魔女でさえなければ麗しき少女は、その穢れた血を身体から流しながら壁に手をついて息を切らしながら僕に助けを求めてきた。
「…成る程、君が理事長の手の者だったという訳か。
僕が助けに行くと判断したのは理事長か、それとも君か?」
返事をするのも苦しそうだが、僕がそれを気にしてやる必要は無い。
魔女が一人くたばったところで、人間達に不利益は何一つ無い。
「…理事長です」
少し、残念だと思ったわけではない。
そもそもそう期待する理由も、因果もない。
「そうか。その理解の通りで結構だ。
優秀な上司の下で働くのは動きやすい。無能な上司よりは余程ね。
残念な事に、青野から聞く話では敵の上司も優秀なわけだが勝算は付けてあるのか?」
「……」
僕の言葉に答えることなく、ただ真摯に見つめ返してくる彼女の瞳は、勝てる気は無くとも、勝つつもりでいることは見て取れた。
…及第点だ。その返答は決して嫌いじゃない。
「速やかに青野達の居場所を答えろ。
後は理事長にこの紙を渡せ」
書き記したメモ帳を千切って彼女に渡した。
そして青野から場所を聞いた僕はそこへと向かうことにした。
戦いというのは相手の本拠地に向かうより、己の本拠地に引き摺りだした方が良いのだが、いつも理想通りとは行かない。
ならば、相手の地の利をなし崩しにする手段を考えるのは当然のことだ。
現場に辿り着いた時、青野は金城に独白していた。
信じていたと、金城は真面目で争いが嫌いだと思っていたと。その理想に自分に近しいものを感じていたと。
だが、それは所詮
最初から見ているものも聞いているものも違う金城には届かない事に気が付かなかった様だ。
金城は今にも憧れは理解から遠いとでも告げそうな表情で、青野如きでは己を理解するには能わないと告げた。
だから僕はそんな可哀想な演者達に現実を教えてやる。
「そうだ青野。お前は金城を理解できない。金城もお前を理解できない。
全てを理解できるのは神だけだ。人は己すら理解しきることは出来ない。
だからもっと早く、敵対した時点で切り捨てるべきだった。
さあ、今此処で棄てろ。お前の中から金城北都を」
迷える子羊に道を示すというのは、何時だって気持ちが良いものだ。
「賢石翠、やはり来たか」
僕のことは想定済みだった様だ。
僕が此処に来ることまで理解していたとは侮れないな、金城北都。
「コイツらがそんなに心配だったか?」
…まさか、妖が何人死んだところで、僕にはどうでも良いことだ。
首を振って、金城の戯れ言を否定する。
足場を改変して、蜘蛛の足を逆さにした様に八本の鋭利な柱を造り出して、それを金城に向ける。
それを避ける金城の着地地点を液状化させることも忘れない。
身体を捻った重心移動で無理矢理飛距離を稼いだ金城は、何とかまともな足場を確保した様だが、その場所は既に計算済みだ。
コートの中の薬剤を調合して投げつける。
即席だが、衝撃で発火し、その炎が持続するナパーム弾だ。
ここらで金城の妖としての正体が見えると思ったが、金城はあくまで身を捻っただけだった。
仕方が無いので、ナパームをコートから出した銃で撃ち抜く。
広がった火炎が金城を包んだ。
「可哀想に、熱そうだね金城。
彼を
指揮をする様に、周囲の者に指示をする。
しかし、白雪と仙童以外のものは動かなかった。
白雪は冷気で、仙童は水を呼び出して炎を消そうとしている。
…残念な事に、油火災は水で消えるどころか広がるわけだが。
火傷のせいか、金城は悶えながら崩れ落ちた。
さて、トドメは青野に付けさせてやろうか。
そう思って青野を見たが、青野はお気に召さなかった様だ。
「お願いします。火を消してくださいッ!!」
甘いな、実に甘い。
どうせなら殺してから、赤夜がお前にした様に眷属にでもすれば良いというのに。
それではいつか寝首をかかれるだろう。
救われない末路が、きっとお前を待つだろう。
神は妖となったお前を救わない。ならばお前自身がお前を救わなくてはならないのだ。
甘さを捨てなければ、いつかお前は死ぬだろう。
…妖になった青野が死んだところで、もう僕にはどうでも良いことだが。
それにしても、この期に及んで金城は、一部さえ化け物の姿に戻らない。
…もしや、彼も…?
だとすれば、殺しは良くない。
彼がやったことは、妖である陽海学園の生徒を傷つけただけだ。
彼が人間であるなら、一人たりとも人間を傷つけてはいない。
化け物を成敗しただけだ。
…これでは善行ではないか。
仕方ない、助けなくては。
燃えている金城に触れ、燃焼している油を不燃性素材に変換する。
僕が少々火傷するのは仕方ない。
人間を傷つけた罰だ。報いは受けなくては。
「金城北都、まさか君は――――人間か?」
「……だったら何だと言うんだ」
ああ、何と言うことだ。
こんなことがあるのだろうか。
そんなに睨まないでくれ金城。
居心地が悪くなってしまうじゃないか。
「…君が最初にそう言っていれば、僕は君の側についていたかも知れない。
僕は神のしもべ。妖の敵で人間の味方だ」
金城も青野も、妖共も戸惑った顔をしているが、寧ろその認識に戸惑いそうになるのは此方の方だ。
妖如きが、正義の味方となって賛同されるとでも思っていたのだろうか。
僕が人間を必要も無く見捨てるとでも思ったのだろうか?
それこそ解せない。
「金城、君は僕が保護してあげよう」
「いや、その必要は無い。彼はこちらで引き継ごう」
振り返るとそこには、僕には見慣れた十字を首から提げ、白いローブに身を包んだ男がいた。
「理事長!!!」
青野が叫んだ。
なるほど、彼が理事長か。
胸の十字架からして、彼も
真っ当な人間には見えないが、僕も人のことは言えない。
何せ、十字架を愛する者に悪いものはいない。
「君には期待していたのに残念だよ北都くん」
白々しくも聞こえる言葉を紡ぎながら、理事長は火傷を負った人間である金城に向かって封印結界を発生させた。
これでは金城が可哀想だ。
「くっ、くひひっ…くひっ…くはっくははっ、はひひひ、はひっはひっはひほひひひーーっひっひっひっ」
だが、封印された金城を僕が助けてやろうと考えた矢先に、金城は狂笑しだした。
笑いが最高潮を迎えると同時に結界を破砕した金城は瞬時に近寄って、理事長を幾重にも別れ、その全てが鋭く尖った
それを見た青野の絶叫が響き渡る。
「ああ…待っていた。この時をずっと待っていたよ。
弱ったフリをしたのも、封印されたのもわざとだ」
そう言いながら、倒れている理事長が身に付けていた神聖の象徴、十字架を奪い取った。
………。なんだ、君もそうだったのか。
君も、化け物だったのか。
人間のフリをしておいて、結局は邪悪な闇の生き物だったのか。
邪悪な闇の生き物の分際で人間を騙り、この僕を瞞したのか。
…全く、妖という存在は実に度し難い。