その1
「隊長!」
そう言ってこちらに駆け寄ってくる若い騎士見習いに、ワルドは一瞬げんなりした顔を浮かべた。それでも頭を掻きながら表情を元に戻し、一体どうしたと騎士に問い掛ける。
「はい! 隊長にご指南頂きたいと思い」
「……私は今から書類を片付けなければいけないのでな。悪いが――」
「では! 自分も僅かばかりの助力をさせて頂きたく!」
ずずい、と騎士はワルドに述べる。顔を逸らし、ああもうやってらんね、と言う表情になったワルドは、コホンと咳払いするとその必要はないと告げようとした。
「隊長のためならば、どれほどの量であろうと突き進む覚悟です!」
「……そうか。では、少し手伝ってもらおうか」
言えなかった。物凄くキラキラした目でこちらを見つめる若い騎士にそんなことを言えるはずもなかった。はい、とズビシィと音でもせんばかりの敬礼をした騎士を伴い、ワルドはグリフォン隊の執務室へと歩いていく。道中、他の隊員から生暖かい視線を向けられたので、後でまとめてしばいてやると彼は心に誓った。
どうしてこうなった、とワルドは考える。考える、が、そんなことをせずとも答えは一瞬で出るし、元凶が何かも分かっている。
仮面を付けた何者かが高笑いを上げている姿が頭に浮かび、姫じゃなければぶん殴っているのにと拳を握った。
執務室の扉を開け、机の上の書類を眺める。確かにこれは一人では面倒な量ではある。が、果たして新人の見習い騎士に任せてもいい仕事なのかと言われれば当然不安が残るわけで。
「あまり重要でない案件を担当してもらうか」
「はいっ! 全力で務めさせていただきます!」
はぁ、と溜息を吐きながらワルドは重要案件ではないものをより分け渡していく。それらを一枚一枚真剣に見ながら、騎士はミスのないようにこなしていった。それを横目で見ていたワルドは、思いがけない活躍に思わず口角を上げる。意外とやれるものだな、と呟くと、騎士は顔を輝かせながら彼を見た。
「ありがとうございます! 隊長のそのお言葉が、何よりの報酬であります!」
「お、おう……」
ほんのちょっとした軽口程度でここまで喜ばれると正直めんどい。そんなことを思ったが、流石に口に出すことはしない。勿論顔にも出さない。何だかんだ言っても、こうして部下が慕ってくれているのは彼にとっても不快ではないのだ。
ただ、不満があるとすれば。
「隊長!」
物凄くグイグイ来ることだ。
「助けてくれ」
「……何を言っているの?」
アカデミーの研究室。そこでげんなりした表情で机に突っ伏すグリフォン隊隊長が一人。色々限界を迎えていそうなその姿を見た部屋の主であるエレオノールは、とりあえず紅茶を出しながら彼の話を聞いてみた。
が、彼女はそれを聞いても別段打開策は何も出なかった。というより、別に問題ないだろうと結論付けたのだ。
「聞いている分には、後見ている分にはそうかもしれん。だがな、四六時中べったりで常に尊敬の眼差しを向けてくるんだぞ? 気の休まる暇がないんだ」
「魔法衛士隊の誇るグリフォン隊のトップが何を言ってるのよ。それくらい当たり前じゃ」
「休みが無い。本気でだ」
は、とエレオノールが怪訝な表情を浮かべた。どういう意味だと尋ねると、突っ伏したままのワルドは言葉通りだと溜息と共に吐き出した。
「勤務以外でも何かにつけてこっちに来るんだ。鍛錬の相手とか、騎獣や魔法の知識を聞いてきたり、後は執務や書類仕事もだな」
「熱心ね。次の隊長候補にいいじゃない」
「俺だってたまには休みたいんだ……。姫殿下の無茶振りと、通常の仕事と、あいつの面倒。疲れるんだ……」
はぁ、と溜息を再度零す。完全に動かなくなっているワルドを見て、エレオノールはやれやれと肩を竦めた。だったらいっそこういう姿を見せたらどうなの、と彼の額を軽く小突きながら述べた。
「馬鹿言え。俺なんかに憧れている貴重な騎士だ。幻滅させてしまうのは」
「真面目ねぇ、あなた」
そういう性分だ、とぼやいたワルドは、少しだけ声のトーンを落とした。それに、と心なしか更にげんなりした口調で言葉を続けた。
「それを見せたら、今度は私生活にまで突っ込んできかねん」
隊長のフォローは任せてください。ズビシィと敬礼をしながら部屋に乗り込んでくる騎士の姿を思い浮かべ、勘弁してくれと顔を顰めた。
そんなワルドを見てしょうがないな、とエレオノールは息を吐く。とはいっても、こちらはアカデミー、向こうは魔法衛士隊。出来ることは限られてくる。精々こうして彼の逃げ場になってやることくらいだろうか。
りん、と鈴が鳴った。来客を知らせるその音を聞き、エレオノールは研究室の入り口へと向かう。何の用件かしら、と扉越しに尋ねると、こちらにワルド隊長がいらっしゃるとお聞きしたのでという声が聞こえた。
その声にワルドはびくりと反応し、そしてエレオノールはその声質を聞き目を細める。
「いたらどうだというの? 確か彼は今休暇中でしょう?」
「あ、はい、申し訳ございません。ですが、先程火急の書類が一枚届いたので、取り急ぎ確認だけでもと思い、つい」
ふむ、とエレオノールは考える。先程までの話を聞く限り、それが本当にそこまで火急かどうかは定かではない。が、完全なる嘘というわけでもあるまい。とりあえず確認程度ならいいだろうかと視線でワルドに尋ねると、仕方ないと姿勢を正し雰囲気を整えている彼の姿が目に入った。
やれやれ、と肩を竦めたエレオノールは、分かったわと扉を開ける。
「ありがとうございます。大変失礼致しましたミス・ヴァリエール!」
「……」
「……あ、あの。わたしに何か?」
「いいえ。まずは仕事を済ませなさい」
「はい!」
そう言って騎士はワルドに駆け寄ると、これですと封筒から書類を取り出し彼に手渡した。それを読み、ああそういうことかと溜息を吐いたワルドは、書類を返すと騎士に向かって指示を出す。
「私の方は了承した。後は副隊長の判断で進めても構わない。そう伝えておいてくれ」
「はい! 了解しました!」
ズビシィ、と音でも出ているような敬礼をした騎士は、そのままエレオノールにも礼をし部屋を出ていく。パタン、とドアが閉まったのを見て再度力を抜いたワルドは、そのままの状態で彼女を見た。
「……ど、どうした?」
「ねえ、ジャン」
一歩踏み出す。その動きにビクリと震えたワルドは、今のやり取りに一体何があったのかと思考を巡らせた。先程述べた通りのことが起きただけで、正直彼女がこの状態になる理由が分からない。
「わたし、そう、わたしが失念していたの」
「な、何をだ?」
「あの見習い騎士なのだけど」
「あ、ああ……『彼女』が、どうかしたか?」
はぁ、と盛大に溜息を吐いた。この野郎、と一瞬思い、しかしまあ本気で悩んでいるのだから保留だと飲み込んだ。
「女の子だとは、聞いてなかったわ」
「……あ、ああ。そうか……言ってなかったか」
疲れたようにそうとだけ述べたワルドを見て、エレオノールは呆れたように溜息を吐いた。本気で余裕がなくなるまで誰にも頼らないなんて、と息を吐いた。
「あなたって、本当に馬鹿ね」
「……お前だけだ、俺をそう評価するのは」
「心外です」
アンリエッタは真っ向から否定した。今回の事態に自分は関わっていない、と言い切った。エレオノールはそんな彼女を真っ直ぐに見詰める。目を逸らさず、真っ直ぐに見つめ返すのを見た彼女は、申し訳ありませんと頭を下げた。
「そこまでされるとわたくしも恐縮してしまうので、顔を上げてください」
「いえ、主君を疑うというのは恥ずべき行為ですから」
「……ここではアンリエッタでもアンゼリカでもない、ただのアンでいたい。わたくしはそう思っているのです。ですから、いつも通りに」
そこまで言われて態度を変えないわけにはいかない。分かりましたと息を吐いたエレオノールは、今度は軽い調子で謝罪をした。それでいいのです、と満足そうにその謝罪を受け取ったアンリエッタは、それで、と話を元に戻す。
「ワルド子爵を慕う女騎士、ですか」
そんな面白い案件があれば知らないはずがないのだが、とアンリエッタは首を傾げた。情報が入ってこなかったのは、何者かがその辺りを統制していたのかもしれない。ついでにそこまで考えた。
「ただ単に姫さまの仕業だって皆思ってたせいで報告しなかったんじゃ」
「当の本人であるジャンもそう言ってましたからね」
「……心外です」
確かにそういう部分はあるかもしれないが。そう続けつつ、ぶすう、と頬を膨らませてアンリエッタは紅茶を呑む。そんな彼女をあははと見ていたルイズは、でもそうなると、と視線を巡らせた。
「一体誰がこんなことを?」
「……わたくしが知らない、そしてわたくしに情報が届いていない。そうなれば犯人は自ずと絞られます」
カリン曰くあの方は二十代から姿が変わってない、と称されるその人物。正直自身の母親も三人生んでるくせに三十代前半くらいにしか見えないのだからとエレオノールが若干思考を脱線させつつ、とりあえず思い付いたその人物の名前を三人揃って口にした。
アンリエッタの母親にして、トリステインの王宮を伏魔殿にしている主因。夫を偲ぶというのが本当なのか嘘なのか誰も分かっていない太后。
『魔女』の一番弟子、マリアンヌ。
「……そうなると、その件の女騎士も何かあるのかしら」
「わたしもほんの少し会話しただけだから何とも言えないけれど」
ルイズの呟きに、エレオノールは記憶をたぐる。濃いブラウンの髪は長く、騎士というよりはどこぞの令嬢のように整えられていた。背はあまり高くなく、ワルドと並ぶと小動物のようなイメージすら抱いてしまうほどで。目はパチリとしており、真っ直ぐな性格を表すかのようであった。少々童顔だが、その辺りの貴族の令嬢よりも頭一つ抜けているだろう。
そして何より。
「……」
「どうしたんですか姉さま、自分の胸なんか見て」
「多分その女騎士の胸が大きかったのでは?」
「女の価値はそこにはないの!」
尚、ハルケギニアで貧乳の需要は少ない。貧乳だけに。
ともかく、とエレオノールは自身の見た彼女の印象を述べつつ、悪巧みの片棒を担ぐような人物には見えなかったと語った。アンリエッタもルイズも、そんなエレオノールの言葉に異議を唱えることはない。彼女がそう判断したのならば、余程のことがない限り間違いはないだろう。
「ということは」
「ただ単に、母さまが面白がっているだけ……だと、いいのだけれど」
ううむとアンリエッタは首を捻る。確かに面白い。もし自分が同じ立場ならば間違いなくやる、そう確信を持って言える。ルイズも傍から見ている分には面白そうだな、と思わないでもなかったのでその辺りは否定しない。
だが、しかし。相手は自身の母親にして外道姫と呼ばれるアンリエッタの上をいく外道太后マリアンヌである。これだけで終わるとは思えない。
「いや、そう考えさせることが目的……?」
「そこまで来るとなんでもありになっちゃいますよ姫さま」
そうだけど、とアンリエッタは唇を尖らせる。どちらにせよ、ここで悩んでいても事態は進まない。そんなことを思いつつ、彼女はすらりと席を立った。
行動するのならば、どこからだ。選択肢を作りつつ、アンリエッタはルイズを見た。学院の授業は大丈夫か、と彼女に尋ねた。
「え? まあ、こないだのアルビオンは王宮でとりなしてくれたので今のところ問題ないですけど」
「それはよかった。エレオノールさん、許可を頂いても?」
「……まあ、わたしから頼んだことですから」
そう言って苦笑したエレオノールは、視線をアンリエッタからルイズに向けた。何か怒られるのだろうか、と体を固くしたルイズの頭を、彼女は優しく撫でる。
「悪いわね、変なこと頼んじゃって」
「え、あ、姉さま」
「頼んだわよ、ルイズ」
「は、はい!」
何か色々な意味が込められていませんかね、とアンリエッタは思ったが、そこを指摘するほど彼女は無粋ではなかった。
「あら、もう来たのね」
「やはり最初からそのつもりでしたか」
クスクスと笑うマリアンヌを見て、アンリエッタは歯噛みする。このクソババアはいつか絶対泣かせてやる。そう心で誓いつつ、では用件も分かっているのですねと彼女は問う。
「ええ勿論。……実は、アンリエッタをアルビオンに向かわせようと思っていたの」
「またですか」
「おかしなことを言うのね。貴女はここ数年、アルビオンに行ってなどいないでしょう?」
ふふ、とマリアンヌは笑う。その笑みがどうしようもなく黒いものに思えたルイズは、そっと彼女から目を逸らした。流石に本人ほどではないが、十分この人もアレに片足突っ込んでる。そんなことをついでに思った。
「――ええ、そうでした。
「先程も言ったでしょう? アンリエッタを、アルビオンに向かわせようと思っていたの」
ちらりとアンリエッタはルイズを見る。その視線の意味を理解した彼女は、しかしどないせいっちゅーねんという顔で見詰め返した。今の話を聞く限り、『暴風雨』はお呼びではないのだ。
「アンリエッタ。そのための護衛ですけれど、こちらはグリフォン隊から選出しようと思っているの」
知ってた。両方同時に内心頷きつつ、マリアンヌの言葉を聞き少人数で行動することを確認する。現状アンリエッタとグリフォン隊から二名、後は身の回りの世話をする従者。
姫の移動にしては少な過ぎる、とルイズは思う。わざわざアンリエッタとして行動させるというのに、それではまるで意味がない。
そんな彼女の不安を知っていたかのように、マリアンヌは大丈夫ですよと微笑んだ。
「お忍びの行動、ということになっています。行き先はアルビオンですもの、この間のわたくしと同じく、といったところね」
だから、とマリアンヌは笑みを崩さない。自分と同じ、という部分をやけに強調しながら、アンリエッタを見て、ルイズを見た。
「アンリエッタ、貴女も自分の護衛を用意してらっしゃい」
「……はい。そうさせてもらいます」
クスリ、とアンリエッタは笑った。ええ、とマリアンヌは笑みを湛えた。
そして、とりあえず自前の護衛として確実に編成されるであろう自分のこの先を考え、ルイズはこっそりと溜息を吐いた。ついでに、これから巻き込まれるであろう幼馴染に祈りを捧げた。
「へっくしょん!」
「くしゅん!」
同時刻、トリステイン魔法学院。フリルのついた改造制服を着た男子生徒と、縦ロールの女生徒が同時にくしゃみをしていたとかいなかったとか。
「風邪?」
「いや、なんというか……悪寒?」
「そうね、何か良くないことに巻き込まれるような」
「心配」
無表情のまま雰囲気だけしゅん、とした可憐な少女の頭を、男子生徒は大丈夫だと優しく撫でた。どうせ多分あの二人絡みだから、と諦めたように呟いた。隣の女生徒もうんうんと頷き、少女の頭を同じように軽く撫でた。
「さて、じゃあ準備をしますか」
「そうね」
「了承」
大分慣れきっているな、とここにマチルダがいればツッコミの一つでも入れたのだろうが、生憎彼女はもう既に学院にいない。
何かワルドがモテるとかやっていいのか? と若干思う。