これは厄介だ、と怯えている部下達を眺めながらその女メイジは呟いた。どうやらマチルダの言っていた件の土メイジがようやくお出ましのようだ。そのことを確認した二人は、しかしその姿を見ると少し顎に手を当て考え込む仕草を取った後肩を竦めた。
まあこんなもんか。声には出さないが大体そんな感想を抱いたようである。
「それで、あなたがこいつらの頭目かしら?」
フランの言葉に、女メイジはああそうさと頷く。だったらどうした、とついでに続けた。
ぶっちゃけ面倒なので大人しく捕まってくれないかな。そんな言葉が頭を過り、しかしまあ無理だろうなと肩を落とす。そんな交渉に素直に応じるような人物ならそもそも人攫いなどやってない。
「わたくし達の二つ名を聞いて部下の方々は戦意喪失してしまったようですので。ここは一つ、貴女も大人しく捕まってみては?」
言うのかよ、とフランは思わずアンを見る。仮面の下がどうなっているかは分からず、変わらぬ笑みを浮かべているようにしか見えない。基本それなので特に何も思うことはないのだろう。そう判断したフランは、女メイジの返答を待った。
ふざけているのか、と女メイジはアンに返す。そりゃそうだ、と頷いていたフランは、己の『杖』であるデルフリンガーを構え直しながら改めて彼女を見た。となるとやはり無理矢理お縄についてもらうしかないな。思っていたことを口に出しながら、彼女は一歩前へと。
「フラン」
「はい?」
「駄目ですよ。彼女はわたくしが倒すのですから」
「……ちょっと何言っているか分からないのですけど」
「あらフラン、脳味噌が死滅したのかしら?」
「何で! そういう結論を出したのか! 意図が分からないんですけど!」
「貴女が倒してしまったらわたくしが暇でしょう?」
「ちょっと何言ってるか分かんないんですけどぉ!」
全力ツッコミ。そこは分かりましょうよ、と呆れたように頭を振るアンを見て、フランは怒りのボルテージを更に上げた。とりあえず先にこいつぶん殴っとこうかな、などと考える始末である。
対する頭目、当然のごとく馬鹿にされたのだと判断した。正解である。偽物風情が調子に乗るな、などと言いながら周囲の木々よりも巨大なゴーレムを多数生み出していく。
そんなゴーレムには目もくれず、フランは頭目の言っていた偽物という単語に反応し首を傾げた。あれ、ひょっとして信用されてない? と。
「ふむ……どうやら国外の、それも大分離れた場所から遠征してきた方のようですね」
ガリア辺りかしら、とアンは呑気にのたまう。フランもフランで、ふーんと軽い返事をした。
下っ端は騙されたようだが、そうはいかない。勝ち誇った笑みを浮かべた頭目は、そのまま複数のゴーレムを二人にけしかけた。所詮悪名高いメイジの二つ名と特徴を真似ただけの小娘、この大きさのゴーレムには為す術もない。そんなことを思いつつ、戦意を喪失していた部下達に檄を飛ばす。彼女の言葉に我に返った男達は、不安を払拭する目の前の光景を見て歓声を。
「……わたしはアンと違って、こういう時にわざとやられて煽るような趣味はしてないの」
ゴーレムの土手っ腹に風穴が空いていた。真っ直ぐに剣先を突き付けているフラン、彼女のその『杖』の先から放たれた風の塊が、あっさりと土の体を抉ったのだ。ボロボロと崩れていくゴーレムの一体には目もくれず、フランは残りのゴーレムを指折り数える。残りは四体、ギーシュよりしゃっぱいな。そんな感想を抱きながら、彼女は『杖』を頭上に掲げた。
「面倒だから一気に行くわよ――ユビキタス・デル・ウィンデ」
瞬間、フランが増えた。全く同じ姿の少女が横一列に四人並んでいる。それぞれ顔を見合わせ頷くと、手にしていた杖を軽く振り、その切っ先をゴーレムへと向けた。一人だけ大剣、残りは剣杖。そんな四人のフランが放った呪文はやはり風。竜巻がゴーレムの巨体を舞い上げ、そして空中ですり潰し粉々に変えた。
パラパラと砂の粒になったゴーレムが頭上から舞い散る。あまりにもあっさりと倒されたからなのか、沸いていた部下達も、勝ち誇っていた頭目も、何が起きたのか理解出来ずに動きが止まっていた。
ぐるり、と頭目の口に水の鞭が巻き付く。呼吸を塞がれた頭目はパニックになりながらもがき、杖を振ってどうにかして引き剥がそうとするが、しかし。水の鞭はびくともせず、彼女の腕にも巻き付き杖を粉砕、足を拘束してそのまま地面に転がしてしまった。
ジタバタと動かない四肢をどうにかせんともがく彼女の頭上に影が差す。先程ふざけたことを言っていた仮面の少女が、二本の剣杖を携えて立っていた。左手の杖からは自身を拘束している水の鞭が、そしてもう片方は『ブレイド』の呪文で鋭く獲物を切り裂けるようになった切っ先が。
「駄目ではないですか。相手は二人いるというのに、あちらにばかり集中しては」
にこやかに、鈴を転がすような声で。アンはゆっくりと切っ先を頭目に向ける。おかげでこんなに隙だらけ、おかげでこんなにつまらない。そんなことを言いながら彼女はその切っ先を頭目の喉へと近付けていく。
そこで頭目はようやく理解した。どうやら間違っていたのは下っ端ではなく、自分であったということに。こんな小娘共があの『暴風雨』のはずがないと、そう高を括っていたことが間違いだったということに。
そんな目を見たアンは笑う。ええその通り、と笑みを浮かべる。
「時には素直に人を信じることも、必要ですわ」
そう言いながら、彼女はひゅんと軽く杖を振るった。
「……倒された」
フラン達から離れた上空にて、風の魔法で視力を強化していた少女はそう呟いた。それに対し、傍らに置いてある人形から、そうかいと簡素な返事が飛ぶ。頭目は仮面のメイジに恐らくトラウマを植え付けられ、二度と悪さは出来ないであろう。それを見ていた下っ端も同じく、である。
「色々足りない連中だったから、妥当なところだと思う」
『……そうね。まあいいわ。どうせ父上のお遊びよ』
はぁ、と人形から溜息が聞こえる。それを聞いた少女も同じように溜息を吐いた。それで、どうするの。そう人形に、正確にはそこから放たれている声の主に尋ねると、暫しの沈黙が返ってきた。どうやら少し考える状況らしい。やがて、まあいいか、という投げやりな言葉が呟かれた。
『エレーヌ』
「今のわたしはタバサ。シャルロット・エレーヌ・オルレアンは毒で心を壊され、いないはずの双子の妹と入れ替えられた」
『そうね、そうだったわね。……ジョゼットは元気?』
「入学式で赤毛の女生徒にちょっかい掛けられてた」
今回の任務のついで、ということでとある少女の護衛もほんの少しだけ頼まれていた彼女は、その時のことを人形に向かって述べる。まあ向こうは平和そうね、とほんの少しだけ安堵した様子で人形の先にいる相手は言葉を返した。
『本当は、あなたが学院に行くはずだったのに』
「気にしないで。わたしはわたしの、やれることをやるだけ」
『……イカれた父親に仕えていると大変ね、お互い』
人形からのその言葉に、タバサはすぐに返事をしない。それが本心ではないと彼女も分かっている。向こうも恐らく同じ思いであるのだと知っている。
だとしても、大切な家族を侮辱されてはいそうですかと流すわけにはいかない。
『……悪かったわ、失言よ』
「大丈夫。イザベラ姉さまこそ、大丈夫?」
『心配いらないわ。これでも、ガリアの王女よ』
明らかに無理をしている。そうタバサは思ったが、それを口に出すことはない。心配するなと彼女は言ったのだ。だから、それを信じなければならない。
とりあえず監視任務は終わったのだ。一度戻って報告書を書かなくてはならない。そんなことを人形の先にいるイザベラに告げると、タバサは乗っていた風竜に指示を出した。きゅい、と鳴いた風竜はそのまま一気に目的地まで飛んでいく。
その途中、人形からぽつりと独り言のように声が漏れた。父上も叔父上も、いつになったら正気に戻ってくれるのか、と。
「……多分」
『あ、すまないエレーヌ。聞こえてしまったのね』
「ううん。わたしも考えていたから。――それで、多分だけれど」
あの二人の盤上遊戯を壊す輩でもいれば、きっと。そう続け、彼女は既に見えなくなった先程の街道へと視線を向けた。
何故だか、仮面の女が未だに見詰めているような、そんな錯覚に陥った。
学院に戻ってきたルイズにかけられた言葉はまず心配であった。何ぞや、と首を傾げていると、お体はもう万全なのですかという言葉が続けられる。話を聞くに、どうやら体調が芳しくないので王都の医者に診てもらいにいったのだ、ということになっているらしい。別段そんな話をした覚えもなく、そういう風に仕向けた様子もギーシュとモンモランシーを見る限りなさそうなので、単純にこの二日で出来たイメージに引っ張られた噂なのであろう。
「……ええ。大丈夫、わたしは元気そのものよ」
とりあえず否定も肯定もせず、心配いらないということだけを述べた。マチルダに言われた言葉が頭に過ぎったが、別にいいじゃないかと心の中で打ち消す。たまには自分もお嬢様みたいな扱いをされたいのだ。
それならばよかった、と安堵の溜息を漏らす生徒達に心配かけてごめんなさいと頭を下げる。公爵令嬢がそんなことをする、ということに生徒達は驚き、そして身分の差を気にせず接してくださる素晴らしい人だとルイズの株が更に上がった。勿論意識してやっているわけではない。ヴァリエール公爵領では普通のことで、エレオノールによる教育の賜物である。礼には礼を返せ、とは母の弁だ。
そのまま暫し貴族らしい談笑を行っていたルイズは、そういえば聞きましたか、という言葉に首を傾げた。何でもまた出たらしい。そう言って一人の女生徒はずずいと彼女に顔を近付ける。
「出た、とは?」
「例のごろつきですよ」
それはまた穏やかではないな。そんなことを思いながら何者なのかと話の続きを促すと、一部の平民は英雄だとか褒め称えていて実にけしからんと別の男子生徒が声を上げた。
何でも、そのごろつきは二人組で、強力なメイジらしい。だが貴族としての教養や礼儀がまったくなっておらず、恐らく家名を剥奪されたであろうメイジの風上にも置けない連中なのだとか。
「そのくせ、気まぐれに野盗を退治したりしてさも自分達が立派な人物だと見せようとしている、不愉快な人間ですわ」
「へ、へー……」
何だか嫌な予感がした。だがまだ結論を出すのは早い。そもそも学院の生徒が噂するようなものではないはずだ。そんなことを思いつつ、ルイズは尚も話を聞く。
今回そのごろつきが出たのはトリステインの西の外れの街道で、ガリア辺りから遠出してきた人攫いと接触。余所者が気に食わなかったのか、連中を叩きのめし衛兵に押し付けてどこかに行ってしまったらしい。
「……そ、それ自体は別に良いことなのでは?」
「お優しいのですねミス・ヴァリエールは。あんなごろつきを評価なさるだなんて」
いやお前の眼の前にいるのがそのごろつきだよ。思わずそう言いかけて慌てて飲み込んだ。駄目だマチルダ、これ絶対バレちゃダメなやつだ。見えないところで冷や汗を掻きつつ、いやまだ完全に自分達だと決まったわけではないと言い聞かせルイズは言葉を紡ぐ。
「と、ところで。そのごろつき? の名前や特徴などは分かっているのですか?」
「ええ。何でも一人は仮面をつけた、杖を二本同時に使うらしい怪しいメイジ。もう一人は水晶のバレッタで髪をまとめた、大剣を杖代わりにするメイジの誇りを微塵も持ち合わせていないならず者らしいです」
完全に自分達だ。もうこれは言い逃れ出来ない。心の中で悶えながら、ルイズは表面上は冷静を保ちつつもう少しだけ話を聞いた。ギーシュ達の言っていたことは正しかった、とついでに二人へ感謝の念を送った。
「そ、そそのメイジ、名前とかって……」
「そんなごろつきの名前など聞くに値しません。ああ、でも、二つ名は有名らしいです」
『暴風雨』。学院の生徒が非常に不愉快に思っているらしいならず者メイジ二人組の二つ名は、そんな名前だとか。
そうなんですね、とルイズはどこか片言で返事をし、生徒達との会話を切り上げた。ふらふらと歩きながら、とりあえずギーシュとモンモランシーの姿を探してさまよう。ああやはりまだ体調は優れないのだ、とそんな彼女の様子を見て生徒達は誤解した。
やがて見付けた二人は、何とも言い難い視線で彼女を迎えた。まあそうなるだろうな、とルイズは覚悟していたので別段驚かない。
「……またやらかしたんだね」
「うん」
「入学して二日目よ? 入学式を入れてもまだ三日。……自重しなさいよ」
「うん、今凄く身に沁みた……」
エレオノールの言っていたことはこういうことだったのだな。本人の意図していた意味とは少しズレている忠告を心に刻み、ルイズは溜息とともに肩を落とす。そんな彼女を見ていたギーシュとモンモランシーは顔を見合わせ苦笑した。
「まあ、幸い初対面のイメージが強いおかげで正体はバレてないし」
「そうね。とりあえずは暫く『深窓の令嬢ルイズ』を続けなさいな」
「はぁ……やっぱりそれしかないかぁ」
超面倒くさい。そうは思ったが、学院でならず者扱いは流石に勘弁して欲しいので渋々ながらもルイズは頷く。エレオノールも悲しむだろうし、何よりカトレアに余計な心配を掛けさせたくない。そう心の中で呟き、よし、と彼女は拳を握った。
「じゃあとりあえず、は……どうすればいいのかしら?」
「暴れなければ大丈夫だよ」
あはは、とギーシュが笑いながらそう述べる。隣ではモンモランシーがそうね、と肩を竦めていた。まあそれが一番大変なのだろうけれど、という言葉は双方飲み込んだ。
さしあたっては二日後、授業開始してからだ。そんなことを三人で話し合い、これからの方針をおぼろげながらも決めたルイズは、その当面の目標をもう一度反芻した。
「さて、では……誰か、『着火』をやってはくれないかな?」
授業開始の初日は『火』系統の講義であった。担当教諭のコルベールの言葉に、しかし誰も立候補しない。『着火』程度の呪文などやってられるか、という態度が透けて見え、彼は少しだけ眉尻を下げた。
そんな中、ならわたしが、と立ち上がった少女がいた。言わずもがな、ルイズである。流石は公爵令嬢だ、こういう時こそ率先して前に出るとは。そんな声がどこからか聞こえ、彼女は心の中でガッツポーズを取る。
モンモランシー曰く、あまり人がやりたがらないことをやることで懐の深さを見せられる、そうすればイメージアップだ。大体そのように言っていたのでとりあえず手を上げてみたが、反応からすると多分あっているのだろう。そんなことを思いながらルイズはとりえず机の上にある枝に向かって杖を振る。
「あ」
余計なことを考えていたからであろう。『着火』で盛大に燃え上がった薪は天井まで届くほどの炎を生み出している。ヤバイ、と瞬時に判断したルイズは即座に杖を振り風を唱え、その炎を消し去った。
そうした後、あ、これやっちまったと錆びた蝶番のような動きで教室を見渡した。深窓の令嬢ルイズが音を立てて崩れていく。そんなことを思い、体がふらりと揺れる。
「ああ、ミス・ヴァリエールが!?」
「やはりお体が本調子ではなかったのね!?」
呪文は素晴らしい、だがやはり病弱な体ではそれに耐えられないのか。そんな憶測が飛び交い始める。勿論ああもうダメだ今日から問題児だと心の中で頭を抱えるルイズはそんなことを聞いちゃいない。
「……結果オーライ、かな」
「もうそれでいいんじゃないかしら」
下手に教えるとボロが出そうなので、とりあえず暫くあのままにしておこう。二人は失敗しましたと弱々しく頭を下げるルイズを見て、頬杖をつきながらそんな結論を出した。
この辺で区切るところが原作沿いだよね?