慌ただしくも度し難い一年が過ぎて、いよいよ新学期。
主目的は達成したが、延長申請により僕は陽海学園における最終学年たる三年生として過ごすことになった。
九曜も卒業し、螢糸が後を継ぐことになった、公安も新体制を迎えることになった。
青野月音は周りの女どもと現を抜かして、馬鹿騒ぎに巻き込まれるのは確認するまでもない。
そもそも、あの馬鹿騒ぎを巻き起こしているのが、自分だということに自覚を持たないのは全くもって度し難い。
まるでラブコメディの主役の様だ*1。
僕はと言えば、生徒会長に推薦され、推薦された以上は努めて見せようと、新学期が始まって直ぐにある選挙へと準備を進めているところだった。
一つ下の学年からは赤夜辺りがまつり上げられるのだろう。
赤夜の信奉者な仙童がまつり上げる図が考えずとも浮かぶ。
まあ、勝負には勝たせて貰う。その前提は崩さない。
僕を推薦した者、そして推薦された僕を後押ししようとする者達のためにも、僕には勝つ意義がある。
推薦人はまた同じクラスになった螢糸だった。
公安に好意的な者が生徒会長になった方が、秩序維持において都合が良いという理由らしい。
彼女自身が立候補しない理由は、裏で糸を操る方が性に合っていると言うことだった。
…流石に女郎蜘蛛の妖が言うと、説得力がありすぎて恐れ入る。
イメージチェンジというわけでもないが、眼鏡をかけてみることにした。
眼鏡をかけた方が、何となく頭がよく見えるからだ……という頭が悪い理由にしてある。
この眼鏡は貰い物で、何か仕掛けがあるわけでもないごく普通の眼鏡だ。
伊達眼鏡をかけていた知り合いが、プレゼントの返礼に他にものが無いからと言って押し付けてきたもので、愛着があるわけでも無い。
…白雪はともかく、黒乃あたりは邪推してきそうだが、威圧すれば余計なお喋りはしないだろう。
生徒会役員選挙も大切だが、入学式前の新入学生を連れた学園付近の地域の紹介もこの後に控えている。
こちらの方も、しっかりやる必要がある。
…勿論、頼りになる最上級生として、一年生からの票をしっかりと固めておくためだ。
これがあるから選挙は二年生より三年生の方が、圧倒的なアドバンテージを取れる。
此方が票を稼いでいる間に、二年生は二年生だけで特別実習に参加している。
同級生の票をここで稼いでおくことは出来なくもないが、同級生からの票など、既に稼いでおくのが選挙戦の基本だ。
同級生で新聞部の森丘が、此方に着く様子はないので広報活動は不利だが、宣伝手段は新聞だけではない。
ポスターの完成度なら学年トップクラスの集団である美術部。
その部長である僕には、部員達による最高のイメージ戦略が約束されている。
…この戦い、僕達の勝利だ。
さて、時間だ。
僕はクラスメイトの積極的な協力により、新入生エスコート要員に充てられた。
他にも安全管理要員や、衛生支援要員などの係があるが、尤も新入生に良い印象を持たれ易いのは共に行動するエスコートの係だ。
…とはいえ、安全管理とか衛生支援という言葉がある通り、この妖が通う学園の周辺探索には危険が伴うことも多い。
エスコート係に任命された者は、幾つか区分けされた班と共に行動しながら、入学式も終えていない新入生を警護する必要がある。
ある意味、周辺の危険な知性の低い怪物達から、
僕が任された班が集まっているところに歩いて行くと、新入生達はお行儀良く待っていた。
よく見ると、皆生真面目そうな感じ…ではなく、一人の新入生の少女がリーダーシップを取って纏まっている様だった。
…ふむ、此方としては他にリーダーを張るに値する者が居ると、票稼ぎには邪魔になるが、仕事が楽にはなりそうだ。
後は実力不足なのに、良いところを見せようと身の程を弁えず危険にはしらなければそれで良い。
「待たせたようだね。三年生の賢石翠だ。今日は一緒に行動させて貰うから宜しく」
あまり下手に出て威厳を汚す事無く、されど面倒だと疎まれることも無い塩梅で薄く笑いを湛えて話しかけた。
担当する新入生に、一人一人簡単な自己紹介をさせる為に、一人だけ覇気の強い少女に最初に話を振った。
「君の名前は――――」
「…おねえさま?」
僕が名を聞こうとする前に、その少女はいきなり僕の妹を名乗りだした。
僕は女性でもないし、君の姉でもないと伝えようとした時、
「……じゃなかった。ごめんね…じゃなくてごめんなさい。
だって、あんまりにも似てたから。あたしのおねえさまに」
……僕と似ている人物……まさかね。
「あたしは、朱染心愛*2。宜しくお願いします」
…朱染*3。
偶然か? この学園に朱染の関係者が二人も?
朱染は何か企んでいるのか。
ならば、見極めねばならないだろう。
「こちらこそ宜しく。
僕は君の姉ではないが、上級生として兄の様に頼ってくれると助かるよ」
内心は、闇の生き物たる妖、それも吸血鬼の兄などとは業腹モノだが、それはこの際置いておく。
そしてさりげなく性別が男である事を主張する。
なおかつなるべく余裕をもって警戒させない表情を作りながら、疑いの本性を隠す。
そう難しいことでも無い。
彼女に続く残りの新入生の名前や話し方などから特徴を割り出しながら、データベースに保管することにした。
万が一名前を間違えて、敢えて印象を悪くする下手を打つつもりもない。
そういった思惑を知られなければ、青野辺りのお花畑な連中ならきっと「良い先輩やってますね」などと巫山戯たことをのたまうだろうが。
まあ、そもそもな事を言えば、そんなことに思考のソースを割くこと自体が無駄だ。
笑顔を貼り付けて、闇の生き物である妖と下らない世間話を交わしながら、くどくならない程度によく利用するであろう施設や場所だけを簡易に説明する。
合わせてさりげなく美術や科学に興味がある生徒がいないかも探っておくのは、部長としての役目だ。
あくまでさりげなくと言うのがポイントだ。
他の部活に睨まれても僕は困らないが、部員達がやっかみを受けるのは御免被る。
それに、自分の所属する部活を贔屓すると思われては、生徒会長選挙に良くない心証を持たれて臨むことになる。
それは頂けない。
知性の無い野良妖怪も問題だが、悪意を持った知性ある妖の方が性質が悪い。
主は教えを知らずに悪にはしる者よりも、教えを知って尚背く者を強く罰する。
そんな救い難い連中に新入生を傷つけさせないために、我々最上級生がエスコート班として付き添っているのだ。
それ自体には不満を持つ余地はない。
命じられた範囲で、拡大解釈した余地を持ち、活動して成果を上げるのが優れた先導者の条件だ。
もしかしたらこんなこともあるかも知れないという可能性に備えて、幾つかのシミュレーションは既に終えてある。
自分が想定した範囲を超えたからと言って、自分は悪くないというのは愚か者の言うことだ。
世にブラックな環境などというものはそうそう無く、ただその環境をブラックに感じる能力や努力が至らない者が居るだけだ。
故に、独断行動をして、勝手に管理下から離れようとする新入生がいると言う可能性を想定していないなど、僕に限ってあるわけがなかった。
「…朱染くん。向こうに、何か気になるものでも?」
無意識かどうかまでは解らないが、少し気茂みの方を気にし始めた朱染に予め声をかけておく。
牽制のつもりであったが、彼女は馬鹿正直に答えてきた。
「少し、不穏な気配が向こうからした様な気がして…」
…流石吸血鬼、牙だけで無く勘が鋭い。
何かに気が付いたのだろう。僕が懸念するべき事態である可能性もある。
全くの見当外れと言うこともあるだろうが、ここは万全を図るべきだろう。
だが――――
「向こうに行ってみて良い?
あたし、結構強いんだけど」
それを認めるわけにはいかない。
その独断を許して、彼女が危険にさらされて、僕が動かざるを得なくなった時、更に別動している残された新入生を狙う者がいないとも限らない。
「それには及ばない。一応三年にも腕に覚えがある者は多くてね、彼らに事態の終結を図らせよう。
警告には感謝する。流石の勘の鋭さだね」
動きを制じた代わりに、心にもない褒め言葉でフォローしておくのは、あくまで選挙があるからだ。
妖如きに優しさなど向ける意味も無い。
僕たちから少し離れたところで待機している、安全管理班の危険排除要員である宮本*4に指と視線で合図を送る。
…反応が無い。先程からずっと此方を凝視していたから、僕の合図に気が付いているのだとは思っていたが、違う様だ。
ロリコン疑惑がある彼のことだ。
僕と会話している幼い吸血鬼のことしか見ていなかった可能性がある。
だとしたら全くもって使えない。
仕方ないので、宮本が朱染を見る視線を遮る様に移動して、再度合図を送ってやった。
当初、少し腹立てた様な顔をしたのは、彼が本当にロリコンで、幼女を視界から奪ったからなのかも知れない。
だが、そうだとしても、その幼女が傷つけられる結果は彼も望まないはずだ。
実際、行動を開始してくれた。
その能力はしっかりと期待させて貰うとするよ。空手部部長、宮本灰次。
それから暫くして、何かを突き抜ける様な衝撃音が発生した。
アレは、恐らく宮本の技だろう。
僕の机にまちがって忘れ物をした宮本に、忘れ物を渡してやるために空手部に顔を出した時に、一度その技を見たことがある。
相手に触れることなく、その拳の風圧を相手に叩き込む正拳。
恐らく、宮本もかなり高位の種族であるはずだ。
種族というか、血が大きな強さの因子をしめる妖の特徴からして間違いない。
その上で、武道にも精通した宮本を倒せる者はそうはいないはずだ。
そしてあの技は、相手が成人した妖と言えど対処できる者などそうはいない。
高威力、低コスト、短発生時ロス、連打可能、そして何より――――不可視。
相手の妖がかなり武術に優れているか、宮本の妖としてのスペックに武道を兼ね備えた強さを蹂躙できるほどの高位の妖である必要がある。
それだけ、彼の必殺技は、文字通りの必殺技だ。
そしてその音が、再度聞こえてくると言うことは、一撃で相手を倒せなかったか、他にも敵に仲間がいたかだ。
新入生を傷つける可能性がある敵、それも複数であるか強力な敵である可能性。
その事実を理解した同級生達に、一斉に緊張がはしる。
僕は受け持ち班の新入生に、この辺りには空手の練習をする上級生がいて、その打撃の練習音だと説明する。
しかし、他の班には動揺を隠しきれていないエスコート役もいる。
視線で動揺を隠せと合図を送ると、なりを潜めたが、未だ未だ未熟としか言えない。
その後は、僕の班を含めて、新入生のオリエンテーリングは人通りが多く、安全な場所ばかりを周ることにした。
一先ず、それでイベントは終了した。
無事新入生に好印象を与えて、学園の紹介は終わった。
そして、ここからは、――――
集まった三年生の皆に、逃げられたと済まなそうにする宮本に、ここから取り返すぞとフォローの形を取った渇を入れる。
それ以外に何も言葉に出すこと無く、無言で突き出した僕の拳に、宮本も拳をぶつけてきた。
…願わくば加減をして貰いたかったが、周囲の目がある故に、そんな軟弱なことも言えないのはストレスが溜まらなくもない。
この些細なストレスは、敵にぶつけるとしよう。
大切な
ここは、陽海学園。
烏滸がましくも人間に扮した妖共が学ぶ、闇の生き物の園。
何処の誰かは知らないが、我々に喧嘩を売るとは、全くもって度し難い。