撫でている。
そしてアンも、双剣杖をくるりと一回転させ、どうだと言わんばかりに振り向きアピールせんとウェールズを見た。そして仮面の下で目を見開き、全力で足に力を込めた。
ジェームズの護衛をしていた騎士の一人、先程こちらを怪訝な目で見ていたそのメイジの隣。その男が杖を引き抜きウェールズへと駆けていくところであった。杖の先には『エア・ニードル』の呪文が掛けられており、突き出せば容易く人の胸など貫けるだろう。そして、その切っ先の先には状況を把握するのに一歩遅れ退避出来ていないウェールズが。
「ウェールズ様!」
叫ぶ。自身と彼の距離はそこそこ離れており、杖を引き抜き呪文を唱える、全力で駆けつけ相手を突き飛ばす。それらを行うには間に合わない。このままでは、ウェールズが、アンの想い人が眼の前で死ぬ。そんな光景が頭を過り、それでも彼女は全力で走った。己の身よりも、彼のことを考え、足を動かした。
そんな彼女と同じように、頭で考えるよりも先に体が動いていた者がいた。彼の胸にその切っ先が届く寸前、ウェールズとメイジの間に割り込んだ少女は、己の体を盾にして凶刃から彼を守る。
ずぶり、と肉を貫く音がした。杖が三分の一ほど彼女の胸にえぐり込み、その小さな口から鮮血が溢れ出す。着ていたドレスはあっという間に赤く染まり、その華奢な体はゆっくりと膝から崩れ落ちた。
彼女の血で真っ赤になった杖を引き抜いたメイジは、邪魔が入ったとばかりにそれを再度ウェールズに突き立てようとする。
「失礼、ウェールズ様」
とん、とウェールズは軽く突き飛ばされた。たたらを踏んだ彼と入れ替わるように立ったアンは、いつの間にか抜き放っていた双剣杖を交差させ眼の前のメイジに振りかぶる。
「死ね。……ああ、既に死んでいるのでしたね」
ひゅん、と双剣杖がきらめくと同時、メイジは果物を食べやすくスライスされるがごとく輪切りにされた。そのままグシャリと落ちることすら許さんとばかりにアンは再度双剣杖を振るい、輪切りになった体をかなり遠くまで吹き飛ばす。血が流れないから汚れなくていい、と彼女は鼻を鳴らしながら呟いた。
「ウェールズ様、ご無事ですか?」
振り向き彼に問う。ああ勿論だ、と頷いた彼は、しゃがみ込み動かない少女を抱きしめていた。彼女が、庇ってくれたから。絞り出すように、そう述べた。
「……ウェ、ールズ……さま」
「喋るな、傷に障る」
「いえ……もう、助かり、ませ、んよ」
「そんなことはない! 助かる! 大丈夫だ!」
「ふ、ふふ……」
血まみれの口元に、笑みが浮かぶ。何が嬉しいのか、彼女は微笑み、そして力なく手を上げた。ウェールズの手に触れると、ほんの僅か指を動かし、絡める。これだけは、離さない、と最後の力を込める。
「嬉しい。な……。ウェールズ様、が……わたしのために、泣いてくれているなんて」
「何を、何を言っているんだ! 君は僕の婚約者だろう!? 大切な人だ! 当たり前だ!」
「……婚約、者……。ああ、そうか。私、貴方と、結婚……でき、る、んだ」
夢みたい、と彼女は笑う。既に見えていない視界で、真っ直ぐにウェールズの顔を見る。
「ウェールズ、様……私、しあわせです」
「……ああ」
「大好、きな……貴方を、守れた、から」
「ああ……君のおかげだ。だから、だから――!」
死ぬな。そう続けようとしたウェールズの眼の前で、彼の手を握っていた彼女の手から力が抜けぱたりと落ちた。表情は笑顔のまま、しかしそのままピクリとも動かない。
ウェールズは彼女の名前を呼ぶ。だが、彼女は何の反応も示さない。微かに動いていた胸も、吐息も、何も感じられない。抱きしめている腕から、ぬくもりが消えていくのがよく分かった。
「アルシェ! アルシェ! 死ぬな! 駄目だ、死ぬな!」
ウェールズの悲痛な叫びが木霊する。が、それに反応をするものはいない。ジェームズも、近衛の騎士も。その悲劇的な結末を見て動けない。
す、とその場にしゃがみ込んだ者がいた。動かなくなった少女を仮面越しに眺めると、振り向くことなく口を開いた。マリー、と彼女の名前を呼んだ。
「は、はい!?」
「彼女の治療を」
出来るだろう、という確信を持った言葉であった。振り向くことなく、彼女の顔を見ることなく。ただ淡々と、そう述べた。
何を言っている、とジェームズも近衛の騎士も表情を歪めた。彼女は既に死んでいる、治療することなど出来はしない。口はしない、出来ないが、皆一様にそんなこと思い仮面の少女を思わず睨む。
が、そう要請された当の本人、マリーは分かりましたと少女の遺体に駆け寄った。ウェールズから半ば強引に彼女を受け取ると、手首を触り、首筋に触れる。そのぬくもりが失われているのを確認するとああもう、と苦い表情を浮かべた。
ばさり、とマントを翻した。そこに仕込まれているポーションを右手で掴み取ると、迷うことなく少女の遺体にぶちまける。
「まずは血が足りない。でもって、傷が深いから、これ!」
次いで取り出したポーションの中身を彼女の胸に垂らした。粘性の高いそれは、穿たれた穴を塞ぐように垂れて留まる。
最後は気付け、と最初の二つより毒々しい色をした瓶を掴み取った。それを無理矢理口の中に流し込むと、左手に水の秘薬らしき瓶、右手に杖を取り出し呪文を唱える。キラキラと瓶の中身の液体が輝き、そしてそれを振りかけることで少女の体にも光が移る。
「あれは……?」
ウェールズはその光景を真っ直ぐに見詰める。行っていることは一見すると水メイジの治療と変わらないように見える。だが、使用している秘薬らしきものは明らかにそれとは違う。得体の知れないそれは治療というよりも、実験。ジェームズも近衛の騎士も止めさせた方がいいのではないかとウェールズを見た。だが、彼は動かない。それで彼女が助かるのならば、と余計な手を出すこともない。
「ご安心を」
彼の隣に立っているアンがそう述べ、微笑む。彼女の治療術はこちらが保証します、と笑みを見せた。
「あの程度の死にたてならば、問題なく完治するでしょう」
「あの程度、か……」
どう見ても死に体であった。為す術がないように思えた。それでも彼女は諦めず、即座に治療に踏み切った。そうすることが出来るという自負と、仲間への信頼があったのだ。
君達は、何者だ。思わず彼はそう問い掛けていた。それを聞いたアンは少しだけ考える仕草を取ると、まあいいかと口角を上げる。
「改めて自己紹介を。わたくしはアンゼリカ、二つ名は『豪雨』と申します」
「……『豪雨』?」
怪訝な表情を浮かべた。それは聞いたことのある二つ名だ。アルビオンにも聞こえてくる、トリステインの悪名高き万屋メイジ。確かそのチーム名は。
「あちらのポニーテールは『暴風』のフランドール。そして治療をしている彼女が」
クスクスと笑いながら、アンはマリーを指差した。ウェールズが驚愕の表情を浮かべているのを気にせずに、笑みを浮かべてその名を口にした。
「『暴風雨』のサブメンバー、『洪水』のマリーゴールドですわ」
「御大層な二つ名付けてなし崩し的に巻き込むのやめてください!」
こふ、と口内に溜まっていた血を吐き出し息を吹き返した少女を抱えながら、マリーはアンに向かって悲痛な抗議の叫びを上げた。
「……」
ふう、と手鏡を仕舞い込むと、シェフィールドは力を抜いた。ガタゴトと走る馬車の中、もう知らんとばかりに椅子の背もたれに体を預け天井を見やる。
そんな彼女を見て、クロムウェルは苦笑した。失敗しましたか、と彼女に問うた。
「こちらの予想通りにウェールズ皇太子を庇って刺されたけれど、その後『暴風雨』の一人に治療されて助かったそうです」
「それはそれは……良かったですな」
そう言って彼は笑う。よくない、と返しながら、しかしシェフィールドは安堵したように口角を上げた。
「まあ作戦は失敗ということで。……私はもう知らん」
「そうですね。それがいいでしょう」
では戻る前に少しこちらで休憩なさっては、というクロムウェルの提案に、彼女は軽く手を上げることで返答とした。
馬車は揺れる。悪役になりそこねた彼女を乗せて、ガタゴトと。
「……生き、てる」
意識を取り戻したアルシェは、ゆっくりと体を起こした。自身の胸に触れると、その感触に違和感がある。服を捲ってみると、消えきっていない傷跡が見えた。
「今はその状態ですが、治療を繰り返せばおのずと消えていきます」
「っ!?」
弾かれたように顔を動かす。彼女が寝かされていたベッドの横に座り本を読んでいたらしい仮面の少女が、パタンとそれを閉じるところであった。貴女は確か、と自身の記憶を探りながら呟くと、ええそうですと彼女が微笑む。
「それで、気分は如何ですか?」
「……問題、ないです」
それは良かったと微笑むアンを見て、アルシェはその表情を歪める。生きている、生き残っている。それが、彼女にとっては良いことには思えなかった。
どうして、と口にする。どうして助けたのだ、と問い掛ける。どうして助けてしまったのか、と詰問する。
その彼女の言葉を、アンは鼻で笑うことで返答とした。何を勘違いしているのだ、と言い放った。
「わたくしは、ウェールズ様が貴女を助けたいと思っていたから。だから治療をマリーに頼んだ、それだけです。貴女の意思など知ったことではありません」
「なっ……!?」
「当然でしょう。わたくしにとって貴女は、愛しい愛しいウェールズ様を奪った憎き婚約者なのですから」
何を言っているのだ、とアルシェは怪訝な表情を浮かべた。まるで自分の方がウェールズに相応しいと思っているかのような。そんなことを思い、それを思わず口にする。
その問い掛けに、アンはまたも鼻で笑うことで返答とした。
「それを決めるのはウェールズ様です。……もっとも、わたくしは既に一度振られていますけれど」
「え?」
何を言っているのだ、とアルシェは目を見開いた。その口ぶりは、ウェールズととても近しい間柄であるかのようで。太后の護衛のメイジといえど、そこまでの地位があるとはとても思えない。
口にはしていないが顔に出ていたのだろう。そうですね、と口角を上げたアンは、特別ですよとその顔の上半分を覆っていた仮面に手を掛けた。
「――なっ!?」
顕になった素顔を見て、アルシェは驚愕の表情を浮かべる。かつて平民に墜ちていた彼女ですら知っているその顔は、トリステインの白百合と呼ばれているその人物は。
「アンリエッタ……王女」
「ええ。勿論代替で作られた顔などではありませんよ。正真正銘、本人です」
この仮面は特別なマジックアイテムで、正体を隠蔽する効果があるのだ。そんなことを続けながら、アンリエッタは改めてとアルシェを眺める。突然のことに頭がついていっていないのか、呆然としていたので落ち着くまで暫し待った。
「どうして……」
「貴女を助けた理由は先程述べました。変装してこんな荒事をやっている理由は、秘密です」
クスクスと笑い、アンリエッタは立ち上がる。目覚めたことを、ウェールズ様に報告せねば。そんなことを言いながら、手に持っていた仮面を再度装着した。
踵を返したアンリエッタの背中を、アルシェはじっと見詰めている。偽りだらけの自分を助けた、出鱈目だらけの王女を見やる。
ふと、彼女が立ち止まった。振り返ることはなく、しかしその言葉はアルシェに向けたもので。
「もし自分が偽物だと、死体だと思っているのなら。それは大きな間違いです」
「……え?」
「だってそうでしょう? 悔しいけれど、貴女もウェールズ様を愛する気持ちが、とても大きいもの。その一点だけで、貴女は本物であるし、生者よ」
今はその位置を預けておいてやるが、絶対に奪い取ってやる。そんなことを続けて述べ、アンリエッタは部屋から出ていった。
パタン、と扉が閉まる音を聞きながら、アルシェは彼女の言葉を反芻する。愛する気持ちがあるから、自分は本物であるし、生きている。ぎゅ、と拳を握り、そして目を瞑った。先程の王女の顔を思い出し、その美しさに挫けそうになりながら。
「……負けない」
この騒ぎで婚約が解消されるかもしれない。ここから追い出され、家からも追い立てられ、再度平民に堕ちるかもしれない。それでも、自分が死体でないのならば。偽物でないのならば。
「アンリエッタ王女。貴女にウェールズ様は、渡さない!」
この思いを、決してなくさない。そう心に決め、彼女は真っ直ぐに前を見る。
さしあたっては、今からやってくる愛しい婚約者と口付けでも交わそう。迷いを断ち切ったアルシェは、そんなことを思いながら笑みを浮かべた。
姫さまが悪役令嬢ムーブをしてくれたところで今回は終わり。