アルビオンに向かう五人組。トリステインからフネを使い、白の国へと辿り着いたその一行は、さてではどうするかと港で伸びをした。
「で、どうする気です?」
一行の一人、フランドールが今回の悪事の実行犯であるアンゼリカへと問い掛ける。問われた方は彼女を一瞥すると、何を言っているかと言わんばかりに肩を竦めた。
「どうするも何も。目的地へと向かい、目標を確保し、帰る。それだけでしょう」
「具体的に言えっつってんですよ」
「こんな場所で?」
うぐ、とフランドールは口を噤む。周囲には人がいる。港であるということも踏まえると、この人混みが引くことはないだろう。その中で、暫定的に元がつくとはいえ皇太子を攫う計画について話すなどと。
「フラン、貴女はここでその話をしろというの?」
「あーはいはいわたしが悪かったです!」
ぶんぶんと手を振ると、フランドールは場所を移動せんと足を動かす。それを見てクスクスと笑ったアンゼリカは、では行きましょうと傍観していた残り三人に振り向いた。
ラウルは苦笑、マリーゴールドは呆れ顔、カレンデュラは変わらず無表情。そんな三者三様の様相を見せ、先頭を行くフランドールとその隣を歩くアンゼリカに追従する。そうしながら、宿屋を取りその一室へと入り込むと、そこでようやく力を抜いた。
「尾行は?」
「多分いませんね」
アンゼリカの言葉にラウルが返す。というか分かってんだろ、という彼の顔を見て、彼女は柔らかい笑みを浮かべた。
では話の続きといきましょう。そう言いながらアンゼリカはフランドールを見る。不満げに唇を尖らせ、しかし文句を言うことなくコクリと頷いた。
「ウェールズ様を誘拐するには、何はともあれ彼のいる場所へ侵入することが大前提」
「まあ当たり前ですね」
「さて、ではここで問題ですが。わたくし達がハヴィランド宮殿に向かって、素直に中へ入ることが出来る可能性は?」
「ゼロでしょ」
はぁ、と溜息を吐きながらフランドールが述べる。百歩譲ってアンリエッタならば可能だろう。今の情勢ではそれも厳しいかもしれないが。
が、今の彼女はアンリエッタではなく『豪雨』のアンゼリカ。宮殿の入り口で止められない可能性は万が一にもない。以前の出来事でウェールズと顔見知りである、アルシェの治療をした、ということを踏まえてもである。
「『暴風雨』だけでは流石に無理よね……」
「マリーのことを伝えても、か」
「……微妙?」
アイデアなんぞ出るわけない、と賑やかしになっている三人の言葉に、アンゼリカはまあそうですねと返す。だからこそ侵入が大前提と述べたのだと続けた。
「では次です。ハヴィランド宮殿に侵入、出来ますか?」
「……」
フランドールは答えない。ちらりと三人を見るが、こっちに振るなと言わんばかりの表情で首を横に振られた。カレンデュラは無表情なのでオーラだけである。
肩を落とした。項垂れ、言わなきゃいけないのかとぼやきながら、しかしそうしないと話が進まないので嫌そうな顔で前を見る。
アンゼリカの笑顔が見えたので思わず拳を握った。
「この面々なら、やろうと思えば出来るんじゃないですか?」
「ええ、そうね。最悪無理矢理押し通ればいいもの」
「その場合誘拐から強襲になりますけどね」
争いを回避するための行動で争い起こしてどうする。そんな意味を込めたフランドールの言葉は、アンゼリカの笑い声でかき消された。何を言っているのかと笑われた。
「とうの昔に、争いは起こっているでしょう」
「……はい?」
「フラン、貴女まさかアルビオン共和国がこのままのんびりと国を運営すると思っていたの?」
「そりゃ思ってませんけど」
そうよね、とアンゼリカは微笑む。視線を彼女からラウル達へと向けると、そちらはどうでしょうと同じ質問を述べた。
「まあ、ミス・ローゼンブラドがトリステインにいる時点で向こうとしては口を出す丁度いい口実になるでしょうし」
マリーゴールドの言葉に彼女は頷く。隣のラウルも同意するように首を縦に振るが、しかしただ、と言葉を続けた。
「いるだけではそこまででしょうから。……やっぱり、彼女を害そうとするでしょう」
「襲撃」
「ええ。そうでしょう。だからこそアルシェはヴァリエール公爵領に行ってもらったのだもの」
元皇太子が国のゴタゴタから遠ざけるため婚約者を隣国に向かわせた。そしてそこで婚約者が襲われ、死に至ったとしたら。まず間違いなくアルビオンはトリステインを責めるであろう。最悪戦争の火種となりかねない。
それを避けるための公爵領での保護であり、道中の護衛としての『
「まあ、正直彼らをこっちのメンバーにしたらその時点で外交問題ですしね」
ラウルの言葉にそりゃそうだと一同が頷く。トリステインの、ヴァリエール公爵が誇るフォンティーヌ自由騎士団。他国にも知られているそれが誘拐事件を起こせば言い逃れ出来る部分が何もない。至極当然の選択と言えた。
その点、『暴風雨』は名が知られていても悪名であり、トリステインを拠点にしているだけで国に所属しているわけでもない万屋傭兵メイジ、ごろつきの集団である。トカゲの尻尾切りにはもってこいだ。
「まあ実際見捨てられることはないでしょうけど」
「あらマリー、甘いわね。太后は平気で見捨てますわ」
「かあさ……公爵夫人も自分でなんとかしろって言うでしょうね」
片方はクスクスと、もう片方はげんなりと。そんな表情で迷うことなく返したことで、マリーゴールドの顔が強張る。ギリギリ、と軋んだ扉のような動きで隣を見ると、諦めろと言わんばかりの表情をしたラウルが目に入った。
「……まあ、グラモン元帥は一応提案はしてくれるんじゃないかな」
「多分。形式上。実質。無意味」
「一番何とかしてくれそうなのがうちのバカ親……!?」
詰んだ、とマリーゴールドが頭を抱えた。失敗しなければいいのです、というアンゼリカの言葉に、ああもうそれでいいやと遠い目をして空を見上げる。天井の木目しか見えず、彼女の気分は更にげんなりとした。
王都トリスタニアからヴァリエール公爵領へと向かう数台の馬車。その車中で、アルシェは不安そうに景色を眺めていた。
「本当に大丈夫かしら……」
ウェールズのことが、である。アンリエッタの心配は欠片もしていない。そんな彼女の心情を知っているのか、ロレンスは苦笑するに留まった。
「まあ、姫さまはやるっつったらやる人だから、そこは心配しなくてもいいと思いますよ」
並走している馬上から彼女の呟きへ返答が来る。才人は笑いながら、多分その辺もう経験しているんじゃないですかと続けた。
「それに、あの方は、その……ウェールズ元皇太子殿下に恋していますので」
馬車内の護衛として同乗している『地下水』からもそんなフォローといっていいのか分からない言葉が出る。恋、というキーワードに反応したイヴが目を輝かせたが、ロレンスは座ってろと彼女の肩を掴んだ。
「……ねえ、聞いてもいいかしら」
「何でしょう」
「彼女は、なんで私にウェールズ様を譲ったの?」
正確にはいつでも奪うと宣言している。が、それは取りも直さず二人の仲を認めていることに他ならない。彼女の性格ならば、自身を蹴落とし空いたその隣に立つことなど平気でやるはずなのに。
そんなことを思いながら問い掛けたそれは、馬車内の『地下水』に苦笑され、外にいる馬上の才人には笑われた。何だその反応、と思わずアルシェの顔が曇る。
「いや、ローゼンブラドさん」
いい加減堅苦しいと呼びやすい呼称にしてしまった才人が手をひらひらとさせる。一体何を言っているんだと言わんばかりに、びしりと指を彼女へ突き付けた。
「姫さまの友達でしょ? あの人が友達にそんなことするわけないじゃないですか」
「は?」
「ミス・ローゼンブラドとアンリエッタ姫殿下は友人同士です。名も知らぬ、いけ好かない、元皇太子殿下も乗り気ではない。そんな状況なら迷いなく蹴落としたでしょうけれど、そうではない」
「……だから、どういうこと?」
「友達の本気は真正面からぶつかる人なんですよ、あれでも。ルイズに似て、あの人も仲間手放さないしなぁ」
友人を失って手に入れる恋は納得しない。つまりはそういうことらしい。言い換えれば、友人を残したまま恋も手に入れると宣言しているに等しく、達成難易度は遥かに増している。
「……馬鹿なの?」
「こと恋愛と友情に限っては」
そう言ってクスクスと笑う『地下水』を見て、アルシェはなんだそれと溜息を吐いた。まあ言われてみれば確かにそうかもしれない。そんなことを思いつつ、肘掛けに頬杖をつく。
今のこの移動も、彼女の安全を第一に考えて計画されたものだ。自分がいない間、無事でいるように。そんなアンリエッタの思いから、考えられたものだ。
「……まあ、別に信じていないわけじゃ、ないけれど」
思わず口に出た。それを聞いた才人も『地下水』も、勿論ロレンスもイヴも。思わず優しい目で彼女を見る。何だお前ら、とアルシェは全員を一通り睨んだ。
まあまあと宥められ、不満げながらとりあえず矛を収めたアルシェは、息を吐くと外を見る。ヴァリエール公爵領までは最低でも一日半は掛かる。もう暫くはのんびりとしよう、と視線を再度馬車の中へと向けると、少し聞きたいことがあると『地下水』を見た。
「何でしょうか?」
「アンリエッタとウェールズ様は結局どういう関係なの?」
「……サイト。お前が言ってください」
露骨に顔を逸らされた。そして並走している騎士団長に丸投げした。なんでだよ、と文句を言った才人は、俺だって嫌だとぼやきながら視線を動かす。先行偵察していた十号達が戻ってきたのを視界に入れ、丁度いいと笑みを浮かべた。
「とりあえず宿の確保もしておいたよ」
「怪しい奴はいないようなのです」
「というわけで、つまり今のとこ平和だね」
そうか、と三人の報告をいいた才人は、じゃあついでに頼みがあると述べる。なんぞや、と首を傾げる三人に、アルシェの質問内容をそのまま伝えた。そういうわけだから答えてやってくれ、と続けた。
「私はよく知らないのです」
素の表情のまま十号はそう返す。ぶっちゃけ興味なかったし、とその顔が述べていた。出自と例の事件の関係で、ゴシップにあまり関心がないらしい。
それに対し、エルザとアトレシアは違った。前者は嫌そうな顔を、後者は別段何か思うところもなく記憶を探るような表情を見せる。
「あ、でもこれ姫さま怒るよね」
「……うん、そうだね」
記憶の検索を完了したアトレシアの言葉に、エルザが頷いた。そういうわけだからこっちに振るなとそのままついでに才人を睨んだ。
「いやだって最初にぶん投げたのは『地下水』だぜ!? 俺は悪くねぇ!」
「お兄ちゃん……」
「だんなさま、それはかっこ悪い」
「うぐっ」
ジト目で言われると流石に心に来る。こういう時ばっか俺悪者だし。とぼやきながら、分かったよ言えばいいんだろうと開き直るように二人を見て、アルシェに視線を向けた。
「あ、ミスタ・ヒラガ? 言いにくいことなら無理に言わなくても」
「俺も当事者じゃないから詳しくは知らないですからこれ以上は知りません」
「だから…………ど、どうなの?」
「姫さまは、昔ウェールズ王子にばっさり振られたんですよ! だから姫さまのあれは、ぶっちゃけ片思いなの! もう勝負ついてるの!」
「へくちっ!」
「アン、風邪ですか?」
くしくし、と鼻をこすりながら、アンゼリカはいや違うとフランドールに返す。これは誰かが自分のことを悪く言っているに違いない。そう続け、呆れたように息を吐いた。
「まったく。わたくしがいないのをいいことに言いたい放題言っているのでしょう」
「その気持はよく分かります」
「ええ。わたくしもその気持は良く分かりますわ」
だったらもう少し改めろよ。そうマリーゴールドは思ったが、決して口に出さない。そもそもあの発言からしてそう言われるのを分かって言っているように思えたからだ。結果として苦虫を噛み潰したような顔のまま、彼女はラウルの隣を無言で歩く。
「どうしたんだいマリー。何かあったのかい?」
「……何でもないわ。前の二人の会話にちょっと反応しただけ」
「ああ。あれはもう聞かないふりが得策だよ」
「逃避」
うんうんと頷くカレンデュラを見ながら、マリーゴールドはそうねと返す。
そんな三人を見ることなく、アンゼリカはではそろそろですかと呟いた。現在彼女達がいる場所はロンディニウム。少し顔を上げればハヴィランド宮殿が見えるその街で、一行は例の行動を実行に移そうとしていたのだ。
作戦開始から今日で二日目。才人達も問題なければそろそろヴァリエール公爵領の端にでも辿り着いた頃であろうか。
「え? そろそろって……まだ日が明るいんですけど」
空を見上げる。マリーゴールドの頭上には、さんさんと太陽が輝いていた。もし今から宮殿に忍び込むと言い出したら、こいつ頭おかしいと間違いなく判断するであろう、そんな天気である。
「勿論今すぐに宮殿に侵入するわけではないわ。でも、宮殿へは向かいます」
「何の意味が?」
警戒されるだけじゃないのか、というラウルの疑問に、アンゼリカは微笑むだけで返答とした。言うつもりがない、あるいはそうであっても問題ない。そのどちらかなのだろうと彼は判断し、じゃあもういいやと肩を竦める。
そんな彼の目の前で、アンゼリカが服を脱ぎ始めた。なんですと、と思わず目を見開き、そして絶対に見逃さんと開かれた目は閉じることなく彼女の裸体へと。
「あ、あれ?」
「何があれ、なのかちょっと説明してくれないかしらギィィィシュ」
「僕はラウルですけどね! 後説明は必要ないと思います!」
「堂々と言えば良いってもんじゃないのよ!」
ぱぁん、とビンタを食らい吹っ飛んでいくラウルを横目で見ながら、カレンデュラはテクテクと二人へと近付く。あれはいいの? というフランドールの言葉に、日常と短く彼女は返した。
そんなことより、と言わんばかりにアンゼリカを見たカレンデュラは、その顔をじっと見詰め、そしてフランドールへと視線を移動させた。
「変装?」
「これを変装って言って良いのか疑問が残るけどね。というかアンゼリカがそもそも変装なのに更に変装ってもう何がなんだか」
「ふふっ。でも、それでいいのよフラン」
そう言って仮面を外したアンゼリカはクスクスと笑う。あくまでこれは変装、アンゼリカが別の誰かに変装しているものなのだ。そんなことを言いながら、先程までの万屋メイジの動きやすい服装からドレス姿に変わった彼女はくるりと回る。
「さて、では少し行ってきましょうか」
「別にそれで堂々と侵入するわけじゃないんですよね?」
「ええ。あくまで街の人々や宮殿の衛士達に印象付けるのが目的ですもの」
それでは、とアンゼリカは一人歩みを進める。四人から離れ、一旦別行動を取り始める。
「さて……自分に変装する、というのは中々不思議な体験ね」
楽しそうに笑いながら、アンリエッタに変装したアンゼリカは一人街を歩き出した。
偽アンリエッタ(本物)