ごとり、と首が落ちた。それを見てつまらなさそうに鼻を鳴らしたアニエスは、他に誰もいないことを確認して息を吐く。どうやら家族は逃してあったようだな、という自身の奥から響く声に、別段興味もないと返答した。
「わたしが必要なのは犯人の命だけだ。家族などついでに過ぎん」
剣を鞘に収める。さて、と右手をゆっくり床に転がる首に向けた。今回は当たりだといいのだがな。そんなことも呟いた。
「大体、姫殿下もあれだけ豪語しておいて隊長の名前が分からんとは」
呆れたように溜息を吐く。本来ならばそれで契約破棄してもおかしくはなかったのだが、何故か彼女は未だに『
何だかんだ口で言っていても、結局寄る辺が欲しかったんじゃねぇか。己の内のその言葉に、アニエスはうるさいと叫んだ。
「いいからさっさっと喰え。そして、こいつの記憶を読み取れ」
グシャリ、とアニエスの右手が変貌を遂げた。猛禽類の爪を思わせるその異形の赤い腕は、床の頭部を引っ掴むと鳥の嘴に変貌し咀嚼する。ガリゴリと骨を砕く音が響き、そして右手が食べ終わったのを証明するかのごとくゲップをした。腕は再度猛禽類の爪のような異形に変貌する。
「――あぁ、こりゃ、外れだ」
「ちっ」
今持っている情報と大して変わらないものがアニエスの頭に流れ込んでくる。追加の情報など何一つ無いことを確認すると、彼女は忌々しげに残っていた首のない体を蹴り飛ばした。
アニエスはそのまま踵を返す。もうここに用はない。部屋の扉を開け、廊下を見渡した彼女は、こちらを攻撃するものが何一つ無いことを確認して歩みを進めた。窓から飛べばいいじゃねぇか、という己の右腕の言葉は無視をした。
「わたしは、貴様に取り込まれるつもりはない」
「分かってる。お前が俺様の一部にならないことなんざ、とっくにな」
「それでも、今のわたしは貴様の力が必要だ」
「分かってる。俺様は臆病で小心者だ。脅されたら逆らえねぇ」
ふん、とアニエスは鼻を鳴らした。ククク、と右腕は笑い声を上げた。
それで、どうする、と右腕は問う。決まっているだろう、とアニエスは返す。
「あの馬鹿共を回収して、帰るさ」
「おう、そうだな。仲間は大事だな」
面白くなさそうに舌打ちをしたアニエスは、壁に右腕を叩きつけるとその形を元に戻し、静かになったのを確認してから無言で歩き出した。内から響いてくる文句は意図的に切り捨てた。
ふう、と『地下水』は息を吐く。向こうで才人達が戦っている間負傷者の治療に専念していたが、とりあえず持ち直すことが出来たからだ。隣では十号が疲れたのかへたり込んでいるのが見える。
「お疲れ様です」
「あ、いえ。『地下水』さんの方がよっぽどじゃないですか」
「その辺りは慣れですね。あの馬鹿といると必然的にこうなりますよ」
あはは、と十号は苦笑する。そうは言いつつも、『地下水』の表情はそれほど嫌そうには見えなかったのだ。以前カトレアの言っていた、あの二人は仲良し、という意味はやっぱりこういうところなのだろうか、とぼんやり考えた。
「それで、どうしましょう」
「向こうの援護は……まあ、必要ないでしょう」
「いいんですか?」
「必要ならあの馬鹿はとっくにアクションを起こしています」
よ、と負傷者を呪文で運びながら、『地下水』は才人の方を見ることなく移動を始めた。そんな彼女をぱちくりと見ていた十号も、そういうことならと同じように負傷者の運搬を始める。とりあえず戦闘域から離れさせた二人は、では改めて、と向こうを見た。
首が落ちている。何処か悔しそうな表情のまま活動を止めてしまったその少女の首を見て、十号は思わず目を見開いた。
「アトレさん!?」
「の、首ですね。あっちには左腕と残りの体が落ちてますよ」
ほれ、と指差した先には体から離れた左腕と、残った体。倒れたままピクリとも動かない。人間ならばまず間違いなく死体である。ちょうど最初の襲撃で助からなかった衛兵達と全く同じ結末を辿っているように見えた。
「……」
「どうしました十号?」
仲間の死体を目にしている割にはやけに冷静だ。そんなことを思った十号は、嘆き悲しもうとした思考を止めて周囲を見た。才人は向こうを逃さんと戦っているが、それは仲間が殺されたからというよりも、負けず嫌いの延長線上のような、あまり負の理由とは違うように感じられる。エルザも同じ、どちらかといえば彼女は才人が戦っているから程度の理由しか持っていないと思えるほどで。
少なくとも、ああやって彼を慕っていた少女が眼の前で殺されたのならば、絶対にあんな風にはならない。
「サイト!」
「あいよ」
十号の思考をよそに、『地下水』は才人へと声を掛けていた。飛来してきた爆弾を蹴り飛ばし再度距離を取ると、エルザを伴って彼女達の方へと駆けてくる。終わったか、という彼の質問に、彼女はええ勿論、と返した。
「まあ、『洪水』の秘薬は無くなりましたが」
「マジかー。今度モンモンに発注しとく」
出費が痛い、と顔を顰めた才人は、そこで十号が難しい顔をしているのに気付いた。どうしたんだと彼が視線を向けると、彼女はなんと言っていいのか分からずあははと頬を掻く。その理由が分からず、才人はエルザに視線を動かした。
「多分、そこに転がってるアトレさんについて、じゃないかな」
声量を落とし、向こうに聞こえないようにしながらエルザは才人に耳打ちする。美少女の声が耳をくすぐりちょっとビクリとした才人は、とりあえずその辺を脇に置いて彼女の言葉を心の中で反芻した。
ふむ、と視線をアトレの首と体に動かす。そのまま向こうでもう来ないなら帰りたいんだけどとぼやいている相手を見た。
よし、と才人は刀を構える。それを見て嫌そうな顔をした春奈は、ヴェルメーリヨをちらりと見て、仕方ないと溜息を吐いた。
「ねえ平賀くん、私帰っちゃ駄目?」
「だからそのやり取り何度目だっつの」
「というか今ワタシを見てからそのセリフ言ったナ!? 思いっきり見捨てる気だったよネ!?」
ふふ、とヴェルメーリヨに笑いかけた春奈は、まあそういうわけなのよと才人を見た。どういうわけだよ、と呆れたように彼は肩を竦めた。
「ねえベル、貴女どのくらい殺した?」
「は? そこに転がってる衛兵数人と、あの少年の恋人? の女の子くらい、カナ? 向こうの人達助かったみたいだし」
「成程。平賀くん、これを差し出すから私は逃げるわね」
「ザッケンナコラー!」
ヴェルメーリヨが吠える。隣の春奈に掴みかかると、お前はそれでも仲間なのかと首をがくがく揺らした。されるがままになっていた彼女は、だってしょうがないでしょうとそのまま微笑む。
「平賀くんの女を殺した、ってことは、許してもらうには女を差し出すしか無い」
「他に選択肢あるよネ!? そもそも、女を差し出すも何もソレやったらワタシ普通に毛皮のコートにされるだけなんデスケド!?」
もうこなったら死なばもろとも、とヴェルメーリヨは春奈を離さんとばかりに思い切り掴み上げた。体勢だけを見るならば、相手を羽交い締めにして止めを刺させようとしている風に見えなくもない。
「……じゃあ遠慮なく二人まとめて」
「え? ちょっと待って平賀くん、私そっちには何もしてないでしょ!? ぶっ殺すならここのケモミミでしょ!?」
「うるさい黙レ! ワタシが死ぬならお前も一緒だ!」
ジタバタと暴れる春奈と、ギリギリと締め上げるヴェルメーリヨ。傍から見ているととても見苦しい光景であった。ほんの少し前まではもっと緊張感のある空気だったのになぁ。そんなことを思いながら、どうしたものかと才人は思わず刀を下ろす。
「仕方ない。ここはそうだな、当事者に決めてもらおう」
は、と二人は素っ頓狂な声を上げる。当事者とは何のことだ、そんなことを思い才人を見たが、彼は視線を首のない少女の体に向けていた。
「キミの恋人の死体? ソレが一体」
地面が揺れた。猛烈な勢いで伸びた蔦が、あっという間に二人を檻のように包み込み閉じ込めてしまったのだ。争いを止めた二人は何だこれはと蔓を動かそうとするが、太く硬いそれはびくともしない。
ヴェルメーリヨが諦められるかとガンガンその檻を叩く中、春奈は才人の見ていた少女の死体に視線を動かす。死体だと思っていたその少女の下半身から、地面に根のような蔓のようなものが伸びていた。
「痛かった」
どこからか少女の声が聞こえる。その声にびくりと動きを止めたヴェルメーリヨは、ギギギと錆びた蝶番のような動きで転がっている生首を見た。口は動いていない、そこから声が出たのではない。
「すっごく、痛かった」
ミチミチと地面に倒れていた首のない少女の下半身が裂ける。昆虫と植物の混ざりあった怪物がその巨体を顕にし、ガバリと大口を開け牙がきらめいた。
「アヒャァァァァァ!」
「ベル、うるさいわよ」
「いや叫ぶに決まってるデショ! 同じじゃないジャン!」
「何の話か知らないけど、まあそうでしょうね」
ズリズリと蟲華の
「疑似餌の腕と首が取れちゃった。……あ、だんなさま、使う?」
「首と手を何に使えってんだよ!」
そうは言いつつ、ほんの少しだけ使用用途を想像した才人は顔を逸らした。そんなことより、と話題を変えるように閉じ込めた二人を指差し問い掛ける。どうする。そう言ってアトレシアの大口に視線を戻した。
「順当に考えれば、餌、かなぁ?」
「グッバイベル、貴女のことはなるべく忘れないわ」
「ハァ!? ここに捕まってるってことはソッチもデザートになる運命でしょうが! あとそこはしっかり覚えとけヨ!」
「いやよ、私はまだ死にたくないもの。……いや本当に、私は貴女に何もしてないわよ? だから食べるのは考え直して? ね?」
「コンチクショウメー!」
ドタバタと再度仲間割れを始めた春奈とヴェルメーリヨを見たアトレシアは、その大口で小さな溜息を吐くと、ゆっくりと才人に顔を向けた。
「……何か、もう、いいかな……」
怒る気失せちゃった。げんなりした口調でそう述べる彼女を見て、才人はあははと頬を掻き苦笑した。
「っ!?」
その瞬間、別の気配を感じ才人はすぐさま剣を構え直した。醜い争いを続けている二人ではなく、そこから離れた場所に視線を動かし、睨み付ける。
「……何をやっているお前ら」
剣士の出で立ちをした金髪の女性であった。ショートボブに切られたその髪は、単純に動くのに邪魔だからそうしたといったふうで。その切れ長の青い目が、呆れたように春奈とヴェルメーリヨを見詰めていた。
こいつが悪い、とお互いを指し示すのを見て溜息を吐いたその女性――アニエスは、才人達に向き直るとゆっくりと剣を抜いた。こんなのでも一応同僚なのでな。そんなことを言いつつ、ゆっくりと一歩足を踏み出す。
「解放してくれるのならばそれでよし。そうでないのならば」
「無理矢理、か」
アトレシアを庇うように才人も一歩踏み出す。向こうの攻撃に対処出来るように集中しているが、しかし即座に距離を詰められたことで思わず動きが止まってしまった。
「だんなさま!?」
才人の刀とアトレシアの鎌が繰り出された剣とぶつかり合う。ギリギリと音を立てていたそれは、彼女がバックステップで下がったことで終りを迎えた。
「もう一度だけ、聞こう。解放してくれるのならば、それでよし」
「……あんたが来なけりゃ、もうやる気なくして撤収するとこだったよ」
「そうか。それは済まなかった」
ならばこれでいいか、と彼女は剣をしまう。緊張を霧散させるように溜息を吐いた才人は、アトレシアにごめんと頭を下げた。謝ることは何もないよ、と蔓と鎌をブンブンさせたアトレシアは、そのまま二人を閉じ込めていた檻も解体した。
それを見ていたアニエスは怪訝な表情を浮かべて彼等を見る。まさか本当にやるとは、と思わず口に出た。
「非常に不本意ですが、我ら騎士団の団長はそこの馬鹿なので」
「まあ、染まっちゃった、かな」
「サイトさんがそうなのですから、私もそうするだけなのです」
『地下水』、エルザ、十号もそんな彼の行動を咎めることはない。それが当たり前だ、と言わんばかりの態度を取ったことで、アニエスもほんの少しだけ空気を緩めた。
「ん?」
さてでは帰るか、と二人と合流した彼女は、しかし自身の右腕を見て眉を顰める。それは本当かと呟き、向き直ると明らかに人ではない植物と昆虫の混ざりあったそれを見やる。
「成程確かに……。しかしまさか、お前以外にも取り憑いているのがいるとはな」
違うという反応を受けたらしいアニエスが目を細める。別に彼女にとってそんなことはどうでもいいのだ。自分のように寄生させて命を繋いでいようと、それそのものであったとしても。彼女に関わらないのだから、どうでもいいのだ。
しかし、それでも。
「一応、聞いておこうか。お前達は何者だ?」
「フォンティーヌ自由騎士団、俗称『
サイトのその言葉に、アニエスの眉がピクリと動く。『北花壇騎士団』に加入してから身に付けた知識にあったそれは、中々面白いとガリアの王が評価している連中の名前だ。事実、ヴェルメーリヨはマジカヨとげんなりした顔を浮かべているし、春奈も彼女ほどではないが面倒そうな顔をしている。
これから色々と大変だな。そんな己の内の言葉にうるさいと返しつつ、こちらも名乗りが必要かと問い掛けた。
「まあ、本名は名乗れないがな。『
「さっきも言ったような気もするケド、『
「……『
出来ればもう顔を合わせたくはないな。そう締めると、三人はそのままこの場を離れていってしまった。撤収した、ということは。つまりは、ここの主人は殺されたということに他ならない。迎撃が成功した、ということはないだろう。才人達がここまで苦戦したのだ、他の衛兵であのアニエスを止められるとは思えない。
ふう、と才人は地面に座り込んだ。正直あのまま戦っていたら勝てなかったであろう、と彼は判断したのだ。万全ならばその限りではないが、現状では間違いなく倒された。
「あー……エレオノールさんになんて報告しよう……」
依頼は失敗である。結局護衛の仕事は全く果たすことが出来なかった。ここ以外の被害がどうなっているかは定かではないが、無事ではかろう。
す、とそんな才人の隣に『地下水』が立つ。まったく、と呆れたように溜息を吐いた彼女は、腕組みをしたたまその人差し指だけを彼に向けた。
「別に、そのまま言えばいいでしょう」
「つってもなぁ……」
「彼女が言っていたではないですか。依頼内容は、何より無事に帰ってくること、と」
う、と才人の言葉が止まる。アトレシアの疑似餌部分が破損したが、それ以外は概ね無事と言っていいだろう。彼女自体も、あの口ぶりでは修復はそう難しくなさそうだ。
そんな状況を確認し、ああもう、と才人は頭を掻いた。別段向こうは慰めようとしていたわけではないだろう。普段通りの会話で、普段通りに思ったことを述べただけだ。
それでもまあ、迷いがなくなったのだ。才人にとって、それは丁度欲しかった言葉だったのは間違いない。
「さんきゅ、『地下水』」
「ええ、どういたしまして」
ふふ、と『地下水』は柔らかい笑みを浮かべた。それがほんのちょっとだけ可愛く見えたが、才人は決して認めない。
依頼失敗した辺りでとりあえずここまで