その1
わざわざこちらに来てもらって申し訳ない。そう言ってこの部屋の主は頭を垂れた。勿論呼ばれた方であるギーシュとモンモランシーは全力でそんなことはありませんむしろそれが当たり前ですからと恐縮する。何故かといえば理由は一つ。
二人を呼んだ相手がアンリエッタだからである。
「……それで、一体何の用なんですか?」
対する呼ばれたもう一人、ルイズはなんてことないようにそう述べる。実際なんてことないのだ。何せルイズとアンリエッタは『暴風雨』、『フランドール』と『アンゼリカ』なのだから。
そういう意味ではある程度『暴風雨』と関わっており正体も知っている二人の態度が遠過ぎるのだが。その辺りはやはり普通の感性を持った貴族だから、ということなのだろう。
それはともかく。アンリエッタはルイズにそう問われ、ふむ、と少しだけ考える仕草をした。それはこの話を言って良いものか迷っているような素振りに見えて。
勿論素振りだけである。わざとである。いいからさっさと言え、とルイズはそんなアンリエッタに食って掛かった。
「ルイズ」
「あによ」
「今の君は深窓の令嬢だろう? あまりそういう態度は頂けないよ」
「う……」
魔法学院で正体がバレたら一発アウトの崖っぷち状態である。今でこそ公爵令嬢として接してもらえているが、『暴風雨』だと分かれば手の平を返すように離れていくだろう。陰口、あるいは罵倒をされてもおかしくない。少なくともルイズはそう思っている。
コホン、と咳払いを一つ。それで、本題は一体何でしょうと極力棘の無いよう努めて声を抑えた。
「ふふっ。……実は、現在国庫が厳しい状態になっています」
その言葉に、誰も何も言わない。というよりも、何を言って良いのか分からない。それは大変ですねとでも言えばいいのだろうか、いいやそんなわけないだろう。グルグルと思考が巡り、しかし答えが出せない。
それが分かっているのだろう、アンリエッタは三人の返事を待つことなく、次いで言葉を紡いだ。そのために、資金を捻出する方法を考えねばならない、と。
「あの、姫さま?」
「どうしましたルイズ?」
「それをわたし達に言ってどうしろと?」
「ルイズはわたくしの『おともだち』、ミスタ・グラモンとミス・モンモランシはルイズの友人でかつての衛士隊三人組の二代目に連なる者。相談相手として相応しいでしょう?」
いや普通にマザリーニ宰相とか財務大臣とかそういう人達の方が相応しいよ。そうは思ったが口に出せない。出したら出したでその後に続く言葉は恐らく退路を塞がれるものであろうからだ。仕方ないので、曖昧な返事をするに留まった。
そんな三人を見て、アンリエッタは笑みを浮かべる。そんなに緊張することはない、と微笑みかける。これはちょっとした世間話の延長のようなもので、本気で政治をどうこうする会議なのではないのだから。そう言って、紅茶のお代わりを持ってこさせた。
「それで、わたくしの持っている資金を一旦国庫に回すことにしたのですが」
「姫様の資金って」
「ええ。その通りよ」
紅茶に口をつけながらそう述べる。現在国の資産が目減りしている理由は『暴風雨』が起こした後始末という部分もある以上、そこで渋る理由などない。口には出さず、アンリエッタは視線だけでそう続けた。
しかしそうなると今度は自身の首が回らなくなる。国の資産とは別に、アカデミーの研究開発費用や野盗・魔獣討伐の人員確保など、個人投機を行っている事柄も多々あるのだ。これが滞ってしまったら国の運用にも支障が出る。
「そこで、どうにかして資産を捻出する術を考えねば、と思ったのですが」
何かないでしょうか。そう言って彼女はカップを置いた。静かな空間にコトリと鳴ったそれが、ギーシュやモンモランシーの緊張を煽る。ビクリと肩を震わせてしまった二人を見て、アンリエッタはそんなに緊張せずともと微笑んだ。
「無理です」
「そう?」
どちらの意味なのか。それを問い掛けることはしなかった。どちらの意味でもあっただろうし、どちらでも構わないということでもあったのだろう。アンリエッタはルイズを見ると、再度尋ねた。本当に無理か、と。
答えはイエス。そんな簡単に解消出来るのならばとっくにやっているだろうと彼女は続ける。やはりどちらの意味にも取れる物言いであった。
「そうですか。それでは仕方ありません」
ふう、とアンリエッタは息を吐く。相変わらずその口元は笑みを湛えたまま。それならば仕方ないともう一度小さく呟いた。
「少し、強引な手段を、取りましょう」
ひぃ、と後ずさったギーシュとモンモランシーを見て、アンリエッタは心底楽しそうに微笑んだ。
マチルダは心底後悔した。ちょっと協力して欲しいとアンリエッタに頼まれ、まあ世話になっているし余程のことはしないだろうと考え首を縦に振ってしまったことを、である。
現在の彼女は魔法学院秘書という肩書を持った女性、ロングビルであった。そういう風にアンリエッタが仕立て上げた。表面上は笑顔で応対しているが、心の中は大小様々な罵倒で溢れかえっていた。
遠目で見ているルイズはそれがよく分かる。なんというかごめんなさい。直接頭を下げるわけにはいかないので心の中で全力の謝罪をした彼女は、さてどうするかと口元に手を当て考え込む。
これからやらねばならないことは、一言で言ってしまえば犯罪である。擁護することなど何も出来ない完膚無きまでの悪事であった。
ならばやらねばいいと思うが、そういうわけにもいかない。アンリエッタの懐を暖めなければ、トリステインの国政に暗雲が立ち込めるからだ。
「だからといって」
どうされましたか、と学院の生徒に問われ、何でもないと首を振る。今のこの場でのルイズの役目は深窓の令嬢を装い続け容疑者から外れることだ。普段の学院生活を乱さないことだ。それをこなせなければ、まず初手で躓き、ルイズの評価と国の運営が脆くも崩れ去る。
とりあえず今はマチルダと接触する必要はない、と結論付け、ルイズはそのまま教室へと向かった。今日の授業は何であっただろうか。そんなことを思いながらやってくる教師を待つ。
ガラリと扉を開けたのは若い男の教師であった。が、その身にまとう雰囲気がどうにも冷たく感じられ、不気味ですらあるほどで。
そんな男性教師は、ギトーという自身の名前と『疾風』という二つ名、そして風が四系統の中でも優れていることをつらつらと述べると辺りを見渡し溜息を吐いた。今年の新入生はどうにも不作だ。そう言って肩を竦める始末である。
「トライアングルは皆無に近い。殆どがドットでラインも一握りか」
これでは教え甲斐がない。そんなことを言いながらまあいいだろうと講義をし、そして続く授業で呪文の実践をするため広場に移動した。評価は変わらずである。講義中の質問にも、きちんと答えられるものはそこまでいなかったからだ。
では、と基本呪文の『フライ』、『レビテーション』を行わせた。馬鹿にするなと生徒達は容易く行ったが、しかしギトーはふんと鼻を鳴らすのみ。まあドットではその程度だろう、とつまらなさそうにそう述べた。
「やーな感じ」
「聞こえるわよジョゼット」
んべぇ、と眼鏡の少女がこっそり舌を出す。それを見ていた同級生の女生徒は苦笑しながらそれを諌めた。ちなみにその女生徒とはモンモランシーである。自分はまあ言われても別に、という気持ちだったのでその辺りは気にしていない。
そして気にしていたのが数名いた。一人は赤毛の少女、まあ風は得意ではないけどこのくらいは、と他の生徒達とは比べ物にならない動きの飛行を見せる。ほう、とギトーは声を上げ、そういえば彼女はほぼ唯一と言っていいトライアングルであったなと思い返す。
やはりドットやラインでは駄目か。そんなことを呟いていたギトーは、次の生徒が呪文を唱えるというので視線を向けた。確かヴァリエール公爵の三女で、未だ二つ名を持っていないという話。病弱だとかいう噂もあるが、果たして。
そんな彼の考えを余所に、ルイズは呪文を唱え一気に加速した。理由は二つ、単純にギトーが気に入らなかったので度肝を抜いてやろうと思ったこと。もう一つは、深窓の令嬢のストレスが無意識に溜まっていたことだ。呪文を唱えて何かをやる分にはある程度深窓の令嬢感は無視される、ということをこの一週間で彼女は学んでいた。
結果、高速で空を舞う令嬢が完成した。一部の生徒はぽかんと口を開けその光景をただただ見詰め、一部の生徒は流石公爵令嬢だと歓声を上げる。
「どうでしょうか?」
ストン、と地面に着地したルイズはギトーに問い掛ける。文句のつけようのない飛行を目にしていた彼は、素晴らしいと短くも最大限の評価を告げた。次いで二つ名を持っていないのならば風を主体としたものがいいだろうと述べる。確かにと生徒達は頷き、そして風の妖精のようだなどと言うものまで現れる。キュルケはキュルケで負けたことに不満げながらも得意属性ならしょうがないかとその二つ名命名に参加しようとしていた。
が、それに微妙な顔を浮かべたのは当の本人ルイズであった。いやその風関係はちょっと、と俯きながら、控えめにそう述べる。
どうしてだ、とギトーが尋ねると、ルイズは俯いたまま絞り出すように言葉を紡いだ。わたしの風は、大っぴらに表に出していいものではないので、と。
そう言われてしまえば皆何も言うことは出来ない。事情があるのだ、得意属性を隠さねばならない理由があるのだ。公爵家の隠された秘密があるのだ。そんなことがざざぁと波のように広がっていく。
「何よヴァリエール、そんなに家が怖いの?」
「……そうね、家は怖いわ。でもそれ以上に――」
キュルケの問い掛けに、ルイズはそこで言葉を止め決して口にしてはいけないと頭を振った。深窓の令嬢には何か隠された秘密がある。そう確信させるには十分なものであった。イメージとしては悲劇のヒロイン的な何か、という風に皆考えている。アンリエッタ姫殿下との繋がりに関係するのかもしれない、とも考えられた。
ちなみに勿論理由は、風が得意属性だと知られ強力な風メイジだと吹聴されると『暴風』の『フランドール』との繋がりがバレると思ったからである。完全なる自身の保身のためであった。ついでに家が怖いのもその辺りである。問題児だと学院で認定された場合、エレオノールが泣くしカリーヌにボコされるからだ。
ちなみにルイズの勘違いである。実際のカリーヌはどうせルイズのことだから学院で問題児扱いされているのだろうと楽観していた。エレオノールは泣く。
ともあれ、ルイズの二つ名はまたも保留となった。約一名訝しげな視線を向けていたが、まあいいわと踵を返していった。そんな同級生を眺め胸を撫で下ろしたルイズは、さてでは次の授業だと目立たぬよう移動を開始する。
「……」
「……」
そんな彼女を見詰める人物が一人。その隣には何とも言えない表情で立っている友人の姿も見える。見詰める、というよりも睨むと言った方が正しい勢いでこちらを見ているその少女を無視するのは流石にきつい。はぁ、と溜息を吐いたルイズは自分から近付きなにか御用と問い掛けた。
「……」
「……え、っと?」
無言で睨んでいる。何か自分はやらかしたのだろうか、と眉がへにゃりと垂れ下がった辺りで、少女はふむ、と頷いた。少し長めの青い髪、小柄な体にあまり合っていない大きな眼鏡。ズレたそれを手で直しながら、少女はビシリと指を突き付けた。
「貴女、強いわね」
「へ? ……あ、うん、うん? そう、かしら」
「何よ、はっきりしないのね」
「自分ではよく分からないもの」
半分嘘である。少なくともその辺の木っ端メイジには負けないくらいには強いと自負はしていた。が、強いかどうかと考え上を見ると化物ばかりなので、そういう意味では本当なのである。
ふうん、と少女は気のない返事をする。まあいいわ、と左手を差し出し笑みを浮かべた。
「わたしはジョゼット。よろしければ友人になってくださらない?」
家名を名乗らず名前だけを名乗る。それはつまり何かしらの意味がある。それを察したルイズは特に言及せず、ええ勿論と笑みを見せてその手を取った。右手を出そうとして、すぐさま左手に変えて、である。
横で見ていたモンモランシーは気が気ではなかった。わざわざ左手を差し出したジョゼットに、である。ルイズは別段気にしていないようであるが、あれは明らかに挑戦を意味していた。お前を倒す、という意志が込められていた。
理由は知らない。が、恐らく何かあるのだろう。そう考えてこっそりと頭を抱えた。
「ねえ、ミス・ヴァリエール」
「何? ミス・ジョゼット。ああ、わたしのことはルイズでいいわ」
「ならわたしもジョゼットと呼んで。それで、貴女、お姉さんはいる?」
へ、と一瞬呆気に取られた表情になる。いきなりそんな質問をされるとは思っていなかった、という表情を浮かべたルイズは、しかし大事で大好きな姉のことを聞かれたのだから答えないわけにはいかぬと笑みを浮かべる。ええ、と頷き、そして姉がどれだけ素晴らしいかをジョゼットに語った。下の姉は自分よりもっと美しくおしとやかである。上の姉は自分よりもっと聡明で強いのだ。そう言って自慢し終わったルイズは、目の前のジョゼットを見て少しだけやっちまったと後悔した。
「……お姉さんのこと、大好きなのね」
「ええ。勿論よ」
そうか、とジョゼットは頷く。そして、やはり負けられないと小声で呟いた。自分は栄えあるガリア王家に連なるオルレアン公が次女ジョゼット。いくらトリステインの公爵令嬢が優れていようとも負けられない。
それが、
「……わたしも、姉がいるわ」
「あら、そうなの。どんな方なのかしら?」
「魔法の才能に溢れた、素晴らしい人だったわ。きっと、当主になるのは姉さまで間違いない」
そうだ、そうなのだ。オルレアンを継ぐのはシャルロットだ。彼女が戻ってきた時の為に。自分は、それを支えることが出来る力を身に付けるのだ。
「だから、わたしは」
真っ直ぐにルイズを見た。その気迫に観客状態のモンモランシーは思わず気圧される。ルイズはそれを受け止め、同じように真っ直ぐジョゼットを見た。
「ルイズ、貴女には負けないわ」
「……ええ、望むところよ」
ジョゼットは笑う。ルイズもそれを受けて笑う。そこに一触即発の空気こそあれど、どす黒いものは見当たらない。純然たる挑戦の火花だけがあった。
ついていけないモンモランシーは遠目で見ていたギーシュを手で呼び寄せると少しだけ離れる。そして、小声で彼に話しかけた。
「あの娘、絶対今回の仕事忘れてるわよね?」
「……マチ――ミス・ロングビルを見れば思い出すだろうから、まあ」
どうせその内仮面を被ってあの方も来るだろうし。そう続けるギーシュと顔を合わせ、出来れば被害が来ませんようにとモンモランシーは小さく祈った。
今回は間違いなく原作沿い