その1
「それで?」
トリステイン魔法学院男子寮、ギーシュ・ド・グラモンの部屋にて。頭を抱える二人の生徒とそれを眺める二人の生徒という構図が出来ていた。前者はギムリとマリコルヌ、後者がギーシュとレイナールだ。
「いや、お前何涼しい顔してんだよ! 同じ補習組のくせに」
「いや僕出席日数が原因だし」
「それでも補習には違いないだろう!? 格好つけている場合じゃない!」
そもそも別に格好をつけているつもりもない。が、マリコルヌの目が血走っていたのでそのツッコミを飲み込んだ。分かった分かったと両手を上げ、それで何をすればいいと二人に続ける。
それに対する答えは一つであった。勉強教えてください、だ。
「僕も座学は人並みだよ?」
「じゃあレイナール!」
「見限るの早すぎない?」
ぐりん、と首を動かしたマリコルヌをレイナールは苦笑しながら見やる。こちとらなりふりかまっていられないと詰め寄ったマリコルヌは、そういうわけだから勉強教えてくださいと頭を下げた。強気で攻めた割には丁寧な懇願であった。
「ギーシュ、どうする?」
「まあ僕も補習は決定しているからね。二人に付き合って勉強するよ」
レイナールにそう返し、じゃあどこか空き教室でも行こうかと立ち上がる。現在この部屋にいるのは五人。流石に狭い。
「外出?」
「まあね。ちょっと行ってくるから留守番を――」
「ミス・カレンデュラ! 出来れば貴女も来てくれませんか!」
了解、と頷こうとした会話に参加していなかった無表情の少女とギーシュの間に割り込むようにマリコルヌが現れる。うお、と思わずのけぞるギーシュと、何やってんだろうというレイナールの眼の前で、彼はガシリとカレンデュラの手を握るともう一度述べた。
ぱちくりとカレンデュラは目を瞬かせる。少しだけ考え込むように首を傾げ、視線を眼の前のマリコルヌのどアップからその後ろのギーシュに向けた。
「マスター」
「何だい?」
「追従。許可?」
「……あまり今君を学院の生徒に見せたくはないんだけど」
「おいギーシュ。お前いくらなんでもそれは酷いぞ」
「実家のお付きの護衛は煩わしいかもしれないけど、そこで置いてきぼりも、うーん」
ギムリとレイナールの援護射撃。それを聞いて顔を顰めたギーシュであったが、ここで何を言っても自分が悪者だと溜息を吐いた。分かった分かった、と頷いた。
そんなわけで、五人揃って部屋を出、適当な空き教室を探して歩き出す。その道中、マリコルヌはギーシュに近付くととりあえず彼の腹をどついた。
「何するんだい」
「ふん、裏切り者には当然の報いだろう?」
「僕が一体何を裏切ったんだよ……」
「ミス・カレンデュラに決まってるだろう!?」
ずびしぃ、と指を突き付け、そして後ろにいるカレンデュラを見た。ん? と首を傾げるのを見て、マリコルヌの表情がへにゃりと歪む。
「実家から派遣されてきたお目付け役の女の子と、同じ部屋で寝泊まりだぁ!? 死ぬがよい!」
「何度目だ!?」
「まだ三度目だ!」
「もう三度目だ!」
ギャーギャー言い合うギーシュとマリコルヌを見て、ギムリもレイナールもやれやれと肩を竦める。騒がしいな、と呟くと、二人はカレンデュラに目を向けた。
申し訳ないと頭を下げる二人を見て、彼女はよく分からんという風に首を傾げる。ああいうのは友人でよくやるやつだろう、そうカレンデュラは記憶しているからだ。
ちなみに自身もアトレシアがあんな感じでかまってくるのでその辺理解が深い。大丈夫、と頷くと杖でどつき合っているギーシュとマリコルヌを見た。
「日常」
「……いや、まあ。確かにそうかもしれんが」
「お目付け役の女の子が納得しているならいいんじゃない?」
肩を竦め、視線を再度二人に戻す。
段々とマリコルヌの攻撃が当たらなくなりギーシュが一方的にボコり始めていたので、二人はそろそろやめとけと割り込みに入った。
ここなら授業で使っていない、とその部屋の扉を開けた一行は、先客がいるのを見て目を見開いた。赤い髪とグラマラスな肉体の美女、小柄で小生意気なメガネ少女。そして、学院でも有数のお嬢様であるピンクブロンドの少女の三人がいたからだ。
「あら、ギーシュじゃない」
ピンクブロンドのお嬢様がやってきた面々に気付くとこちらを見て手を振った。こっち来い、という意味だと受け取った一行は、広い教室内で三人のいる一角へと向かっていく。
そうして近くまで来たギーシュに笑みを浮かべた令嬢は、どうしたのと問い掛けた。マリコルヌとギムリは深窓の令嬢とのコンタクトに舞い上がり、レイナールは相変わらずおしとやかで綺麗だね、と呟いている。
尚ギーシュはこいつらホント目が腐ってるなと心の中で溜息を吐いた。見た目がいいのは認めるが、これの中身はどうしようもないんだぞ。口に出さずにそう続けた。
「ルイズ」
「あらカレン。珍しいわね、こんな場所にいるなんて」
「マスター。追従」
「そうなの? ……見た感じ、押し切られたのかしら」
「ん」
大正解、と言わんばかりにカレンデュラはサムズアップをする。そういうことなら仕方ないとルイズもそれ以上は追求を避け、一行にここへ来た理由を問うた。
それに対し、ギーシュは多分君と同じだよと返す。彼女の机の上に広げていたものを見て、自身が持ってきたものを掲げた。
「補習の準備さ。明後日のね」
「成程、そういうことね」
じゃあここ使いなさい、と彼女は自分の隣を指差す。よろこんでと二つ返事で了承した面々は、席に座ると教本を取り出した。座ったのはギムリとマリコルヌ、そしてギーシュである。レイナールは二人の勉強を見るため対面に立ち、カレンデュラは後ろで見学とするらしい。
そうして始まったギーシュ達の勉強会を暫く横目で見ていたルイズは、じゃあ自分も続きをやるかと自身の教本へと視線を動かす。が、そこには教本の文字の代わりに女性の手があった。視線を上げると興味津々といった顔で赤毛の少女、キュルケが彼女を見詰めている。
ルイズを挟んでギーシュの反対側の席では、ジョゼットがジト目でそんなキュルケを見詰めていた。勉強しろよ、という目で見ていた。
「ねえ、ヴァリエール」
「何?」
「あの娘、知り合いなの? この間ミスタ・グラモンが呪文で作ったゴーレムそっくりだけど」
ほれ話せ、という顔で。言うまで離さんという顔で。そんな顔で見詰めるキュルケがルイズは非常に鬱陶しい。学院内なので口にも表情にも出せず、溜息を吐いて肩を竦めた。
「ギーシュの護衛というか、お目付け役の娘よ。ちょっと前に彼の実家から学院に派遣されてきたの」
「ふぅん。ミスタは、彼女をモデルにあのゴーレムを作ったってワケなのねぇ」
「そういうことよ」
そういうこと、になっている。グラモン秘伝の『クリエイト・ゴーレム』により明確な『個』を持った存在を鍛え上げるため常時ゴーレムを行動させています、というよりずっと簡単で納得させやすく問題も少ないからだ。父親であるグラモン元帥ですら、日常で『ゴールド・レディ』を発動させているときは彼女達がゴーレムであるとは言わない。もっとも、これは相手に手の内を曝さないという意味合いの方が大きいが。
ともあれ、現在の彼女はあくまでカレンデュラという少女であり、『ワルキューレ』というゴーレムではないというわけである。
「キュルケ、信じるの?」
「何よジョゼット、疑うところあったかしら?」
「……まあ、モデルがいた方があの時のゴーレムの正確さは納得できるけど。でもまだそこの娘がゴーレムだって可能性も」
「いやゴーレムは喋らないわよぉ」
「あー……そっか」
納得したらしいジョゼットは、まあいいやと思考を切り替え、キュルケに勉強の続きを要求する。はいはい、とルイズからジョゼットの方へ移動した彼女は、そのまま何も言うことなく勉強を再開した。
それを横目で見ていたルイズは見えないところでクスリと笑った。案外そうでもないのよ、と心の中で呟いた。
「そういえばギーシュ。貴方達は大丈夫なの?」
再度視線を動かす。どらどら、とギーシュ達の勉強の状況を覗き込んだルイズは、そこでピタリと動きを止めた。
酷いものである。ギーシュは知っているのでまあいいとしても、ギムリもマリコルヌもこのままでは補習の修了試験を突破することは無理であろうと察せれた。
「あ、っと。どうしたのかなミス・ヴァリエール」
そんな彼女の様子に気付いたのだろう。レイナールが苦笑しながらそんなことをルイズに述べた。そこで我に返ったルイズは何でもないと手を振るが、しかしそれで済ませてしまうにはどうにもならない酷いものを見ている。彼女の中で二つの感情がせめぎ合った。
そしてこれは果たして深窓の令嬢っぽさを出せるのかと悩んだ。貴女がそれをやるの、と素で驚いたような表情を浮かべる『おともだち』の想像が浮かび、うるさいと想像の中でぶん殴った。
レイナールの名を呼ぶ。もしよかったらだけど、と前置きをし、いつの間にか手を止めこちらを見ているギムリとマリコルヌの視線を感じつつ、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。
「貴方達の勉強、見てあげましょうか?」
物凄い勢いで勉強している。ように見えるが、その実残りの面々と大して変わらない。それが現在のマリコルヌの状況であった。おいマリコルヌ、とギムリが声を掛けるが、テンションが最高潮の彼にはまるで聞こえていない。
「うん。きちんと基本を押さえればそうやって出来るものなの」
「お、おおお。凄い、これがミス・ヴァリエールの力……!」
「大げさよ。これは貴方の実力」
そう言ってクスリと笑うルイズを見て、マリコルヌのテンションは更に上がった。何か色々振り切れている彼を止められるものはどこにもいない。
対するルイズは、とりあえずこいつは一旦置いておいて、と視線をマリコルヌから外した。出来るのならばそこを教えずともいいだろうと残りの二人に目を向ける。ギムリの勉強の状況を眺めながら、分からないところはあるかしらと彼に問うた。
「え? あ、ああ。ここなんだけど」
「ああ、ここね。これはこの部分だけで考えては駄目なの。基礎理論の十五ページにこれの土台があるのだけど」
「十五ページ……あった、これか」
言われた箇所を見直し、それと照らし合わせて式を書く。先程までの詰まっていた式と見比べ、違う箇所を確認し。
程なくして正解に辿り着いた。念の為と同じ形式の問題に挑戦し、答えまで辿り着けたことでギムリは安堵の息を吐いた。
「うんうん。何よ、二人共やれば出来るじゃないの」
「ミス・ヴァリエールの教え方がいいからだよ」
あはは、とレイナールが苦笑する。この二人の場合それ以外の要因もあるだろうけれど、と心の中で続けながら、迷惑かけてごめんと彼は頭を下げた。
自分から言い出したことだ、そんな頭を下げられるものではない。そう言いながら頬を掻いたルイズは、レイナールに二人の面倒を引き続き見るよう述べ視線を最後の一人に向けた。勉強を見てやると宣言したからには、やはりきっちりと三人共にやるべきであろう。
「……いや、僕はいいよ」
「何意地張ってるのよ。ほら、見せなさいって」
ひょい、とギーシュの教本とノートを取り上げ、眺める。ふーん、と暫し目を動かしていたルイズは、それをポンと机に置いた。
「大丈夫そうね。感心感心」
「おかげさまでね」
まったく、と肩を竦めたギーシュは再度教本片手にペンを動かす。が、またしても教本を奪われ、まだ何かあるのかと彼は顔を上げた。
楽しそうに笑うルイズがそこにいた。適当に問題を出すから答えてみろ、そう述べ、彼女はパラパラと教本を捲る。
「いや、だから僕は別に一人でも」
「せっかくだし、火属性の問題にしましょう」
「何がせっかくなんだい!?」
ギーシュの言葉などなんのその。じゃあこれだとルイズは口頭で問題を出し、教本を持ったまま、自分の力だけで解いてみろと口角を上げる。その挑戦的な顔を見て、ギーシュはギーシュで思わず昔を思い出してしまった。幼い頃、絶対こいつ負かしてやると意気込んでいた時代を、である。
「――以上だ。訂正箇所は?」
「む、やるわね。じゃあ水よ。この――」
「ああ、それならモンモランシーとよくやったからね、楽勝だ。まずは――」
すらすらと答えを出すギーシュを見て、ルイズはむむむと眉尻を下げる。が、すぐに笑みを戻すと、そうこなくてはと教本を捲った。彼女も彼女で、深窓の令嬢が崩れない程度には童心に帰ったらしい。参ったと言わせてやる、とほんの少しだけムキになった。
「これでも土属性は僕の専門、答えられないはずがないだろう?」
「ま、そうよね。じゃあ、わたしの得意分野ならどう? 風の応用理論三十ページの――」
「それこそ愚問だよ。風はある意味土より研究したからね。そこは――」
「正解。何よギーシュ、風の方が綺麗な式じゃない」
土属性じゃなかったのか、とルイズが少し茶化すように笑う。それを受け、だからある意味専門分野より研究したじゃないかと彼は返した。何せ風はルイズの得意属性、彼女に勝つためには何より風を知らなくてはいけない。
「君の(勝負に勝つ)ために、必死で勉強したのさ」
「あ、そういえばそうだっけ。ふーん、続けてたんだ」
「当たり前だろう。僕はまだ諦めていない」
結局彼がルイズに完全勝利したことは一度もない。ギリギリ、ひょっとしたらこれは勝ったと言えなくもないのではないだろうか、程度が関の山だ。尚モンモランシーと二人がかりである。
そんなわけで、彼としては一回はルイズに勝ったと胸を張って宣言したいお年頃なのだが。生憎その願いは当分叶いそうもないのが現状だ。それでも彼は諦めない。ギーシュはそこで踏み止まらない。
「マスター」
「うわ!? 何だいカレン」
「周囲」
「へ?」
カレンデュラの言葉を受け、ギーシュは視線を彼女から周囲に動かした。ルイズを挟んで向こう側では、いいものを見たと言わんばかりの顔でキュルケがギーシュとルイズを眺めている。
首を動かし、反対側を見た。レイナールがあははと苦笑しており、そしてその対面、ギーシュの隣にいる二人は。
「おいギーシュ。お前あれか? 三股掛けてるのか?」
「へ?」
ことと次第によってはぶん殴ると言わんばかりの顔をしたギムリが吐き捨てるようにそう述べた。まあそれでも彼はまだマシである。
その横、マリコルヌは。
「そうかそうか、つまり君はそんな奴なんだな。お目付け役の女の子と同じ部屋でしっぽりと寝泊まりし、幼馴染のミス・モンランシを恋人にしながら、公爵令嬢のミス・ヴァリエールと関係を持つのを諦めない、と」
「それは控えめに言ってダメなやつでは?」
「お前のことだよぉぉぉぉ!」
椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がったマリコルヌは、ギムリを飛び越えるとそのままギーシュへ襲い掛かった。何が何だか分からないギーシュは彼の奇襲に対処できず、もんどりうって床に転がる。
追撃の拳は流石に躱し、何だか分からんがとりあえずしばこうと彼も自身の拳を握った。
「何やってんのよあの二人は……」
「同類?」
「違うから。わたしは、違うから」
「……あ。――訂正。謝罪」
そういえばここではそうだったな、と言わんばかりにポンと手を叩いたカレンデュラを見て、こいつは間違いなくギーシュのゴーレムだなとルイズは一人溜息を吐いた。
横ではマリコルヌが殴り飛ばされていた。勿論勉強会はお開きである。
モンモンが出てない!?