ヴァリエール公爵領に到着したフランは、そこでこほんと咳払いをすると帽子を脱ぎバレッタを外した。それでいいのか、というマリーゴールドの顔を見なかったことにしながら、彼女はルイズとして改めてビダーシャルに挨拶を述べる。
勿論それを聞いたビダーシャルは溜息を吐いた。まあつまり『暴風雨』とはそういう集まりなのだと理解した。この国は大概おかしい。そう結論付けた。
「……呆れているところ申し訳ないのですが」
ん、と彼はルイズを見る。その顔はもうやってらんねぇという表情で、つまり彼女をもってしてもこれからが更に問題なのだということが見て取れる。
「公爵の屋敷に件の人物――シャジャル様とティファニアは向かっているはずですので、まずはそちらに向かうことになります」
「そうか。面倒をかける」
「いやまあそれはいいんですけど」
はぁ、と溜息を吐いた。まだもう少し時間的余裕はあるだろうと当たりをつけ、彼女は改めて言葉を紡ぐ。
「これからフォンテーヌ自由騎士団に合流するわけです、が」
「ああ」
「……取り乱さないよう、お願いします」
それだけ言うとルイズは会話を終了し馬に飛び乗った。言われた方は言われた方で言葉の意味を理解出来ない。何がどうなるとこれからやってくる連中を見て取り乱すのか。そんなことを考え、そして改めて『暴風雨』を見た。
ああつまりこういうのが追加で増えるのか。そう納得したビダーシャルは、今更だと小さく息を吐く。王女と公爵の娘が変装し荒事を行い、しかも自分に勝るとも劣らない実力の持ち主。これ以上蛮人の国で驚くことなどないだろう。そう彼は苦笑した。
そのまま馬車は進む。とりあえず合流場所とされている宿場に向かう。
ここですね、というルイズの言葉に馬車は止まり、一行はそれぞれ馬から降りた。もう来ててもおかしくないのだが、と辺りを見渡すルイズの視界に、この二年で見慣れた黒髪の少年が映る。
「あ、サイト」
「おう、お久しぶり妹様」
「やめろっつてんでしょ。もう」
頬を膨らませながらそんな文句を言ったルイズは、それで他の皆はと彼に尋ねた。向こうで待ってるぜ、という彼の言葉を聞いた彼女は、そういうわけですと振り返る。アンゼリカもマリーゴールドも、ラウルも当然カレンデュラも。それに別段何も言うことはなく、そのまま才人の先導に従い歩みを進める。ビダーシャルも勿論不満を述べず、歩き出した。
宿と酒場を兼業しているそこの扉を開けると、机でのんびりとしている四人の少女が目に入った。来ましたか、という灰髪の少女の言葉に、おうよと才人は言葉を返す。
「まあ、自分で言ったからにはキチンとやってもらわないと困りますし」
「いくらなんでも迎えくらい出来るっつの」
そうして軽口を叩きあった二人は、じゃあ改めてと立ち上がった残り三人と共にルイズ一行の前に立つ。ここできちんと挨拶をせねばならない相手は一人のみ。残りは顔見知りだ、言ってしまえば適当でも構わない。
「はじめま――」
「お初にお目にかかります。私達はヴァリエール公爵が次女カトレア様に仕えるフォンティーヌ自由騎士団、通称『
「おい『地下水』、俺のセリフ取んなよ」
「お前では挨拶ついでに何か碌でもないことを言いそうだったので」
「こんな場面で言うわけねぇだろ」
どうだか、と鼻で笑った『地下水』は、では残りの面々の紹介もせねばなりませんねと視線を動かす。尚も文句を言おうとしていた才人も、まあ確かにそれはそうだなと息を吐いた。
「あ、はい。じゃあわたしは」
「待て」
エルザが名乗ろうとしていたのをビダーシャルが手で止める。その前に、まず一つ尋ねたいことがある、と眼の前の五人を、正確には才人を除いた四人の少女を見た。
「お前達は、蛮人……か?」
「俺は一応そうかな?」
「ナイフです」
「吸血鬼ですよ」
「お、
「
視線をルイズに向けた。そういうことです、と何かを諦めたように頷いていたので、そのまま彼女からアンゼリカに目を向けた。
物凄くいい笑顔であった。ああこれが見たかった、と言わんばかりであった。
ビダーシャルは目を閉じる。先程ルイズに言われていたことを守らんと息を吸い、吐いた。
「すまなかった。改めて、名を教えてくれ」
「はい。エルザといいます」
「十号なのです」
「アトレシアだよ。よろしくエルフのおじさん」
おじさん、という一言に一瞬だけ顔を強張らせ、しかしこれまでのインパクトと比べれば何てことないと思い直し。
ああそういえば、と。さっきまで道中を共にした一人が既にゴーレムだったということに気付いた。
「やっほーカレン、元気してた?」
「ん」
べしべし、とアトレシアがカレンデュラの肩を叩く。それをされるがままになっていたカレンデュラであるが、しかし避ける素振りを見せないところから本人としても嫌ではないのだろう。
そんな彼女を見て、ラウルはうんうんと口角を上げる。
「何か嬉しいことでもあったのですか?」
「ん? ああ、そうだね。なんというか……娘の成長を喜ぶ親の気持ち、というか」
「この間ご主人様も似たようなことを言っていました。何でもわたしに友人が出来たのが喜ばしい、とか」
そんなものでしょうか、という十号に、そんなものだよ、とラウルは返す。ここ最近はずっとワルキューレを顕現しっぱなしであったが、自分にとっては色々と成長するきっかけになっていたらしい。そんなこともついでに思った。
「ラウルさんが父親なら、マリーさんは母親?」
「何よ唐突に……。まだあいつとはそういう関係じゃないの」
「まだ?」
「……まだ」
ふうん、というエルザの呟きに、マリーゴールドはそっぽを向く。クスクスと笑う彼女を見て、マリーゴールドは何よもうと唇を尖らせた。
そんな面々を見ていたビダーシャルは溜息を吐く。異形と異形が、あるいは人とそうでないものが。仲良く会話し、笑い合っている。自分の思っていたものの斜め上を遥かに超えるその光景に、彼はただただ溜息を零すしかない。
「どうされました? ミスタ・ビダーシャル」
「分かっているだろうに。……ここは、魔境か?」
彼のその問いに、アンゼリカは楽しそうに笑う。エルフの実力者にまでそう呼称されるとは、いよいよもってここも極まってきたなと一人呟く。
「ぱっと見そう思うかもしれないけれど、ここはいい場所だぜ、ビダーシャルさん」
そんなアンゼリカに代わって答えたのは才人。きちんと皆を受け入れてくれる場所だから、とどこか誇らしげに彼は続けた。
その一言を聞き、ビダーシャルは表情を変える。皆を受け入れてくれる場所、ただ言葉にされるだけでは信じられなかったそれが、今この姿を見せられてしまえば一気に真実味を帯びてくる。エルフとマギ族が共に暮す、というこちらにとっての難題ですら、ほんの入口に思えてきてしまう。
「……まあ、魔境というのも間違ってはいないけど」
ハァ、とルイズが溜息を吐く。現在向かっている場所、才人達が用意していた竜籠で一気に飛んでいるその先は。ついこの間まで住んでいた彼女ですら否定の出来ない、紛れもない魔境だ。種族のバリエーションはフォンティーヌ領の方が多いが、ヴァリエールの屋敷はそれを補って余りある化け物がいる。
「どうしました妹様、顔色が優れませんが」
「……ねえ『地下水』。ちいねえさまは屋敷にいるの?」
「それは勿論。そもそも、カトレア様がいない状態でこの面子を集めたら間違いなく」
間違いなくどうなるかは言わなかった。ルイズも分かっているので促さなかった。二人の会話が聞こえていたビダーシャルは気にはなったが、聞くと取り返しのつかないことになりそうであったので自重した。
そんな一部にとっては気が重い談笑をしている間に、竜籠はヴァリエールの屋敷に到着する。屋敷というより城であるそれは、ルイズにとっては見慣れた、それでいて今この瞬間はあまり見たくなった場所である。出来ればもう少しどうでもいい理由で帰ってきたかった、そんなことをついでに思った。
広場に着地した竜籠から降りた一行は、何はともあれ挨拶をしなければと歩みを進める。今この状況で何用だと問い掛ける者もおらず、計十一名は屋敷の主人が待っているであろう場所へと足を踏みいれた。
「おかえりなさいルイズ。そして、ようこそエルフのお客人」
「……あれ?」
そこに待っていたのは少し白くなった金髪で髭を生やした男性、ではなく、ルイズによく似たピンクブロンドをギブソンタックにした女性が一人。年の頃は三十前半であろうか、何も知らない人が見ればそんなことを思わせるその女性の鋭い目がルイズ見て、そしてビダーシャルを見た。
「あ、あの……母さま」
「どうしましたルイズ。客人の前です、もう少し落ち着いては」
「いやいやいや! だって父さま! 父さまいないじゃないですか!?」
ぶんぶんと手を振りながら母親に詰め寄ったルイズは、呆れたような溜息と共にチョップを脳天に食らい撃沈した。相も変わらず貴族らしさが足りませんね、そんなことを告げられ、だってと涙目で母親を見る。
「父さまいなかったら……誰が収拾つけるんですか?」
「何を言っているのか分かりませんが、ルイズ、母を馬鹿にするとはいい度胸です」
「分かってるじゃないですかぁ!?」
ルイズが飛んだ。一瞬彼女の母親の右腕がぶれ、そして次の瞬間に握られていた杖から生み出された風で、ルイズは紙吹雪のように宙を舞った。尚、この場にいた誰一人として、彼女が杖を抜く瞬間から呪文を唱えた後までの動きが見えなかった。勿論ビダーシャルもである。
ふぎゃ、と床に落ちたルイズは、そのまま引き潰れたカエルのような体勢でプルプルと震えていた。理不尽、と小さく呟いているところをみると、今の言動について反省することはないらしい。
「……いくらなんでも客人の前で堂々と母親を馬鹿にしては駄目よ、ルイズ」
「どの口が……っ」
あらあら、と微笑みながらそう述べたアンゼリカを睨みながら立ち上がったルイズは、服を手でパンパンと払う仕草を取ると再度自身の母親を見た。それを一瞥したルイズの母親は、まずその前に、と視線をビダーシャルに移す。思わず身構えた彼を見て苦笑した彼女は、貴族の礼を取りながらヴァリエール公爵の妻カリーヌだと名を名乗った。
「今所用で夫が、公爵が不在ですので、わたしが代理としてここの主としての対応をさせていただきます」
「あ、ああ……。すまない、迷惑をかける」
会話をする限り、話の分からない相手ではない。それは彼もよく分かった。ならば取るべき行動は一つである。
やはり敵対はするべきではない。ビダーシャルは改めて確信した。というか何だこいつ、鉄血団結党辺りは片手間に倒せるんじゃないか。そんな余計なことを考え、どうにかして強硬派を抑え込む、ないしは切り捨てる算段を立てんと思考を巡らせる。
「それで、今回の目的ですが」
カリーヌの言葉に我に返る。何はともあれ、今回はこちら側の国に溶け込んでいるというエルフの母娘を見に来たのだ。マギ族とエルフが打算なく共に手を取り合えることを確認しに来たのだ。
「シャジャルとティファニア、両名は今別室にいます。こちらに呼んでも?」
「いや、それには及ばない。出来ることならば、こちらから会いに行きたいと思っている」
成程、とカリーヌは頷き、では案内させましょうと視線を動かす。視線を向けられたルイズは思わず後ずさり、追撃が飛んでこないことを確認して安堵の溜息を零す。
「ルイズ」
「は、はい!?」
「……貴女はそこまでわたしに吹き飛ばされる覚えがあるの?」
「え? いや……どっちかというと、姫さまとか太后の方が、母さまにぶん殴られるようなことをしているような」
「でしょうね。今ピエールは確認作業中です」
ビクリとアンゼリカの肩が震える。仮面の裏で視線を動かしながら、最近何やったっけかと記憶を掘り起こしていた。そして自身の母親が全部悪いと結論付けた。似た者同士である。
「まあそれはそれとして。客人の案内を頼むわ」
「あ、はい。テファ達はいつもの場所ですか?」
「ええ。カトレアもいるはずだから、安心して行きなさい」
「はい!」
カトレアがいる、というその言葉を聞いたルイズは目に見えて元気になった。それでは行きましょう、と踵を返しビダーシャルを伴って部屋を出る。残りの面々はそんな彼女を追いかけるように、それでは失礼しますとカリーヌに一礼をした後続いた。
パタンと扉が閉まる。と、同時、ふひぃ、と誰かが息を吐いた。
「だんなさまぁ」
「ん?」
「やっぱあの人絶対人間じゃないって」
「それは思ってても口に出してはいけないやつだ」
ヴァリエール公爵領の最強の一角にして絶対恐怖の象徴でもあるカリーヌ――『烈風』カリンは彼がこの世界に来てからの師匠の一人でもある。だから当然アトレシアの言っている意味もよく分かる。とはいえ、勿論それだけではないということも知っているわけで。
まああれでも意外とお茶目なところあるし。そう言ってアトレシアの頭を撫でた才人は、じゃあ行きますかと足を踏み出した。既にビダーシャルを連れたルイズとアンゼリカは先行している。マリーゴールドは挨拶も終わったからこちらの用事を済ませるとこの場から去っていった。残る五人は、才人に続くように歩みを進める。
「……気のせいだろうか」
「どうしました?」
「いや、何というか……」
自分でも何言っているか分からないのだけれど。そう言ってラウルは頬を掻いた。そうしながら、どこか遠い目をする。
「これから何かありそうな気がする」
「予言?」
「そんな大層なものではないよ」
「……でも、そうだね。確かに何かありそうな」
精霊がざわついている感じがする、とエルザは眉を顰める。ビダーシャルがいるからだ、と言ってしまえばそれだけかもしれないが、しかし。
どうにも胸騒ぎがするのだ。
「えっと、その場合、どうすれば……?」
十号の言葉に、ラウルもエルザもさっと視線を逸した。つまりはそういうことなのだ、と態度で示した。
「とりあえずサイトを生贄にして逃げましょう」
よし、と名案だと言わんばかりに拳を握りしめた『地下水』を見て、ああこれは絶対マズいやつだと十号は大きく溜息を吐いた。
シャジャルとティファニア、そしてカトレアがいるという部屋まで、後少し。
あかんビダーシャルが死ぬぅ(比喩表現)