青年が屋台で焼菓子を買い、一口頬張りながら通りを見渡したその時である。一人の少女が眼前を横切るのを見て、彼は思わず声を掛けた。ん? と振り向いた猫耳を模した装飾のあるフード付きの外套を纏ったその少女は、青年の羽飾りのある帽子を眺め、そして閉じられているかのような細目が特徴な顔を見て目を見開いた。
「ドゥドゥー!?」
「や。久しぶりエルザ」
そう言って手をひらひらさせた青年は、エルザに歩み寄ると自身の胸辺りまでしかない身長の彼女の頭をポンポンと叩く。その手をジト目で振り払いながら、何でこんな場所にいるんだと彼女は彼に問い掛けた。
「いやそれはこっちのセリフだろう? ガリア辺りで適当に暮らすとか言ってなかったかい?」
「色々あるのよ。もう今のわたしは昔とは違うの」
「そうかい。まあ、確かに。二・三年しか経っていないのに一気に成長している辺り、色々あったんだろうね」
無言で脇腹を殴った。おぶ、と空気を吐き出したドゥドゥーが蹲るのを見下ろし、余計なお世話だと彼女は続ける。そんなエルザの顔を見て確かに失言だったかもしれないと彼は素直に謝罪した。脇腹を押さえたまま頭だけを下げたドゥドゥーは正直不真面目に見えたが、ふざけていないのは彼女も分かっている。溜息を吐きながらその謝罪を受け取ると、彼が立ち上がるのをそのまま待った。
「それで、そっちは何でここに?」
「勿論仕事さ。知ってるかい? この界隈じゃちょっとした有名人だぜ」
「ふーん」
どの界隈かは知らないが、そういう意味では自分も同じである。とりあえず話の続きを聞き、本当に有名かどうかを判断してやろう。そんなことを思いながらエルザはドゥドゥーの言葉に耳を傾けた。
「『元素の兄妹』って言うんだけど」
「……『元素の兄弟』!?」
「兄弟じゃなくて、兄妹。ジャネットが煩いんだよ」
「あ、やっぱり四人のチームなんだ」
彼以外の三人の姿を思い出す。当時の自分の見た目と同じくらいか少し上程度の姿をした長男、筋骨隆々でメイジの技など使えそうにない次男。眼の前の脳筋全振りの三男と、悪知恵が働くが何だかんだでお節介焼きの末妹。エルザの知っている記憶のままの四人ならば、まあ確かにそういうことをしていてもおかしくないし、チームを組んでいるのも当然だと思ってしまう。
「その様子だと、名前は知っていたみたいだね」
「うん、まあ。……お金次第で何でもやるっていう評判とか」
「傭兵稼業なんてそんなものさ。金さえ貰えれば殺しだって平気でやる」
「……ターゲットが、わたしでも?」
真っ直ぐに彼を見て、エルザはそう問い掛けた。ドゥドゥーはそんな彼女を見て、思わず目を瞬かせる。閉じているのかと言わんばかりの細目が開かれ、そして再び細目に戻った後、彼は盛大に笑いだした。
「何だよ。ぼくらに殺しの依頼が来るような生活しているのかい?」
「してるよ」
「……即答かよ」
はぁ、とドゥドゥーは溜息を吐く。その顔は知っている。彼女が本気でものを言っている時の顔だ。まだ自分達が、とある実験の材料にされていた時に、実験体が五体であった時に見ていた顔だ。
「ぼくは、平気じゃない」
「そっか。ありがとう、ドゥドゥー」
「礼を言うのは間違いだろ? 平気じゃないだけで、やらないとは言ってないんだから」
「その辺はわたしも一緒だし」
『
「そっちはそっちで何やってんだか……」
「知りたいなら教えるけど」
「いいさ、別に。というか男が出来たとかそういう話を聞かされても正直困るんだよぼくは」
「何でそうなるの!?」
「成長。相手を油断させやすいって五歳程度を保っていた君がわざわざ一気に成長したってことは、そういうことだろう?」
吸血鬼やエルフといった長命種は、その体の成長の度合いがまちまちだ。詳しいことははっきりとされていないが、己の心の在り方が体に影響するのだと言われている。エルフが若い姿を長く保つのはそのためだ。その状態の方が生きるために有利だからだ。反面、吸血鬼は幼い姿を長く保つ者も少なくない。相手の油断を誘い、奇襲をするのに適しているからだ。これらは全て『大いなる意思』の導きだとエルフは纏めているため、研究自体はそれほど進んでいない。
だから、幼い姿では意中の相手と並び立てないからと一気に成長するのも、彼等に言わせれば『大いなる意思』の力なのである。勿論エルザもドゥドゥーも信じてはいない。
「そのくらいなら、まあ。抱かれてもそれほど負担にはならないのかな?」
「何の話をしてるの!?」
脇腹に一撃再び。再度蹲ったドゥドゥーは、しかしこれには抗議をした。自分は間違っていないだろうとぼやいた。エルザは無言で顔を逸らした。
そんなくだらない話をした二人は、ではこのへんでと別れるには至らなかった。何故かそのまま二人揃って街を歩く。たまたま向かう場所が同じ、というわけでもなく。
「ついてくるのはいいが、手出しは無用だぜ?」
「どっちの意味で?」
「どっちもさ。トリステインに住んでいるってことは、今回の仕事のターゲットが君に関係する相手の可能性もある」
「そうだね。だから勿論、約束は出来ないよ」
「だと思ったよ……」
はぁ、とドゥドゥーは溜息を吐いた。そんな彼を見ながら、エルザはクスクスと笑う。そもそもこうなった理由はお前が悪いだろうと口角を上げる。
「つい口を滑らせた」
「この手の仕事するなら致命的じゃない?」
「知られたところでどうにかなるものじゃないだろう? 今回みたいな場合を除いて」
再度溜息を吐く。雑談の流れで彼はエルザに今回の仕事の内容を喋ってしまったのだ。アンリエッタに与する者達を排除し、彼女の力を削ぐ。そのための戦力の隠し玉として雇われたのだと語ってしまったのだ。
「まあ雇い主も大っぴらに殺しをするのには消極的だったからね。適当に痛めつけるか、その護衛なり関係者なりを一人か二人始末して脅すとか、その程度さ」
「……小心者なのね、その雇い主」
「今のこの国を動かしている王家が気に食わない、けれど自分が舵取りをする勇気はない。そんなところじゃないかな」
ドゥドゥーの言葉を反芻する。それに該当するような貴族で、反アンリエッタの連中といえば昔の栄華にしがみついている旧大貴族らの誰かだろう。本人をどうこうする気がないように感じられるのもそのためだ。あくまであの連中は王家を立てる。そして王家に自分達を取り立ててもらうことを望んでいる。
「エルザ?」
「ん? どうしたの?」
「いや、何だか上の空だったから」
「ちょっと考え事をね。それで、一体誰を狙ってるの?」
「言うと思うかい?」
「このまま歩いていけば嫌でも分かるよ?」
ピタリとドゥドゥーは足を止めた。そりゃそうか、と額を押さえた彼は、諦めたように彼女に向き直る。ジャネットには内緒だぜ、と困ったように彼は笑った。
勿論一緒に現場に向かう時点でバレバレであり、もしそこにジャネットがいればアウトである。
「王家には先代から懇意にしている貴族がいるらしくてね。ヴァリエール、グラモン、モンモランシ。他の小物より真っ先に引き剥がさないといけないのはその御三家だという話なんだけど」
ヴァリエールは謎と眉唾ものの噂が多く、無策で手を出すのは危険だと雇い主は判断したらしい。そしてモンモランシは今現在そこまで力を持っていないので旨味が少ない。そうなると必然的に狙うはグラモン、当主は現在のトリステイン騎士団元帥の地位にいる豪傑だ。
「そんなわけで狙うのはそこの四男坊だってさ。丁度そいつのお付きの少女が単独行動していたみたいで、傭兵達は適当に痛めつけて人質にして、とやるらしい」
「……へー。あ、その傭兵ってドゥドゥーとどっちが強いの?」
「比べ物にならないよ。ならず者に毛が生えたような連中だぜ? ぼくらの相手になるわけがないさ。とはいっても、若い少女の剣士だかメイジだかには負けないだろうから、ちょっとその女の子は気の毒なことになるだろうけどね」
「そっか、それはたいへんだね」
棒読みであった。ターゲットが誰かを確信したので、多分大丈夫だなと安堵したのだ。もし問題があるとすれば、隣のこいつかその妹が戦闘に出張ってきた場合くらいか。
少し前の連絡によると、もう少し先の路地裏に誘い込んで色々とやるらしいとのことだったので、恐らくもう終わっているだろう。暇だよな、とぼやいたドゥドゥーの横顔を見ながら、エルザはその方が楽でいいでしょと笑った。
そうしている内に入り組んだ路地裏の一角に場違いなゴスロリ姿の少女が立っているのが見えた。ドゥドゥーはその姿を見て顔を輝かせ、彼女の名前を呼びながら駆け寄っていく。
「ジャネット」
「ん? ああ、兄さん。意外と早かったのね」
「ちょっとあってね。それで、仕事は終ったかい?」
ドゥドゥーの言葉にジャネットはポリポリと頬を掻く。どうしようかな、と少し迷った素振りを見せ、まあ見る方が早いと角の向こうを覗くように手招きした。
「……わーお」
二桁はいたはずのならず者傭兵達は残らず叩きのめされ伸びていた。なるべく足のつかない連中として集められたのが裏目に出たのか、個々の練度はそこまでではなかったのだが、しかし数で圧倒出来る程度の実力はあったはずだ。少女の一人や二人に負けるような相手ではなかったはずだ。
「あ、やっぱり倒されてる」
ひょい、と角を同じように覗いたエルザがなんてことないようにそう述べた。その言葉に反応したのはドゥドゥーで、その姿に反応したのはジャネットだ。
「どういうことだよエルザ」
「エルザじゃないの!? こんな場所にどうして?」
「久しぶりジャネット、今わたしトリステインで暮らしているの。結構色々知り合いも増えたのよ。――で、そこにいるのもその中の一人」
無表情でならず者達を拘束している少女を指差す。その隣でギャーギャー騒いでいる女性には見覚えがないので、一応それは補足しておいた。
「あの娘結構強いのよ。だから負けないだろうなって思ってたし」
「そういうことは早く言って欲しいな」
「約束出来ないとは言ったけど、手出し無用はそっちが言い出したでしょ」
それはそうだけれど、とドゥドゥーは肩を落とす。そんな兄を見て呆れたように肩を竦めたジャネットは、ではどうするかと向こう側を見た。あの無表情の少女の実力はかなりのものだ。自分達ならばどうにか出来るだろうが、それは貰っている金と割に合わない。
「帰りましょうか、兄さん」
「へ?」
「依頼の金額であの連中と戦うのは損だもの」
「まあ確かに、そう言われればそうだけど……ん? 連中?」
「そうよ。似たようなのが二人いるわ。ほら、あそこ」
ドゥドゥーもエルザもその指差す方を見る。これで全部かな、とならず者を積んでいる花の髪飾りをつけた薄桃色の髪の少女と、髪をアップにしたメイド服の少女。無表情の少女と合流したその二人は、ずらりと積まれたそれを見てこれからを考えていた。
エルザが吹いた。
「エルザ?」
「……なんでもない」
「明らかに何かあるでしょう?」
ドゥドゥーとジャネットに怪訝な表情で睨まれる。そう言われても説明など、言ってしまえばあの二人も知り合いで済んでしまう。勿論二人は納得するはずもない。
「まだ何か隠しているわね」
「そうだね。でもそれは言わない」
「ぼくらに依頼が来るかもしれないってのと関係してるわけだ」
「そんなところ」
はぁ、とドゥドゥーは溜息を吐いた。その言葉に何となく察したジャネットも、まったくもうと苦笑する。
そうした後、ならこれからの行動は依頼とは別口だと彼が笑った。
「行くの? 兄さん」
「駄目かい?」
「少女の集まりに男が一人赴くのはよろしくないわね」
「そこかよ……」
不満そうに呟き、そこで何かを思い付いたように自身の帽子を外した。そしてそれを、エルザに無理矢理ボスンと被せる。
「なら代理を立てよう。これでどうだい?」
「……そうね。それならいいかも」
ドゥドゥーの帽子を被らされたエルザの手を掴むと、じゃあ行きましょうかと歩みを進める。一体全体どういうわけだ。そんなことは考えずとも分かったので、何にもしないからねとジャネットに念を押した。
ひょいひょいと器用に適当な低い屋根に登り、見学の体勢に入ったドゥドゥーがひらひらと手を振っていた。
「新手?」
「え?」
「……さっきまでとは桁が違うのです」
「なんかヤバそうなのが来たのね!?」
路地裏の一角にその二人が来たのは何やらカレンデュラをどうにかしたいらしいならず者を一掃し片付けも終わった頃であった。白いフリルがたっぷりついた黒いドレスの少女は、人形のように整った美貌を笑みに変えて歩いてくる。そしてもう一人は、明らかにサイズの合っていない羽根帽子を被った小柄な少女。顔は見えないが、纏っている外套にはフードが付いているようで、そこには猫耳のような装飾があるのが分かる。
「……」
「……」
「……」
「な、何者なのねそこの二人!?」
小柄な少女を見て思わず動きを止めた三人に代わり、イルククゥがやってきた相手にそう述べた。ゴスロリの少女はごきげんようと頭を下げると、自分は『元素の兄妹』の一人ジャネットだと名乗る。
「こっちはドゥドゥー、の代理よ」
「……だい、り、です……」
蚊の鳴くようなか細い声でそう述べた少女は帽子を目一杯深く被った。そこでちゃんと乗っかるからこうなるんだよなぁ、と屋根の上で見学しているドゥドゥーは思ったが、面白いので何も言わない。
「代理?」
「代理?」
「代理?」
「見るなぁ!」
カレンデュラとアトレシアと十号がじっとドゥドゥー代理を眺める。眺められた方の叫びは何とも悲痛なものであった。
そんな緊張とは程遠い緩い空気が流れる中、ジャネットはパンパンと手を叩く。自分達はとある人物の依頼で、アンリエッタの力を削ぐため御三家との繋がりを排除しようとしているのだ。ペラペラと秘密を喋り、そういうわけなのでと杖を構えた。
「少し、痛めつけられて頂戴」
ひゅん、と杖を振る。生み出された水の刃は明らかに少し痛めつける程度で済まないものであった。当たれば首が飛ぶ。
「また首落ちたら色々面倒なんだけど!」
スカートの下から蔦を伸ばしたアトレシアは、その勢いで飛び上がる。次いでカマキリの鎌を生み出すと、お返しだとばかりにジャネットへと振り下ろした。
さっき見てはいたけれど、と彼女はそれを横っ飛びで躱しながらぼやく。自分も人のことを言える立場ではないが、ちょっと人から外れすぎではないだろうか。
「まあ、人じゃないし」
「あら、そうなのドゥドゥー兄さん代理」
「同僚だからね!」
半ばやけくそ気味に叫ぶと、エルザはとりあえず適当に両方大怪我しない程度で終わらせようと足に力を込めた。精霊の力を開放し、一気にカレンデュラへと肉薄する。
「奇襲!」
「エルザさん!?」
「ちょっと事情があるの! 別に殺し合いとかしないから今回は許して!」
カレンデュラの手首を捻ると、横にいた十号へと投げ付けた。もんどりうって倒れる二人を一瞥すると、エルザはジャネットへ視線を向ける。
「そっちの手助けは?」
「大丈夫。エルザの言ったように殺し合いしに来たわけじゃないもの」
「名前言うなら最初から代理やらせるなぁ!」
「……なーんか仲良さそう。むー」
くるん、と一回転すると、アトレシアはカマキリの鎌を一本増やした。蔦を壁に這わせると、まるで蜘蛛の巣ようにそれを四方八方に張り巡らせる。
その中心部で二人を見下ろす形になった彼女は、不満げに頬を膨らませるとビシリと指を突きつけた。
「決めた。ちょっとボコボコにして、無理矢理わたしも友達になってやる!」
「……変わった娘なのね」
「ジャネットが言うセリフじゃないと思うよ」
体勢を立て直したカレンデュラと十号も戦線復帰し、三人対二人の理由もよく分からない戦闘は更に続く。別段敵意も悪意もなさそうな女の子だけの戦いは、もう少し続く。
「ワケ分かんないのね!」
完全に置いてきぼりを食らった約一名を除いて。
人外女子会(物理)参加メンバー
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