遅れて町にやってきたアンリエッタ達は、一瞬で空気が変わるのを感じた。もう向こうは始めているのですね、と呑気に述べるアンリエッタに対し、アルシェは笑っている場合じゃないと叫ぶ。
「そうですね。では、どうします?」
「どう、って。それは、まず住人の避難でしょう?」
聞いての通りだとアンリエッタは述べる。了解とエルザとアトレシアは手慣れた様子でざわついている住人の説得にかかった。程なくして一時の避難場所として選択された近くの町へと各々向かう列が出来る。まとめ役もきちんといるらしく、とりあえず二手で護衛をしてくれば問題ないとアルシェに伝えた。
「え、ええ。じゃあ、お願い?」
早くない? と目をパチクリさせたアルシェであったが、アンリエッタが平然としているところを見るとやはり何かしらあるのだろう。そう判断しまあいいかと息を吐く。
町の住人の避難が出来たのならば、こちらとしてはやることは一つなのだ。
「行くわよアンリエッタ」
「大丈夫ですか? 道中で死にません?」
「その時はその時よ。ウェールズ様に、アルシェは立派に戦ったって伝えてちょうだい」
そう言うと彼女は真っ直ぐに歩みを進める。人気の無くなった町に存在しているのは実験体しかおらず、その実験体も何かの命令を受けたらしく徘徊を止め館へと向かおうとしている。
それでも、アルシェを発見した実験体の数体は移動からこちらの攻撃へと行動を変化させていた。
「全部よりはマシね。……さあ、三回目が来るまで全力でやってやるわ!」
腰の杖を引き抜く。常人の、多少護身術を覚えた程度の少女とで比べれば圧倒的までの暴力を秘めた怪物と対峙し、それでも負けてやるものかと呪文を唱える。
放たれたそれは実験体にぶつかり、相手をよろめかせた。しかしそれだけ。倒すには至らず、そしてアルシェではそこに至るまでに相手の攻撃をかいくぐる余裕はない。歯を食いしばり、一撃で絶命しないように気合を込め、彼女は目を閉じることなく真っ直ぐに骸骨を見た。
「やれやれ」
横合いから飛んできた水の鞭が眼の前の骸骨を両断した。呆れたような声、やる気のない歩みの音。その両方を耳にしつつ、しかしアルシェはそちらに目を向けない。実験体はまだいる。ここで余所見をして死んだら、ただの馬鹿だ。
「とっくに馬鹿です。自覚がないの?」
ふわり、とスカートを翻しながら、軽やかにステップを踏むような動きで間合いを詰めたアンリエッタが、構えていた双剣杖を振るった。左右で異なる呪文の込められたそれは、周囲の実験体を一撃のもとに屠っていく。
「なによ。今回は戦わないって貴女が言ったからじゃない」
「自身の宣言を守るために友人を見殺しにするほど、わたくしはまだ腐っていませんの」
「だとしてもよ。……頼ってばかりに、なりたくないもの」
悔しそうにアルシェは呟いた。アンリエッタはそれを聞き、くるりと双剣杖を一回転させると仕舞い込む。残骸になった実験体を踏みながら、彼女の頭を軽く小突いた。
「痛っ」
「だったら、これからの交渉はお任せするわ」
「交渉……?」
「ええ。サイト殿に合流してから、事態をより良い方向に持っていくための、ね」
その言葉とその微笑みは、自分ならば何の問題なく出来るという意思表示。お前の言葉が嘘ではないのならば、頼ってばかりになりたくないのならば。
自分と同じか、超える結果を出してみろという、宣戦布告だ。
「……いいわ。やってやろうじゃない」
「期待していますよ、アルシェ」
「次ぃ!」
部屋を飛び出し、広い場所へと駆けた三人は、追いかけてくる骸骨と突入してくる骸骨の群れに挟まれていた。が、それでも彼等を倒すには至らない。才人の刀は石材木材で構成された筋肉を容易く切り裂く。十号は両手と蜘蛛の足骨を展開させ、距離を詰められないように支援を担当していた。
「嘗めるなぁ!」
太腿のホルスターから引き抜いたナイフ、『地下水』本体を構えた彼女は、一瞬で気温を下げ、周囲の大気を凍り付かせた。相手が生物であればまず間違いなく死んでいる。実験体は生きているとは言えないからなのか、その活動をただ停止させていた。
「おい『地下水』、無茶し過ぎじゃね?」
「何を言っているんです? 私はこの通り平気です」
ジロリと才人を睨み、ふんと鼻を鳴らす。そんな彼女を見た彼は、はいはいと肩を竦めると頭にポンと手を置き後ろに下がらせた。その拍子に彼女の胸を思い切り掴んだが、不可抗力なので別段リアクションはしない。
「何を!」
「意地張りすぎだっての。普段あんまりミスしないから気にしてんだろうけど、この程度なんてことねぇよ」
「そうなのです。サイトさんやアトレさんのやらかしに比べればこの程度」
「お前が言うなよ十号」
ぺし、と十号の頭を叩く。痛いじゃないですか、と涙目で才人を見上げた彼女は、後で埋め合わせしてくださいねと唇を尖らせた。
本気で言っているわけではないのは分かっている。はいはい、と笑みを見せた才人は、そういうわけだから気にすんなともう一度『地下水』を見た。
「……分かりました。少し温存します」
「おう。大体、こいつらぶっ倒せば終わりってわけじゃ」
ゆっくりとこちらに歩いてくる三人組。男と怪しい格好の女性、そしてイヴと呼ばれた彼の妹だ。男が槍のように誂えられた杖を構え、憤怒の形相でこちらを見ていた。
「ないよな、やっぱ」
足に力を込める。一足飛びで間合いを詰めた才人は、短期決戦だとその刀を振るった。舌打ちをした男は杖でそれを受けるが、主導権を握られたことでそのまま防戦一方に陥っていく。
男が何かを呟いた。杖から風が巻き怒り、才人の動きが一瞬止まる。そこを狙って杖を突き出した男は、しかし体を捻って躱されたことで目を見開いた。
「生憎、近接戦闘はそこそこ自慢できる練度なんでな!」
その捻りを利用した斬撃を男に放つ。刃を返したそれで肩を打ち付けられ、男はぐらりとよろめいた。
そのまま意識を飛ばしてやる。そう考えた才人が二撃目を放とうとしたその瞬間、横合いから伸びてきた何かによって吹き飛ばされた。ゴロゴロと床を転がると、そのまま壁に激突する。盛大な音が響き、常人ならばそのまま戦闘不能になってもおかしくないと感じさせられた。
「兄さま」
「……イヴ」
笑みを浮かべたまま、鎌のような長物を持ったイヴが彼の傍らに立っている。ありがとう、と彼が微笑むと、彼女はペコリと頭を下げた。
「……自我が……?」
「少なくとも、あの骸骨とは違うようですが……」
『地下水』も十号もそんなイヴを見て怪訝な表情を浮かべる。てっきり死した妹を模しただけのがらんどうだと思っていたが。お互いにはっきりとした答えを出せないまま、残っている実験体を片付けつつどうしたものかと思考を巡らせる。
「いや少しは俺を心配して!?」
「はん、何でお前を心配しなければいけないんですか。むしろ死んでろ」
「辛辣ぅ!?」
「私は大丈夫だと信じてましたから」
「それでもスルーは傷付くよ!?」
がばりと起き上がった才人は再度男へ突進していく。迎撃せんと杖を構えた男の横で、イヴも同じように長物を構えていた。
「二人だって分かってりゃどうとでもなるっつの!」
呪文を跳んで躱し、長物は刀で受け流した。そうして着地した才人は、一瞬だけ迷う。眼の前の、この少女は『物』か否か。笑みを浮かべたままこちらを見ているイヴを、才人は舌打ちしながら切り裂いた。彼女は長物を防御に回したが、それでも斬撃の威力は消しきれない。吹き飛び、床に叩きつけられた。
「イヴ!」
「余所見している暇あんのかよ」
刀の柄を腹にねじ込む。一瞬息が止まり、視界が暗転、思わず片膝を付いてしまう。そしてそれがチェックメイトの合図だ。首筋に刀を突き付けると、才人は大きく息を吐いた。
「兄さま」
ギギギ、とイヴが立ち上がる。顔は変わらず笑みを湛え、しかしその体からは人ではありえない乾いた何かが擦れる音が響いている。その動きは一種不気味で、相手が人ではないと証明するようなものでもあった。
「待った。待ってくれ、えっと、イヴさん?」
が、才人はその辺り慣れきっている。そもそも体が人間ではないから何なのだ、状態である。先程のぶつかり合いで彼の中で答えは出たらしい。兄の危機に立ち上がり助けようとする彼女は、『物』ではないと断言する。
「誤解なんだって。いやまあそりゃ色々マズいことをやってるけど、だからって皆殺し、みたいな物騒なことを言うつもりもないし。今だって正気に戻ってもらうために戦ってるだけだし」
ガシャリ、とイヴが足を踏み出す。才人はそんな彼女に、ゆっくりと近付いてくる彼女に必死で弁明を続けた。人と話すように、会話が通じる相手だと信じ切っているように。
「兄さま」
男の横までやってきたイヴは、ゆっくりとしゃがみ込むと彼を守るように抱きしめた。キリキリと音を立てながら、首だけを才人に向け、真っ直ぐに彼を見る。
その表情からは、笑みが消えていた。
「……あーはいはい! 刀仕舞いますよ! これでいいか!」
やけくそになって才人が叫ぶ。ひゅん、と刀を一振りするとそのまま鞘へと押し込んだ。暫くそんな才人をじっと見詰めていたイヴは、そこで再度抱きしめている男を見やる。
「……イヴ、私は」
「兄さま」
「私は……ただ、お前が、お前に、戻ってきて欲しかった、それだけだったんだ……」
「兄さま」
そっとイヴの手が男の手に重ねられる。そこに見えているのは、実験体と同じような骨組み。その手を愛おしそうに撫でた男は、もう一度自身の妹の名を呼んだ。
「それでも、完全には至らず……私は、何度も、何度も、成功するまで、何度でも、どんな犠牲を払っても……」
「兄さま」
「ああ、イヴ。お前は、私の作った、妹を再現しただけの作り物……偽物だ」
「ちょちょちょちょちょ!」
何一人で勝手に絶望してんの、と才人は男の言葉を遮る。先程とは別の意味で目が死んでいる男を見ながら、全然正気に戻ってないじゃないかと彼はぼやいた。
「今の自分の状況! 妹さんでしょ!? 思い切り妹さんでしょ!?」
「妹……」
「確かに俺じゃ本物か偽物かとかそういう細かいのは分かんねぇよ。けど、あの骸骨共とは違うだろ。魂の残りカスで動いてるようなのじゃなくて、ちゃんとしっかりあるだろ!?」
必死で敵をかばう少年の図。それを見た『地下水』と十号はやれやれと肩を竦めた。しかし確かに言っていることは間違っていないだろうと苦笑した。
「『地下水』さん」
「何です?」
「……ボディが不完全ですが、恐らく彼女は本人だと思うのです」
「根拠は?」
「貴女が気付かなかったから」
魔道具なら、あるいは完全な作り物だったのならば。生物を操るナイフである『地下水』には察知が出来るはずだ。だというのに、今回彼女は見誤った。
それを本人も分かっているのだろう。そういうことですかね、と視線を逸らし小さく溜息を吐いた。雑魚散らしをしながら出した結論は、どうやらあそこで慌てている騎士団長と同じらしい。それがなんだか癪で、彼女は少しだけ顔を顰めた。
「兄さま」
「イヴ……」
「兄さま」
イヴは再度笑みを湛えている。その表情を見た男は、彼女に向き直り抱きしめた。優しく、それでいて力強く。
そしてイヴも、そんな男を、兄を抱きしめ返す。笑みを、優しいものに変えながら、そっと、それでいて、しっかりと。
「……兄さま」
終わったかしら、と声が響いた。その声に振り返ると、この状況で何もせず傍観を貫いていた怪しい格好の女性が。
そういえばいたな、と再度刀に手をやった才人は、彼女を睨みながら言葉を紡いだ。まだ何かあるのかと問い掛けた。
「……あのね、これでも私は『レコン・キスタ』でそれなりの地位にいるの。このままだと貴方達、彼と彼女を抱き込むでしょう?」
「さてな。それはこれから来るお偉いさん次第だ」
それはつまり確定事項だということだ。そんなことを思った怪しい格好の女性――シェフィールドは、ああもうと心の中で頭を振った。やってられるかこのやろうと心の中で罵倒した。
「仕方ないわね。なら、交渉のテーブルに付けないようにするしかないわ」
ひゅん、と何かが飛来した。それを咄嗟に刀で受け止めた才人は、自分が庇った二人、兄妹に怪我はないかと叫ぶ。ああ、と男は述べ、イヴはコクリと頷いた。
その二人の方を才人は見ていない。シェフィールドが放ったそれを、油断なく睨み付けている。彼女の周囲を回るそれを、彼女の額のルーンを。
「……何だそれ」
「本当はもっと違うものを用意したかったのよ。この状況じゃこれが精一杯」
「だから、何だよそれ!」
「見て分からない?」
人の背丈程もある剣が、彼女の周囲で浮いていた。柄や刀身に宝玉や文様が彫り込まれているところから、一種のマジックアイテムなのだろうと推測は出来る。
シェフィールドのルーンが光る。それに呼応するように、大剣が宙を舞い才人に突き立てられた。ギャリギャリと刀にぶつかりあうそれは、彼の力を持ってしても押し返せない。
「本来は予め呪文を込めて動かすものなのだけど、私の力で通常より性能を引き出しているから」
「だから、なんだよ!」
「そう簡単には、受け止められないわ」
かち上げられた。刀と才人が放物線を描き、そして同時に地面に落ちる。すぐさま立とうと足に力を込めたが、そこに二本目の大剣が振り上げられていた。
蜘蛛の足骨と大剣がぶつかり合う。大丈夫ですか、と才人の傍らに立った十号は、意識があることを確認し安堵の溜息を吐いた。
「いや、この程度じゃ死なねぇって」
「スルーは傷付くのでしょう?」
大げさだな、と立ち上がる才人の横で、『地下水』が薄く笑みを浮かべていた。本体のナイフを構え、その刀身に冷気を纏わせている。行け、とそれを開放すると、目の前の敵を凍り付かせんと氷の竜巻が生み出された。
「げ」
慌ててシェフィールドは大剣を引き戻す。それら二本を盾にし、迫り来る吹雪から身を守った。冗談じゃない、自分の肉体は他の馬鹿共と違いか弱いのだ。あんなものを食らったらそのまま死ぬ。
駄目ですか、と『地下水』は舌打ちする。助かった、とシェフィールドは溜息を漏らした。
その隙に才人も体勢を立て直した。十号も臨戦態勢に入っている。これはどう見ても自分が不利だ。そう判断したシェフィールドは、この辺が潮時かと頭を掻いた。正直最初からどうにかしようとは思っていない。ただ単にここで何もせずに引き下がるとそれはそれで何かしら言われるから動いただけである。
「……ここまでね」
「どういうことですか?」
「もうすぐ貴方達のお偉いさんも来ちゃうでしょう? これ以上長居すると私が危ないもの」
そう言うとシェフィールドは踵を返した。才人達には見えていないが、その表情はだからもう追ってくるな、と物凄く苦々しい。
「逃げるのかよ!」
「ええ、逃げるわ。予想以上に健闘してくれたから、その二人は報酬にあげる」
シェフィールドは振り向かない。表情の演技がもう出来ないので、顔を見せられないからだ。そのままヒラヒラと手を振り、彼女はゆっくりとその場を去る。館の扉を開け、外に出る。
「……」
「……」
「……」
アンリエッタとアルシェがそこにいた。即座に杖を引き抜いたアルシェに、アンリエッタはやめておきなさいと手で制す。戦う気はもうない、とシェフィールドも肩を竦めた。
「『レコン・キスタ』ですか?」
「……ええ。『レコン・キスタ』は撤退するわ」
アンリエッタの言葉に何か含むものがあったのか。シェフィールドはほんの少しだけ考え、そしてそう答えた。分かりましたと道を譲った彼女の横を、シェフィールドは通り過ぎる。
そうして二人からも見えなくなった辺りで、シェフィールドは溜息を吐きながら蹲った。死ぬかと思った、と弱音を零した。
「……まあ、これであの二人はあの婚約者様の仲間入り、と」
どういう交渉をするかは知らないが、まあ決裂することはないだろう。そんなことを思い、ゆっくりと天を仰いだ。状況だけを見るならば、間違いなくこちらの負けである。自分達が駒だとしたら、指し手はこの敗北をどう思うか。
「何とも思ってないでしょうね」
パンパンと足についた埃を払うと、シェフィールドは立ち上がり歩き出した。
指し手は別段どうも思わない。この結果がどうなろうが、怒ることも喜ぶこともない。だが、駒はどうだ。この敗北で、戦力を相手に奪われたことでどんな感情を抱くだろう。
「……戻ったら、クロムウェルを殴ろう」
この格好で向こうと戦うことになったことも諸々を含め、全力で。拳を握りしめ、シェフィールドはそんなことを呟いた。
二人がアルシェの仲間になる場面が蛇足感醸し出し始めたのでとりあえずカット